紙の本
混とんとした時代の混とんとした話
2019/01/26 23:47
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
スタンダール、モーパッサン、バルザック、コンスタンの操る金と女のことしか考えていない貴族たちの時代が崩壊して100年、20世紀の混沌としたパリと、ニューヨーク、デトロイトといった資本主義が完全に貧富の格差を広げてしまった自由と平等の国だったはずのアメリカを放浪する(というより嫌なことがあるとすぐに逃げ出す)バルダミュが主人公だ。ほとんどの登場人物が主人公も含めて虫けらのような存在として描かれ、また虫けらとしての自分を肯定しているように思える。革命が起こったところで、富める者と貧しい者とは確実に線引きされている。友人ロバンソンやその恋人マドロンの毒づく言葉はこの時代の庶民の本音なのかもしれない
紙の本
呪詛という行為
2022/03/27 21:58
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
フェルディナン・バルダミュは衝動的に志願兵となり、戦場に送られる。そこは無意味に人が死に、死地においやられ苦痛を被らされる場所。負傷して帰還して療養施設に隔離されても理不尽な目に逢い続け、やがてアフリカに渡りさらにアメリカに行きつく。どこへいってもバルダミュがみるのは汚物まみれの見にくい人間の姿。巻の終盤でかすかに善意を見いだすが、それも振り切って帰国を決意するところで下巻へ。暗澹とした内容だがこのどこか飄々とした語りはドンキホーテ譲りだろうか。
紙の本
フランス人医師であり、作家でもあったセリーヌ氏の名声を確立した代表作です!
2020/08/23 11:39
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、20世紀に波瀾の人生を送ったフランス人医師であり、また作家でもあったセリーヌ氏の作品です。同書は、1932年に刊行され、著者が作家の名声を確立した代表的な作品ですが、反資本・反ユダヤ主義の立場からフランスの現状を痛罵した時事論集などのために、戦犯に問われ、亡命先のデンマークで投獄されたという過去をもった書でもあります。同書は、全世界の欺瞞を呪詛し、その糾弾に生涯を賭け、ついに絶望的な闘いに傷つき倒れた「呪われた作家」とも呼ばれるセリーヌ氏の自伝的小説です。中公文庫からは上下2巻シリーズで刊行されており、上巻は、第一次世界大戦に志願入隊し、武勲をたてるも、重傷を負い、強い反戦思想をうえつけられ、各地を遍歴してゆく様が描かれています。
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七尾旅人が大変衝撃を受けたと、ある雑誌で話していたため、即買い。
上巻のラストの辺りを、落書き張に模写して心に留めようとしました。朧気ながら覚えている範囲内で書いてみると『我々が求めるのは、多分これなのだ、ただこれだけなのだ。つまり、生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ』七尾旅人も、1stアルバム『最低なれピンクパンク…!』の中の文字がもじゃもじゃある中の一つに、セリーヌの言葉を引用していたように思うのですが…
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物語自体はテンション低いはずなのにすごく興奮して読んでしまう小説。絶望。でも大好き。なぜか読むと元気になる。
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まだ読んでない人は羨ましい。
まぁ読んで呉れ。
全く救いの無い世界。読み終えた後味の悪さ。
しかしながら、それでもこの世の中が少し好きになってしまう不思議。
タイトルが「夜の果ての旅」から「夜の果てへの旅」に変わったみたいですね。
ま、こっちの方が分かり易いですが。
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下手に希望を持とうとしないことも強さであるような。酷いものはどうしたって酷いし、醜いものは醜い。文庫で上巻が約380頁あるのだけど、その間たるまない怒りのテンションがすごい。
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人生とは登り道ではなく、下り道である。進めば進むほど下って行くのだ。
行く先行く先で人間と社会の醜さを毒づき、孤独と放浪の人生を送る主人公。
何もかも愚かしく思え(実際愚かしい)、かといって自分にも自信が持てるわけでもなく、どこにも居場所がないと感じる。
現代人・社会が抱える病理がここに既に表れているように思う。
ここまで諦めの境地に達しているわけではないが、とても他人ごととは思えぬ話だった。
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『ところが、あの時分と現在の僕らとでは、こうして、いきなり挨拶ぬきで、道のど真ん中で、どたまをねらい合ってあるぼくたちとでは、ひらきが、いや断絶がありすぎる。あんまりな違いようだ。戦争は要するにちんぷんかんの最たるものだ。こんなものが長続きするわけがない』
人生は長いのだろう、と、ある歌姫は歌った。それは正しいとも言えるし、間違っているとも言える。その判断は、今現在の自分の置かれた位置によって、あるいは、その位置についての自己認識自体によって変わり、常に刹那的だ。自分自身の人生がいつ終わるのか、我々には知る術がない。そしてそれが長いと判断されるもののか短いのか、答えは定まるべくもない。人生は常に賭けだ。賭けに勝ったものだけが、その長短を語る資格を得る。負けたものにとって、人生の長さを計る尺度は何ひとつとしてない。あるいは、負けたと思い込んでしまっている者にとって。
セリーヌの長い長い悲嘆に満ちた回顧録のような文章は、その時々が人生の最終場面であるかのような嘆きに満ちつつ、いつ果てるともなく継続する。独りよがりの嘆きである。
独りよがりの価値観など、あるいは聞くに絶えないものであるかも知れない。しかし、そこに一縷の真実があるかも知れないと考え始めた途端、独りよがりは第三者を意識した言明のように響き、壁に落書きされた賢者の言葉の持つオーラに似たものを一瞬の間だけ纏うことができる。しかし、落書きは所詮落書きでしかない。独りよがりの価値観も、またそれ以上の価値を持つことは無い。
ここに縷々として連ねられているものは、愚痴や泣き言ばかりのように見える。しかし、そこには鋭い社会批判の目も備わっている、などと言われることはセリーヌにとった本意ではないのだろうと思う。逆に、愚痴泣き言ばかり、と批判されるのも本意ではないように。
こういう本は、基本、ただ読むしかない。そこに時代を感じるのも、個人の価値観を見出すのも勝手ではあるけれど、その普遍性を主張したり、まして、それを作家に還元したりすることは、差し控えなくてはならないことのような気がするのだ。いみじくもある歌姫が、「人生は長いの《だろう》」と答えを宙に流し遣ったように、それが正しい態度なのだろう、と思うのだ。
ただ、無意味に身体の中から出てくる言葉に、ホンの少し人生を重ねて書くと、それは半自動的に自伝的物語と見做される。そのことに辟易とする作家は、やがて口をつむぐ。先日、ツイッターでポール・オースターが、自分は恐らくクローゼットを一杯にするために書いている、と呟いていたけれど、セリーヌも同じようなことを言いそうだ。であれば、この文章を余り深掘りして意味を炙り出すように読むのではなく、少し冷静な立場で読むべきなのだろう。
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冬休みにこれを読みながらPSPでRPGゲームをやっていたんだけど、そのゲーム自体はおもしろかったんだけど、悲劇を起こさせるためだけのリアリティのない戦争描写って、善を説いていたとしても結構罪だなあっと今さらながらに実感した。
というようなことを思わせてくれた真っ暗闇を突っ走る小説。
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世の果ては夜明けではなくもっと闇。どこまでも暗く、救いようのない本。ハッピーとは無縁。どんどん暗くなれる本。
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ジッドはセリーヌの作品に対しこういう指摘をしているらしい。「セリーヌが描き出すのは現実ではない、現実が生み出す幻覚」なのである、と。
そう言われるとこの本の声の出どころはずっと熱にでもかかっているように思える。治癒の方向へ向かうという予兆すらない。全800ページぐらいに渡ってずっと…
最初そういえばおとぎ話のようだと読んでいて思ったのである。エピソードが語られるがどれも浮遊感があって、落ち着いた読みをこちらへ許さない。しかしふわふわしながらも話は一応進んでいる(ように見える)。自分のここらへんのイメージがどこから出てきてるのかと考えると「不思議の国のアリス」かな?などと思うのだけど、実際にアリスを頭の中で横に置いたら全然違う。なんだかわからない。
「熱に浮かされている感じ」というところに戻ってみる。この熱は戦争がもたらしたものなのだろうか? 『夜の果てへの旅』のあらすじ的な説明を書いてみると「第一次世界大戦に志願入隊し、武勲をたてるも、重症を負い、強い反戦思想をうえつけられ、各地を遍歴してゆく」ということになる(表紙裏より)。
「戦争」について書かれたものを、世代的に私は「古典的な名作」としてまず受け取る。「戦争が悲惨であること」にはどうしても想像力が及ばないところがある。「戦争の凄惨さを思い知った」というような感想を書いてもいいものなのかどうなのか、そう書いてしまったことでいったん決着をつけてしまったことにならないか。でも、想像が及ばなくても限られたリソースの中から絞り出そうとすることは必要だろうとも思う。あくまで自分にとって、であるけれども。
個人的に仕事で憂鬱な状況が続くことがあって、しかもそれが自分ではどうにもならないところで動いているような気にとらわれ、朝起きると全く状況が好転していないことに気づいて愕然とする。『夜の果てへの旅』は「絶望」という言葉とよくセットにされるけれど、寝ても覚めても状況が変わらない時に至る境地があるのだろう、ということについてかすかながらに身に覚えがある者として、少し響くところがあった。ふとした折に、明けない夜の果てにあるものについて考えてみたくなることが、また出てくるだろう。
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セリーヌの半自伝的小説。
主人公バルダミュは、第一次世界大戦に志願兵として参加するが負傷し、反戦を叫びながら、世界中を彷徨する。
破壊力のある文体で、この世界の不正を糾弾する。
「これは、生から死への旅だ・・・・・・目を閉じさえすればよい。すると人生の向こう側だ。」
上下分冊で、それなりに長いです。文体はアクが強く、その主張も一癖あります。よって、読む人を選ぶ小説でしょう。
世の中に対する愛情が強すぎて、憎悪に変わってしまいがちな人。胸がもやもやとして、叫びたいのに叫ぶことができない人。
そんな人は、きっと、強く惹かれると思います。
セリーヌの小説の中では、一番読みやすいと思います。
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上巻では、若い主人公が激情に駆られて第一次世界大戦に飛び込み、精神を病んでアフリカの植民地へ、そしてアメリカへと遍歴する。感想はまとめて下巻で。
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長い詩を読んでいる気分。
「パルプ」がおもしろくて、だからブコウスキーが好きだった作家ということでセリーヌに挑戦してみましたが…わたしにはまだ早かったようです。
途中までしか読めなかった…アフリカでの熱波の日々まで。