紙の本
歴史書というより歴史小説のように読める
2009/10/31 17:24
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投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
東洋史の碩学による、中国史上最も淫乱暴虐な帝王として有名な、陏の煬帝の生涯と時代を描いた歴史書。皇帝とはいえ一人の人物を中心とした記述のため、歴史書というより歴史小説のように読める。もちろん小説ではないのだが、平易に書かれているためでもあろう。絶対権力を握る皇帝といえども、気の弱い人間がいつ他人に権力を奪われるか解らない状態で猜疑心の塊になり、少しでも疑わしいものはすぐに殺しまくり、不安と孤独に陥って精神不安定になる、その心理状態まで記述されているためでもあろうか。「中国人物叢書」の一冊として書かれたものであり、人物中心であるために、通常の歴史書より一歩ふみこんだ記述になっている。一方歴史書としては、従来の歴史学の定説を修正する歴史的事実についての知見が、いくつか盛り込まれているとのこと。例えば、父文帝との関係。その考察の基となった、史料研究の一つ「陏代史雑考」が付録となっている。
気の小さな平凡な不良少年が皇帝となって絶対権力を握ったので、悪さのし放題といった感じである。これは煬帝自身の人間性だけでなく、時代の風潮でもあったとのこと。誰でもが機会があれば時の皇帝にとって変わろうと、権力を追求し、掴んだ権力を乱用する世の中であった。南北朝時代の陏以前の王朝の皇帝の多くも負けず劣らず淫乱暴虐であった。そのような時代のそのような人物の生涯であるから、時代小説風に読んでいる分には面白い。当時の一般人民にとっては最悪であったろう。もともとは自分の遊興のために作ったが結果としては煬帝の業績となる、現在も中国の流通の大動脈となっている南北の大河をつなぐ大運河の建設においても、徴集された二人に一人が死んだそうだから。
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創業の皇帝のすさまじさ
2015/10/18 08:59
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投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
碩学の一冊なのである。実は康熙帝と一緒に購入して読んだせいもあるのだろう。
この隋の皇帝は痛快と言っては語弊があるが、とてもこのように好き勝手に物事を破壊したり、造ったり、人を殺したり、あっというまに世の中を駆け抜け去って行ってしまうのである。読後にはいやはやすさまじい感嘆が残る。
まるで歴史小説の主人公であるかのように夢中になる人物像なのだが、宮崎市定氏の歴史学者としての確実な文献読み込みの上の作品であり、また魅かれる人物像であったのだろう。
一代で滅んだ国の皇帝であり、その創業の荒事を成す人物像を歴史の中に見出し浮かび上がらせた名品である。
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大正から昭和にかけての我が国の東洋史学者、宮崎市定氏による隋の第二代皇帝・煬帝について書かれた書です!
2020/08/05 11:44
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『日出づる国と日暮るる処』、『五代宋初の通貨問題』、『科挙』、『雍正帝』 、『東洋的近世』などの傑作を世に発表してこられた大正から昭和にかけて活躍された東洋史学者の宮崎市定氏の作品です。同書は、父文帝を弑して即位した隋の第二代皇帝煬帝について書かれた書です。中国史上最も悪名高い帝王の矛盾にみちた生涯を検証しつつ、混迷の南北朝を統一し、東洋史において重要な意義を持つ隋時代を詳察した名著です。隋国号を考証する「隋代史雑考」が併録されています。同書の内容構成は、「南北朝という時代」、「武川鎮軍閥の発展」、「隋の文帝の登場」、「文帝の家庭」、「江南の平定」、「隋国号考」、「隋文帝被弑説」、「大業十四年」、「隋恭帝兄弟考」となっています。
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隋の煬帝を通して南北朝の終わりから隋の終わりまでを非情に面白く書かれている。
この時代に興味があれば満足できること間違いなし。
高島俊男翁も指摘していたが、やはり煬帝は父の文帝を殺害していないのだろうな。
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宮崎市定『隋の煬帝』を読む。
中国史上で悪名高い煬帝の生涯を独自の視点で読み解く。
礪波護の解説にこうある。
軽やかな筆致でつづられた本篇が、
この付篇のごとき厳密をきわめた文献考証の積重ねによって
裏打ちされていることを知って驚嘆される方もおられるだろう。
(p.270)
確かにそうなのだ。
宮崎の文章を読んでいると煬帝の頃の中国王室や
それを取り巻く人物模様がくっきりと浮かび上がってくる。
権力への欲望、そして肉親同士が疑い殺戮しあう世界である。
宮崎の文章は付篇「隋代史雑考」を読めば分かるとおり
史料を注意深く丁寧に読み解くことから生まれる。
決して面白おかしく読ませるための創作ではない。
漢文ばかりのこうした史料を独力で読むのは僕には難しい。
宮崎の本篇と読み比べてようやく中身が想像できる。
宮崎はこれまでの歴史学の常識を疑い、
それをくつがえす論考をたびたび試みる。
こうした史料に別の角度から光を当て
文脈を探し出す地道な作業の果てに新学説が誕生する。
宮崎の高弟・礪波が「隋代史雑考」を文庫に収めた意図は
そうした宮崎の思索過程を読者に示すためにある。
碩学であり異端児。
歴史の見方を変えるための補助線を随所に持つ著作。
宮崎との対話は今年もやめられない。
(文中敬称略)
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隋の煬帝といえば淫乱暴虐な、中国史上稀にみる暴君というイメージが先行する。しかし私は二つのことから、この煬帝という人物に興味を持った。
まず一つ目は、その昔聖徳太子が遣隋使の小野妹子に持たせた、
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや。」
という有名な文句で始まる国書に激怒したという隋の皇帝とはどんな人物だろうと思ったこと。
もう一つは、中国を縦断する通済渠、永済渠と称する長大運河を建設し、以後の中国発展に極めて大きなインパクトを与える土木工事を成し遂げた人物であることだ。長さにすると青森県から山口県までに匹敵するそうだ。
地図や系図、そして風俗画などを効果的に配置して、宮崎流の引き込まれるような語り口で、歴史絵巻が展開していくようだ。
初出は1965年(昭和40年)だか、少しも古さを感じさせない。歴史というのは、描き方によっては特別な新しい発見でもない限り新鮮味が薄れないのかもしれない。
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意外と文章が堅苦しくなく面白く読めた。
単なる事実や仮説の羅列でなく、著者の人物に対してのツッコミみたいなのも交えてあるので笑えるところもある。
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東洋史学の泰斗・宮崎市定先生の名著。
宮崎先生の研究については、司馬遼太郎・松本清張・米長邦雄
などの先生方がその研究を引用していると言われています。
(陳舜臣先生も宮崎先生の孫弟子にあたる…とのこと)
この道の専門家ではありますが、一般読者向けの本では
とても分かりやすく、読みやすいのが特徴です。
内容としては、南北朝~隋に至る歴史の流れを踏まえて
煬帝という人物について論じています。
‥が、だいぶ昔に読んだのであまり覚えてません(笑)
三国志等の小説から中国史に興味を持った方で、より専門的な
本を読んでみたい!
けど難しそうなのは…という方にオススメです。
(主に私のことですが^^;)
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暴虐な皇帝として知られる隋の煬帝の伝記です。
「中国人物叢書」(人物往来社)の一冊として刊行された本で、中国史に深い関心をもたない一般の読者にとっても読みやすい文章で書かれています。
その一方で、著者自身の中国史にかんする時代区分の考えかたが踏まえられています。世界史の教科書では、文帝によって建国された隋が南北朝時代の終わりをもたらし、それにつづいて大唐帝国の時代を迎えると説明されています。しかし著者は、隋の煬帝は古い時代の皇帝であり、隋末の混乱のなかに登場した李密や竇建徳、あるいは李世民といった人物の型とは異なると主張します。すなわち、「従来の旧勢力の上にただ乗りかかって、それを自己に有利に利用するしか能のない人間とは違い、自分の力で新しい局面を打開しようとする人」が、著者のいう新しい型の人間であり、煬帝は「古いやり方で権力を握り、古いやり方で権力を弄び、最後に古いやり方で殺されたのであった」と述べられています。
なお「後記」のなかで著者は、「近ごろの歴史学派権力者を描くことを回避し、人的関係を蔑視したがる風があるようだが、これは何かの考え違いから出たのであろう。歴史学の最後の目的は、結局、人的関係を究明するに落ちつくであろう」と述べています。著者が反発しているのは、史的唯物論のような枠組みにもとづいて歴史を裁断し、歴史を生きた人間を捨象する発想なのでしょうが、その後アナール派にはじまる社会史の観点によって歴史のリアリティがより詳細に把握できるようになったことを考えると、現在の読者には多少注釈が必要な発言であるような気もします。
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煬帝だけでなく、父の文帝や前の時代の南北朝時代についても詳細に記述され、煬帝の生きた時代、煬帝の生き様に与えた影響など、とてもわかり易く丁寧に、また時にはユーモアも交えた筆致で書かれていて、興味深い。