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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.1 19件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.10
  • 出版社: トランスビュー
  • サイズ:22cm/451p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-901510-18-5
  • 国内送料無料

紙の本

無痛文明論

著者 森岡 正博 (著)

快を求め、苦を避ける現代文明が行き着く先の悪夢−「無痛文明」。一度手に入れたものは決して放すまいとする「身体の欲望」が、回生する「生命のよろこび」を食い尽くす過程を、様々...

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無痛文明論

税込 4,180 38pt

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商品説明

快を求め、苦を避ける現代文明が行き着く先の悪夢−「無痛文明」。一度手に入れたものは決して放すまいとする「身体の欲望」が、回生する「生命のよろこび」を食い尽くす過程を、様々な領域にわたってダイナミックに論じる。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

森岡 正博

略歴
〈森岡正博〉1958年高知県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。大阪府立大学総合科学部教授。専門は哲学・生命学。著書に「生命学への招待」「生命観を問いなおす」など。

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みんなのレビュー19件

みんなの評価4.1

評価内訳

  • 星 5 (9件)
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  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

絶対孤独のアジテーター

2003/10/20 11:02

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 映画『マトリックス』はメガ・コンピュータの支配の外に飛び出したところは、もっと酷い世界であることを示唆している。無痛文明の中に閉じ込められ脳化社会であろうと、自己家畜化であろうと、誰かがこの世界に責任を持ち操作しようが不安に苛まれるよりマシではないか。『自由からの逃走』は古典的な常識である。「現実界の砂漠へようこそ」と笑える人は強い人であり尊敬に値するが、いざ自分を指させば痛いのも嫌い美味しいものを食べたい楽したいと、その自堕落振りを受け入れる世界が虚妄であろうと手放す度胸がない。億単位の人々が廃墟の中で生きていようが繭の中の微睡みは、超越的な存在が作動している限り安泰だ。誰かによって仕組まれた虚構の世界におかれ常時監視されている方が安心であり快適ですらある。監視という付加価値を付けてデベロッパーが住宅を売り出す営業が好調だと聞く。
 
 それでいいのか? そんなヴァーチャルな安穏さで、人は幸せを感じる事が出来るのか? そんな問いは大概な人が保っている。だが答はノーコメント。「生き方を問うな」。既得権を手放し、自己解体も受け入れて、キレイサッパリと何にもないところから、発信すれば、聞耳を立てよう。
 「私が私である」自同律の不快をぶら下げて永久革命を唱えながら、そのピリオドのなさが逃げ場となって、蒲団にくるまり、時には銀座で一杯やって、未完の大作をものにした哲学者も、最早、この国の各分野の動脈を握っている団塊の世代から未だにリスペクトされている野次馬であることに誇りを持つ思想家も、市民運動を立ち上げて市民を葵の御紋で思考停止した活動家も、政治家も、神頼み、仏、尊師に信を置いて何かに縋る人も、癒しも、お呼びでないと絶対孤独の立ち位置で森岡正博は吠える。

 一体、彼が拒否する無痛文明とは何か。冒頭でこの言葉を思いついたのは、ある看護婦さんの話を聞いた時の事だと記す。彼女の受け持つ集中治療室に意識の混濁した患者が運ばれて来た。「すやすや眠っている」状態である。適切な治療と看護を施しているから患者はとても幸せそうである。恐らく再び目覚める事はないであろう。点滴を受け彼女のケアによって身体は清潔に保たれ温度は快適に管理された部屋の中で安らかな表情で眠り続ける人間。悩み事も痛みも不安も恐怖もない。快適な眠りの中に居続ける。「結局、現代文明が作り出そうとしているのは、こういう人間の姿なのではないか」、彼女の疑問から派生すると記す。
 ただ、誤解されやすいが、既存の言説で権力構造を中心に置いたシステムをマッピングしたニ項対立、管理/自由、帝国/マルチチュード(ネグリとハートの)、と同次元の構図を提示しているわけでなく、恐らく脱構築という言葉さえ嫌う、著者の非常に私小説的な告白から降り立った一人の人間が、内も外も無痛奔流に浸されて自分の影との戦い似たものにならざるを得ない負け続ける遠い道のりだと覚悟しているということである。
 
 ペネトレイターに貫かれて自己形成する「この私」の繋がりが森岡正博なのであり、影も又、神出鬼没である。あらゆるジャンルに触手を伸ばし縦横無尽に語る彼の言説は複雑怪奇かも知れぬが、結局、たった一つのことしか彼は発信していない。予測不可能な一回切りの生命の欲望に中心軸で耳傾け、かけがえのない生を生き抜くこと。そのためには、この無痛文明に対してノンと拒否する。「死ぬのは怖くない、ただ痛いのは困る」と、そんな至福より自堕落な眠りが心地よい人にとっては、この本は単なる紙屑だ。オール・オア・ナッシングなのだ。この本の書評は不可能である。ただ、受け入れるか、拒否するかどちらかなのだ。

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紙の本

「身体の欲望」が「生命のよろこび」を掠奪している。

2003/10/27 13:57

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

痛みは麻酔で、寒さや暑さはエアコンディショナーで、糞便は水洗トイレで、死は病院で、死体は火葬場で、ゴミは所定の曜日・場所に置けば、いつの間にか清掃局が片づけてくれる。かように、現代は、「快適」「心地良い」「アメニティ」の類の言葉で構築された「無痛文明」社会である。

「苦しみ」や「つらさ」や哀しみ、不快なものは、ことごとく隠蔽され、あるいはスポイルされてきた。

しかし、無痛文明を享受しているのは、いわゆる先進諸国の一握りの人々であり、−もちろん、ぼくも含まれているが−、それを支えているのは、圧倒的な多数の人々の犠牲によるものである。

あたかも、洋上を渡る豪華な客船の推進力が、暗い船底で櫓を懸命に漕いでいるあまたの奴隷であるように、そう、思えてならない。

人間を道具と同じように、役に立たなくなったら切り捨てたり、強者−弱者、勝ち組−負け組という単純な対位法がまかり通っているのも、無痛文明が生んだデバイドの一つといえよう。

作者は、情け容赦なく無痛文明を糾弾する。さらに、現代人を蝕んでいる無痛文明病の症例をこと細かに説明し、治癒の仕方まで伝授している。しかし、この病はヘビードラッグや癌細胞のように、いや、それ以上に厄介。なぜなら、痛みよりも快楽を感じさせ、一度罹ると、治りにくく、禁断症状も猛烈に表われるからだ。

人間は「人工的環境のもとで」「自己家畜化してきた」。作者は物質社会の根底を成しているものを「身体の欲望」と呼んでいる。そしてこれが「人間自身から、『生命のよろこび』を奪っている」と。「生命のよろこび」とは、「達成感や高揚感」ではない。「外部からの誘導や教示ではなく、みずからの意志と必然性によって、みずから忠実に自己変容したときに、予期せぬ形でおとずれるものこそが『生命のよろこび』なのである」。エロスとアガペーの違いのようなものか。

また、この「生命のよろこび」を得るためには、「絶対孤独」を貫かなければならないと。要するに、愛なんて幻想で、絶対孤独であることをごまかすためのものだと。自己と他者の心が通じ合うなんてことは、あり得ない(ほんとは、みんな、そう思ってるんだけど)。「死にいたる病」ではないが、絶対孤独を確立できてこそ、自分の死への恐怖も克服でき、無痛文明を凌駕できると。ひょっとして、出家しろとでもいいたいのだろうか。

島田裕巳の『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』に引用されている村上春樹の言説を孫引きする。「(アメリカの連続爆弾犯)ユナ・ボマーは、高度管理社会に生きる人間は『自律的に目標を達成できるパワープロセスを破壊され、システムが押しつける他律的パワープロセス』に組み込まれている」

そういうことなんじゃないかな。

反論の術は、いまのところ、ない。「あんたは、そんなことをするために、生まれてきたんじゃないだろう」と、作者から鋭い切っ先を突き立てられたような気分だ。

この本は、森岡生命学の集大成であり、まさに、それは、精神の踏み絵である。

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紙の本

形而上学的な自爆テロ

2004/01/31 18:02

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 きわめて特異な書物だ。森岡正博はここでプラトニズムとキリスト教が合体した西欧二千五百年の神学=形而上学の解体あるいは転轍を企てている。

 本書で示された「一本の管としての私」と「ペネトレイター(この私を組み込んだ自己治癒するシステム)」の二つの荒削りな概念は、いわば西欧的思考の解剖学的二大原理(「使徒的人間」と「内在的超越」、あるいは「実存主義」と「システム論」)のようなものであって、東洋的思考(たとえば仏教)や日本的なもの(たとえば「葦牙の萌え騰るが如く成る」自然=フュシス)への性急な言及を禁欲し、あくまで哲学のフィールドにとどまりつつその語り直しあるいは転轍を通じて「宗教の道を通らない宗教哲学」という未聞の知を拓いていくための梯子となるものだろう。

 それにしても異様・異例な書物だ。とりわけ『仏教』連載稿をもとにした前六章に続いて書き下ろされた後二章が湛える昂揚は尋常ではない。絶対孤独という「懐かしい、ひんやりとした」場所での死の思索から、一本の管として私(私ではない何かを、私ではない何かに向かって伝えていく主体)の考察へ、そして共同性をめぐる新しい哲学的ビジョンの可能性の開示へと到る第七章(「私の死」と無痛文明)。

 前六章で展開された無痛文明論をも呑みこみより強力に更新された無痛文明と「凡俗の戦士」との果てしない戦闘──著者はそれを「形而上学的な内戦」と呼ぶが、私はむしろ形而上学的な自爆テロと名づけたい──の一部始終を矢継ぎ早に繰り出される新しい武器(概念)でもって叙述しきり、ペネトレイター(この私をたえず貫き、社会全体に広がり、つねに運動し続ける、網の目状の移動貫通体)の概念の提示とともに中断される第八章(自己治癒する無痛文明)。それはあたかも戦う者の姿は敵に似てくるというニーチェの洞察を地でいくような、合わせ鏡の地獄絵さながらの壮絶なドラマである。

 じっさい私は本書を読み終えて、ニーチェが狂気の淵に臨んで構想していた哲学的主著とはもしかするとこのような書物のことだったのかもしれないと思った。たとえば最終章でも特に異端的趣の濃い「補食の思想と宇宙回帰の知」とそれに先立つ「開花の学」の節で著者が展開している議論は、まぎれもなく力への意志と永劫回帰の二つの概念によって書き上げられた「私の哲学(マイネ・フィロゾフィ)」の一つの可能態なのではないか。

《私がこの世でどのような生を生きたにせよ、私の生のプロセスはすでに宇宙全体に不可逆的に働きかけ、宇宙全体を不可逆的に変容させ、宇宙全体に何かを与えたはずである。私が宇宙から産み落とされて、この宇宙に存在して、生きて、死んでゆくとは、そのようなやりとりを宇宙と行うことである。宇宙から生まれた私が、自分自身の生を送ることによって、宇宙に不可逆な刻印を残してしまうという構造が、そこにはある。たとえ私がどんな人生を送ったとしても、そのすべてのプロセスは吸い取り紙に落ちたインクのように、そのまま宇宙へと染みわたっていく。それは時の経過とともに、宇宙の星くずの彼方にまでゆっくりと浸透することだろう。地球がなくなり、太陽系がなくなったそのあとですら、浸透は続くことだろう。私が死んだあと、もはや私の一部ではなくなった何ものかが、それでもなお私の人生を通り抜けた何ものかとして、宇宙の果てまでみずからを貫き通していくだろう。その何ものかは変容し、かつてのそれ自身ではないような姿に形を変え、その中に刻印されていた私の痕跡も徐々に薄らいで蒸発してしまうだろう。その痕跡が消滅したとき、私は、私固有の痕跡をどこにも残していないという形で、宇宙へと記憶される。》

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紙の本

あえて批判する

2003/10/23 10:33

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:野崎泰伸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者の関心ははっきりしており、よくわかるし、説得力に富む叙述である。また、確かに「無痛文明」なるものは存在し、私達が知らず知らずのうちに近づいては、「近づいていること」そのものすら自覚し得ないような「症候」に陥っているといえる。その意味において、私達一人一人の生き方が問われているのである。

ただ、著者は「集中治療室で看護をする看護婦(看護士)の話からヒントを得た」と書いているが、そもそも、「病気を治すということ」そのものがすべて「無痛文明」であると批判されねばならないのだろうか?

確かに、著者の言う通り、私達は必要以上に快楽を求めすぎ、苦痛を和らげる文明へと走っている。しかし、痛みを取り除くことすべてが「快楽を求めること」になり得るのだろうか?

私達は、何も食べなければ、空腹になる。そして、ずっと何も食べなければ、死んでしまうだろう。その時、「空腹を満たすべく何かを食べること」は、確かに「空腹という痛みを取り除くこと」である。しかし、これを「無痛装置」の中に入れることができるのだろうか?

私は、「無痛化」には2種類あると思う。そのうち1つが、著者の批判するような「無痛化」、すなわち、「快楽をむさぼり尽くす装置」としての無痛化装置である。もう1つは、「批判してはいけない」「無痛化」、すなわち、「必要を満たすこと」としての無痛化装置である。快楽と必要とは、少なくともいったん切り離して考えることができるのではないだろうか。

著者が現代社会に見る「無痛化」は、「快楽をむさぼり尽くす装置」としてである。しかし、そうしたところから論を進めるということじたい、著者は「生きるために満たすべき必要」は満たす可能性がある位置にいるということではないのだろうか。必要が満たせない人が必要を満たそうとするとき、それを「無痛文明」として批判することはできないのではないだろうか。

要するに、この社会には「政治」がある、ということである。生きるためのポリティックス、である。そこに行きつく人と、必要すら満たせない人がこの社会には存在する。それは例えば、アメリカがイラクを攻撃して行う「人殺し」と、パレスチナの少年がイスラエル兵に向かって「自爆テロ」と私達が称する「人殺し」を「同じ位置」では批判できないということを意味する。

生きるための最低限とは何か、という議論はあるだろう。だが、こうした政治の中を私たちが生きなければならないのなら、同じ問題をもっと詳細に検討することが必要であろう。「満たすべき必要という観点は無痛文明か」という主題である。そして、どちらかといえば私自身は、こうした「ポリティックス」を巡って議論するスタンスを取る。

だが、だとしても著者の論は否定はされる必要はない。重要な問題提起をはらんだ著作であるということには変わりがないし、これは私達一人一人がどう生きるかということを世に問うた著作であるからである。

(個人的には、『生命学に何ができるか』のほうが好きです)

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紙の本

無痛をしかける文明とともに生きることを論ずる一冊

2003/10/15 00:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちゅう子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 あなたがこの本のタイトルを目にして立ち止まったのは、おそらく痛みのある世界を思い描いたからではないでしょうか。なぜ痛いというイメージがあなたの中にあるのでしょう。なのに、この本は痛みが無いといっている。どうしてなの?

 この無痛文明のページでは、あなたの社会で今を生きている、あるひとりの人物が登場します。まぎれもなく著者自身です。彼はタイムマシンがお好きなようで、自分の生き様を自分の生きてきた時間として正直すぎるほど振り返りながら、あなた自身に語りかけてきます。
 語りが聞こえてきたら、必ず思い出して欲しいことがあります。あなたは、なぜこの本を手にしたのだろう。なぜ読もうとしたのだろうか。

 あなたが若者なら、とても幸せに思います。それは、あなたの生きる道をあなた自身がその若さの中で意識しているからです。あなたの生きている世界は、ひょっとしたら何かが違ってるんじゃないか、とか、わけのわからない苦しみがあるんだよな、という漠然とした痛みの不思議を秘めていて、だからこの本の無痛に目を留めてしまった…あるいは、日常には不満は無いわ、両親には感謝しているし、という、そんなあなたの瞳の奥にも、この無痛の二文字からは自分のことばの微妙さに気づいたりして…。そんなとき、無痛の意味することが見えてくるかもしれないのです。

 もう若くはないと思っているあなたなら、同じですね、わたしと(笑)。もう、十分に自分を楽にさせる生き方を知っているときに、ふっと、若者の純な魂にふれてしまい、自分もあの若者のころに戻れるならやれるさ、と思うことありますよね。純な魂には、実は痛みが必要だと知っているのもあなただから、もうこのまま流されてみますか? その答えはあなたのものだから、だれも邪魔はしないけれど。でも、もう一度思い出して欲しいのです。

 さて、たくさんの無痛を唱えながら、いつのまにか文明のことばとなった著者自身を、私は見つけてしまいました。傍観しているようで実は文明としての彼なのです。文明は、自分を解体する人間(もしかしたらあなた)のことを語り始めました。語り続ける文明自身も実は不安なのです、その上、後戻りができないことも知っているのです。だから、あなた自身が考えて欲しいと言っています。何とかして欲しいから、文明は自分で案を出してしまいました。その案はあなたに確かめてもらいたい。そして、そのどれも、きちんと考え、具体的に生きていける形を現せるのはあなた自身だよって、文明自身が論じ語り続けている…。

 さあ、まずは、はじめに、の文章をこころとめて欲しい。その後は気に入った目次項目から読みすすめてもいい。その時にめくったページだけでもいい。なぜなら、そこにはいつも日常の中から語ろうとする著者の心が見えてくるのです。リラックスした、自由な読み方をおすすめします。  
 
 最後に個人的ではありますが、読後、たぶん私はこのままゆっくりと、しかし自分に与えられた時間の自分の速さを見失わないように歩めばいいのかもしれない。今の生活の残りを自分の設定した時間に遅れることのないように気をつけながら…という、とても贅沢な(ある意味、軽い痛みでしかないから)元気(生きる)をいただきました。
 そして次は、この本を手にしたあなたの魂へと続きますように。

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紙の本

解決できていない問題を提起する毒

2003/10/22 12:09

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:おしょう - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私こと、宗教関係者(浄土真宗寺院住職)です。

 まず、「書評」という出来事の相対化から。著者へのエール★★★★★(力作です)、私自身にとっての意味★(読んで直接得られるものはなかった——ただし「発言」を迫られることを除いて)、一般読者への推薦度★★★(各自で「経験」する以外にないでしょう)と理解していただけたらと思います。

 その上で、この「書評」は、私自身の「『無痛文明論』読書体験」です。

 よく書かれ、よく考えられ、そして何より、よく現代を「感じている」作品であることに異論はありません。が、私は森岡氏の「アイデンティティ」のとらえ方は不十分だと考えます。その不十分さにまつわるもろもろが、全編を貫く独特の緊張感として表れている。言い換えれば、著者はまだ「私的な緊張感」としてしかアイデンティティを支えられていない。

 もちろん、ここで安直な「信」を持ち出したのでは著者の手の平のうちになります。しかし、デカルト以来の近世の根っこはもう少し掘り下げることができます。そこから言えば、「中心軸」にせよ「ペネトレイター」にせよ、まだデカルトの「我(われ)」の手の平のうちに収まっているように思えるのです。

 おそらく、著者はある強烈な「身体」のイメージを持っており(そうでない限りこのタイトルは出てこないでしょう)、そこを拠り所にデカルトの我を超えている「つもり」なのでしょうが、率直に言ってまだ安心してうなづけるところまで描かれてはいません。また、身体を問題にしているようで身体に触れ切れていない点には、端的に言って不満が残ります。

 読者が試される作品です。ただ、一般の読者に一方的にこういう試練を投げかけるのはどうか(読者には「手に取らない」という選択肢があるにしても)。読後、主体的に「拒否」したとしても、無痛文明の呪いから逃れられなくなるでしょう。

 そこに著者の意図があるのならばそれでよいのですが、私には残念なことに、著者自身がまだその呪いに縛られている(その呪いの構造を解明し切れていない)としか読めない。

 宗教者、ないしただ真っ当に(平凡に)生きようとしている者の立場からすれば、発話を迫られる作品であることは確かです。宗教と生命学が他者であるかどうかは問いません。しかし、『無痛文明論』にこだわってしまうと(無痛文明論「批判」を意識してしまうと)、本書の代弁している現代の毒が解毒できないというのは、つらい皮肉のようです。

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紙の本

刊行記念特別短期連載〈『無痛文明論』連続講義〉

2003/10/28 12:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る

森岡正博さんの著書『無痛文明論』刊行記念として、短期集中連続講義を4回にわたってお送りします。こちらからお読みください

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2004/12/21 04:41

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2005/11/14 21:28

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2010/08/22 01:36

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2012/09/24 16:00

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