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博士の愛した数式
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.2 758件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2003/08/01
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/253p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-401303-X

紙の本

博士の愛した数式

著者 小川 洋子 (著)

【日本数学会出版賞(第1回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第1回)】【読売文学賞(第55回)】この世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたったひとつ...

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商品説明

【日本数学会出版賞(第1回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第1回)】【読売文学賞(第55回)】この世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたったひとつの数式で示してくれた−。記憶力を失った天才数学者、と私、阪神タイガースファンの息子の3人の奇妙な関係を軸にした物語。『新潮』掲載作。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

小川 洋子

略歴
〈小川洋子〉1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞、「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。他の著書に「偶然の祝福」など。

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みんなのレビュー758件

みんなの評価4.2

評価内訳

紙の本

喪う

2005/11/28 16:55

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:つな - この投稿者のレビュー一覧を見る

 過去形で書かれた物語には、何だか切ない匂いがする。
 この物語は、80分の記憶しか持つことの出来ない博士、家政婦の私、その息子ルートの交流を描いたもの。博士は不慮の事故により、それまで持っていたものの殆どを喪ってしまった。残されたのは、事故に遭う以前までの記憶、研究していた数学の知識、子供に対する限りない慈しみの情、そして80分の記憶しか保つことの出来ない脳。
 博士から語られる数の話は、静謐で美しい。また、そっと博士に寄り添う家政婦の私の姿、博士に全幅の信頼を寄せる息子ルートの心も、優しく、ただ切ない。本当に美しい魂の物語。
 博士が喪ったものは数多いけれど、残されたものは削ぎ落とされた美徳だったのだろうなあ、と思う。どちらが幸せだったのか。普通に考えれば勿論事故に遭う前だと思うのだけれど、この物語を読むとどちらなのか分からなくなってくる。美しく静謐な世界が広がります。

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紙の本

小川洋子の透明な世界

2005/03/21 12:36

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:はなこちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

小川洋子の作品を読むと、いつも私は、作品の世界と自分との間に透明なフィルターがあるのを感じる。
彼女の作品の登場人物による語りはいつも淡々と進められる。どこか頭の芯を冷やして、彼女(もしくは彼)の存在する、「普通」とは異なる世界を淡々と語っているのだ。そして読み手は、透明なフィルターのむこうから、その世界を覗き見る。
彼女の作品にはけっしてダイナミックな筆致だの、作品世界を浮かび上がらせるようなリアルな描写だのはない。けれども、そうやって冷静かつ客観的に描かれた虚構の世界に、読み手は安らぎと、そして不思議な現実感を——この世界がどこか現実にひっそりと存在していそうな、そんな感覚を覚えさせられるのだ。
この作品は、そんな彼女の描いた、不思議な世界の物語のひとつである。
この本を読んで、そしてこの現実世界のどこかにひっそりとこの不思議な世界があることを、どうか願ってほしい。

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紙の本

芥川賞作家の新境地?

2005/03/13 14:50

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ツキ カオリ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 作者の小川氏が芥川賞を受賞したのは、1991年、『妊娠カレンダー』という作品にて、だった。

 『妊娠カレンダー』を読んだ方はご存知だと思うが、この話は、グレープフルーツがキーワードの、怖い話なのである。未読の方は、ぜひ読んでみていたただきたい。この作品のイメージが強烈だったことに加え、例えば氏のある短編には、ケーキにたかった蟻の描写が出てくるものがあるのだが、そういったイメージが重なり合って、氏の作品群に対して、私は勝手なイメージを付与していたようだ。

 なので、この『博士の愛した数式』が、一昨年の、読売文学賞の小説賞を受賞しただとか、昨年の、第1回本屋大賞も受賞した、などという話を聞くにつけ、そうか、小川さんの怖い話が巷では流行ってるのか、何せ、ホラー・ブームだし、などと呑気に構えていたのであった(笑)。だが、本屋大賞というのは、確か、本屋さんが一番売りたい本に与えられる賞のはずだし、泣ける話という噂も伝わってきて、どういう内容なのか知りかったのだが、入手できたのは、つい最近のことだ。

 で、この本だ。この本を読んで、残念ながら、泣けはしなかった。もちろん、涙腺は大いに刺戟されたのだったが。

 小川氏は、人間のもつ、えぐみや渋みを抽出することに長けている作家だ。だが、あえて今回は、そう言う部分は抑制して書いている、というよりは、人物を動かしているうちに、まるで、炭火焼にすると肉の余計な脂が落ちてしまうように、自然に、えぐみや渋みが、なくなっていったのではないか、とも思った。

 唯一、博士が、感情を強く出す場面が、最初のほうにある。
 家政婦の「私」が、博士の食の好みを知ろうとして、声を掛けるところだ。

 「言うべきことなど何もない」
 不意に博士が振り向き大きな声を出した。
 「僕は今考えているんだ。考えているのを邪魔されるのは、首を絞められるより苦しいんだ。数字と愛を交わしているところにずかずか踏み込んでくるなんて、トイレを覗くより失礼じゃないか、君」

 これは、博士の、唯一見せた狷介な部分である。だが、この無二の我侭も、数字、数学を考えるためなのだから、いとおしいではないか。
 これ以外の大きな動きとしては、例えば、「私」の息子、「√(ルート)」が怪我をした際に、博士は大層慌てるのだが、それも「√」を思いやってのことだし、博士は終始、温和な性格として描かれている。

 かつて、こんなに優しい目線のみで、小川氏作品が描かれたことがあっただろうか。むしろ、これまでの氏の真骨頂なら、博士の狷介さを、いっそう、膨らませそうなものなのだが。「裏切り(?)」とも感じられるこの展開を、私は、いい意味として受け止めた。

 そもそも、80分しか記憶がもたない、とは、どういうことなのか。例えば、こうやって書評を書いているうちにも、5分、10分と、時間は過ぎていく。ある時点を「0」として、その目盛りを分単位とした場合、それが「80」に達した段階で、博士は「0」以前の記憶はなくなってしまうのだ。その論理でいくと、ある瞬間は、始点と考えれば全て「0」、終点と考えれば全て「80」である。ある瞬間を始点として、終点を追ってみると、もしくは、ある瞬間を終点として、始点を遡ると、などと連続して考えていくと、段々、思考の塊が、スパイラル状に、上へ上へと、動いていくような錯覚に囚われた(笑)。

 こんな、博士のような人が夫だったら、きっと私も、主人公の「私」のように、いかに、人参を人参とわからせずに食べさせるか腐心するだろうなと思う。何せ、「考える」ためには、栄養は、重要な要素だからだ(笑)。

 数学が、かつて嫌いだった、今嫌い、徐々に嫌いになりかけている、人達が、きっと、数学に対する新しい発見をするに違いない、本書である。
 

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紙の本

数学を勉強しようとしている中高生に読ませたい

2008/02/07 01:38

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:redhelink - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私は数学が好きでした。でも日本史にも興味があったので文系へ行ったので3Cまでやりませんでした。大学でも数学系の授業は教職関係程度でした。それでも懲りずに授業を受けて、どのように教えたらいいのか、○○の単元では△△がポイントなんだな、と思いながらノートを作った記憶があります。

 そんな淡い記憶を蘇らせてくれた作品でありました。この本は勿論数学についても触れられています。そしてそれは読み終えたとき、数学が好きな人も、数学が好きでない人にも読んでほしいという作者の(私が勝手に感じ取った)意図があるように思いました。決して数学の『○○の公式』について熱く語っているとかそのような学術書ではないけれど、つい調べたくなる書き方がされていることにも注目してほしいです。

 登場人物は、80分しか記憶がもたない「博士」、家政婦として派遣された「母」、母の息子で博士がつけたあだ名が「ルート」の三人で構成されています。登場人物が少ないのは読み手にとっては、一人ひとりにより注目できるのでいいことだと思います(勿論多いものはそれはそれでいいところがありますが割愛)。この本では特に感情移入がしやすいことが特徴ではないでしょうか。博士の記憶のリズムをつかむまでの母の試行錯誤、家政婦規則に反するけれど、人道的に後回しにしたことで色々指摘されるやるせなさ、突然の雇用先変更などがあります。人と接していくことの難しさを考えさせられた場面でもありました。将来の自分の職業を思うと憂鬱です(笑)。

 また個人的に印象に残ったのは、博士がルートに数学を教えるときの姿勢や褒め方でした。ヒントの与え方、考え方について、答えが導き出されたときのリアクションや賛美の仕方は、私にとっては授業のうまい先生の学術書でも読んでいる気分でした。私はまだまだ拙い教え方しかできないので、生徒一人ひとりに教え方を使い分けることがうまくできませんが、そのようなこともしなければならないとか、考えるときの間の与え方や褒め方には、本文で描かれているような方法もあるのだと博士に教えられたのが印象に残りました。

 これを書いている時点では、本屋大賞を2冊ほど読んだことになります。『東京タワー』と共通して言えるのは、「いい話(感動もの)」であったということです。本屋大賞(票を入れた書店員)が今後もこのような話ばかり選ぶと、読者は本屋大賞そのものに対して飽きてくるのではないかとも思ってしまった私がいます。感動ものは確かに売れます。しかし、言葉はストレートにしか表現できないものではありません。たまには悲しい話、あるときは強烈な印象を与える話(例としては『バトル・ロワイヤル』なんかがそれにあたると思います。)を選ぶことで、

本屋大賞=感動ものしか選ばれない

ということを否定してほしいと思います。性格のひねくれた私の独り言として聞き流してもらえると幸いです。

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紙の本

数学と野球がこの物語の美しい秩序を支えている。物語の登場人物がそこから定理を導こうとしている。

2003/10/18 18:36

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ」に収められた三浦雅士と柴田元幸の対談でスチュアート・ダイベックと小川洋子を知った。「柴田元幸が褒めるのであれば間違いはあるまい」と思って各々1冊ずつを注文したのだが、「博士の…」のほうは bk1 では在庫切れ──それだけ売れているということであろうが、他の書店では平積みになっている本が在庫切れとは、bk1 も情けない(ということで、他店で買っちゃいました)。
 記憶が80分しかもたない老数学者と、そこに通う家政婦、家政婦の息子である野球好きの10歳の少年の3人の心の交流を描いた物語である。数学と野球が見事に物語りに組み入れられている。
 数学は面白い。僕も大好きである。学生時代には苦手科目であったが、年を取るにつれて好きになって行く。会社に入ってから、仕事上の必要性から微積分、指数・対数、行列式などを勉強しなおしたことがあるのだが、それ以来ますます好きになって行く。この物語では、素数というとっつきの良いところから始めて、フェルマーの最終定理に至るまで、見事なまでに巧みに数学が織り込まれている。
 「数学には必ず答えがあるから好き」と言った人がいたが、僕が考えるに数学の魅力はそんなものではないと思う。現にこの物語の主人公である博士のような偉い数学者たちは、およそ答えがあるのかないのか解らないような問題を、日夜解こうとしているのである。「必ず答えが出る」というのは、学校の先生が作った問題しかやったことのない人間の言うことでしかない。
 僕の考える数学の魅力は、その堅牢な構造である。一分の隙もない、整然とした構成である。美しい秩序、と言っても良いかもしれない。現にこの本の中にも「数学の秩序は美しい」という博士の台詞が出てくる。そして、この物語においても、あたかも数学であるかのごとき美しい秩序が成り立っているようにも思う。
 博士は、事故にあった1975年以降の出来事ついては80分しか憶えていられない。家政婦は毎朝博士に会うたびに自己紹介しなければならない。そのたびに博士は誕生日や靴のサイズなどを訊き、その数字にまつわる薀蓄を述べる。家政婦の息子には、頭の形を見てルートと名づける。
 僕は、このような設定で進む筋を追いながら、この作品が一体どのような「解」を見つけて物語を閉じようとするのか、とても気になった。
 数学とともに、この物語に大きく寄与してるのはプロ野球、とりわけ「完全数」28を背番号に持つ江夏豊である。実際の試合や選手の記録が、数学同様巧みにストーリーに絡められている。
 数学と野球──この2つがなければ、これは単に安っぽくて美しいお話に過ぎない。数学と野球がこの物語の美しい秩序を支えている。物語の登場人物がそこから定理を導こうとしている。
 さて、あなたはこの物語を読んで、何らかの「解」を得ることができましたか?

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

「いい話」というだけの物語ではない。

2008/01/27 03:02

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ばー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 小川洋子は、今作品『博士の愛した数式』で第一回本屋大賞を受賞。小川自身は、『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞を受賞。

 ここでいまさら言う必要が無いほど有名で、蛇足かもしれないが、念の為に。
 本屋大賞とは、2004年に創設された文学賞の一つであり、他の文学賞と大きく違うのは、「新刊を扱う書店の書店員が選考委員」という特徴である。現在の所の受賞作品を見てみると、「女性作家が多い」、「文学性云々よりもエンタメ性が重視されている」、「受賞作品全てが映像化されている」などの特徴が見られる(一部、ウィキぺディアを参照)。
 2008年一月末現在までの所、四作品が受賞作として知られているが、もうすぐ最新受賞作が決まるはずである。選考委員が書店員、という特徴からも、やはりというかなんというか、次世代の書物、文学を牽引する役割を担っているだろう。大きく拓かれた文学の誕生(又は再誕?)である。
 
 …などと、評論ぶった偉そう口調が出てしまってすいません。直木、芥川、メフィストと並んで、個人的に注目してるんで。

 前置きが長くなったのは、実は書く事があんま無いからだったりする。

 事故で記憶を80分しか保てなくなった元数学教授の老人、「博士」。家政婦紹介組合を介して、彼の義姉に雇われたシングルマザーの美人家政婦。その家政婦の息子であり、博士に溺愛される少年、「ルート」。彼らが紡ぐ、美しく、どこか悲しい話。

 これが概観であり、大体全てを表現していると思うんだけど、そういう「感動系のお話」として、物語らしい物語で、現代の良いおとぎ話だな、というのが一点。そっち系のお話として読んだらこれは、「小川洋子が書いた」というだけで一流で、外れるわけがない。小川洋子が『妊娠カレンダー』で見せたブラックさが無い分少し物足りないと私は感じるが(おとぎ話として、博士の「性質」にブラックさを求めることも出来るかもしれないが、そこに対する言及は避けたい。というか、したくない)。もちろん、「博士から【私】へ」、「博士からルートへ」、「ルートから【私】へ」、「ルートから博士へ」、「【私】からルートへ」、「【私】から博士へ」、と三人の間でそれぞれが「親子」どちらにもなりえる、という構成にも注目できる。

 我らがげんちゃん(高橋源一郎)が、どこかで小川洋子について触れた事を覚えている。詳しくは覚えてないが、おそらく褒めているような内容だった。
  
 この作品で大きく扱われているのは、さきほど述べた「いい話」であると共に、それでいて、細かすぎるほどの数学に対しての描写である。話の全てに数学が絡んでいると言っていいだろう。数学の「美しさ」の上に、「いい話」が置かれている。
 この作品が「いい話」で終わらないのは、この数学の描写という特徴のおかげである。

 数学という部門の真理に生きる人間が博士なのであるが、その博士が語る「真理について」は、こちらの心に大きく響く。
 私の印象としては、「いい話」だな、という一点であり、特別良いとも思えなかったが(これは私がひねくれているからであろう)、この博士が語る「真理」についての語りは一番光って見えた。

 彼が語った「真理」の対象は、「数学」であったが、私はそれを「文学」と置き換えて、小川洋子はやっぱりすごい、と一人で感じていた。この一冊でした「数学」への試みは、遠まわしな「文学」への試みじゃないのかな。それを博士という「特殊な運命を背負った人間」が滅びながらも実践し、それを小川はこんなにも「いい話」にしたんだから。

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紙の本

記憶が少ないのに数式は忘れない

2005/07/01 21:33

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GKO - この投稿者のレビュー一覧を見る

博士の愛した数式は
ベストセラーと言うことで読んだけれども
そんなベストセラーになるとは思えるほどには感動できなかった。
ベストセラーだからといって読もうとする人は
あまりオススメできない。
でもすごく読みやすかったし
人間の皮肉さがでていたのはとても滑稽だった。
最初の方で数字がきれいになっていて
本当にそんなところがあるのかなあ
と言うほどすごかった。

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紙の本

何故だか懐かしさを感じる話

2005/02/26 02:48

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:karasu - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本を読むと、その本の世界の空気に触れられる様な気がする。この本の空気は、ほっこりとした感じがした。
 温かくて、そこら中に子供や素数への無償の愛などを感じられる。ポカポカやサンサンと言う様に感じないのは、忘れるという事の残酷さが、常についてまわっているからなのだろう。
 家政婦をしている「私」の語り口調のせいか、何処にあるとも知れない郷愁を覚える。それがまた、この本に一層引き込んでくれるのだ。
 「私」やルートが、博士から数式や素数の話などを聞いた時の様に、私も、素晴らしい発見を知ることが出来た気になれた。

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紙の本

完全数28のひみつ

2004/10/15 21:31

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:KAZU - この投稿者のレビュー一覧を見る

最近、姫野カオルコ著「ツ、イ、ラ、ク」の書評で僕は、「理系的例え話による「左脳」使用の強要により、折角の「右脳」刺激による感情の高まりを阻止される代償は大きいと言わざるを得ない。」と書いた。そしてその舌の根も乾かないうちに、180度逆の感想をこの「博士の愛した数式」で述べることとなるとは…

僕のbk1での「肩書き」は偶然にも「書評の鉄人28号」である。オーストラリアの大学で研究員をしている博士なので、bk1の方は僕に科学技術関連書籍の書評をしてもらいたくて、「鉄人28号」に任命(?)してくれたのかもしれない。そんな期待を僕は裏切って、恋愛小説だとか、経済関係の書評ばかりしている。それはともかく、僕の誕生日は5月28日。28という数字の素数は、1、2、4、7、14の5つ。5月28日とは凄い日に生まれたものだと自分でも感心している。その素数を全て足すと、1+2+4+7+14=28。そう自己完結しているこの数字を「完全数」と呼ぶのである。

語り手でもあり、主人公でもある家政婦の年齢も28。そして博士の愛した(?)江夏投手の背番号も。事故で記憶が80分しか持たない元数学者と、理数系とは縁遠い家政婦とその息子の心の動きは、博士の繰り返す数学の美しさへの感動を媒体として、見事な小説になっている。自然対数「e」は確かに、今僕の仕事の上でも、実験結果を表現する数式にいつも入っている。自然現象と数学の美しさを改めて感じ取れた。大学時代は「あの忌まわしい数式。テイラー展開、オイラーの公式、複素関数、フーリエ級数、量子力学、縮退…」僕もこの博士に人生の早いうちに出会っていたら、もっともっと自然現象を美しく、そして楽しく、現在の仕事に打ち込めていたかもしれない…

などと考えながらも、読み終えるころには涙で眼がにじんでしまったのである。

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紙の本

阪神タイガースに捧げられたオマージュ

2003/11/23 20:51

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 作者の小川洋子さんは大の阪神ファンだという。住む町を選ぶのに甲子園の近くという条件を出したというから、相当の虎キチである。きっと今年の阪神の優勝に歓喜したのではないか。まして阪神タイガースを登場させたこの本が人気を博しているのだから、小川さんにとって二〇〇三年は忘れられない年になったにちがいない。

 この美しい物語は八〇分しか記憶が続かない老数学者とその家政婦となった主人公とその息子をめぐるものだが、阪神タイガースと江夏豊がいなければ成り立たなかったかもしれない。数学者と子供の心を通わせる道具として、作者は江夏の背番号を思いついたという。彼の背番号28は自分以外の約数の和が自分自身(28)になる完全数であった。阪神のファンならではの発想だったといえる。

 今年の阪神は強かった。でも、今年の阪神はこの作品の舞台となった一九九二年とはまったく違うチームだった。あの十八年前の優勝チームとも違う。今年の阪神は井川とか矢野とか活躍した選手はいたが、やはり星野監督率いる阪神であった。この物語に登場する阪神は違った。亀山といい中込といい、選手自身が美しい素数として活躍していた。江夏もそうだ。なにしろ彼は誰にも邪魔されない、完全数を背番号にもった選手なのだから。

 物語の中で1から10の和を求める挿話がある。監督というのは、この和を求める時に除外される違和感のある10なのだ。一番から九番までの九人の選手が野球を面白くさせる。阪神というチームはそんなチームだったはずだ。だから、もし小川さんが今年の阪神優勝がわかった後でこの作品を書いたとしたら、このように美しい物語にならなかったかもしれない。でも、阪神タイガースファンにとって、こんないい一年はなかっただろう。なぜなら、十八年ぶりの優勝と「博士の愛した数式」という阪神タイガースに捧げられたオマージュを手にいれたのだから。

 ちなみに、私は福岡ダイエーホークスのファンです。

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紙の本

うつくしい小説うつくしい魂

2003/09/11 12:02

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:水品杏子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ときどき、数学者が数式を「美しい」と褒め称える文章を目にすることがあるが、そう言われても、私が数式を美しいと思ったことはただの一度もなかった。もとより数学は嫌いで、まして数式を愛するなど考えられないのであった。
それがどうだろう。この本を読みはじめると、私は博士が愛した数式を、うつくしく、いとおしく、思っているのだった。

これは、《80分以上記憶が持続しない数学博士》と、通いの《家政婦の私》と《タイガーズファンの息子》。三人の交流と、《博士》の記憶が失われていってしまう様を、《私》がしずかに綴った物語だ。

読み始めてからすぐ、山場でもなんでもない、些細な所で、どうしようもなく寂しくて、泣きたい気持ちになった。それは80分以上記憶が持続しない、という設定とか、それがもたらす切なさのためではなかった。
この小説は全編幸福のイメージに満ちている。私が泣きたくなるのはむしろ、その過剰に美しい幸福なイメージで日常が語られる時なのだった。
最後まで読むと泣きたい理由は明らかになった。これは、幸福のイメージの中にある、喪失の回想録であったのだ。
喪失と言っても、この小説にはたとえば著者の代表作のひとつである「沈黙博物館」のような閉じられた印象はない。妙に開放的な喪失、上手く言えないが、受け入れられた喪失、であるように感じられた。
たしかにこれは「至高のラブ・ストーリー」で「著者最高傑作」に違いない。
幸福ラスト数頁は堪えきれずに泣きながら読んだ。

これが誰にとっても泣ける物語かどうかは知らない。
しかし私は、どこか遠い所から小説の中の幸福な風景を眺め、その失われた幸福、これからも失われ続けるであろう幸福を、いつしか、自分に起きた過去の出来事と照らし合わせて体感していたのだ。
失った人のことを想い出すと、幸福なイメージに包まれるのに、同時に胸が痛い。そういうことなのだ。

数式をうつくしいと思った、と私は初めに書いたが、ふと思い直す。数式がうつくしいのではないのではないか? その数式を見つめる人間の魂が、うつくしいのではないか?
私はこの「博士が愛した数式」を、うつくしい小説だと感じている。

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紙の本

完璧な美しさとその悲しさを静かに味わえる小説

2004/12/04 13:20

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

 人はなぜ数学を学ぶのか、という問いに対してよく世間では「論理的な思考方法を養うため」などともっともらしいことを言いがちです。私が中高生の時にもそんな理屈がまことしやかに流布されましたが、おそらく今でも状況は同じでしょう。

 このまやかしに対して御茶の水女子大の数学教授・藤原正彦氏がそのエッセイの中で敢然と矢を放っているのを私が目にしたのは大学に入った頃でしたでしょうか。分数の計算すらろくに出来ないアメリカ人が、議論となると日本人には歯が立たないほどとうとうと自論を述べる。だから数学の出来不出来と論理的思考との間には何の関係もないのだと氏は綴った後で、それではなぜ我々は数学を学ぶのか、と改めて問い掛けます。その答えは「数学が美しいから。その美しさを味わうために」。
 目から鱗が落ちるというのはまさにこのことです。数学は永遠の美しさをたたえている。でもそれは常に世界のどこかに姿を隠していて、我々が積極的に関わっていかないことには見抜くことが出来ないものです。

 本書「博士の愛した数式」は、事故によって記憶を蓄積できなくなった初老の元数学者「博士」と、彼に雇われたシングルマザーの家政婦「私」との交流を描いた小説です。記憶力を失ったことで永遠に循環する時の中に閉じ込められたかのような「博士」の真の姿は、家政婦である私にとって少しずつ解き明かされていく数式のようなものです。

 彼がかつて隠した秘密が物語の終盤に「私」の前に姿を現しますが、それはまさに数式のように永遠の美しさをたたえていて、読者の心にも迫ってきます。

 そして「博士」とともに「閉じられた永遠」の中に生き続けていたもう一人の人物が姿を現すに至って、その永遠の完璧なまでの美しさと悲しみを私たちは知ることになります。

 大きな起伏のある物語ではありませんが、しっとりと静かに胸にしみてくる思いを味わえる小説であると思います。

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紙の本

この世が出現する前からもう存在していたピュアな世界

2003/09/07 21:03

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 無性に数学の本が読みたくなって、それも、これまでから散々読み散らかしてきた(それにしては、いまだほとんど身につかない)数論関係の入門書、啓蒙書の類にどっぷりとつかりたくなって、休日の午後、前々から目をつけていた『なっとくするオイラーとフェルマー』(小林昭七著)を買いに近所の本屋に出かけたけれども在庫切れ。しかたなく新刊書の棚をひやかしていて『博士の愛した数式』というタイトルに惹かれ手にとってぱらぱら眺めていたら、あの「オイラーの公式」が出てきたので瞬発力で買い求め、その日のうちに一気に読んだ。戸田ノブコの淡い色調の挿画とも響き合う静かで透明で忘れ難い味わいを持つちょっと不思議な作品だった。

 自動車事故の後遺症で八十分しか記憶が続かなくなった六十四歳の元数学教授「博士」と父親を知らない二十八歳の未婚で子持ちの「家政婦さん」、その十歳になる息子で熱烈なタイガースファンの「ルート」(頭のてっぺんが平らなので「博士」がつけた愛称)を交えてのプラトニックでイノセントな交情を、1992年(ワイルズによってフェルマー予想が文字通り最終定理になる前年)の元気だった阪神の戦いの軌跡に重ね合わせながら淡々と描いた『博士の愛した数式』には、あの川上弘美の『センセイの鞄』とどこか似通った雰囲気がある。それが深いのか浅いのか、濃いのか薄いのかは別にして、魂のようなものが身体と言葉を通り越して直接交わり相互に浸透しあうピュアな抽象世界が「あわあわと」と形容するしかないリアリティでもって作品のうちにくっきりと設えられていた。

 ──ところで「博士の愛した数式」とは何かというと、「1−1=0」や江夏の背番号28が完全数であることを示す「28=1+2+4+7+14」もその候補なのだが、やはり(吉田武が『オイラーの贈り物』で「人類の至宝」と名づけた)オイラーの公式「e^iπ+1=0」(eは自然対数の底、πは円周率、iは虚数で√−1)のことだろう。

《πとiを掛け合わせた数でeを累乗し、1を足すと0になる。
 私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足し算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。
 オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。》

 ここでたとえば「博士」をπに、「家政婦さん」をeに、「ルート」をiにあてはめ、1は一神教の父なる神の、0は仏教でいう空もしくは母胎(マトリックス)の象徴であるなどとこじつけて、父親不在の家族小説とも言うべきこの作品を分析したみせたところで、何も語ったことにはならない。「数は人間が出現する以前から、いや、この世が出現する前からもう存在していたんだ」。小川洋子がこの数学的プラトニズムを標榜する「博士」を記憶障害者として描き、事故以前の凍結された記憶のうちに(「生涯で最も早い球を投げていた江夏」とともに)「永遠に愛するN」を封印させたことの意味をそこに読み取るべきだ。この世が出現する前からもう存在していた抽象世界でのピュアなラブ・ストーリー。

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紙の本

この本ばかりは、文句のつけようがない。書評数の多いのも納得である。亡くなる前の義父の記憶の衰えを、主人公のように優しく見守ることができたなら、それが私の悔いでもある

2004/08/22 21:00

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

珍しく長女が涙を流しながら、この本を返しに来た、そのときの言葉は「いい話だったよ」。そう、私も同じ思いだった。読みながら連想したのは、ダニエル・キース『アルジャーノンに花束を』と川上弘美『センセイの鞄』。そして神林長平『膚の下』。ただし、神林の作品は、内容ではなく、傑作ということでなのだけど。

多分、ルートくんだろうか、十歳にしてはすこし幼過ぎるかなと思える少年の姿が、なんとも愛らしいカバー装画は、戸田ノブコ。特に、目次があって章立てされているわけではないけれど、一応十一章構成。各章の長さもまちまちなので、章の切れ目でおやすみをしようとすると、なかなか本を置くきっかけがつかめず、一気に読んでしまうしかないのが、なんとも勿体ないような話だ。

主人公、というか語り手は私で、私には十八の時に生んだ、今年十歳になる息子がいる。私と息子は、彼のことを博士と呼ぶのだけれど、博士は私を「君」と呼び、息子のことをルートと呼ぶ。頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだからだ、という。で、私が博士と出会うのが1992年3月のこと。

舞台は、瀬戸内海に面した小さな町ということになっているけれど、東京、大阪を除けば、どこの地方都市であっても当て嵌まる、そんな場所。で、私は、あけぼの家政婦紹介組合に所属する最も若い家政婦で、それでもキャリアは既に十年を越えている。で、そんな私に割り当てられたのが、すでに家政婦を9人も交替させている手強い顧客だった。

私を迎え入れたのは、上品な身なりの老婦人。彼女がギテイとして紹介したのが、博士である。私の仕事は月曜から金曜まで、午前11時に来て、お昼を用意して食べさせ、部屋の掃除をし、買い物をして、夕食の支度をして7時に帰る、それだけである。そのギテイは裏庭の先の離れに住んでいる。

その彼が、博士。17年前の1975年に交通事故に遭い、頭を打ったせいで、それ以降の記憶の蓄積ができていない、30年前に自分が見つけた定理は覚えていても昨日食べた夕食のメニューは覚えていない、記憶が80分しかないという老人である。彼が私に会った時の第一声は「君の靴のサイズはいくつかね」であり、数字にまつわる質問や会話は、この小説の随所に見受けられる。そう、彼は64歳になる、ひどい猫背のために160センチの身長よりずっと小さく見える数理専門の元大学教授。

そして、彼の洋服には自分の短い記憶を補うように、クリップでメモ用紙がたくさん留められている。数学に関するメモに混じって《僕の記憶は80分しかもたない》というものも混じっている。そして私について《新しい家政婦さん》というメモが追加され、そこには似顔絵と、後日、《と、その息子10歳》と追記されることになる。そう、ルートのこと。

冒頭の文章から、悲劇的な結末を予感させる。読者は、いつ哀しみが襲うかと話の杜のなかを歩むのだけれど、途中からもう博士が可愛くて可愛くて仕方がなくなる。だから、このまま終わってほしいと思うのである。ただ下衆の勘ぐりをする私は、川上弘美の話のように老人と若い女の恋物語にだけはなってくれるよな、と願ってばかりいた。それがどうなったかは、読んでもらうしかない。

この本は、別の楽しみ方をすることもできる。簡単で美しい数式や数字が沢山、出てくる。素数、約数、友愛数、虚数、完全数、過剰数、自然数。中学高校の授業を思い出しながら、数字の不思議を味わうのも乙なものだ。たとえば、28=1+2+4+7+14。そして22。その意味は小説を読んでもらおう。

最後に、これは痴呆症の老人との付き合い方、いやもっとストレートに言えば、家族がいずれ抱えるであろう老いた両親との付き合い方を示す話でもある。物忘れがはげしくなった両親を、ただ嘆くのではなく、こういう目で見ることができれば、もっと私たちの未来は明るくなる。私より確実に10年は早く老いる夫にも読ませたい。

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紙の本

愛の物語、永遠に心に響く

2004/10/22 02:35

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:辻斬り - この投稿者のレビュー一覧を見る

これは、愛の物語だった。

博士の、数学に対する愛。
博士の、ルートに対する愛。
博士の、江夏豊に対する愛。

博士の記憶が80分しか持たないことも、ルートのことを毎日忘れてしまう
ことも、江夏豊がもうマウンドに立たないことも、すべて愛の前では無意味
なのである。

私の心の中には江夏のカードを首からぶら下げてルートを抱きしめる博士が
今でも鮮明に色をなしている。

久々にいい作品に出会えたことに感謝。

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