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商品説明
新世紀、世界は悪い方に転がっていた。デフレ、戦争、頭髪の悪化、預金残高の減少。しかし一縷の希望は残されていた。「超人」になれば全てが解決するのだ。ひきこもり世代のトップランナーが放つ新世代ハイブリッドエッセイ。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
滝本 竜彦
- 略歴
- 〈滝本竜彦〉1978年北海道生まれ。ひきこもりが高じて大学を中退。「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」で角川学園小説大賞特別賞を受賞しデビュー。著書に「NHKにようこそ!」がある。
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紙の本
『NHKにようこそ』テイストが好きなら買いの1冊
2007/10/23 17:58
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ざわ・・・ぶろぐ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』『NHKにようこそ!』 の滝本竜彦さんの(小説との)ハイブリッド・エッセイ。
「己のルサンチマンを捨て、立派な超人になる修行過程を書ききることこそがこの連載エッセイの唯一にして至上の目的(一部省略)」であるらしく、心の葛藤と葛藤の末にどうなっていったのかが小説調に(?)書き綴られている。文のテイストが『NHK…』と似ていてスラスラと読みやすい。
『ネガティブ…』とはちょっとテイストが違うので『NHK…』を読んで、好きな人には楽しめるけれど、そうでない人には楽しめないかな、と感じた1冊。
紙の本
腹を抱えて泣いてしまいました。
2003/08/07 21:55
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:chourou - この投稿者のレビュー一覧を見る
正直、webで連載されていたものをまとめた本なので、1300円は高い気がしないこともない。しかし、ひきこもり世代のトップランナー?滝本竜彦を知らない人は、このエッセイから入ると良いかもしれない。
処女作「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」、二作目「NHKへようこそ」はどちらとも泣き笑い系の小説だったが、著者が告白しているとおり、小説のネタが切れたようだ。
しかし、エッセイである本作は、まさに私小説になっている。レイという名の脳内彼女との対話によって、NHK教育テレビのひきこもり番組への出演から、渋谷への決死の突撃まで、涙無しには読めないイタさをともなった小説になっている。
笑いの涙から同情の涙まで、読み手によって流す涙は違うだろう。
半ひきこもりの著者が自らをネタにすることによって、ひきももったまま本を出して生活して行くという、ひきこもり諸氏から見ればうらやましい生活をしているが、この本が売れなければ彼はどうなってしまうのだろう。生きていくために働きはじめるのだろうか? 本が売れればずっとひきこもりなのだろうか?
とりあえず、次回作は小説でと著者にお願いしたい。
紙の本
リアルと二次元のハイブリッドエッセイ
2003/07/31 12:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:graylittle - この投稿者のレビュー一覧を見る
「引きこもり世代のトップランナーが放つ 新世代ハイブリッドエッセイ誕生!」
帯にはそう載っている。何と何のハイブリッドなのか、それは書いてない。その答えは、リアルと二次元のハイブリッドエッセイ。本書は装丁、登場人物、そしてエッセイのスタイルが全部、リアルと二次元のハイブリッドでできている。
装丁について。
本書は、著者のこれまでの作品とは正反対に、著者の写真が表紙になっている。著者は街中で腰を下ろし、読者のほうを見ている。口絵では読者を見つめる著者の顔が1ページに収まるぎりぎりまで拡大され、炎に照らされているかのように赤みがかっている。著者は何かマジだ、そう思わせる。
その一方、表紙と背表紙のタイトルと著者名は赤ないし黒の極太明朝体しかも縦書きで、「新世紀エヴァンゲリオン」の引用なのは明白だ。帯の紙質もわたしにエヴァを連想させるものだった。
実写写真とエヴァの引用。リアルと二次元のハイブリッド。本書はそんな装丁になっている。
登場人物について。
本書の主要登場人物は二名。著者自身と、著者の「脳内彼女」レイだ。「脳内彼女」というポジションにもかかわらず、レイには著者に次ぐ存在感がある。著者とレイのやり取りでエッセイは進行する。
著者はリアルで、レイは二次元。ハイブリッドな登場人物ラインナップだ。
エッセイのスタイルについて。
著者はリアルな存在、そのはずだ。ところがエッセイに登場する著者自身は少々異なる。エッセイ中の著者は、むしろ一種のキャラクターみたいに書かれている。
エッセイのエピソ−ドは事実だとしても、エッセイのスタイルは二次元キャラクター作品を思わせる。だからこれも、リアルと二次元のハイブリッドなのだ。
リアルを目指しているのに、なぜかどうしてもリアルと二次元のハイブリッドが出来上がってしまう。
それが引きこもり世代の特徴なのだろう。
「あったのはただ倦怠感だけだった」「灰色のゾンビの世界」著者はそう口にする。しかしこの本は、リアルと二次元のハイブリッドゆえ、面白く読むことができる。それがリアルを目指す著者にとっていいことかどうか、それは見当がつかない。
最後になったが、この本は大変面白い。お薦めする。
紙の本
同世代、同時代、同じ沿線
2003/10/09 22:13
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者は1978年生まれ。私より三歳上ということだが、ほぼ同世代と言っていいと思う。昭和一桁生まれや今現在いい大人になっているような人間の小説ばかり読んでいる私にとって、文化的背景やなんかを共有する同世代の人間がこうやって文章を書いているというのは新鮮だし興味深い。とはいっても、実は私は滝本竜彦の小説を一冊も読んでいないので、こうやってエッセイ集の書評を書こうというのはおこがましいかもしれないが、それでも書こうというのは、応援したくなってしまうような彼の「痛々しさ」のせいだろうか。
「痛々しい」というより「イタイ」と書いた方がわかりやすいかも知れない。しかし、この言葉はどこまで通じるのかよくわからない。なので、本書の具体的な例を引く。第四話でひとり暮らしの彼の元に、高校時代の知り合いがとつぜん訪ねてくる挿話がある。そのなかで、二人きりの気まずい空気に耐えきれない彼は、とつぜん「アニメとか、観る?」と言い、「新世紀エヴァンゲリオン」の話をしながらビデオで第一話を見せたり、まあ、そういう行為のことである。
同じアニメやゲームを知っている我々(あえて複数形を使うが)にしてみれば、「おまえそれやっちゃいけないだろう」と思ってしまう。そしてそれがなんだか他人のことに思えず、「腹を抱えながら笑う」と他の評者も言うように、胃が痛むような感覚を覚えつつ、おかしくて笑ってしまう。本書の序盤は、そういったエピソードに満ちている。ルサンチマンをあえて噴出させ、それを相対化させようと試みることによって、その「イタイ」身を削る芸を披露しているのだろう。
その意味で、自らの痛々しさを極限まで開陳する第四話の挿話は強烈なのだが、この部分を読むと、著者の「ひきこもり」の性質がなんとなくわかるような気がする。
前述の四話では高校時代の知人である女性がとつぜん訪ねてくるのだが、二人きりの気まずい空気が流れ出すと、それに耐えきれず、奇妙な行動に走ってしまうのが見受けられる。具体的には本書を読んでほしいのだが、そのオチの部分も含めて、著者にはコミュニケーションや他人、関係に相対すると、極度のストレス状態に陥ってしまうようだ。これは単に「空気が読めない」といったような簡単な問題ではないだろう。世には自分の趣味の話だけを一方的に話し始める人もいるのだろうが、著者は少し違う。「関係」のストレス、他人との関わりに何か決定的な恐怖があるのだろうか。と思っていたら次の言葉があった。
「愛するのも愛されるのも怖いんだ! 拒絶されるのも嫌だし、自分が相手を嫌いになるのも嫌なんだ!」143頁
この言葉はいささか大げさで自己愛的にも見えるけれど、彼の本心だと思う。言葉にすると陳腐きわまりないものの、言葉にするとこう言う他ないのが、彼の抱え込んでいるものなのだろう。「私」という牢獄?
また、NHKのひきこもり特集の番組に出たときに言っていた台詞がいい。社会のせいにも親のせいにも(そもそも著者は、一人暮らしのひきこもりなのだ)せず、単に「僕はダメ人間なので」「いやあ、ひきこもりの原因はいまだにわからないですね」と言う。ここら辺の「誠実さ」がまたひきこもりの原因である気もするが。
もうひとつ、NHKの番組で引きこもりの克服するには何が大切かと聞かれて答えたのが、以下。
「一番大切なのは——愛です。やっぱり愛が大切なんだと気づきました。ですから僕は、これから出会い系を利用して、彼女を作ろうと思います!」61頁
「イタイ」を通り越してもはや感動的ではないだろうか? 「ひきこもり世代のトップランナー」、確かにそうだ。先頭を走りたくない集団ではあるが。
なお、本書は明確に構成を考えて書かれていて、ルサンチマンの象徴の消滅とともに小説家の誕生が謳われるラストはなかなかに感動的ではある。さすがに小説家だ。
紙の本
うーん…
2003/08/20 01:01
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:田中宏史 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本が売れたら著者のひきこもり生活が延長されるのかと思うとちょっと嫌になるね。
周囲の人間はこの著者を甘やかし過ぎ。デビューして数年に満たない何の実績もない小説書き青年に、もう小説書けなくなりましたエッセイなんて書かせていいのか?
著者は意地でも小説を書くべきだった。周囲の人間もそうさせるべきだった。何故なら著者の処女作である「ネガティブハッピーチェーンソーエッジ」は明らかに才能を感じさせるものだったからだ。「NHKにようこそ」も。
何だかねえ。この著者、将来大丈夫なのかなあとか思う。このまま行くと本当に小説書けなくなっちゃいそうでさ。今のところはまだ、そんなギリギリ感を笑って読んでいられるけど、同じような内容のエッセイを三十代の無職の男が書いていたとしたら気色悪いだけでしょう?
で、それはこの著者にとって遠い未来ではない。ほんの数年後のことだ。やるなら今のうちなんだけどなあ。
でもまあ、今のところはまだ面白いです。魂の叫びもあります。小さな子供が駄々をこねて泣いて喚くのと同じレベルの幼稚な魂の叫びではあるけれど。
この著者への興味を失うか、興味を回復するかは次回作次第かな。
もちろん次は小説でお願いします。
紙の本
著者コメント
2003/06/25 12:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:滝本竜彦 - この投稿者のレビュー一覧を見る
24歳の僕は寝たきり老人のごとき生活を送っていました。寝て起きて、六畳一間を日に三十歩ほど歩く生活を、二年近くも続けていました。
ですが半年前、つまり2003年の正月のことです。「このままでは完全に人生を棒に振ってしまう。今度こそ廃人になってしまう」と己の人生設計に不安を感じた僕は、ついに人間革命の決心を固めました。
「よおし、連載エッセイで仕事のカンと生活リズムを取り戻そう」「毎週きちんと街に取材に出て、デジカメ写真を撮ってこよう」「ついでに渋谷でナンパもしよう!」「そ、そうだ、今年こそは本物の人間彼女を作っちゃおう!」
……そうです、何より肝心なのは彼女です。正直な話、僕は人間彼女が欲しくて欲しくてたまりません。人間彼女がいないから、日に日に精神が暗くなっていき、生活もひきこもりがちになるのです。もしも美しい人間彼女がいたのなら、僕の生活は、何もかもが良い方向に改善されるに違いないのです。
ところが僕は、今まで一度も人間女性と付き合ったことがないので、具体的にどうやったら、上手に人間彼女を作れるのか、その方法がイマイチよくわかりません。
困り果てた僕は脳内彼女に訊きました。
「ねえレイ、どうすれば、綺麗で素敵な人間彼女が僕のものになるんだろう?」
青い髪の少女は答えました。
「あら滝本さん、そんなの簡単よ。出会い系を使えばいいのよ。それでもダメなら、渋谷でナンパ、あるいはテレビで大募集をかければいいのよ!」
なるほどと僕はうなずき、その通りにしました。レイは可憐で賢い脳内彼女でした。禿げた僕を、ひきこもってドラッグに溺れる僕を、いつもレイは正しい方向に導いてくれました。ふたりでテレビに出たこともあります。箱根の旅館で混浴したこともあります。僕とレイは、数カ月間の連載エッセイを二人三脚で駆け抜けたのです。本作は、そんな僕たちふたりの、ちょっと切ないハイブリッドエッセイです。ほろ苦い青春の全てがここにあります。
(いまなら特別付録、面白くってタメになる『レイちゃんの知恵袋』が付いてきて、とってもお買い得です!)