紙の本
まさに「味の道」
2016/09/10 04:58
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投稿者:ももたろう - この投稿者のレビュー一覧を見る
お金と同様、料理も食材の扱い方ひとつで、美味しくなったりまずくなったりする。
良い材料を未熟な考えで殺してしまうことは、造物主に対して申し訳ないし、自分の人生の上でも損失が大きい。
料理研究の得分とは
同じ費用と手間で人より美味しいものが食べられ、
物を活かすか殺すかの道理が分かり、
材料の精通から偏食を免れ、鑑賞も深まり、
ものの風情に関心が高まり、
興味ある料理に、生甲斐ある人生が解る
ということ。
美味しい料理を素晴らしい器に盛って、
五感をフルに働かせて楽しむことは人生にとって意義深いことだ。
まさしくそう思わせる名著。
紙の本
魯山人味道 改版
2018/02/02 06:19
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投稿者:雨読 - この投稿者のレビュー一覧を見る
北大路魯山人は、書、篆刻、絵画、陶芸等とその芸術は多岐にわたって魅力的である。
また終生追い求めた食材と味覚、美食を綴った本書は、昭和初期に執筆されていますが新鮮で、現在でも大変参考になり、食文化を見直す、よい切っ掛けとなりました。
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ユーズド。早い話が古本屋さんで見つけた一冊。 表紙のデザインはちがうが、平野雅章編というところから中身はいっしょだとおもう。(私のは有田焼の鉢にぶどうが盛られている和水彩画) あまり耳にすることもない料理方法の数々や『食い物はこうするもんだ』的な紹介が満載。 とっておいて、ヒマな時にぱらっとぶつかったページを読むのにいい。
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書・篆刻・絵画・陶芸など多彩な分野で優れた才能を発揮し、料理も芸術の域まで高めたと言われる北大路魯山人の食べ物エッセイ。多少鼻につく物言いや、首をひねるような表現はあるが、基本的には的を射た話が多い。また、某有名食べ物漫画の元ネタが多いため、ネタ本として読んでも楽しめる。
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オオサンショウウオって、殺すと人間の悲鳴のような声を出すんですね。
オオサンショウウオの肉が山椒の香りだとは知りませんでした。
ガマガエルの肉が最高の美食というのも面白いですね。
さすが海原雄山のモデルです。
茶碗蒸しは卵を数入れりゃいいってもんじゃない。固くなるじゃないか、という心の叫びが聞こえます。
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魯山人さんの自然体の文章を楽しめる本。
芸術家、食道楽として有名ですが、訥々した文章の中で、自然を楽しむ姿がかいま見えます。
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内容(「BOOK」データベースより)
書をよくし、画を描き、印を彫り、美味を探り、古美術を愛し、後半生やきものに寧日なかった多芸多才の芸術家―魯山人が、終生変らず追い求めたのは美食であった。折りに触れ、筆を執り、語り遺した唯一の味道の本。
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数の子から始まり、あわび、鮎、河豚、猪…と様々な食材や料理について魯山人が語る。
その語り口調が美味しんぼの海原雄山を思わすのは当然。
北大路魯山人こそ海原雄山のモデルであります。
書をよくし、画を描き、印を彫り、古美術をこよなく愛し、料理に明るく、後半生、やきものの仕事に打ち込んだ多芸多才の芸術家である魯山人が、終生変わらず追い求めたのは美食でした。
本書はまさに美食家魯山人の食へのこだわりを十二分に感じれる一冊です。
河豚に対する絶賛ぷりとお茶漬けの記述の多さに少し笑ってしまいます。
筆者の芸術家らしい探究心には敬意を表しますが、食へのこだわりは必ずしも人を幸せにするとは思えません。
どんな食材であってもどんな料理であっても美味しいと感じれる方が幸せだったりします。 何も食材や料理にこだわらなくとも、旬のものを頂き、季節を感じながら楽しく食事できればそれだけで幸せだと思います。
晩年の魯山人は狷介な性格が災いして、家族とも別れ、訪れてくる人も少ない孤独な日々を過ごしたそうです。真情を語る友のない寂しさを紛らわすように、作陶に没頭。積年の過労といかもの食いは、魯山人の体を徐々に蝕み、体力を要する作陶の仕事を困難にしました。加えるに、経済的な逼迫は、多数の人手を要する作陶の仕事の維持をますます困難にしていました。
天才であったかもしれませんが人格者ではなかったようです。
美食家は満足するということを忘れがち。
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【鴨川仁先生のオススメ : 日本人の誇る食文化を知って欲しい】
近年、世界を旅すれば日本食は誰もが愛するものとなっていることに実感せざるを得ない。
この書籍はその日本食の持つ能力を感じさせてくれる一冊。
頑固なまでに食材、調理にこだわり、愛情ともてなしの心を込めると食に芸術性が生まれることが分かる。
留学や海外旅行に行く前には特に読んで欲しい書籍。
【配架場所】図書館1F開架 596/KIT
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五感にかかわる事柄に執着して研鑽していくと、不幸になるのではないか。磨くほどに不感症になり、本物にしか心躍らなくなるでしょ。本物はめったにないのが世の常なので、悶々とする時間の方が長くなる。五感にこだわるのはほどほどがいいでしょう、という結構大切な指針が得られた。
あと料理とバイオの実験は全部のステップに理屈があり、理解せずに適当にやってると必ず結果に反映されるし、全く一緒だなと気づく。
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多芸多才な魯山人の中でも、最も才を発揮した料理についての随筆集。しかしながら辛口すぎて、これは飯が不味くなるなあ。あとがきにも、孤独な晩年が言及されている。「理を料るのが料理」とあったが、厳しさの加減は料れずか。。納豆茶漬けが美味いとの教えは試したい。
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久しぶりに読み返してみますかな、魯山人の著作の数々。。。
英語とマラソンをものにしたら、次は料理の再開もいいかも。
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読んでも、面倒な人だという印象しか浮かばないのだが、高価な食事だけではなくお茶漬けのような食事についても言及しているのは面白かった。やっぱり食事というのは気安いのが一番良い。
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魯山人っていうヒトは、嫌になっちゃう程凄い人だ。食の達人にして天才陶芸家であり、読めばわかるけれど、名文家でもある。しかも格調高くかつ達意の美文である。
ブックファーストの銀座店は、うろついていると読みたくなる本が必ず見つかる店なのだが、そこで表紙の絵が目に留まった。
西瓜や色とりどりのぶどうが籠に入れられていて、脇を悠々とコオロギが歩いている。惚れ惚れ見入ってまった。大きく『魯山人味道』と書名が朱記されている。魯山人は画人としても超一流の才能の持ち主なのであろう。凄すぎてため息が出てしまう。
食、陶、文、画と共通するのはやはり「美」だ。美味いと書いて「うまい」と読むごとく美食は卓越した美意識の舌による表現といえる。その美食の「用の美」こそ器であろう。とことん突き詰められ、かつ論理的に再構成された美意識は、そのまま文にすれば達人の奥義が、読む凡人の頭にもスルスルと入って行く達意の美文となる。本書を一読すればそのことが直ぐ解かる。勿論画筆を執れば美しいものがそのまま見るものに伝わる絵となる。
そういうため息が出るような凄い人が、ふぐの味だけは全くわからないといっている。読んでいる私は救われた気になった。魯山人は、「最高の美食はまったく味が分からぬ」といい、だが「やはり不思議な魅力をもっている」とふぐを勿論礼賛しているのである。
凡人の私は、長らく(あるいは今でも)ふぐの味はどこが美味いのかさっぱりわからん、と思っている。だがなぜか食いたいと思うことがある。不思議である。
新米営業マンだった頃、役員クラスの人事部長や財務部長が相手の接待で、銀座のふぐ料理屋を何度か使った。こちら側は常務か専務がメインホストで、店の手配やら案内状を作ったりの下働き役は当然担当の私の役回りだった。
若い頃の私がふぐを食べられるのはそんな場面でだけであった。本邦有数のエグゼクティブを目の前に、脇には社長から数えて序列ナンバー3の専務とかがいて、
「君、ふぐはね、こうして箸で一度に沢山つまんでね、がばと食う、これだよ」
などと言われちゃう。でも序列3千何番目かの平社員が、一緒の大皿から遠慮なくとって食えるはずもなく、食べていなくはないですよ程度の食べ方しかできはしなかった。当然、味は全く感じられなかった。
でも、その後同じ店で何度も昼のランチを食べた。偶然お昼に通りかかってお手ごろプライスのお昼のふぐ雑炊コースがあるのを発見したからだ。初めて試したとき、小さなふぐ刺しも付いていて感激した。感激はしたけれど、やっぱり美味いのかどうか分かった気はしなかった。それでも何度か足を運んだのは、女将が接待係だった私をしっかり覚えていて「先日はありがとうございます。今日はお一人ですか」とか「次は、彼女とご一緒に」とか言ってくれたり、小鉢のサービスをつけてくれたりしたからだったかもしれない。さすがに老舗の女将は違うと勉強してしまった。
そんなことがあって、「ふぐ食べた暦」だけは年数と回数を重ねた私なのだが、ふぐの本当の旨さとは何なのか未だにさっぱり分かっていない。だのにやっぱり高いのに食��てしまう。これが魯山人のいう「最高の美食はまったく味が分からぬ」なのだなと今回初めて得心がいった。
もうひとつ、同じ頃の恥ずかしい思い出。
銀座に「久兵衛」という寿司の名店がある。当時久兵衛は私の顧客で、だからということで営業部の忘年会をそこで開いた。たしか1人2万3千円のところを特別に1万8千円に割引してはくれた。それでもかなり高額な、つまりは超高級店だ。店主が「いつもお世話になってます」と宴席まで挨拶に来てくれた。挨拶のお返しとお世辞のつもりで私はいった。
「こちらは魯山人の器を使っておられるという噂ですが、それはどれでしょうか」
店主、目じりがむっとしながら口は穏やかに、
「ここにお出ししているもの全部です」
大皿から醤油さし、豆皿、箸置きに至るまで全てが、壊したらおお事な魯山人の作品であったのだ。
若気の至りの冷や汗エピソードではあるが、今改めて思い起こすと、あれも「用の美」に徹した魯山人の器の、極めて正しい使われ方だったのだな、としみじみ思う。
こういうことが「分かる」ようになるのにざっと20年、かかった。
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食材との向き合い方、料理の拵え方などなど
魯山人の持つこだわりに触れられる本です。
なぜ料理をするのか?
なんのためにするのか?
どうして器や盛り付けにこだわるのか?
魯山人は辛口に教えてくれます。