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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2003.7
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/313p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-10-461701-2
紙の本
さよなら、スナフキン
著者 山崎 マキコ (著)
ちょっとひきこもりがちな女の子が編集プロダクションで生きがいを見つけるが、実は自分は必要とされていないと知り落ち込む…。愛されることに自信がないすべての女性に贈る切ないラ...
さよなら、スナフキン
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商品説明
ちょっとひきこもりがちな女の子が編集プロダクションで生きがいを見つけるが、実は自分は必要とされていないと知り落ち込む…。愛されることに自信がないすべての女性に贈る切ないラブストーリー。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
山崎 マキコ
- 略歴
- 〈山崎マキコ〉1967年福島県生まれ。明治大学農学部卒業。大学在学中に書いた「健康ソフトハウス物語」でデビュー。著書に「マリモ」など。
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紙の本
切ないラブストーリー?
2004/03/21 23:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:てーラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
切ない。
確かに読後感はその言葉で80%ほど埋まるかもしれない。ただしラブストーリーではないような気がする。
“リセットしちゃう勇気すらなく”主人公は自分の駄目人間さを自覚しつつ悶々と日々を過ごしていく。“月の明るい夜”に自分の居場所を見つけたり、見つけなかったり。そして“物事に立ち向かわなくても、明日はくる”事を悟るのであった。
目次の章題をつなげてあらすじを説明するとそんな感じである。
そこで、恋という展開もあるのだが、“江国香織”とか“よしもとばなな”とかは種類が違うと思う。
読後感の80%は確かに切ないのだが、残りの20%は希望があるのだ。
話し的にはまぁ物言いがつけられたけれど、ハッピーエンドに落ち着くような感じである。
この本の魅力の一つに、そのユーモラスな文章があると思う。芥川賞にノミネートされるような文章をデパ地下のケーキに例えるなら、この本の文章はコンビニの中華まんである。しかも豚マン、あんまんといったオーソドックスなものではなく、ブルーベリーまん、とかチョコバナナまんとかそういう色物系である。色物だけれど、庶民的でほっとする。そんな文章である。ってかそんな話でもある。
個人的な見解で言わせてもらうと、下北沢在住の20歳前後で将来に漠然と不安を抱えているインドア派のあなた! あなたが一番この物語に共感できるでしょう。そんな話です。
紙の本
ムーミンのファンではない。だから、このタイトルからムーミンのスナフキンを連想したものの、小説を読んで、いったいどこがスナフキンなんじゃい!と思ってしまった
2004/01/09 22:47
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんな話だとは思わなかった。スナフキンという名前に、勝手にムーミンを思った私は、中学に入った次女のためにと思って、この本を取り寄せた。ただし、ムーミンをろくに見ていなかった私は、スナフキンの顔だけは思い出せるものの、その性格などはわからず、読み終わってからもこの本のタイトルの意味が少しも分からなかったことを告白しておかなければならない。
で、結局、私はこの本を次女に読ませることを断念し、中三の長女に読ませることにした。彼女の反応は予想通りのものだった。「本当に詰まらない人間ばっかり出てくるよね、おもしろくな〜い。」「なんといっても文章が嫌い。特に( )のなかに入った文が頻繁に出てくるのが、ふか〜い!」だそうな。タイトルから中身を判断してはいけない好例かもしれない。
全体は三章で構成されて、第一章「リセットしちゃう勇気すらなく」、第二章「月の明るい夜だった」、第三章「物事に立ち向かわなくても、明日はくる」。これとタイトルから想像される内容とはまったく違うところが意外といえば意外。
主人公は大瀬崎亜紀、最初の大学の薬学部で二年でリタイアし、予備校通いが一年。だから三浪の女、20歳。幼稚園から高校に至るまで時々不登校を繰り返し、幼児のころ「二階の人」とよばれていたらしい。彼女がそうなった原因は、夫婦喧嘩を見ているのがいやだから。さほどに突如荒れる父親の姿は凄い(ちょっと我が家の夫をおもわせるとこ、あり)。
両親は彼女に沢山のおもちゃを与え、彼女は一人で遊ぶことに慣れてしまう。だから少女が願ったのは「一人でいたい」。しかし、今は孤独感というものの味を覚え、誰かと出会い、誰かに認められ、誰かに愛されたいというのが彼女の想い。両親の期待に応えようと資格の取れる大学に入ったものの、結局は合わないと自分で退学届をだし、いまは両親からも解放されてのんびり一人暮らしをしている。
といっても、亜紀のマンションには大学のクラスメートで、一人でいると情緒不安定になる川本が居候となって住み付いている。小説はそんな川本が引き起こした火事の場面から始まる。それがきっかけで、孤独な二人は別々に住むようになり、亜紀はアルバイト探しに忙殺されるようになる。
そして、苦労して履歴書の資格欄に、悩んだ末に食物検定四級(キュウリを一分間に五〇枚薄切りにするととれる資格)と書き、くしゃくしゃにした書類と切り離していない写真を、面接の相手に手渡した末、なぜか採用されることになった編集プロダクションは、バブルで売り逃げした30歳の男が社長の会社だった。男の名前を日比野という。好かれてもいないのに、ただ同じ会社にいるというだけで好きになってしまう亜紀だが。
なんともいえない小説である。ついこの間まではダメ男ばかり読まされて、いい加減にしろ!と思っていたら、今度はダメ女のラッシュ。角田光代『愛がなんだ』もそうだしいやなに、宇佐美游『玉の輿同盟』もある意味、そうだ。篠田節子が描くような強い女性がいい、とは言わないし、現実に弱いというか、依存症の人間がいる、現在ではそれらの人々の存在が、社会問題(本当は、問題ではなくて、その存在を認め、単純に矯正するのではなく、あるがままに社会の仕組みの中にきちっと組み込まなければならなくなっているということだけれど)になっていることを否定しようとは思わない。
でもなあ、あんまりだよなあ、読んでいて夢も希望もないものなあ。そういう主人公に共感だけを求める小説って、困るよなあ、と思う。