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商品説明
いまだ生まれざる別の現実への扉を開く越境者たち、ムージルとライブニッツ、カント、マンハイム…。現代の生はこの感覚を見失ってはいまいか。現実という固定した枠組みからの超出をうながす意識・思考についての論考。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
可能性人間の発展はまだ終わっていない
2003/10/05 15:49
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ユリシーズ』や『失われた時を求めて』と並び立つ二十世紀文学の巨峰『特性のない男』。世紀転換期ヴィーンを生きた「知性の作家」ムージルの手になるこの「哲学者の小説」の主人公ウルリヒは可能性感覚を、つまり「存在することも可能であろうすべてのものを考え、存在するものを存在しないものよりも重要視しない能力」(ムージル)をもつがゆえに特性のない男になる。
著者によると、可能性感覚は次の三つの要素が渾然一体となった意識感覚もしくは思考能力のことである。第一に、現にあるものを別様でもありうるものと見なすこと、すなわち存在物にたいする「偶然性の認識」。第二に、現実の背後に可能性として潜在する無数の世界を呼び起こすこと、したがって無限の多様性を保証する「多元主義への傾斜」。第三に、現実という固定した枠組みからの超出をうながすこと、いいかえれば現実を虚構化し、これとは別の現実に向かう「ユートピア的思惟」。
この可能性感覚を生み出した精神史的水脈をたずねて、著者はまずライプニッツの可能世界論へと遡行し、次いで『セヴァランブ物語』(ヴェラス)や『フェルゼンブルク島』(シュナーベル)といった近現代のユートピア文学、さらにはサイエンス・フィクションの流れ、エピクロスやクザーヌスに受け継がれていった世界の複数性の観念をたどる。「可能性人間の発展はまだ終わっていない」(ムージル)。
そしてフロイトとケルゼンとウィトゲンシュタインを、とりわけマッハを生んだ世紀転換期オーストリア=ハンガリー二重帝国の知的風土を丹念に叙述し、最後にマイノングやマンハイムとの親和性を論じながら「実験意識にもとづいたユートピア的思惟」──《いうまでもなく、それはユートピアを「可能性」と等置し、さらには「実験」と倒置して、ユートピア生成の過程を「研究者が複合的な現象のなかでひとつの要素の変化を観察し、そこから結論を導きだす」行為と同一視したムージルの思考法でもあった》(426頁)──がもつ現代性、つまり工学の時代において文学的創造力がはらむ意義を論じる。
独文学者としての領分を大胆に越境していくその姿勢はまことに好ましく、あとがきに予告された後続書、それは「現実を超越する意識」を核心とする教養についての研究だというのだが、これもまた大いにそそられる。