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自由を考える 9・11以降の現代思想(NHKブックス)
  • みんなの評価 5つ星のうち 4 22件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.4
  • 出版社: 日本放送出版協会
  • レーベル: NHKブックス
  • サイズ:19cm/262p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-14-001967-0

紙の本

自由を考える 9・11以降の現代思想 (NHKブックス)

著者 東 浩紀 (著),大沢 真幸 (著)

9・11以降、安全を求める人々の動物的本能が最重視される一方で、イデオロギーや理念等の人間的な要素が形骸化しつつある。テロ事件から若者のオタク化までの事象を論じつつ、時代...

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自由を考える 9・11以降の現代思想 (NHKブックス)

税込 1,122 10pt

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商品説明

9・11以降、安全を求める人々の動物的本能が最重視される一方で、イデオロギーや理念等の人間的な要素が形骸化しつつある。テロ事件から若者のオタク化までの事象を論じつつ、時代に即応した新しい自由のあり方を探究する。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

東 浩紀

略歴
〈東浩紀〉1971年東京都生まれ。批評家、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター助教授。
〈大沢真幸〉1958年長野県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科助教授。

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みんなのレビュー22件

みんなの評価4.0

評価内訳

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紙の本

思考の現場に立ち会う

2003/07/13 15:20

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書をじっくりと読んでみた。基本的な事項を押さえながらの対談なので、かなり勉強になってうれしい。現代社会は、「匿名性」を奪っているという東浩紀の指摘には、そうかもしれないと思った。

思えば、かつて19世紀に、ボードレールは、都市という空間は人を匿名の存在にさせるがゆえに賛美した。ベンヤミンもそうした都市の人のあり方をフラヌール(遊歩者)と論じた。時に、「私は〜〜である」という確固したアイデンティティを窮屈に感じて、そこから抜け出したいという欲望があるのだろう。誰でもない「私」になれる場所が、都市であったのだ。

しかし、現代社会では、もはやそのような誰でもない「私」になりたくてもなれないという。一つにテクノロジーの発達がある。何も監視装置を特別に設置しなくても、今や携帯の履歴をたどれば誰が何をしたか調べることが可能だ。インターネット上ですら匿名性を確保することはできない。権力が特別な事をしなくても、簡単に人を監視することが可能になったのだという。そして、セキュリティの問題もある。最近でも幼児が、また中学生が殺されてしまったように、ある日突然理由もなく、私たちの安全が脅かされる。この「理由がない」というのが現代の犯罪の特徴でもあるだろう。言い方が相応しくないかもしれないが、犯罪に遭うのは、「運」の問題なのかもしれないのだ。そんな不安定な社会状況において、セキュリティが求められるのは当然のことなのだろう。少々の自由が犠牲になっても、安全を確保したい。それが現代社会だ。

この本を読むと、明らかに現代社会に何か変化が起きていて、これまでの権力論や自由論ではとても太刀打ちできない状況があるということが分かる。そこで、新しい概念を考えないとならないのだ。新しい権力(=環境管理型権力)に対して、それをどのように問題化し、どのように解決していくか、このあたりまさに「現代」を哲学しているという感じの本である。

二人に共通しているのは、現代社会が旧来の概念では説明不可能で、そこで新しい概念を作り出そうとしていることだ。なぜ、概念を考え出さなければいけないのかといえば、そうしないと現代社会に何が起きていて、何が問題になるのか見えてこないからだ。私たちは、現在の高度な情報技術を背景にした環境管理型権力に対し、おそらく「何か」を感じている。だが、旧来の概念ではそれを捉えきれていない。一方で、着々と環境管理型権力は私たちの生活の中に侵入してきている。

理論や概念は、一見すると抽象的で難しくて、生活には役立たないのではと言われる。しかし、理論や概念というのは、かつてのような装飾的な「知」なのではなく、それらは今現在注目しなくてならない問題を指し示してくれるものなのだ。新しい権力の前で、何が問題なのか分からない状況でこそ、理論や概念を思考する人文系の学問が必要なのだと思う。本書は、その役割を十分に担っている。

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紙の本

新たな自由論のための書

2003/04/30 11:33

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:匿名希望 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ある意味、歴史的な対談の書。ドゥルーズ&ガタリが分子的「群れ」と呼び、資本主義が規律訓練し得えず、その支配の網の目から絶えず逃走するとされた“期待の星”さえ管理しうる「環境管理型権力」の到来を告げ、いわば、旧来の現代思想の無効性を宣言しているかのようだからだ。

しかし、著者達は怯む事はない。著者達の思考は、その環境管理型権力からのさらなる逃走線の回路に向けられる。それが本書にみえる「匿名の自由」という概念だ。環境管理型権力の下では、我々は、個人情報を用意に握られ、誰も匿名でいることは出来ない。ならば、如何に「匿名の自由」を確保し得るのか? ------それを知るには本書を読むしかない。

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紙の本

東氏が何に苛立っているのかわかったような…気がする?

2003/09/05 12:18

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ガブリ - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本の内容についてはすでに多くの方が書評をかかれているようなので省略して個人的な感想を言ってみたいと思う。
個人的な疑問の発端は東・笠井往復書簡だった。なぜこんなにすれ違ったのか? 何回か読み返してみた結果これは東氏の方がフェアじゃないと感じた。自らの基礎経験は80年代にありそれを足場にしていると言っているにもかかわらず、笠井氏の基礎経験である60年代は興味がないと言って切り捨てる。東氏は茶飲み話をしている場合ではないと言い切り、笠井氏を相手に選んだのは間違いだったと言う。
東氏は必死になって何かを求めているようなのだがそれは何なのだろう?
では往復書簡の失敗に比べてこの東・大澤対談が成功しているように見えるのは何故だろう?
確かに対談は成立しているが果たして東氏求めるものは得られたのだろうか?
東氏は満足気だが私には対談の要所要所で大澤氏が「趣味の違い」でかわしているところが気になった。
その「趣味の違い」こそが東・笠井のズレだったのではないかと思うからだ。
対談は終始思想的言語で語られているが(場所がジュンク堂と青山ブックセンターだから?)体験的言語で語ったら同じくすれ違いになるのではないだろうか。
序文にある現場からのボトムアップだという東氏の言葉に納得できないのはそのせいだろう。
東氏が今痛切に欲しがっているのは新しい言葉らしい。それを自分で造ろうとしているのかどこからか引っ張ってこようとしているのかそれはまだ分からないが、80年代的手法を採ろうとするのは間違いだしすでに不可能だということを東氏は分かっているように思う。その辺で苦悶しているのだろう。
この東・大澤対談は現在を俯瞰しているという点では確かに良書ではあるし、どこがどう問題であるかを顕わにしたともいえるが、新しい問題提起には至っていないと思うのだが?
むしろ気になるのは東氏が新しい言葉の創造を誰かに委託したがっているように見えるところである。確かに想像を絶する困難さではあると思うが是非自分でやって欲しいと願う。

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紙の本

「私が私である」ことの根拠

2003/04/29 20:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 本書の粗い要約。──権力による自由の抑圧・排除といった二項対立的図式に基づく、あるいは(身体の規律訓練を通じて道徳的な主体を形成する権力といった)個人の内面的イデオロギーに照準する古典的な権力論もしくは自由観をもってしては、もはや現代における権力と自由をめぐる問題について有効な批判的言説を紡ぎだすことはできない。たとえば、住民基本台帳ネットワークや国民総背番号制の問題に関して、そこでいったい何が抑圧されることになるのかと問われても、せいぜい犯罪の自由・権利といった漫画的な答えしか出てこない。

 現代の権力は、内面のイデオロギーや思想、利害関心やそれらの表現に対して非常に寛容で、充分な多様性と自由を認めている。排除の機制が働くのは、人間の生物(動物)としての生存にかかわる部分、つまり安全で快適な生活にかかわる部分だけだ。かつてマルクスが賃労働の問題をめぐって「疎外」という概念を発明したように、「僕らは何を失ったのか」という問いをめぐる人文的な「概念の作業」が必要である。

 それでは、現代の権力状況に抗しうる「新しい自由」の概念とは何か。それは、単なる自意識の問題には還元されない「私が私である」ことの根拠、もしくは古典的な主体=主権観のもとでは「無」であるしかない「私」──いつ他者になってしまうかもしれない弱い受動的な「私」、偶然的で交換可能な「私」(=anyone)、単一の他者への愛や共感と普遍的な連帯とを媒介するもの──を指し示す概念で、大澤真幸はこれを「根源的偶有性」と名づけ、東浩紀は「匿名性の自由」と呼ぶ。

《…人間には自分にとって疎遠なものでも引き受けてしまう本質的な特徴があって、それが社会学の言葉で言えば「偶有性」、東さんの言葉で言えば「確率的な側面」なわけです。つまり人間は他でもありうるという部分を必ずもっているので、その部分を通してどんなに疎遠なものでも引き受けることができるんです。それが権力に濫用されているという構造なんでしょうね。》(大澤)

《今までは匿名性は、社会空間の複雑さと情報の追跡可能性がアンバランスであるために、特に意図しないでも確保されていた。だからこそ固有名の感覚も生まれていた。しかし、後者の精度が飛躍的に上がってしまったため、今そのバランスが壊れている。その結果、[…]人々は自分が固有の存在だと感じられなくなっている。僕はその状況を憂えているわけです。》(東)

 ──両者に共通するのは、現代の権力の現実の方が批判・理論よりはるかに先行している、という認識である。だからこそ大澤は、権力を出し抜き、それよりさらに先へ行くための「論理」の模索にこだわり、東は、両者の議論の原理的な一致を認めつつ、そのような大澤の「弁証法」を批判し、実践的側面にこだわる。理論的爆破(権力のパラドクシカルな自己転変)か工学的構築か。この微妙な「対立」が議論に緊張をもたらし、けっして「理論ゴッゴ」に終わらない本書のアクチュアリティを生み出している。

 蛇足。──大澤が提示する「工学装置としての神」のメタファーが面白い。古典的な神は、そのメッセージの恣意性こそが人間からの隔絶性(絶対的な超越性)を示す証拠だったのだが、現代の工学的な装置は、かつての神が担っていたそのようなネガティブな属性(超越性を示すポジティブな属性へと反転しうる属性)をすべて取り除いた神になっている、というものだ。これは思いつきだが、この指摘と、永井均が『本』(講談社)に連載中の「ひねもすたれながす哲学」で論じている神の問題とを接続することで、本書の議論の着地点が見えてくるのではないか(「新しい自由」の概念=「独在性の私」?)。

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紙の本

多様性が確保される一方で情報管理される現在の社会において「自由」とは何なのか

2003/04/28 00:06

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:烟霞 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 先日、個人情報保護法案が衆議院で可決された。この法案や住基ネットに対しては報道の自由、プライバシー保護等の観点からマスコミや識者から過剰なまでに反対論が展開されてきている。この種の反対論は、基本的に旧来的な国家権力に対する懐疑に基づく発想といってよいが、これに対しては違和感、あるいは「ピントはずれ」であるとの感がしてならなかった。
 本書を読んで、そうした感覚が誤っていなかったと思った。
 本書は東浩紀と大澤真幸の3回にわたる対談を収録したものである。テーマは今の時代において「自由」とは何か、である。
 本書の対談の内容は多岐にわたるが、思い切って要約すると次のとおりになるだろう。現代社会において、権力は、(東浩紀の言葉でいえば「動物化」した)生物としての人間を生かすために行使されるものであり、セキュリティの確保、個人認証による情報管理の形をとる。これを本書では「環境管理型権力」と呼んでいるが、この下で人々は十分な多様性が認められているし不自由さも感じない。またこの権力は必ずしも政府が主導するとは限らず市民自らが自発的に行う場合もある。したがって、このよう現代の権力に対して、国家を軸とした旧来的な権力のあり方に対抗する議論をぶちあげてもピントがはずれるだけなのだ。
 では、現代社会においてこの「環境管理型権力」で脅かされるのは何だろうか。著者たちは、概念化することの難しさを認識しつつ、それを、東は「匿名の自由」(プライバシーとは異なる)、大澤は「(根源的)偶有性」だとしている。つまり、ある人間を、いろいろな記述(データ)で把握することができるようになり、そのような記述では還元できない固有性の領域が小さくなってしまうことだ(そのため人々が自らの固有性を感じられなくなっている)。
 このようにして、著者たちの指摘する問題の所在は何となく見えてくるのだが、では現実において何がどう問題となるのか、どう新しい権力に対抗すべきなのか、大澤も東もきちんと理論化・概念化できているとは言えない。また、「環境管理型権力」の問題がこれで尽きるのかもよくわからない。ただ、これらの点は、著者たち自身が十分に認識済みで、たとえば、東は「まえがき」で、この対談が「いま起きているさまざまな事件は、…あえて考えればこんな思想的な問題を孕んでいるんだよ、と注意を喚起するために行われたものである。だから本書では問題は解決されない。ただ提起されるだけである」と言っている。
 本書と同様のテーマで、大澤が「<自由>の条件」、東が「情報自由論」を本年中に単行本化する予定だそうだ。そこでクリアに提示されるのかどうかまったくわからないが、とりあえず彼らの単行本を待つことにしよう。
 いずれにせよ、本書は、マスコミ等に蔓延する安直な論調と異なり、はるかに的確に現在の社会の問題を抉り出した興味深い一冊であった。
 なお、「9・11以降の現代思想」という副題はいかがなものかと思う。本書の対談は必ずしも9・11の事件が生起した思想の状況を描いたものというより、むしろ東がいうような、1995年頃からの思想の状況に対応していると考えた方が適当であろう。

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紙の本

現代思想おたく向けのSF蘊蓄話

2003/06/23 10:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:mistypink - この投稿者のレビュー一覧を見る

この対談に関しては、既に多くの賞賛が寄せられている。
確かにおもしろいし、刺激を受ける。だが、読後漠然とした不満が残るのも
事実だ。見当はずれな言いがかりを承知の上で、その現実に対する感度に
ついて批判を試みたい。

端的に言えば、「世俗的で対症療法的な『現場主義』」に対して「ボトム
アップ式に理論をたたき直す」試みがあまり成功していないのではないだろ
うか。

たとえば『審判』の「掟の門」や『収容所列島』との関連で語られるスターリニズムの不条理性、確率や数値化の言及を読めば、現代のビジネス人は苦笑するしかないだろう。中国等の工場に対抗してリストラを進める国内生産基地や消費不況の中でノルマを達成しなければならないセールスにとって、不条理は現実以外のなにものでもないのだから。日々の作業は時間効率性を追求され、能力査定で個人の商品属性は計数化される。転職の自由はある。しかしそれを現実化するには資産、社会福祉、労働力商品としての自己の優位性が担保となる。確定記述の束として属性管理されながらも匿名で交換可能であるが故にそこで生きるしか選択肢がないのだ。東が情報管理社会のモデルとして参照する自動改札機ではパンチ音を鳴らす駅員もまたデリートされていた。

東は消費社会論の重要性を指摘し、すぐに市場と言い換えているが、80年代ポストモダニズムの消費社会論はあたかも下半身のない身体のように、生産や流通を捨象して成立していた。オタク産業化の延長線上にリナックス革命に言及するが、オタク的映像の進化がスポーツ用品のCMを商品から自由なスポーツそのものの表現に達したとしても、製品がインドネシアや中国の出稼ぎ労働者によって製造されていることに変わりはない。情報資本主義の矛盾を見逃しているというのではない。認識される現実、参照先が一面的なのだ。多様性や自由の認可とそれと気づかれぬ管理の二面性は市場の全体性を考慮すれば当然のことでしかない。

東はまた、フクシマを引用して、プライベートな優生学を止める方策がないという指摘を鋭いと言う。現に出生前診断に悩む家族にとってそれは「おもしろい話」どころではない。現実がとっくに問題意識を追い越している。
あとがきで大澤はコロンバイン高校事件とコソボ侵攻の同時並行性を挙げ、内在する敵と戦争の関係を指摘する。それを言うならば、ジュリアーニのニューヨークがゼロ=トレランスの実験場だった、つまり棍棒で浄化された安全都市に飛行機が激突したことに触れなければならないだろう。

「冷戦崩壊期のスノッブなシニカルな消費社会」の後に出現したのは、世界的競争の血なまぐさい世界だったように思われる。無論ヴァーチャルな次元で血の匂いや暴力性は巧妙にフィルタリングされてはいた。そこでは生権力の影である死権力が優生学とセキュリティを携えて主導権を握る。もはや自由というものも、気が付けば畜産処理場という猶予期間を<平穏無事に生き延びる自由>に切り下げられてしまった。

この対談で欠如しているのは「第三者の審級」でも「大きな物語」でもなく、現実認識なのだ。このままではポストモダニズムの語彙でポストモダニズムの限界を語る近過去SF談義でしかない。


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紙の本

面白いけど、こういう言葉遣いでよいのかなあ?

2003/04/30 21:18

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る

ポストモダニズムとは何か。著者の一人東浩紀は次のように要約している。それは「マルクス主義を継承し、記号論や精神分析の概念をもとに組み上げられた難解な理論」である。大いにもてはやされたポストモダニズムの言説も今ではすっかり影をひそめ、2003年の現在、言論界では現場主義が幅をきかせている。そうした流れに掉さし、実感主義に対して理論を再導入するために本書の対談は行なわれたと、彼は述べている。都合三回に及んだ共同討議は果たして所期の目的を達しているだろうか。

頭脳明晰な二人のことだから何をどう問題にしたらよいのかはハッキリ捉えられている。理論が現場に有効打を浴びせるための最も良い方法は、適切なキーワードを発明することである。そのフレームで現実を思いがけない視点から分析してみせる、これである。その昔マルクス主義は<疎外>を用いて世界をクリアカットに分析してみせ、文化状況全体へ強い影響を与えた。現代日本を分析するキーワードの候補として、大澤は<第三者の審級>、東は<動物の時代>といった概念を用意し、議論は<本質的偶有性>や<匿名の自由>へと深められていく。議論の過程で、デリダ、アーレント、アガンベンなどの諸説が要領よくまとめられ、引用されている。

そうした議論は(ポストモダニズムの通過者には)それ自体十分面白いし、新しいことを知る楽しみも与えてくれる。しかし、最初に掲げられた高い目標からするともの足りない。早い話、大学生の読者が本書を読んで社会理論の勉強に燃えるだろうか。その昔、浅田彰の『構造と力』に年若い読者がわけもわからずにアジられて、パラノだスキゾだと友人との会話でもつい使ってしまったようにはいかないだろう。実感主義に抗するだけの強さを、理論の言葉はもう持てずにいる印象だ。

その原因も著者たちはもちろん認識している。現代思想のタームというのは、たとえ表面上は批判を行なっていても、本質的には冷戦崩壊期のスノッブなシニカルな消費社会を人間社会の最終形態として捉えているからである。つまり9・11以降の現在へ至って、批判の言葉の方が現実よりも後ろに来ているのである。サイバースペースを論じる過程で、大澤真幸は「批判よりも権力の現実の方が先へ行っちゃってる」と述べている。そして、僕らが模索すべきは権力よりもさらに先へ行く道だとも。

その意気やよしだが、実際のところ、本対談は最良のポストモダニズム(80年代風言説)でしかない。

本書は今後刊行される二人の論文、大澤真幸『<自由>の条件』と東浩紀『情報自由論』のあらかじめの脚注というトリッキーな性格も持っている。上に批判めいたことを書いたが、本書は80年代に自己形成したおじさんの読み物としては十分面白かった。ベタな現実への目配りがより優れている点において、東の新刊の刊行を楽しみに待ちたい。

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紙の本

「自由」の意味を考え直すことの急務を教える刺激的な対談

2003/05/07 15:36

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投稿者:小林浩 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 同時期に刊行された東氏の波乱の往復書簡に比べれば、本書はさすがに対話者を得たという感じで、国内外の様々な社会危機と文化状況と政治現象のさなかにおける新しい「自由」のありようをめぐって、シャープでテンポの良い議論が交わされる。本書は三つの対談からなる。第一部「権力はどこへ向かうのか」は、大澤氏の『文明の内なる衝突』(NHKブックス)の出版記念で2002年8月にジュンク堂書店池袋本店で行われた対談であり、第二部「身体になにが起きたのか」は前回の対談の成功をもとに書籍化の企画が持ち上がったために行われた対談で、同年11月に青山ブックセンターで行われている。第三部「社会は何を失ったのか」のみは非公開の対談で、同年12月、ホテル・パークハイアット東京で行われた(クリスマス当日である)。これらの対談では、東氏の『動物化するポストモダン』『存在論的、郵便的』や現在執筆中の「情報自由論」、大澤氏の『文明の衝突』『虚構の時代の果て』『身体の比較社会学I・II』や単行本化されていない長編論文「〈自由〉の条件」など、二人のこれまでの理論的枠組みが再説され、現実の社会的諸問題への取り組みに応用されており、高度な専門性もありながら、明晰に現代人の生きる「いま」論じ、格闘しているさまが読み取れる。東氏はまえがきで、「本書はむしろ、理論に興味のない読者にこそ読んでもらいたい」と断言している。90年代に、理論は失墜し失効し、表裏一体に、現場主義が台頭したと彼は見る。社会の現場の言葉から出発して社会批判の武器である理論を作り直し磨き直すことが、本書の課題である。大澤氏も対談の最後で「概念の発明」を宣揚し、その重要性について強調している。

 両者の自由論における核心において、大澤氏の場合は「遇有性」、東氏の場合は「誤配可能性」について語っている。大澤氏は、趣味や価値観がまったく異なっていて共通なものを何も持たない他者に共感できるかという問いを立て、「できる」と答える。積極的な共通性が何もなくても、「ただひとつ、遇有的であるということ、つまりそれぞれ「他でありうる」ということにおいてつながりうる」のだ、と。普遍的価値観がもはや存在しないこんにち、遇有性は「普遍的な連帯や共感への唯一の通路」なのだと氏は述べる。一方、東氏は、情報技術によって支えられた管理社会を生きる現代人に必要なのは、「誤配可能性」を育てることではないか、と提案している。彼によれば、各人の固有な価値は社会の中で「さまざまな「誤配」や「誤解」に曝され、いく度も訂正されることではじめて生まれるもの」なのだが、そうした誤配可能性を管理社会は縮減している。人それぞれの固有な情報がこんにちかぎりなく精確に測定され管理されやすくなっており、個人は管理されている情報情報以上のものではなくなりつつあるのかもしれない。そうした情況において、「誤配可能性」と並んで重要視されるのが「匿名性(あるいは匿名の自由)」である。これは単にプライバシーの権利を守ることだけを示唆しているのではない。「匿名であるからこそ、人はたがいの交換可能性を想像でき」、「皆バラバラなんだけどそれでも平等」なのだという感覚を生じさせる条件となるのが匿名性なのだ、と東氏は論じている。両者の議論は、いまを生き、いまを悩む多くの若い読者に、強い知的刺激を与えるだろう。東氏の「情報自由論」、大澤氏の「〈自由〉の条件」は2003年のうちに単行本化される予定だという。

連載書評コラム「小林浩の人文レジ前」2003年5月6日分より。

(小林浩/人文書コーディネーター・「本」のメルマガ編集同人)

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2010/01/10 18:23

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2006/02/23 02:18

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