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アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.4 6件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.4
  • 出版社: 徳間書店
  • サイズ:20cm/270p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-19-861674-4
  • 国内送料無料

紙の本

アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題 (アニメージュ叢書)

著者 大塚 英志 (著)

なぜ手塚治虫はアトムを成長させなかったのか。戦時下、占領下を「群衆の一人」として生きた手塚の内側で、まんが表現と歴史がいかに出会い、そして、戦後まんが史を産み落とすに至っ...

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アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題 (アニメージュ叢書)

2,052(税込)

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商品説明

なぜ手塚治虫はアトムを成長させなかったのか。戦時下、占領下を「群衆の一人」として生きた手塚の内側で、まんが表現と歴史がいかに出会い、そして、戦後まんが史を産み落とすに至ったのか。気鋭の評論家がその実態に迫る。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

大塚 英志

略歴
〈大塚英志〉1958年生まれ。筑波大学卒業後、フリーの編集者として漫画雑誌に関わる。80年代末から漫画原作、批評家としても活動。「戦後まんがの表現空間」でサントリー学芸賞受賞。『新現実』主宰。

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みんなのレビュー6件

みんなの評価4.4

評価内訳

  • 星 5 (3件)
  • 星 4 (1件)
  • 星 3 (1件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

戦後思想としての手塚治虫

2003/05/06 20:55

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:稲葉振一郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書はある意味で小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)と同じテーマを探っている。すなわち、戦後思想の原点を、語りえぬものとしての戦争体験を語ろうとする試みと捉えている。しかしながら驚くべきことに、その思想的測定深度においてこの小著は小熊の大著をしのいでいる。それは必ずしも、小熊に比べて戦線を限定しているからというだけではあるまい。
 たとえば小熊は江藤淳や吉本隆明のフェイク性について語るとき、戦後民主主義の虚妄を告発する彼ら自身の言説が、自らは戦場を見ていないという事実から逃避するための虚妄であったことを指摘して、斬って捨てるだけである。しかしそのような告発に対して、吉本も、そしてもし生きていれば江藤もおそらく何らの痛痒をも感じなかったであろう。なんとなれば他ならぬ吉本と江藤自身、自らの言説の虚妄なることを承知の上だったろうからだ。そのうえで彼らならこう居直れる。「われわれは戦場には行かなかったが戦時下を生きた、しかしおまえは戦争はおろか安保すらみていないではないか」と。
 つまり江藤や吉本は空虚であるがゆえに戦後民主主義の虚妄を撃つ資格がないのではない。逆にその空虚さこそが戦後民主主義告発の彼らなりの武器なのだ。戦争体験の継承と思想化が「語りえぬものを語る」ことに他ならない以上、その困難さを回避して安易なお題目に堕したり、あるいは逆に戦後言説は、自らの虚妄に深いコンプレックスを抱くがゆえに自他の虚妄一般に敏感な彼らの格好の餌食なのである。
 「語りえぬものを語る」ということの困難さへの自覚が不足し、それにふさわしい作法を磨けなかった戦後思想は、結局世代の壁を越えられなかった、というのが小熊の結論なら、江藤や吉本の、戦後を自らの低みにまで引き摺り下ろすやり口が結局勝ったということになりかねない。
 それに対して大塚は、手塚治虫の「アトムの命題」、「記号的身体で死すべき身体を描く」という難題が戦後のマンガ表現のなかに明確に継承されていくことを指摘し、それを手塚の戦争体験と戦後思想として読みかえようとする。そうすることによって、世代の壁を越えて手塚の「語りえぬものを語る」という課題が今へと連なっていることが明らかにされていく。江藤や吉本の戦後批判に対抗するには、この道こそが本道ではないだろうか。

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紙の本

「戦争体験」の普遍性を訴える

2003/06/11 02:31

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本人は「平和ボケ」で「戦争」について語ることが苦手だとか、平和を愛しているようだけれども視点が一国中心的で、ちょっと国内に閉塞感が漂い始めるとわりと簡単に安っぽいナショナリズムに回収されてしまう危険性がある、というようなことが、これまでさんざん言われてきた。
 その一方で、日本国内で大量に生産されてきたアニメやマンガなどの分野における戦争に関する表現は、これまでに国際的にも高い評価と商業的な成功を得てきた。しかし、そういった高い評価を受けた「戦争」を描いたマンガやアニメが、日本人の「戦争観」や戦争の「記憶」といったものからどんな風に影響を受けているのか、ということは、国内でも国外でもほとんど意識されてこなかったように思う。つまり、これまで日本人はせっかく「戦争」を題材にした普遍性をもつ表現作品に恵まれていながら、それを用いて世界に自らの「戦争観」を訴えかける普遍的な言葉を持っていなかったのだ。

 そんな中で大塚さんのこの評論は、戦後日本マンガの表現を切り開いた手塚治虫を題材とすることで、戦後日本のアニメやマンガを論じることが実は日本人の「戦争観」を語ることにつながる、ということを示した画期的な力作である。
 大塚さんはこの本の中で、手塚の戦時中の習作をはじめとした膨大なマンガ関係の資料を渉猟しながら、手塚のマンガ表現が、空襲体験など彼自身による戦争体験によっていかに決定的な影響を受けてきたか、ということを執拗に実証していく。つまり、彼によれば「血を流すキャラクター」という、手塚によって切り開かれた戦後日本マンガの重要な構成要素は、手塚自身が多感な少年期の戦争体験から受けた衝撃を、何とか表現しようともがき続けた結果に編み出されたものなのだ。そのときの手塚の葛藤が、「成長しない記号としての身体」によって「傷つき、血を流す精神」を表現する、という戦後マンガの一つの重要な主題、すなわち「アトムの命題」として脈々と受け継がれていく。そのことを丹念に示そうとする大塚さんの力強い筆致は、読むものをぐいぐいと引き込んでいく。

 最近の大塚さんは自らを「戦後民主主義者」と規定し、あくまで「日本人」としての立場を離れることなく、しかし現在も「正義」の名のもとに行われ続ける「戦争」、および日本のそれに対する加担をきっぱりと批判する評論活動を積極的に行っている。彼が手塚マンガの研究を通じて到達した、日本人はこれまで「戦争」について世界に訴えかけられるだけの受け止め方をしてきたのではないか、という認識は、そういった彼の現在の立ち位置を深いところで支えているように思われる。そういう意味でも、大塚さんの「日本人」と「戦争」をめぐる評論活動を、これからも期待しつつ見守りたい。

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紙の本

著者コメント

2003/04/28 11:18

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:大塚英志 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 二〇〇三年四月七日がアトムの誕生日だからアトムの本書いてよ、というあまりにありがちな依頼の主が徳間書店の大野修一でなかったら「帰れ、バカ」と言っていたところでした。本書はアニメージュ叢書という、9・11をきっかけに突発的に始まった単行本シリーズの三冊めで、ぼくが関わってる本しか今のところ出ていません。別にぼくの個人レーベルってわけじゃないんだけど、やっぱり9・11が「始まり」です。
 その日を境に「評論家の大塚英志」は仕事上のパートナーを文芸誌や批評誌の編集者から、アニメ誌やミステリー誌やまんが誌のぼくの担当編集者へと決定的にシフトしました。
 たった今、何を発言し、あるいはどんな本を出さなくてはならないのかについては文壇や論壇と全く関係のない連中の方が正確な判断ができるというのは奇妙な事態ですが、例えばイラクでの戦争が終わった今、「群像」編集長と話さなくてはならないのは「今、文学が何をできるか」ではなく、某女流作家への講談社の配慮で、ぼくの「群像」での連載が終わるか否かについてです。こっちだって好きでいつもそんなことやってるんじゃないんだけど、つまり彼らにとって今、何をすべきかは「文壇の中の政治」であって、9・11やイラクや、別にその他の何でもいいんだけれど、世界と文学との関わりではありません。
 だったらお前らやめろよ、文学。替わりに「文学」がやるべきことをきっちり「こっち」でやってやるよ。それが「こっち」の編集者たちと作る徳間のアニメージュ叢書だったり、角川の「新現実」や憲法本なわけです。
 従って、このアトム本はアトムの誕生日向けにという、ありがちな企画を装いつつ、しかし、アトムの誕生年である二〇〇三年に世界が戦時下にあることと、アトムあるいは手塚治虫の表現がいかに関わっているかについて論じています。例えば、アトムの第一シリーズ「アトム大使」が連載されていたのは、まさに日米講和の最中でした。日米講和が何かは自分で調べていただくとして、小泉がブッシュの戦争を支持する時に持ち出した「日米同盟」という枠組にこの国が身を置こうとしている時に、リアルタイムで「アトム大使」は書かれています。
 二〇〇三年の四月にいかにもという顔で「アトム」本を出すのは、アトムについて、今、考える必要があるのはそれがアトムの誕生日だからではなく、イラクでの戦争に示したこの国の態度について考える一つの足場になっていくからです。そのためにアトム、あるいは手塚が、戦前、戦時下、占領下、そして日米講和といったこの国の歴史との軋轢の中で、いかにして彼のまんがの方法を立ち上げていったのかについて「現在」との関わりの中で、たった今、論じる必要があるのです。まんがやアニメによって「世界」から逃避することができるように、やり方によっては「世界」と向かい合えるのだ——それがぼくがまんがを論じる根拠です。

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2008/04/27 19:30

投稿元:ブクログ

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2008/07/21 22:31

投稿元:ブクログ

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2007/09/16 07:15

投稿元:ブクログ

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