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商品説明
なぜ医師は患者を喰い物にするのか!? 医療界内部に精通する著者が告発する、病院というどす黒い世界…。医者に「殺されず」、自分自身の身を守るにはどうすればよいのか。衝撃的な内部告発情報を全面に盛り込んだ衝撃の書!【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
■いまは眠いので子供を殺そう(氷川本人による加筆原稿)
2003/06/20 07:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hikawa - この投稿者のレビュー一覧を見る
「いったい、何回電話をかけてよこせば気が済むんだ」そんな憤りが男に
あった。「あ〜! ねむれねぇ」男はぶつぶつと言いながら、こうしている
うちに小うるさい女から電話が掛かってくるのを予想し、憤りを覆い隠す
ために自分の硬いまぶたを何度も閉じ、男はベッドで開こうとするまぶた
に開くことを忘れさせようとしては荒っぽい寝返りをうった。 電話が
鳴った。二回目、あと一回なれば鳴りやむのではないだろうか。男はそう
考え三回、四回、五回となる電話を放置したが、電話は鳴りやまなかっ
た。ようやく男は受話器を取ったが、それは用件に答えるために取ったの
ではなかった。あくまで自分の睡眠を妨げるベルを消すために取ったので
ある。「とても患者さんが苦しんでいるんですけど…」「いったい、な
にを考えているの!」男がそう言葉を返すと「患者さんが苦しんでいるん
です」さっき掛かった電話でも同じ言葉、そして今、こうして取っている
電話でも同じ言葉を電話の向こうで繰り返し、繰り返し。多分、看護師は
家族に急かされているのだろう。理由さえ看護士にやれば上手く対応でき
るのではないだろうか、そうおもうと男は自分が適当だと思える言葉を看
護士に伝えた。「いまは病棟処置に忙しいとかなんとか言っておいてよ」
そう言いおわらないうちにガチャリとたたきつけるように切った。
「ねぇ、どうしようか、他の先生に電話をしようか」電話を切られた看
護師は当直仲間に聞いた。「どうしようもないよ」当直仲間は誰も来てく
れる訳がないことを諭すようにそう答えた。そして、ふたりは暫く時間を
おいて電話をかけ続けることを決めた。日時が流れ「苦しんでいます」と
言われた患者の葬儀が行われた。五歳の少年、彼は、おかあさんを心配さ
せないように苦しみを耐え続けたという。「血を吐くような痛み」という
表現があるのをご存知だろうか。体験した人々はそういった状態をこう表
現している。「体中の臓器がミキサーにかけられ口から咳になって飛び出
しそうだった」五歳の男児の痛みは、まさしくそういった痛みだったのだ
ろう。彼は断末魔に血のかたまりを吐きだし絶命した。救急車で搬入され
放置され子供の苦しみもがく姿を見た親御さん。その心中を想像できない
人は少ないはずだ。
ひょっとすれば「もうすぐ病院だからね」と子供をあやしていたかも知れ
ない。
あなたならそうするだろう。
しかし、奴は自分の睡眠のために彼を見殺した。
救急で運ばれた先で治療が受けられなかった。ひょっとすると当直の医
師に患者を診る能力が無かったのかも知れない。おや?と思われる人がい
るかもしれない。どうして、治療のエキスパートである医師という仕事に
ついている人間が治療出来ないのかと…。これは拙著「医者に復讐せ
よ」にも書いたことであるが、医療機関とは飽くまでも医師の仕事と労働
を作り出す場所であり、患者の為にあるのではない。能力があろうがなか
ろうが、組織にそれほど反抗的でさえなければ仕事は与えられるのであ
る。患者のためにある場所ではないということを我々は肝に銘じなければ
ならないだろう。この病院の記者会見を見たかたは多いと思うし、男児の
母親が泣きながら訴えている姿をテレビで見られた方も多いのではないだ
ろうか。そこにあの眠たさに子供を見殺しにした医師は出ていただろう
か。警察は過失致死で当直医師を立件する可能性を探るという。にも関わ
らず奴の名前は出てこない。彼は関係者によって全力で守られるであろ
う。もし、彼が裁かれる事があれば、駆けつけなかった医師や他の責任者
にまで責任は問われるだろう。こがしこい連中はそのような事を避けるた
めに彼を守る。もちろん有罪になったとしても、彼が関係者と歩調を合わ
せている限りその医師免許は失効することはない。
紙の本
そもそも、医者とはなんなのか!?
2003/09/15 02:10
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぜんちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
医師になる前も、なってからも、この職業にある種の違和感がある。
「医師とは、いったい何者なのか」
多くの国民は「病気を治す人」と答えるに違いない。医療過誤のニュースが毎日のようにマスコミを賑わしていても、「自分の信じるあの先生は、絶対に違う(と信じたい)」と、医師を神聖視する大部分の人たちによって、支持されるだろう。
しかし、本当に医師は病気を治せるのか。そもそも、病気とはなんなのか。個々の患者の、社会的背景や経済的問題とは無縁のものではない様に思うが、数分程度の診療時間で、患者の抱える病気を「診る」ことができるのだろうか。
昨今、糖尿病や高血圧症などの「治せない病気」が増えてきた。生活習慣病などともいわれるこれらの病気は、食事やライフスタイルと密接な関係があるので、患者が主体的に「治そう」としなければ、よくはならない。疾病構造が変化しているのに、あいかわらずの3分診療(さばくための医療)がおこなわれている。
「通院(入院)しているのによくならない」ことの否は、教育しない(できない)医師と、知らず存ぜずの患者双方にある。(知らないことも罪なのですよ!)
そのうち、血糖降下剤の不適切な服用で、低血糖症状などをおこした患者が「ああ、やっぱり病院は怖いところなんだ」と言いふらすことになるのでしょう。
病院で死にたくない人は、医療の現場でおきていることを知らなければならない。お金の預け先を真剣に探すように、命の預け先も(病院とは限らない)よく検討する必要がある。「先生にお任せします」という預け方にも問題がある。
本書は、世の中に投げられた一石に過ぎない。しかし、読者のこころに広がる波紋は確実に明日のこの国の医療のあり方を変えていくに違いない。
To Cure Sometimes
Relieve Often
Comfort Always
(時に癒し、しばしば苦痛を和らげ、常に慰める)
ヒポクラテスのギリシャ時代も現代も、医師のできることはそう変わってはいない。それ以上の、それ以下のものでもない。
これから先もきっとそうだろうと思う。