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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.2
  • 出版社: 講談社
  • レーベル: 講談社現代新書
  • サイズ:18cm/309p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-06-149646-8
新書

紙の本

キャラクター小説の作り方 (講談社現代新書)

著者 大塚 英志 (著)

キャラクター小説の作り方 (講談社現代新書)

税込 836 7pt

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みんなのレビュー45件

みんなの評価3.8

評価内訳

紙の本

生身の人間を描く可能性

2003/04/18 14:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナガタ - この投稿者のレビュー一覧を見る

キャラクター小説の「書き方」、ではなく「作り方」であるところからして、筆者の狙いが、小説の書き方の開陳にあるのではないことが分かる。場面を書き込んだカードを使って、組み替えて、筋立てを練るとか、テーブルトークロールプレイングゲームが物語りの世界観を組み立て、かつキャラクターを動かす訓練に適している、といったノウハウ(といっても読むだけで盗めるものではなく、実際に体を動かさないと身に付かない高度さをもつものだが)の教授は、作家志望読者への、付録のようなサービスだ。
 「壊れ易い人間」を、これからの小説はどう描くのか。どう扱っていくのか。筆者のテーマは、この辺にあると私は読んだ。
 死なない人間、壊れない主人公を描くのは、ハリウッド映画の真骨頂だ。映画はもちろん、漫画もミステリーも、人の死は記号的にしか描くことが出来なかった。しかし本国を外国から責められたことのない米国とは違って、日本の手塚治虫以降の漫画は、表現が記号であるから生身の人間の死を描くには限界がある、と自覚しながらも、その努力は避けようとしなかった。キャラクター小説とは、一般的には登場人物を記号として描くことを当然とした小説、と受け止められているけれど、「ゲームのような死」を超えて、死を描く作業は、キャラクター小説にだって可能なはずだ−−たとえば清涼院流水の「1200人分の密室殺人」を描く探偵小説。大量に反復することで逆に記号の固有性を喪失させることに成功している−−と、筆者は考えている。
 私はこう思う。生身の人間の現実には、「死ぬ」「生きている」の中間に、けがをする、病気になる、精神が病んでしまう、という「中途半端」な状態がある。始まりがあって終わりがある物語の中に、この、中途半端な状態は、挿入しにくい。物語はいつか結末をもって終わらなければならないが、現実は、本人の意志で、終わったり続けたりを選べない。
 虚構をいかに巧みに組み立てて、現実感をもって読み手に伝わる表現を獲得するか。
「私小説」のような、本人登場の形での現実を担保に使うのではなく、壊れてしまった人間がきちんと、キャラクターとしての役割を果たす物語。
 あれば読みたいなあと思う。本書のノウハウは、そういう作品を「作る」ためのトレーニングとして、開陳されているはずだ。

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紙の本

「これさえ読めば小説が書ける」本の最高のもの。

2003/03/06 09:32

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:シュンジ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私は1年間に「100冊以上読む」「いろいろなジャンルの本を読む」というような本好きです。
 でもちかごろは「本を読む」では満足できなくなり、「小説を書いてみたい」という思いが強くなってきたのです。 しかし、実際に書き始めてみると、とてもではないけれど「書けない」のです。
 そこで、「小説を書くための『HOW TO』……」「これさえ読めば……」というような本を、大量「13冊!!」も、読んでは買い、買っては読みのくり返し。
 しかし「ほとんどの本」が「役に立たない本」なのです。
 シカアアアシ!! その中でヒトスジの光が。 それは、「大塚英志」様の2冊の著書だったのです。
 もちろん「1冊」はこれ!! 小説の中で動いてくれるキャラクターの作り方にはじまり、お話の法則の探し方から身に着ける方法、そして世界観の作り方などをとてもわかりやすく、ときには「エッ!!」とオドロクような方法で説明してくれています。
 この本は「あらゆるジャンル」の作品、そして「あらゆる年代」の「小説を書いてみたい」と思っている人への「羅針盤」のような「1冊!!」でした。
 ぜひもう1冊の「物語の体操」と一緒に読んでみることを強くお勧めします。

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紙の本

ライトノベルの可能性

2006/03/04 15:50

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:nanako17girls - この投稿者のレビュー一覧を見る

 大塚英志は戦う人である。私事だが、以前とある大学のとある授業で、大塚英志とケンカした。理由は書かない。その後、大塚はとある事件で、大学とケンカして、退職届を出した。これも理由は書かない。まあ、かれは版元の出版社としょっちゅうケンカする。でも、業界から干されたりしない。なぜか?それは大塚の「誠実さ」にあると思う。
 話が逸れた。「キャラクター小説の作り方」だ。これは文芸批評書である。いわゆるハウツー本でありながら、なかなかに的確に「ブンガクがなぜダメになったか?」を説明している。「私小説」というジャンルがある。大塚はこれに反抗する。「自然主義的回帰」を見つけつつ、別の方向性を示唆している。それが「スニーカー文庫」的なものであり「ライトノベル」である。それを書くコツを伝授する(タロットカード、宮藤官九郎、アニメ、イラスト、etc・・・)本書を読めば誰でも「小説が書ける!」というのはどうかな?でも、少なくともハードルは下げている。それで充分かもしれない。「小説を書くこと」は特別な才能がなくてもなれる。「なるほど!」と思ったのはキャラクター小説の装丁がいかに重要であるかということだ。「木更津キャッツアイ」が「うる星やつら・ビューティフルドリーマー」の継承をしているというのはなかなかである。

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紙の本

世界の作り方

2004/10/22 22:29

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Smadhi - この投稿者のレビュー一覧を見る

書いてある事はその通りだと思うことが多いが、その論の前提として出しているものが、「そうなのか〜?」と私だと思ってしまうようなヘンな論な気がしてしまうところがちらほら。
しかし、細かいところはともかく、実用的な小説入門書になっているのは確かだ。

世界がハリウッド映画の文法で動いていく、その事の恐怖の方が強く心に残った。

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紙の本

もうひとつの「日本文学史」

2003/07/04 11:29

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

ある都合で本書を読むことになったのだが、最初はマニュアル本の類に良くある、当たり前のことを当たり前に説明しているような退屈な本であると思っていた。当たり前のことを当たり前なりに徹底して開示し、それを普遍化していく作業はそれはそれで重要であると思うが、興味のない者にとってはそれが本書の面白さに資するわけではない。
本書が面白くなってくるのは、次第に「キャラクター小説」という枠を踏み出して、物語、言文一致、文学、戦争、死などの方向に論が進んでいくところだ。
「キャラクター小説」の起源とその性質をこれほどきっちりと根拠づけた例を私は他に知らない(そもそも、キャラクター小説をまともに論じたものがどれだけあるか知らないというだけだが)。
自然主義文学や大方の小説は、現実を正確に再現し、写生するというリアリズムによって成立しているのだが、それに対して元々作り出されたものであるアニメやコミックの「仮想現実」の原理原則を「写生」することによって成立しているのが「キャラクター小説」であると著者は言う。だから、「キャラクター小説」の表紙には、アニメや漫画の絵がついているのだと。
そして、自然主義文学などのいわゆる小説と、「キャラクター小説」とのもうひとつの相違点として、「私」の存在が浮上してくる。

「自然主義の小説家たちは写生する対象を外の風景だけではなく、自分の心の内側にも向けてしまったのです」

「「アニメのような小説」においては「写生」すべき「私」は存在しません。何しろそこにいるのは「私」や生身の身体を持つ人間ではなく、架空のキャラクターなのです。たとえ、キャラクターの一人称で書かれることになったとしても、それは作者の反映としての「私」ではなく、あくまでもその「キャラクター」にとっての「私」です」(ともに27頁)

実はこの対立は本書の後半で対立ではないことが明かされる。自然主義文学において描かれた「私」とは、外国文学の輸入や「言文一致」の文章が生み出した「仮構」であり、それ以降の小説においては、この「私」の仮構性が忘却されている、と論じている。
だからこそ、キャラクターという元々仮構である「私」を描く「キャラクター小説」と、自然主義文学に端を発する多くの小説とは同根であると言うのである。そのうえで、「私」が仮構であることを忘却してしまった「文学」に対して、もとより仮構であることを強く意識せざるを得ない「キャラクター小説」は、疲弊した現代文学に対する有力なアンチになりうるということだろう。

しかし、上記の議論での図式化は非常に乱暴な部分がある。一つには、小説の書き方と読まれ方を混同している。田山花袋はそうではなかったし、私小説作家だってそれほど多くが作中に「私」と書きつける時、それが単純に作者と同じであると考えてしまっているとは思えない。
優れた作家は自らの行為を強く自覚しつつ書いている。小島信夫はそのような、小説の「私」と現実の「私」との関係を強く意識し問題化していると思う(「寓話」「別れる理由」などなど)し、私小説的伝統のいわば鬼子、笙野頼子はより全面的に「私小説」を異化していく。特に笙野頼子は自らの小説が通俗的に私小説として読まれてしまうこと(それは、「あれは実際にあったことなんですよね?」などと聞かれてしまう事態を招く)を作品それ自体で問題化している。
また、笙野頼子はジェンダー秩序を維持する日本語という言語との闘争を大きなモチーフとしてきた。そこで思ったのは、「物語の体操」で日本語という言語が自動的に内面語りに進んでしまう事態を論じた大塚英志なら、面白い笙野頼子論が書けるのではないかと言うことだ。

(言文一致が作り出した「私」という「内面」については、柄谷行人の「日本近代文学の起源」を参照しているのだろうが、それが引用されたりしていないのはなぜだろう)

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紙の本

『リアル』とは?言論格闘家の問い。

2003/04/26 11:37

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

大塚英志の格闘家振りにいつも、楽しませてもらっている。
「まんが」に対しても、「文学」「論壇」とジャンルを渡り歩いて、
「もの申す」と道場破りに、彼の言葉で言えば、《そのジャンルで一番不愉快で本質的なこと》を引っ提げて、内側から攻めていく。

その戦略家としての正しい作法は攻撃される方にとって、
「うざったいな、かんべんしてくれよ」と、なるのかもしれない。
せっかく、『新現実1』の創刊でタッグを組んだのに東浩紀は「つきあいきれないよ」と脱落したみたいだが。
『新現実2』ではマジに天皇制を取り扱って、創刊号より、何倍もヒートアップした編集になっている。このbk1にも、大塚自身の長文(1600文字なんて通用しない)著者コメントが、そのような2号の経緯を縷々説明、というより、講演だなあ…、掲載されている。

観客席としては、「不良債権としての『文学』」(「群像」2002,6月号)で笙野頼子との論争も面白かったが、
本書はキャラクター小説の作り方という実用書の体裁(かような小説を書くマニュアル本としては、とても良く出来ている)をとりながら、
「文学」に向けた本気の文芸批評書である。
それは、近代日本におけるカッコ付の『私』の検証であり、
田山花袋の『蒲団』を例に近代日本が発見した『私』も仮想現実の中の私であり、作られたキャラクターの『私』と、どう違うのか。
リアルなカッコのない私を描く緊張感は、そんな裸の私を断念して、記号としてパターンの組み合わせで、クールに戦略的に作り上げていくスキルで、
「リアルな私」を勝ちとる僥倖があるのではないかと、逆説的にキャラクターの入り口から、「文学」を語る。

キャラクターに如何に記号的でない死を描くことが可能か、と言う問いであるが、
ならば、「文学」はそれをやっているのか、それに成功しているのか?
中身を検証しないで、「文学」、純だから…、というクリシェで、やり過ごしていないか?
『現実、死』を相手に記号でなく、生(ナマ)に闘っているのか、
ポーズだけで、胡座をかいているのではないか、それは又、文学側からのサブカル化という流れとなる。
その流れに江藤淳はある種、だらしなさを見たのではないか、そのようなサブカル化に抗する緊張感の中で、虚妄であろうと、『私』は持ちこたえ、近代日本文学史は存立し得たのでないか。

先週、テレビで、島田雅彦が宮崎学、室井さん等と、文学をテーマーにしたクイズ番組に出演していたが、島田さんは、「我が心、ここにあらず」で、
ひとり、浮いていたのが印象に残った。無理をしないで、「文学」して下さいと言いたくなったが、島田雅彦自身は文学に対する危機感を持っていて、
かような戦略になったと思うが、私の好きな天然○○の室井さんに、丸投げして、大作、書いて下さいと、言いたくなった。

大塚英志なら、「コミック」「文学」「論壇」を横断するプレゼンテーションをマスメディアを通して発信するスキルを持ち合わせている気が彼の著書集を読んで感じるのだが、
私はまだ、彼の肉声も生の表情に映像を通しても、触れたことがない。
今度はテレビ等で、言論格闘家として「道場破り」をして欲しいなあ、
宮台真司、福田和也等にタックルをかける技を身につけている言論人は少ないのだから、頑張って欲しい。エネルギッシュな大塚さんに、たった一つの要望と言えば、大塚さんのマジに文学した小説を読んでみたい。

笙野頼子、石原慎太郎、を沈黙させる小説を、あなたの方法論で書いて始めて、この本は説得力を持ち得る。まだまだ、闘いは続いているのです。
「物語環境開発公社総裁大塚英志」は環境整備が仕事であって、この本を読んで、若い野心家に望みを託し、
「文学フリマ」などの場を作るのが私の仕事と言われれば、反論の余地はない。


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紙の本

この本を読んだのはだいぶ前のことだ。随分評判になった。で、その時感じた違和感はますます大きくなった。いま、落ち着いて考えてみよう

2005/04/04 20:49

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

ここ数年のことだけれど、評論か何かの中で「ストーリーを追う小説の時代が終わって、今はキャラクター小説の時代だ」みたいな文を読んで、あまり深く考えずに納得してしまったことがある。そのとき頭の中にあったのは森博嗣のVシリーズに登場する小鳥遊練無のことだった。たしかに、森の小説は、そのトリックや謎解きを楽しむと言うよりは、一人一人の登場人物を楽しむというのがぴったりの気がした。

それは京極夏彦、舞城王太郎、乃南アサ、北村薫にも多かれ少なかれ当てはまることで、無論彼らは遙かに話の構成と言う点でしっかりしてはいるけれど、私はどちらかというと登場人物そのものに惹かれていた。キャラクター小説とは、そういう登場人物そのものを楽しむものだと思っていたのだが。

この本で大塚が定義するキャラクター小説は、私のイメージとは異なり「キャラクター商品としての小説であり、具体的にはアニメイラスト付きカバーのスニーカー文庫のような小説」をいうらしい。そして、それはTRPG(テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム)の手法で書かれた小説に近いという。その実例として安田均『ロードス島戦記』をあげ、それを、日本の「私小説」との比較で論じていく。

今までの小説の書き方本と違うのは、TRPGの手法を重視する点。確かに今の子供たちには「小説を書きなさい」というより「RPGを文章で書いてみたら」というほうが分かりやすく、やる気になるかもしれない。また、ガチガチに話を作ってしまうのではなく、あくまで様々な可能性の中から、小説つくりのなかで自然に話を落ち着かせるというのも、その気にさせる。そういう意味で、ゲームを積極的に評価するということが特長だろう。

大塚は、自身マンガに関係しているせいだろう、手塚治虫の漫画作法について詳しく触れる。また、私などから見ればかなり本格的といえる近代文学論も展開する。度々言及されるのは田山花袋『蒲団』であり、新井素子というのが面白い。それから、WTCへのテロと、それに対するアメリカの戦争を期待した当時の私たちの心境を、解き明かすというか吐露する部分も、変に宗教や民族論をかざすよりは納得しやすい。

ただし、ここで紹介される「キャラクター小説の作り方」は、技法的にはオーソドックスな小説の書き方と殆ど変わらなくて、むしろ小説をTRPGを利用して書く方法とでも題した方がいい気がする。それは、もしキャラクター小説が大塚の言うものとすれば、それは明らかに小説の延長上にあるものではなく、ゲームの先にというか、それから派生したものとしか思えないからだ。はっきり云えば読者層が違う。

そして行き着く果てが、「近代文学とはキャラクター小説であった」である。おいおい、キャラクター小説とは「スニーカー文庫」があって登場した「アニメイラスト付き」のTRPG小説ではなかったのか。これは面白い本は、全部自陣に引き入れようとして結局分解してしまった一時代前のSFやミステリ論と同じではないか。要するに、キャラクター小説の定義が曖昧なのだ。

それでもこの本は面白い。それはゲームと小説を隔てるものが、文章と言う皮一枚であり、それ以外には殆ど同じ手法から作られていること。ゲームを通じて小説を書く訓練ができること、ゲームを作るのも意外とローテクなんだということが分かることである。ネットを見てもわかるように大塚の影響力は極めて大きい。とりあえずRPGでもなんでもいい、この本で創造することを楽しむ人が増えることは間違いない。

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紙の本

スニーカーを媒介としたブンガクへの警鐘を込めた文芸批評

2003/03/11 21:21

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:hybird - この投稿者のレビュー一覧を見る

 スニーカーを媒介としたブンガクへの警鐘を込めた文芸批評。
 コミック原作者としての小説論かと思い読み始めたところ、実はジュニア小説の書き方本であったことには驚いたが、読後の印象としては、ジュニア小説の書き方という名を借りた、著者なりのブンガクへの危惧が纏められた文芸批評。
 書き手・読み手ともに作品の世界観や細部にとらわれ、物語自体が軽視されいる——そんなここ暫くのブンガクの状況を、著者はまさに憂い、死や戦争についての表現方法に対しても警告を発してる。
 また、小説の書き方本という観点で見ると、テーブルトークRPGで磨け、という著者の視点には納得させられる。しかし同時に、面白い小説を書くためには、いろいろ修練が必要なのだな、とも実感。
 興味のある方はドウゾ。

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紙の本

低次元であることを念頭においておいてください。

2003/04/24 21:44

2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:風  - この投稿者のレビュー一覧を見る

巷で売れているとのことなので
私も手にとって一読してみた。
読み終えた後は驚愕というか呆然というか。
なぜこんなものが売れるのか。と

確かに一通りの説明はできている。
小説のかけない方にもいいだろう。
しかし、これではやはりキャラクター小説という銘を打っているだけあり、
ジュニア小説にしか通用しない。
むしろある程度小説の知識があるひとなら当り前のレベルである。
全く小説を書いたことがないという方にしか通用しないだろう。

趣味で小説を書く方にはオススメできるが
本気で作家たらんという方にはオススメできない。
むしろ一読して本書の水準が低いことを再確認して新たなことに取り組まれたい。
本書を高く評価する作家がいるならば、やはりその作家も低次元であるとしかいえない、初心者専用の小説指南の本である。

日本はやはり純文学より大衆小説のほうが売れている、というより
それしか読めないのである。
趣味以外で本書は手に取るべきではなく、手にとって評価したならば
(吉本ばななを高く評価する方にはもしかすると好まれるかもしれないが)
あなたはジュニア小説家以外の作家を目指すべきではないでしょう、としかとここに明記しておく。

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紙の本

著者コメント

2003/03/10 13:09

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:大塚英志 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 キャラクター小説とは、ジュニアノベルズやライトノベルズを意味する小説業界の隠語です。本書は一応はその狭い意味において「キャラクター小説」の書き方について、極めて実用的な入門書だと自負します。しかし、実用的であることと批評を共存させることにぼくはノープロブレムな人間ですから、本書は同時に小説の現在に正しい指針を示す文芸批評として書かれています。読者はジュニア小説の書き方についてレクチャーを受けていたはずなのに、最後には近代小説の始まりの場所に連れて行かれます。そして、新しい現実に対応する小説は近代文学をリセットすることで始まるのではないか、と示唆されることになります。
 とは言え、自分の本が難解な批評であることをぼくは全く好みません。ジュニア小説のみならず、ゲームやコミックといったストーリーテリングとキャラクター制作に関与する人々にとって、おもしろくて役に立つ実用書として読んでいただいて全く構いません。『MADARA』『多重人格探偵サイコ』の原作者が書く、ヒット作の作り方という身も蓋もない水準で読者に出会ってこそ本望というものです。

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2004/09/25 19:05

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2005/08/10 00:38

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2005/08/05 00:49

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2005/09/25 13:15

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2015/02/13 00:32

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