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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2003.11
- 出版社: 晶文社
- サイズ:20cm/286p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-7949-2739-8
紙の本
廃墟の歌声 (晶文社ミステリ)
奇想天外な物語、不気味な寓話の数々に、宝石泥棒や贋作詐欺の話など、思わず「そんなバカな!」と叫びたくなる途方もないお話ばかり、全13篇を収録。物語の力を信じる人々に捧げる...
廃墟の歌声 (晶文社ミステリ)
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商品説明
奇想天外な物語、不気味な寓話の数々に、宝石泥棒や贋作詐欺の話など、思わず「そんなバカな!」と叫びたくなる途方もないお話ばかり、全13篇を収録。物語の力を信じる人々に捧げる最高の贈り物。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
廃墟の歌声 | 吉村満美子 訳 | 9-34 |
---|---|---|
乞食の石 | 西崎憲 訳 | 35-46 |
無学のシモンの書簡 | 西崎憲 訳 | 47-62 |
著者紹介
ジェラルド・カーシュ
- 略歴
- 〈ジェラルド・カーシュ〉1911〜68年。イギリスの小説家。ミステリ、怪奇小説、SF、都会小説など、幅広いジャンルにまたがる作品を発表。邦訳傑作集に「壜の中の手記」がある。
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紙の本
ディズニー好きの人はこの書評を読まないこと。
2004/01/08 14:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぼこにゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ミッキーマウスはネズミの身でありながら黄色っぽい犬を飼育している。自身は半ズボンと靴をはいて文化的な生活を営んでいるというのに、犬には犬らしく裸で四つ足で首輪という暮らしをさせているのだ。数々の映画に主演するかたわら遊園地なども経営する大富豪なんだから犬くらい飼ってもいいだろうという向きもあろうが、ミッキーの身辺にはもう一頭の犬(黒っぽい犬)がいて、こっちの犬は服を着て二本足で歩きミッキーとは友達付き合いをしているのである。この二頭の犬同士は互いに相手のことをどう思っているのだろうか。ディズニー式には「どっちの犬もミッキーのステキな仲間なのさ、イェイ」ってことになるんだろうけど。
カーシュ再登場。前作『壜の中の手記』を貫く幻惑的な雰囲気に比べ、今回は普通の街を舞台にする作品が多いせいか、より『俗世の物語』という印象が強く、登場人物も個性豊かで実にいい(幻想モノは好きでない、という人でも気に入るのでは?)。中でも虚々実々の怪盗シリーズ『カームジンもの(四篇収録)』はP・ワイルド『探偵術教えます』に通じるようなおとぼけミステリでなんとも嬉しい。
どの作品も、筋を変えずにもっと長くもできるだろうし、もっと短く、ショートショートとして書くこともできただろう。それくらい構成というか筋立てがしっかりしていて心憎いばかりである。基本的には語り口の上手さでグイグイ引きこまれ、最後に驚きのどんでん返し、という感じ。このどんでん返しというのはつまるところ、『主観と客観の急激な転倒』とでも呼ぶべきもので、エッシャーのだまし絵をじっと見ていると突如地と図が反転する、というあの瞬間を小説でしみじみ味わえるようなものだ。作中人物の目線で話が展開し、ということはその人物と読み手が世界観を共有しつつ進んで行くと、突如としてその『甘い認識』が瓦解し風吹きすさぶ荒野に私はひとりなす術もなし、という『ボーゼンジシツ』のただなかに放り出されているのだ。いや、たまらんぜよ。
というわけで私のささやかな希望としては、ある日突然例の黄色い犬が鎖を引きちぎって飼い主のネズミに襲い掛かるやバリバリバリと噛み砕き、食べ残したシッポと靴なんかをボーゼンとしている黒犬の足元にクワペッと吐き出してニヤリと不敵に微笑んだのち悠然と街を去る、といったクライシス(ネズミにとっての)を期待するのだけれど、まず無理だろうねぇ。
紙の本
「語り/騙りの天才」ではなく、むしろ「語り/騙りの芸人」
2004/02/07 21:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
おもしろい本だ。
仰天するほどの物語ではない。読みながらニヤニヤする程度。帯には「語り/騙りの天才」とあるけれど、確かに語りの妙/騙りの妙は感じられるのだが、天才という形容は少しニュアンスが違うような気もする。むしろ「語り/騙りの芸人」とでも言ったほうが良いのではないか。多分この人は本質的にB級エンタテイナーなのだと思う(作品の出来がB級だと言うのではないので、念のため)。まあ、いずれにしてもおもしろい。
時代や場所などの設定が結構ばらついているので作品ごとの印象もかなり違う。僕はホラーめいたゴシック調の物語よりも、世紀の大泥棒(あるいは単なる大法螺吹き)カームジンのシリーズ4篇のほうが楽しめた。暗黒や怪奇の線を狙うよりも、こういうあっけらかんとした法螺話がとても楽しくて良いような気がする。
特に西崎憲が訳した「乞食の石」と「無学のシモンの書簡」の2篇は明らかに言葉を選んで衒いすぎで、ひょっとしたら原作の雰囲気を壊してしまっているのではないかという気さえした。まあ、この手の暗黒・怪奇の線が好きな人もいるだろうし、そういう人が手がけるとこういう訳になるのかもしれない。
訳の色合いがこれだけ割れてくるのも、この作家の多才さの証明なのだろう。
紙の本
こんな話を信じていいものだろうか?(編集部コメント)
2003/11/14 10:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤原編集室 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジェラルド・カーシュのある短篇はこんな問いかけから始まっています。しかしその言葉は、彼のほとんどの作品にあてはまるようです。昨年、好評を博した作品集『壜の中の手記』をみても、ジャングルの奥地に棲息する骨のない人間、メキシコで消息を絶った作家アンブローズ・ビアスの最後の手記、十八世紀英国の猟師の網にかかった極彩色の怪物の古記録など、にわかには信じがたい、しかし思わず釣り込まれてしまう物語が、達者な語り口で綴られていました。
カーシュ短篇の多くは、作者自身と思われる「私」が登場し、酒場や喫茶店、アパート、旅先などで出会った人々から話を聞くという形式をとっています。彼らはみな異常な体験の持ち主であり、彼らの語る話は、ときに恐怖や怪奇に満ち、ときにユーモラスで、ときに悲哀に満ちています。読者は「私」とともにその途方もない話に耳を傾け、そんな莫迦な話があるものかと思いながらも、物語の中にぐんぐん引き込まれてしまうのです。
今回の『廃墟の歌声』にも、さまざまな声で語られた十三の奇妙な物語が収められています。そこに登場するのは、神の怒りにふれて滅んだといわれる古代都市アンナンの廃墟に巣くう気味の悪い生き物、ハンガリーの荒地にそびえる「乞食の石」に隠された秘密、異教徒の土地へ布教に出かけ、半死半生の目にあった聖シモンが曠野で出会った不思議な力をもつ老人、捕まえた者の願いをたった一つだけかなえるというウェールズ伝説の魔法の魚とアーサー王の埋もれた財宝、十六世紀のフランスに生まれ、四世紀ものあいだ戦場から戦場へと渡り歩いてきた不死身の男といった、またしても「こんな話を信じてもいいものだろうか?」と問いたくなるものばかり。
とはいえ、カーシュを楽しむのに理屈はいりません。私たちはただ、一切の不信を棚上げして、その変幻自在な語りに身をゆだねればいいのです。いずれにせよ、一度カーシュのよく通る、ケレン味たっぷりの声に耳を傾けてしまったら、あとは結末にたどり着くまで、ひたすら頁をめくり続けるしかないのですから。読み終わって、「してやられた」と叫ぼうが、口をぽかんとあけて立ち尽くすことになろうが、あとの祭り。不思議な語り手はすでに姿を消しています。
エラリイ・クイーン、ハーラン・エリスン、レックス・スタウト、北村薫、宮部みゆきといった目利きたちが絶賛する稀代のストーリーテラー、ジェラルド・カーシュの摩訶不思議な物語の数かずを、どうぞ存分にご堪能ください。