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紙の本
「ありきたり」の反戦論
2006/02/25 06:20
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「絶対使わない」とは言わないが、「サブカルチャー」という言葉が、どうにもしっくりこない。昔からそんな言葉は意識せずに、この国や外国の文化を摂取してきた。
「メイン」を「主要・中心」という意味にとると、マンガ・アニメは既にもう「日本の主要・中心文化」の一つであり、実態に合っていない。
そもそも、文化を階級的に「サブ」だの「メイン」だのに分けるのがナンセンスな気がする。そろそろやめにしない?と言いたい。
そのため、「サブカルチャーの反戦論」としてはピンとこなかった。そうではなく、本書は「ありきたり」の反戦論だと感じた。わざとそう形容したが、けなしているのではない。
養老氏の自己流解釈だが、際だつ「個性」ばかりが屹立していては、共通了解(理解)からは却って遠くなる。「ユニークな反戦論」を否定はしないが、「ありきたり」の反戦論が主流で構わない。
大塚氏が言ってくれた、ということが大事なのだろう。
その意味で、「口を慎んでいる」文学者達に、著者が期待感の反動として苛立つ気持ちも、少しなら分かる。「少し」としたのは、私の方は期待感が萎んでしまっているからだ。吉本隆明氏にとっての小林秀雄氏みたいな影響力が、今の「文学者」にあるのかどうなのか、怪しい。
著者はその中から、柄谷行人氏のある言動をやり玉に挙げる。それを不必要だとは言わないが、柄谷氏の言を「ユニークな反戦論」として、受け止めてもいいような気もした。
むしろ、著者のフィールドの関係者の方達が、9.11以降の「戦時下」に敏感であるのなら、そこに可能性を見いだせばいい。このマーケットは、文学の比ではない。そして、もっと表現や演出方法を磨いて、良質の作品を送り出して欲しい。
例えば新世紀の『機動戦士ガンダム』シリーズは、「非戦」をテーマに掲げたのだが、どれだけ伝わったのかは心許ない出来だ。
本書に収められたショートストーリーも、わるいが面白味はなかった。
不満ついでに言わせてもらうと、本書は著者によれば、逆説としての《ただのアジビラ》である。だが、アジビラは「ただ」で読める。金を取ろうとするなら「プロ意識」はいるだろう。いや、そんなに大仰なものを要求しているわけではない。けれど、私が「なんだか、とりとめのない雑文集だなあ」と感じたものを、著者自身が裏書きしてどうするの?と言いたい。
《(中略)「思想」や「文学」の問題として戦争を論じていると戦争について何かを語っていながら、しばしばそのことで却って「発言」していない自分にうんざりする。だから本書に収録したエッセイの中にも書いたあとでうんざりした文章が少なからずあるが、敢えて収録した。》
謙遜なのかもしれないが、やはり著者自身がうんざりするような文章を、読者に届けて欲しくはない。
辛口のコメントが続いたが、読みどころもある。「ガーディアン・エンジェルス」に対する違和感から《(中略)ぼくたちの側に、「自警団が巡回する町」を変だと思う、その感覚が欠落しかかっている現状をぼくは問題としている。》とする著者の感性には、共感を覚える。
《「反戦」とは「殺されたくない」でも「殺すな」でもなく「私は殺さない」という選択にほかならない》
原則論はそうであっても、全局面で常に「私は殺さない」という選択肢は取りきれないだろう。しかし、ぎりぎりまで「殺す」という選択肢は取らぬよう、努力することは出来よう。
その意味では、《だが「反戦」とは同時に「ことばによる相手との交渉」を選択する、ということでもある。だから「文学」の中での問題のみを語る「文学」のことばでもなく、「現代思想」の中の流行のテーマを論じることばでもなく、目の前にいる「他人」と話し、交渉するタフなことばが回復される必要がある。》を支持したい。
紙の本
サブカルチャーという場所からの反戦論
2008/05/17 22:12
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
9・11のあと、実に多くの発言が、実に様々な人びとによって公にされた。そして、もはやそのことにすら驚けなくなっているのだが、そのいずれもが、あまりにも似ていた──端的には、アメリカが発信する自体の捉え方・語り方に──こと、そのことは、たいへん危険な徴候であったということ、そのことを思い返しながらそのことに気付けるのならば、それはいつであっても遅くない。そして、TVや論壇で、今なお、同様のステイトメントが反復されている現状を思う時、サブカルチャーの立場から、愚直に発言を続けた大塚英志の結城と努力は、今改めて評価すべきだろうし、「評価」などと脳天気なことに留まらず、すでに「戦時下」であったことへの危機意識を新たにし、(日本国民として荷担してしまうことになる)この「戦争」に対して、「NO」と言う、あるいは言う勇気を持つこと。これが、本書の理想的な読者のあり方だろう。もちろん、思考が単一の何かに収斂していくことそれ自体もまた、危険な徴候には違いないのだが、ひとまずは本書における大塚の懸命の「説明」に耳を傾けてみてはどうだろうか? もちろん、その後の判断は、読者個々人の自由に属するのだから。少なくとも、「戦時下」にある我々は、こうした問題に向き合ってみることが必要だし、その契機として本書の「アジテーション」は、今後ますます有効なものとなっていくだろうと思われる。