紙の本
音楽を聴くように会計を勉強する
2006/11/23 03:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
欧州での中世から近世へと移行するに際し 物事の「数量化」と「視覚化」が大きな役割を果たした点を解明する一冊である。
既に「数量化」「視覚化」を前提とした現代に生まれた僕ゆえ 「当たり前」であることが 実は「革命」であったという本書は 目からうろこが落ちる思いである。歴史の本を読む楽しさの一つは 自分が持っている常識が いかなる経緯で常識となっていったのかが分かる点であると思っている。
また 本書の特色としては 数学、音楽、絵画、会計という 現代人から見ると全く別々の世界を 横串で突き刺し それらが誕生した際にあった共通の心性を見事に炙り出している点にある。会計と音楽を貫く時代の精神がかつてあったという点は 「現代会計入門」とかいう本をたまに読まざるを得ない サラリーマンたる僕にしても 一服の清涼感である。そう 音楽を聴くように会計を勉強すればよいのだ。
仕事に直接関係ない本を読むことは 気分転換になるし 勉強にもなる。しかし それ以上に 特に このような本を読んでいると 日々の仕事に潜んでいる 歴史、人間の「精神」が見えてくることがある。そうなると仕事も馬鹿にできない。仕事の先に見えてくる「精神」。そんなものも信じているのが若干楽観的な僕ではある。
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キリスト教のご都合主義については気づかないふりをするんだよね
2008/11/12 18:24
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
高校あたりでちゃんと世界史を勉強したヒトなら知ってることだが(でも最近は日本がアメリカと戦争したことも知らない現役高校生もいるそうだからなぁ),中世のヨーロッパというのは全くの文化的辺境であった。本書第1章の冒頭に10世紀の地理学者マスウーディーの言葉として引用されているように「北へ行けば行くほど,愚かしくて粗野で残酷になる」……つまりは野蛮人だったんですな。イスラムの知識人から見てどーしようもなく。
ところが月満ち星は流れて16世紀。そのかつての野蛮人たちがイスラムを凌ぐ科学技術を身に付けて世界を席巻することになる。本書はこの600年の間に西ヨーロッパで何が起こってそのようなことが可能になったのか,人々の思考様式という側面から分析したものである。……と書くとすげぇ難しそうだけど,早い話が暦だの地図だの遠近法,記譜法だのモノゴトから宗教的(つうかオカルト的)意味がはぎ取られ全てが「数量化」されていくという過程を追った研究である。
それはそれで面白いんだけど(特に絵画における遠近法の発展なんかとってもとっても興味深い),当初それらの科学技術を異端とし自分たちの宗教的支配に敵対するものとして排斥していたキリスト教側が,それらの産み出す現世的利益の魅力に負け,抵抗をやめて逆にその成果を収奪する立場であり続けるためにどのように自らを変容させていったのか,という視点が欠けている気もするんだよね。
翻訳者である小沢千恵子さんが訳者あとがきで書いていることにも通じるんだけど,なんつうかマックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で指摘したキリスト教のご都合主義みたいな部分がすっぽりないみたいな……。たしかに面白い本ではあったけど,そのあたりにちと反感を覚えました,ワタシは。
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こんなに静かに人知れず進行した見えない革命は無かった。著者の慧眼だ。幾つもの社会、世界観が生まれては消えて行った中で均質な計量空間を見出した西欧文明は自滅の淵を彷徨いながらも、生き延びて世界を圧倒した。
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●構成
第1部 数量化という革命:汎測量術(パントメトリー)の誕生
第2部 視覚化するということ
第3部 エピローグ
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ヨーロッパ帝国主義の成功要因として、ひとつには科学技術の発達があげられる。中世以前には物事の性質や神との関係性によって物事を把握してきたが、中世後期以降は物事を合理的に、もっと限定して言えば数量化や視覚化して捉えるように変容していく。
本書は、数量化やそれを司る数学、数字、またありのままに実態としてモノを理解する視覚化の技法に焦点をあて、ヨーロッパにおいてローマ数字がアラビア数字に取ってかわり、また数学と視覚化の手法の発達によりいろいろな分野において新しい発明、発見、変化が訪れたことを論じる。
第1部は、数量化を取り上げる。それまで大凡の数量でしか計らず、また時間も現在のように正確ではなかった中世前期までのヨーロッパ世界は、数字の表記法と数学の発達により、正確な計量をしまた計算することを導入した。また時間感覚においても、日が昇ってから暮れるまでという大雑把かつ季節によって長短の変化がある尺度ではなく、1時間という概念を取り入れることで、決まった労働時間という変化により生産力の上昇をもたらした。
第2部では、視覚化を取り上げる。絵画において、それまで対象物の大きさや配置を画家の好みで、あるいは宗教的な表現のために実世界の光景を無視していた。しかしモノの大きさや形の正確な対比、遠近法(これは数学の発達と無関係ではない)に忠実な構図をもたらした。金銭においても、正確な計算、また会計や決算の可視化が必要になり、複式簿記の誕生につながった。
数量化や、数量化の影響による可視化によって、物事を正確あるいは現実的に把握できるようになり、その結果ヨーロッパに帝国主義的な世界的覇権をもたらした。
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【図書館】
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すごい本だ。「ヨーロッパ帝国主義が比類なき成功をおさめたのはなぜか?その理由のひとつは、科学革命に先立つ中世・ルネサンス期に、人々の世界観や思考様式が、宗教的なものから普遍的・効率的なものに変化していたことだと著者は言う。」
なるほど、今や「数量化」「視覚化」と言うのは、当たり前すぎて、存在しない世界を想像できないのだけど、冷静に考えてみると、かつてそれらが存在しない世界があったということも理解できます。
確かに、口ずさむだけで音楽になるし、日が昇れば新しい1日が始まるのだけど、そこに、楽譜や時間といった数量化、視覚化されるものが登場するのが「革命」であったに違いないのでしょう。数字、暦、機械時計、地図、貨幣、楽譜、遠近法、複式簿記などなど、さまざまなものが、欧州での中世から近世へと移行するに際し、大きな役割を果たしたのですね。それらは、のちのルネサンスや産業革命につながっていくということなんですね。
絵画では、目に見えたものを描くということから、目に見えたように描くという遠近法ができ、楽譜も今まであった楽器の演奏手順を記したものではなく音楽そのものを記すということで普遍的なものが出来たとしています。時計や海図、簿記もそうでしょう。
数を数えたり楽譜を読んだり、家計簿や会社の決算書を読むというようなことは、世界中どこでも普通にできることになっていますが、実は文明がそうさせたのではなく、数量化・視覚化されたことでヨーロッパの文明が発達したという発想には感心しました。
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表題にはちょっととまどう。原題を直訳すれば、「現実の計測ーー数量化と西欧社会1250-1600」となるもので、グレゴリオ暦のところで「本書の扱う範囲をこえる」などという言葉があるので、原題を見直さねばならない。著者はいわゆる「天才」の世紀である17世紀の手前で叙述をやめており、楽譜や簿記など、天才の偉業をできるだけ避けて、一般人の営為のなかに数量化の進行をとらえようとしているので、「革命」という華やかな言葉は邦訳としてどうかと思う。時間の計測のところで、中国の影響を詳しく論じていないのは残念だし、馬の繋駕法についても中央アジアの影響を論じていないのはちょっと不満である。しかし、アリストテレスに代表される「敬うべきモデル」が凋落し、「数量化」が加速していく様子は十分に把握できる。とくに第二部は視覚化をキーワードに記譜法・遠近法・複式簿記の成立を語っているところは興味深い。
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西ヨーロッパの文明(本書では「ヨーロッパ帝国主義」)が何故、世界を席巻し、現代文明の価値基準の根幹を成すに至ったかを、中世からルネサンス期に勃興した「世界を定量的な数値で表すこと(数量化・視覚化)」という革命的なパラダイムシフトに焦点を当てて検証した西欧精神史。
たとえば数学が発達したのは「インド・アラビア数字」を採用したから、というのはなんとなくわかっていても、じゃあ、それ以前はどうだったのか、と言うことについてはよく知らなかったし、インド・アラビア数字で計算することが当たり前すぎて疑問を持つこともなかった。しかし、よくよく考えてみると(日本からしてみれば)ヨーロッパから入ってきたのに「インド・アラビア数字」と呼ぶのは不思議だし、「0」(ゼロ)の概念がインド発祥というのは知ってはいたけれど、それがどういう意味なのかよくわかっていなかった。が、本書を読んでそのことが氷解したのは言うまでもない。
その他、楽譜や遠近法、果ては簿記が中世ヨーロッパでどのようにして生まれて、今日までほとんど姿を変えることなく使われてきたかということを知るにいたって、なるほど西欧文明が世界を測る文字通り「モノサシ」となりえた理由がここにあったか、といちいち腑に落ちる。
尚、本書を読むにあたって「中世の覚醒」http://booklog.jp/users/xacro2005/archives/4314010398をあわせて読むと、中世ヨーロッパに古代ギリシアの知がもたらされた過程や、本書に登場する何人かの神学者への理解が深まることを付け加えておきます。
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この本は科学の数量化の歴史を語っているのであるが、それは分析の歴史あって、人類の思想の歴史でもあるのだ。
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数量化こそヨーロッパが世界の覇者たり得た要因である、というよりも、ヨーロッパにおける数量化の歴史、くらいの内容しかないように思える。
ヨーロッパが他地域よりも発展した理由を数量化に求めるなら、他地域の数量化についても言及・比較する必要があるのでは?
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[ 内容 ]
ヨーロッパ帝国主義が比類なき成功をおさめたのはなぜか?
理由のひとつは、科学革命に先立つ中世・ルネサンス期に、人々の世界観や思考様式が、宗教的なものから普遍的・効率的なものに変化していたことだと著者は言う。
数字、機械時計から楽譜、遠近法まで、幅広い分野に目配りしながら、そうした変化をもたらした数量化・視覚化という革命を跡づけてゆく西欧精神史。
[ 目次 ]
第1部 数量化という革命―汎測量術(パントメトリー)の誕生(数量化するということ;「敬うべきモデル」―旧来の世界像;「数量化」の加速 ほか)
第2部 視覚化―革命の十分条件(視覚化するということ;音楽;絵画 ほか)
第3部 エピローグ(「新しいモデル」)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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スゴ本ブログで紹介されていて面白そうだったので購入。なるほど、これはスゴ本というのにふさわしい。本書は人類にまだ数量化という概念がなかった時代からスタートし、人類がさまざまな、物事を数を通して観察すること、すなわち数量化することに成功して行く歴史を紹介する。
特に面白かったのは、簿記の発明を紹介した10章。文明が発展するにつれて商売がうまれ、貨幣が用いられるようになる。商人たちは自らの商売について貨幣で記録する必要が生じ、その手段として今日の複式簿記の原型となるものが編み出される。本書を読んで改めて現代の社会において、複式簿記の果たす役割の重さを感じた。複式簿記の発明がなければ現代のような会社というものすら成り立たなかったのではないだろうかとすら思ってしまう。複式簿記の発明というのは、人類にとって間違いなく革命的なインパクトをもたらしたと思う。
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西洋社会の世界進出は16世紀の大航海時代に始まるが、その背景には数量化して考える思考の変化があったという内容。その例として、機械時計、海図、音楽、絵画(遠近法)、複式簿記をあげ、1300年の前後100年間に発展したとしている。欲を言えば、こうした活動がイスラムや中国などの他の社会ではどうだったのかを合わせて説明してくれれば、西洋社会が優位に立った要因として、より説得力があると思った。
・西ヨーロッパでは、500〜1000年の間、計算盤が使われた形跡がない。イスラム時代のスペインで学んだフランスの修道士ジェルベールが10世紀後半に計算盤を復活させた。
・11世紀にグイード・ダレッツォが譜表を考案した。
・1200年頃、スコラ学者は文献の本文を章に分けて、章ごとにタイトルを付け、欄外見出しや相互参照システム、引用文献の一覧表示を付け始めた。
・1250年から1350年の間に、機械時計と大砲がつくられ、時間と空間の数量的な概念が進んだ。ポルトラノ海図、遠近法、複式簿記もこの時期かこの直後につくられた。
・1270年代に機械時計が発明された。
・現存する最古のポルトラノ海図は1296年につくられた。
・プトレマイオスの「地理学」の写本は、1400年頃にフィレンツェに到着した。この中には、緯度と経度の格子を幾何学的に正しく描くための方法が書かれていた。これが絵画の遠近法に用いられた。
・インド・アラビア数字は15世紀後半から使われ始め、1600年までには広く普及した。
・16世紀はコペルニクスとメルカトルが活躍した時代。
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時々理屈抜きで気になる本がある。例えば私にとってそれは『リスク』や『人類が知っていることすべての短い歴史』だ。本書にも同じ感覚を持っていた。なんだろう、題名と装丁が私好みである。フィーリングといえばよいだろうか。
肝心の内容も面白い。言い方は悪いが中世までは野蛮とされていた西ヨーロッパ地域が、文化的希薄さを逆手にインド・アラビア数字を取り入れて数量化により飛躍を遂げていく様が叙述されており興味深い。
暦、機械時計、地図、貨幣、楽譜、遠近法、絵画、複式簿記と、ありとあらゆるものを数量化・視覚化可視化していく貪欲さは、当時抱えていた東洋や中東に対するコンプレックスからなのだろう。
章ごとの散漫さが多少あり、体系的に理解するには骨が折れるが、題材は非常にチャレンジングで面白い。
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西ヨーロッパの帝国主義が世界を席巻し得たのは、事物を数量的に
把握する世界観が広まったこと=数量化によるものとし、様々な
ジャンルにおいてその数量化がどのように進んでいったかを記述
している。
遠近法によって絵画内の空間が等質化したのと同じようなことが
音楽や地図・海図、数学や簿記(!)などにおいても起こっていたと
いうのは実に面白い。
ただあまりに取り扱う内容が多く、それぞれを記載するだけで終わり
その先まで踏み込めていないという印象は否めないかな。
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ヨーロッパ帝国主義が世界の覇権を握った理由を中世・ルネッサンス期に人々の世界観や思考様式の変化に求める本。
西欧史、西欧精神史といった内容。
物事を厳格に観測しようとしたら数値化が必要になってくるが、数量化という概念が発達したのは宗教と商売からというのが面白い。
とくに宗教は妨げともなってたりするし、論理的な考え方がゆえに大問題になってたりと影響は大きかったようだ。
儀式がゆえに正確な時間が求められ、数学的な正確さと今までとの整合性のどちらをとるかといった葛藤が起きる思考様式的背景は興味深い。
日本なんて暦の調整はうるう月、ある年だけ一ヶ月多くなるとかでしたから大きな違いを感じる。
筆者は大きな変換点、数量化革命の十分条件を「可視化」としている。
単なる数値化は世界のいたるところで程度の差はあれ存在していたが、
目に見えないものを見えるようにする、まさに神の視点を手にする行為ともいえる可視化、そして可視化による数量化の概念がさらに広まり世界は変わる。その変化はまさに革命と呼ぶに相応しいものと思われる。
西欧史、人類史の見方の一つとしては抑えておきたい考え方と思うが、主題が多くの人々の考え方の変遷をあつかうものであり、扱う範囲も広く、理解が難しいと感じるものが多かった。