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紙の本
永遠に続く無害な共同体と日常
2005/02/18 12:23
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まさぴゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
連載初期に「ラブひな」で確立した典型的パターンだけでなく、考えているじゃん赤松健さん(偉そうでスミマセン)と思った。アニメやPS2のソフトを見ると分かるが、男性オタク層を対象にした「たくさんの可愛い女の子と少しのH」というパターンに堕している。メディア戦略としては妥当だが、原作マンガの仕掛けや品性が抜け落ちているのは、残念。元を取るためには、原作の潜在力を取り入れるのは難しいとは思いますが。
僕は「永遠の日常もの」と呼んでいますが、いわゆるこの作品は「落もの」と同じで、空から女の子が降ってきて一緒に暮らす等という男の子にとって夢の世界の典型です。原点は「うる星やつら」「究極超人あ〜る」で最近だと「ああっ女神さま」や「ラブひな」などですが、付き合うか付き合わないか微妙な関係で、ハーレム状態での日常が淡々と続きます。ほんとに無害な共同体です。ナルシシズムの極地ですね(笑)。目的意識のない緩い日常と人間関係のみにフレームアップした平和な空間で、多分これが男の子の欲望の最終形態なんではないかな、と思います。
恋愛コミュニケーションに習熟し、深い恋愛を経験すると、男女共に「飽き」てきます。人間は日常の退屈に取り込まれる生き物ですから、より強い刺激を求める方向に行きますが、逆によくゲイの世界なんかではバニラになるといって遊びまくった後は今度は逆にとても普通の関係がよくなったりします。そういう意味で、大多数の日本マザコンヲタク男性の圧倒的支持を得る「うる星やつら」のような「永遠に女の子と戯れている恋愛以上恋愛未満」は、一番安心できる「いい」ポイントなのかもしれません。全編おあずけプレイ状態。「ここ」を巫女のように救い上げる元祖高橋留美子さんは、超がつく天才ですね。赤松健作品は、その正統な末裔という感じがします。
設定は、麻帆良学園中等部3-Aの女子中学生31名との「永遠の日常」ものであるが、その戯れる日常を破る仕掛けとして「血の宿命と出生の謎」という目的意識をストーリーの中に仕掛けてあるところが秀逸。永遠の日常は、パターンが出尽くしてしまいやすく早い巻数で終わってしまうが、目的意識が紡ぎだす直線的時間感覚をスパイスのように入れると、相当長く持たせかつ読者に飽きられない構造を作れる可能性が強い。練った脚本だ。
ここはイギリスのファンタジー「ハリーポッター」の筋書きのパクリです。ハリーの本質は血の宿命と出生の謎ですからね。作家には「下品なパクリをする人(しかもつまらない)」と「オリジナルのプロットを見事に展開させる」二者がいると思います。赤松さんは後者。8巻ではついに「僕だけのスーパーマン」で、10歳の子供にもかかわらず強い影と目的意識を持つネギ君の過去の一端が明かされる。永遠の日常はだるいのだが、そのだるさを謎という緊張状態で縛るのは、凄く好き。
長くマンガやゲームを見ている人には、元ネタが思い浮かぶのだが、それがまたおもしろい。また主人公ネギ・スプリングフィールドが10歳と低年齢で究極のところ恋愛対象になっていないことも、ベタに堕さない上品さがいい。永遠の日常は「恋愛以上恋愛未満」であればいいので、必ずしも恋愛が進行する必要がないからだ。それに、うまく行くと男だけではなくショタコンの女の子を取り込める可能性も大きいかも。同時代性が強すぎるので、アーカイブに残る傑作とはいえないが、僕は物凄く好き。ちなみに僕はゆえっちの大ファン(笑)です。やべーくらいかわいいっすよ。