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投稿者:暴れ熊 - この投稿者のレビュー一覧を見る
とうの昔に読んでいなければならないはずの、文豪による「名作」を今更ながら読んだ。
例えば、今どきの作品たちのように、読んでいて涙があふれるとか、展開がスリリングだとかいうものではない。が、文章そのものを味わうという要素のある作品が、「文藝」なのだろうなと思った。
文豪による作品なのであえて星はつけない。
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物語の最後で、天の川が綺麗に見える中での、火事のシーンが印象的だった。駒子の島村への思いは強く描かれているのに、島村の思いは曖昧ではがゆい感じのする物語だった。
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書き出しの「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の始まりはあまりにも有名。全体を通して美しく儚い作品。読んで決して損はしないけれど、最後の終わり方に、私はあまり納得できなかった。
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ああ、天の河と、島村も振り仰いだとたんに、天の河のなかへ体がふうと浮き上がっていくようだった。天の河の明るさが島村を掬い上げそうに近かった。
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恐ろしい艶めかしさだ。島村は自分の小さい影が地上から逆に天の河へ写っていそうに感じた。
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あとで追加されたという終章が一番好き。
最後の事件にドキッとさせられる。
でも、まだ良く分からない部分も多い。
勉強不足。
(4/13〜)
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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
一人の男性と二人の女性の感情の描写が良かった。
後半からわからなくなりました。
文学とは何とも難しや。
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当時の、苦しい生活の中で生きる女性たちを生生しく描く表現力はさすがだと思った。
しかし、当時の連載が途切れ途切れで、最後の方は後に付け足したものであるとのこともあってか、どこか話にばらばらな印象を受け、「伊豆の踊り子」ほどには作品に魅力を感じなかった。
川端作品では、現代小説のような、おおっぴらな性的描写がほとんどないのに、女性の色気や艶かしさ、男女の慕情をこれほどまでに、細かにそして美しく表現できているのは素晴らしい。
ただ、駒子の言動のせわしなさは、作品に入りこめないことの一因にもなっていた。冒頭の方の鉄道内での葉子との出会いから駒子に再会し、回想を織り交ぜながら場面が静かに展開していくあたりまでは、表現も構成もとても良かったが、その後は退屈に感じてしまった。
私に文学的センスや読解力がないせいだとは思うが、人間関係や登場人物各人の背景について、あえて触れない部分が多かったのも、なんだか作品をぼかしてしまっている気がした。その点を考えると、設定が似ている中でも、「雪国」よりは「温泉宿」のほうが好きだ。
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私には難しかった。なんとなーくしかストーリーがわからなかった。もっと時代背景とか、言葉の遊びとか、わかればきっと面白くなる、のかな。あとは何回か読むとか。
使われている言葉や表現は秀逸だと思った。
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日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成の代表作です。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という有名な書き出しは知っている人も多いはず。雪国を舞台にしたこの作品から、日本の美を感じられるのではないでしょうか。
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んー
まだ早かったかなぁ。
情景や雪国の趣は素晴らしかったです。
あと駒子が美しかったねえ。
あとがきの、
島村の両側に駒子と葉子を置くんじゃなく、
駒子の両側に島村と葉子を置くっていうのは
物凄くすっきりしたけれども。
雪の季節に読むべきだな、うん。
全て淡く美しく儚く、夢みたいでした。
伊豆の踊子、読もうかなぁ。
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作品の根底にしぃんとした静かな揺るぎないものが感じられる。
男と女の越えられない精神的な一線、関係性の移り変わり
そういうものがひしひしと感じられてやりきれない。
駒子の気持ちも、島村の気持ちも、、、
「雪国」というフィクションの中で現実を描き、
それを美しい文体で包み込んでいる、だから切なくてやるせない。
なぜか寝る前に読むと安眠出来た。不思議。
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恥ずかしながらこの歳(22歳)になるまで川端康成をきちんと読んだことがなく、1ページ~2ページで終わるような掌編小説(「心中」は名作)をちょろっと読んだ程度だったのですが、今日ようやく超ベタな日本近代文学の代表格「雪国」を読了しました。でも個人的には「よし、今こそ」みたいな直感があったので良いタイミングだったと思います。特に印象的だった部分を。
島村は単身雪国へやって来た妻子持ちの男性、駒子は雪国の芸者。
(以下引用)
毛よりも細い麻糸は天然の湿気がないとあつかいにくく、陰冷の季節がよいのだそうで、寒中に織った麻が暑中に着て肌に涼しいのは陰陽の自然だという言い方を昔の人はしている。島村にまつわりついて来る駒子にも、なにか根の涼しさがあるようだった。そのためよけい駒子のみうちのあついひとところが島村にあわれだった。
けれどもこんな愛着は一枚の縮(※「ちぢみ」と読む。肌着。)ほどの確かな形も残しもしないだろう。着る布は工芸品のうちで寿命の短い方にしても、大切にあつかえば五十年からもっと前の縮が色も褪せないで着られるが、こうした人間の身の添い慣れは縮ほどの寿命もないなどとぼんやり考えていると、ほかの男の子供を産んで母親になった駒子の姿が不意に浮かんで来たりして、島村ははっとあたりを見まわした。疲れているのかと思った。
駒子が自分のなかにはまりこんで来るのが、島村には不可解だった。駒子のすべてが島村に通じて来るのに、島村のなにも駒子には通じていそうにない。駒子が虚しい壁に突き当たる木霊に似た音を、島村は自分の胸の底に雪が降りつむように聞いた。このような島村のわがままはいつまでも続けられるものではなかった。
(岩波文庫 「雪国」161P~162P)
日本文学の重要なエッセンスとして夏目先生の「夢十夜」「永日小品」があると勝手に思っているのですが、川端先生のこういったセンテンスの鋭敏極まりなさは確実にそのラインに属するものでしょう。
前者の引用は段落が2つありますが、これって普通だったら片方の段落(のようなテイストの文章)しか書けないと思うんですが、両方を1つの流れの中で書けてしまうのが凄い。どちらが欠けても「何言ってんだよ」となる。説得力で圧倒的に差が出るような気がします。
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父の本です。名作でした。私は葉子より駒子が好きですね!行男さんは色々な意味でとても重要でした。駒子にとって恋仲ではないけれど、とても大事な人。一人だけ見送りに来てくれて、日記の初めに書かれた幼馴染。けれど足枷でもある。複雑ですね。これは最初からこの長さではなく、だんだん足された話だそうです。私がラストだって感じる箇所は二つありました。葉子が迎えに来る見送りシ−ンと、火事のラスト。また読み返したら違うかもしれません。理解できなかった部分も多いので、また読み返したいです。
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冷たい冬を好きになるには、こういう本の手を借りることもやぶさかではありません。「あの子があんたのそばでかわいがられていると思って、私はこの山の中で身を持ちくずすの。しいんといい気持ち。」こんな事を言う駒子が可愛くてしょうがない。しかしそれから川端の書く後書きでの島村・駒子・葉子のもしものそれからを思うとぞっとする。作中鏡が幾度も登場したけど、そこに島村は映らない。女と山が透けて見える。私もこの鏡の夕暮れの暗さにずっと浸していたい。夜の静けさや、西洋の陽の輝きの眩さは感じていたけど、小説で夕暮れの沈んでいく頃の美しさがこれほど感じられたのは久しぶりだった。こんなにも寒々と暗く寂しく美しい頃合をずっと忘れていた。いまだに川端がノーベル文学賞とった理由、というかノーベル文学賞のすごさとかこの小説の良さとか分かってないことがかなり多いのですが。しかしこんなにも寂しく美しい夕暮れを見せてくれたこの小説は素晴らしいです。
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