紙の本
現代社会の知への警告
2005/08/07 00:26
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:NOBUYUKI - この投稿者のレビュー一覧を見る
マイケル・ポランニーの暗黙知と言えば、あたかも肯定的な方向ばかりに目を囚われがちであるが、違う視点から読むと「バカの壁」が如何に形成されるかも判ってしまう側面もある。現代、記号を手がかりに個人個人が独自の「世界観」へ統合してしまうのは、安易に知を「弄んでいる」ことへの警告と受け取るべきである。ポランニーは何故、「責任」を持つ社会を提示したのか。暗黙知は、経営学の著書等で紹介も多いが、無責任な読み込みが知の「悪用」を引き起こすことは、科学客観主義への批判もある通り、個人が責任を持つ社会の問題提起こそ真剣に読まねばならない。諸刃の剣の書と思う。
彼の別書「個人的知識」で「科学は観察の拡張であり、技術は制作の拡張であり、数学は理解を拡張したものである」と喝破している。要するに、認識を拡張する潜在的な知の構造を「暗黙知」と読んでいるのである。人間はこの知を抜きに生きることはできない。この「暗黙知の次元」の詳細を研究したい専門諸氏は「個人的知識」を読んで欲しい。
マイケル・ポランニーの各著書を読み比べてみると、全く違った問題を扱いながらも一貫した考え方がある。それが最も凝縮したのが本書である。そもそも彼自身「創発」のプロセスが一様の記述はできないと考えていたらしく、大まかに言えば、物理学、化学、哲学と思想横断しているが、生命とは何かに最終的には集約されている。ポランニーは最終講義を「神よ!」という言葉で締めくくったらしいが彼の人となりが良く表現されている。責任を持って読んでみよう。
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ポランニーの「暗黙知」について解説された良書!
2016/07/02 09:07
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、筆者のポランニー氏の講演録をまとめたものです。したがって、論文などと違い文体のかたぐるしさはないのですが、しかし、内容はかなり難しいです。暗黙知は、人間の誰もがもっている言語では明確に表せない思考ですが、この思考は日常の我々の行動や知覚・学習に大きな影響を与えています。そして、生きていくことでこの暗黙知はますます大きくなり、更新されていきます。暗黙知はまさに生のダイナミズムを可能にする思考なのです。ぜひ、一度、本書を手に取ってみてください。
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言葉以上のことを僕たちは口ずさんでいる
2018/05/05 21:38
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ビジネス分野でよく聞く「暗黙知」という言葉だが、本来の意味を知ることができる。そもそも本書が「暗黙知」という言葉を広めた。
本書は、自分の知らない知の存在領域を教えてくれる。知の暗黒大陸を発見する羅針盤である。まさに我々は「言葉より多くのことを語る」のである。
一度は聞いてみたことがある「暗黙知」を正確に理解してみてはいかがだろうか?
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理解不能
2004/03/14 10:26
6人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第1章暗黙知と第2章創発、という言葉に惹かれた。現在の企業活動において、技能職/員とよばれる現場の職人の名人芸/技という暗黙知、また図面や仕様書では表せない技術/ノウハウを文書化し、伝承することが、重要な課題となっている。このような課題の、なにか参考になるのではないかという思いと、最近二三の科学哲学書を読んでいたことから、関心を持った。しかし、なにをいっているのか、全く分からなかった。わずかながら理解できたように思うことは、以下のことである。
「人は言葉にできるより多くのことを知ることができる」。知ってはいるのだが説明することができない事柄がある。
「知っている」と「できる」。「対象を知っている」と「方法を知っている」。この二つの「知る」の側面は相似た構造を持ち、互いに他方がなくては存在しえない。「知る」というとき、それは実践的な知識と理論的な知識を二つながら意味している。
私たちの身体は、それが知的なものであれ実践的のものであれ、すべての外界の認識にとって、究極の道具である。私たちは、目覚めているときはいつも、外界の事物に意識を向けるために、そうした事物との身体的接触を感知し、その感知に依拠しているのだ。私たちが自分自身の身体を外界の事物ではなく、まさにゥ分の身体として感じるのは、このように自らの身体を知的に活用しているおかげなのである。
世に謳われた近代科学の目的は、私的なものを完全に排し、客観的な認識を得ることである。しかし、もしも暗黙的思考が知全体の中でも不可欠の構成要素であるとするならば、個人的な知識要素を全て駆除しようという近代科学の理想は、結局のところ、全ての知識の破壊を目指すことになるだろう。
私たちの身体は対象の近くに関与しており、その結果、外界の事物全ての認識に参与することになる。
個々の諸要素を統括する規則によって、より高位層の組織原理を表すことはできない。音声学から語彙を導くことは不可能だ。語彙から文法を導くことはできない。文法が正しいからといって、良い文体が出来上がるわけでもない。良い文体が文章の内容を授けてくれるわけでもない。
上位レベルの組織原理によって下位レベルの諸要素に及ぼされる制御を、「境界制御の原理」と呼ぶ。上位レベルの組織原各々の下位レベルは、それぞれすぐ上のレベルに制限を課す。より上位の原理が、逐次、すぐ下位の原理が未決定なままにとどめている境界を、制御する。上位原理は、自らが機能するために、下位の原理に依拠するのだが、下位の原理の法則に干渉することはしない。上位原理は下位原理の観点からは論理的に説明できない。
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「分かった」のが何故か「分からない」――そんな”知”の形に名前を与えるとしたら、まさに「暗黙知」なのかもしれない、と思わせる一冊。
要旨をまとめれば、学問や研究のみならず、どのような分野においても「はっきりとは目に見えていない何か」を感知する能力(=暗黙知)を人間は備えており、それを信じ追うことで、わたしたちは新しい実りを得て社会を発展させてきた、ということである。ある意味で、「言語化できないもの/根拠づけや立証がされていないもの」を軽視してはいけない、という現代人への警告ともとれる。
ほんの150ページ程度だが、哲学的エッセンスが凝縮されており、一読だけでは味わいきれない深みがある。
個人的に読みながら思ったのは、外山滋比古『思考の整理学』と少し似た趣がある、ということ。学問とは、研究とは、焦ってはいけない、早急に成果を求めてはいけない、そんな、まさに手さぐりの繰り返しなのだということを、読みながら頭の中で反芻した。
分野としては「哲学」に入るのだろうが、読みこめば、進化論であり宇宙論でありと、どんな風にも捉えられるテクストである。
学問・研究に携わる人なら、おそらく必読。そうでなくても、具体例を引きながら説明している部分は、難しい理論なしに「そういうこと良くある!」と思えるところがきっとあると思うので、ぜひ読んでみてほしい。
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「暗黙知」というキーワードは、企業の能力開発にも利用されるほど広まっているようだ。しかし、もともとそんな便利なものだけではなく、われわれの存在や宇宙を考察するための言葉である。
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3部構成。
期待していた内容は1部のみで、終盤は科学者の偉大さを熱く語られただけな気がする笑
簡単に言ってしまえば、、
『わかる』というのは、『無意識で認知していること』が『言語化』できるということ。
人の感情も内面化する訓練しなかや。芸術品見るときもそう。
「私たちは言葉に出来るより多くのことを知ることができる」
「人が対象を見るときの見方は、その身内に生起する特定の努力、しかも当人にはそれ自体として感じることのできない努力を感知することによってきまる。私たちは、注目している対象の位置、形、運動を介して、そうした、自分の身内で進行している事態を感知する。言い換えるならば、そうした内部のプロセスから外部の対象が有する諸性質に向かって注意を移動させているのだ。この諸性質は、身体的プロセスが私たちに示す[意味]なのである。こうした、身体的経験が外部の対象の知覚へと転移される事態は、意味が私たちから転位していく事例であり、すべての暗黙的認識において、ある程度は出現する事態なのである。」
「知覚ににおける内的な作用それ自体を自覚することはないという主張がどうにも的外れに思われる」
「暗黙的認識において、ある事物に近位項(A)の役割を与えるとき、私たちはそれを自らの身体に取り込む、もしくは自らの身体を延長してそれを包み込んでしまう。その結果として、私たちはその事物に内在するようになる」
「ある人の精神はその活動を追体験することによって理解されうると説いている」
「審美的鑑賞とは、芸術作品の中に参入し、さらに創作者の精神に内在することだ」
「内面化は、ある種の事物を暗黙知における近位項として機能させるために手段になる」
「何らかの理論に依拠するとは、それを内面化することなのである」
「暗黙知を内面化と同一視すれば、それは暗黙知の概念において重要視すべき場所が移動することを意味する。」
「事物が統合されて生起される意味を私たちが理解するのは、当の事物を見るからではなくて、その中に内在化するから、すなわち事物を内面化するからなのだ」
「包括的存在を構成する個々jの諸要素を事細かに吟味すれば、個々の諸要素の意味は拭いとられ、包括的存在についての概念は破壊されてしまう。」
「意味の修復ははじめの意味に改良を施すことがあるのだ。」
「部分を念入りに吟味するのは、ただそれだけでは意味を破壊する行為であるが、次の段階の統合へ向かうための道しるべとして寄与し、ひいてはより正確で厳密な意味をもたらす」
「明示的統合が、暗黙的統合に取って代わることはできない。自転車の修理の理論を徹底的に学習したからといって、一人の運転手の技能に取って代わるものではないのだ。」
「暗黙的認識をことごとく排除して、すべての知識を形式化しようとしても、そんな試みは自滅するしかない」
「知を保存するのは、発見するべき何かが必ず存在するという信念に、心底打ち込むということそれはおしなべて孤独な営み」
「主体が客体の中へ内在化したりするのは、ある身体的な技能を学び取ろうとすること」
「チェスのプレイヤーたちは、名人が行った勝負を何度も繰り返しては、名人の精神に中に、その頭にあったものを発見しようとする」
「信じることが出来なければ、理解することも出来ないだろう」
「誰かを見るというのは、無限に存在するその人の精神と肉体の隠れた働きを見るということ」
「発見が起こるのは、自然発生的でなく、ある隠れた潜在的可能性を現実化しようとする努力による」
「発見を触発する原因のない行為は、たいてい、そうした潜在的可能性を発見しようとする想像上の衝迫」」
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修士論文参考文献。
「–私たちが言葉が意味するものを伝えたいと思うとき、相手側の知的な努力によって埋めるしかないギャップが生じてしまうものなのだ。私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっているのだ。」
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暗黙的認識を排除してすべての知を形式化しても自滅するだろう。
問題の妥当性
ありふれた自己矛盾を暴き出す
解決-新たな暗黙的認識の把握
成功とは掛かり合いの中のはなし?
実証主義が唱える客観性という理念にかわるべき確固たるものをみつけだすのは至難の業。でも取り組むべき課題?
潜在的に思考に没頭する人間
様々な思考の可能性に浸かることによって私たちは自己決定の絶対化を免れることができるし、断片的領域内で創造的独自性を持つことができる。探求者の社会。
限界
腰が定まらず、無責任、利己的、無秩序?
一貫性は自己調整機能によって自ずと確立され、対等なもの同士が権力を及ぼし合い、自己完結的。
-宗教的発展?
>事が成就する以前に未来に目を向けているという点で、発見の行為は個人的で不確定なもののようだ。それは問題の孤独な暗示、すなわち隠れたものへの手がかりになりそうな種だねの粗末な事柄の孤独な暗示から始まる。それは未だ知られざる一貫した全体の断片に見える。こうした試行的な先見性は個人的な強迫観念へと点じられなければならない。なぜなら私たちを悶々とさせぬ問題は、もはや問題とは言えないからである。その中に衝動が存在しなければ問題は存在しないのだ。私たちを駆り立て導く、この強迫観念がどこから由来するものか、それは誰にもわからない。なぜならその内容は定義不能で不確定なものであり、極めて個人的なものだからだ。実際それが明らかにされていく過程は「発見」として認識されるだろう。その理由はいうまでもなく、所定の事実に明白な規則をいくら適用し続けても、そうした発見に到達することはできないからである。真の発見者はその大胆な想像力の偉業によって賞賛を受けるだろう、その想像力は思考の可能性という、海図のない海を渡ったのである。
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「科学とは何のために存在するのか・・・?」ということをしみじみと考える本である。本文はかなり難しいが、解説を参考にすると分かるように思える。
ポラニーは、科学は「懐疑主義」により事実上の無神論に陥っていたとみなしている。そこで一部の勢力はソビエト共産主義に奉仕するために科学は存在する、と考えていた。ただいずれにせよ、それは彼は「懐疑主義」に堕しても、かつソビエト共産主義に奉仕する科学の姿も、それはどちらも違うだろうと考えた。その科学の「問題そのもの」をただ認識できる力が暗黙知であり、それが原動力だ、とする。
ヴィトゲンシュタインが対比として解説で出されている。彼はいったん哲学を「総決算」したかのようにしており、一定の周期でそのような人は哲学史にとどろく。中世から近世にかけてはデカルトがあてはまるだろう。ポラニーはそれに反対するタイプの哲学者であろう。「哲学」という「何かをしみじみと考えること」ということが、ポラニーからは伝わってくる。
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言葉にたよってばかりの従来の哲学・科学に対して、暗黙知と言う新しい切り口を理論として示した所が面白かった!また、実存主義に対しても批判を突き付ける著書に対しては、驚きをもった。実存主義を分かっていないので、あまり深く語れないが、実存主義を勉強したら、ぜひとももう一度読みたいと思う。
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「暗黙知」や「創発」など、なかなかエヴィデンスの得られにくい事柄というのは、世間に認知されにくいのかもしれない。
しかし、新鮮な視点を感じた。
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暗黙知というと野中郁次郎だが、同じ暗黙知を使っているとはいえポランニーと野中とではかなり認識がちがうのかなーと思う。
野中の暗黙知の区分は、現時点で言語化されているかいないかというところにあるんじゃないかと思う。今は暗黙知であっても、何らかの操作によって将来的には(ある程度)言語化できるわけで、潜在的な形式知予備軍と言えるもの。だから、SECIモデルのようなサイクルが出来上がる。
それに大して、ポランニーの暗黙知は、そもそも言語化が非常に困難なもののように思える。言語化されうる知識とは別の次元で、言語化されるどころか意識化すらもされない知識が知識が背後に控えていて、それが言語化された知識をささえている。そして、その背後にある暗黙知は常に更新されつづけていくし、暗黙知自体がさらなる知識を志向するというような考えでいいのだろうか。
最近、経済・経営系の本ばかり読んで頭が慣れてしまっていたので、読むのにかなり苦労した。、この理屈がどの程度妥当な理論なのかまではよくわからないけど、知識がどのように志向されるのか、そしてどう獲得されるのか、という視点からは示唆が多くて面白かった。
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マイケル・ポランニーの暗黙知の次元。ずっと読みたくて買ったが、途中で読みかけていたのを読了。
なかなか日本語が難しく読みにくかった。もっと読解力をあげないとなぁ‥
書評は偉大なる正剛さんと橋本さんのブログに譲る。
千夜千冊
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1042.html
情報考学
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/11/post-1112.html
まあ、これで得られたものとしては、暗黙知とはゲシュタルト的なものであり、創発によって知り得ることであるということだ。
なんのこっちゃとは思うかもしれないが、それは本書なり上の書評なりを読んでいただければわかることと思う。
思えば、仕事や技術に関する知(ナレッジ)も結局は体系化して管理ができていても、あくまでそれは在ることを知るという観点であって、決して暗黙知を共有することにはならない。
過程において発見するものなのだから。
そういう意味で特殊な仕事や技術においてはギルド性が重んじられるものだろう。
うーん。師匠見つけねばな。。
星は4つで!
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共産主義と実存主義への対抗。ミームの進化論。アーキテクチャの生態系。低次から高次の動的生成。ダニエル・デネット流の進化論的自由論(機械的決定論批判)。身体。アフォーダンス。二次的理解。基礎情報学。
私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。言葉が意味するものを伝える時のギャップは学ぶ側の努力によって乗り越えられる。暗黙の総合。
私たちは暗黙的認識において、遠位にある条件の様相を見て、その中に近位の条件を感知する。つまり近位項から遠位項に向かって注意を移し、遠位項の様相の中に近位項を感知する。
意味は私たち自身から遠ざかっていく傾向がある。
機能的
現象的
意味論的
存在論的
事物が統合されて生起する「意味」を私たちが理解するのは、当の事物を見るからではなく、その中に内在化するから、すなわち事物を内面化するからなのだ。
暗黙的思考が知全体にとって不可欠ならば、私的・個人的なものを排するという近代科学の前提を問い直さなければならない。
実証主義的科学哲学への批判。科学的探求は個人的なコミットメント。
暗黙知は身体と事物の衝突から、その衝突の意味を包括=理解(コンプリヘンド)することによって、周囲の世界を解釈する。
→すごくギブソンっぽい。
進化を駆動してきた「太古の自己保存の仕組み」に対抗せよ。しかし、利己主義への反抗も進化で説明できる。
→ドーキンス的?
批判精神+道徳的欲求=怒りに満ちた絶対的個人主義
啓蒙主義から生まれた壮大な哲学運動は人間の絶対的な知的自己実現を高らかに謳い上げたが、その根拠となったものを否定する。なぜなら、暗黙的思考があらゆる認識に不可欠の要素であり、なおかつすべての明示的認識に意味を与える究極の知能だとするなら、それは、現世代は言わずもがな、後続の世代が自分の受けた教えを批判的に検証する可能性を否定することになるからだ。
教育、無意味に思える、権威の受容、信じることで理解できる
科学的伝統が自己革新するための力の源泉は、隠れた実在(リアリティ)が存在するという確信である。
→探求者の社会
進化論的革新の過程
人間の思考と革新、問題の場、努力、想像上の衝迫
高次の安定的な意味への到達可能性によって触発される
→こうした得意なタイプの不確実性が存在するには「意識」が発生していなければならないはずだ
倫理:思考によって形成される究極の暗黙知
暗黙知が社会的なものであるなら、それが倫理的であってもなんの不思議もない。
完全なる社会と、完全なる道徳。この二つを克服しなければならない。
→暗黙知の階層性と社会性が極端な完全主義を乗り越える処方箋
※西垣通っぽい
→より高次の知へと自らを更新し続けるということは、現行の知は常に不完全である。
科学者としてのポランニーは変化や進化の方法を科学的に基礎付けようとした。哲学者としてのポランニーは暗黙知によって人間と宇宙を貫く倫理を夢想していた。(��者)
ポランニーの英文は諦めが悪い。まるで思想を反映しているように。ある「予期」をもって書き始めるが、様々な要素が付加されて、段々に全体的な意味が達成されていく。
「書かなければ何も解らぬ」小林秀雄