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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.2
  • 出版社: PHP研究所
  • レーベル: PHP新書
  • サイズ:18cm/205p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-569-63269-6

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歴史学ってなんだ? (PHP新書)

著者 小田中 直樹 (著)

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歴史学ってなんだ?

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みんなのレビュー39件

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評価内訳

紙の本

歴史学を考える

2004/01/28 00:46

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る

 すごく面白い。久々に読んで満足感を覚えた新書である。
 本書には、3つの大きな柱がある。一つは、「史実を明らかにできるか」。次に、「歴史学は社会に役に立つか」。そして「歴史家は何をしているか」である。これらのテーマは、同じ人文系の文学を研究する私自身にとっても関心のあるテーマだ。
 というのも、最近、文学の研究においても歴史/物語を問う研究が増えている。たとえば、よく言われることだがフランス語の「histoire」は「歴史」を意味すると同時に「物語」も意味している。したがって、物語と歴史の境界は実は非常にあいまいで、それは本書でも歴史小説と歴史書のちがいを取り上げている。
 そんなわけで、歴史研究と文学研究はかなり近い位置にあると言える。したがって、私は本書読みながら「歴史」という語を「文学」と置き直して文学について考えてみたりもした。たとえば、「文学」は社会に役に立つか、というように。
さて、本書において私が特に印象的だなと思った箇所を引用してみよう。それは、歴史家は何をしているのかについて論じているところ。歴史家が史料を集めて、そこから得た知識をどう文章化するのか述べた箇所である。

《そして、歴史を論じる文章を書く際に留意しなければならないポイントは、この「読み手をわくわくさせる力を備えていなければならない」ということにあります。文章化するということは、読み手とコミュニケートするということです。読み手をわくわくさせられなければ、コミュニケートは困難です。そんな文章は、書き手の自己満足以上のものにはなりえません。》

 そして、さらに歴史家に必要なものとして著書は「情熱」を挙げている。「情熱」があれば良い、ということではないけれど、「情熱」の込められていない歴史像は面白くないと言う。このちょっと気恥ずかしい研究に対する「情熱」という言葉を、こんなところで出会って一瞬驚いたけれど、しかし研究を続けているとつい忘れてしまいがちなのがこの「情熱」なのではないかと反省する。
 読んで面白い研究書というのは、文芸作品を読んでいるときと同じように「わくわく」するものなのだ。たとえば、ミステリー小説のように、謎を解き明かしていく、そんな研究書はたしかにある。こういう読書経験を実際私は何度か経験したことがある。というか、書評でも書いて紹介したいと思う研究書は、たいてい読んでいて「わくわく」した本だ。「わくわく」しない研究書など、紹介しようとも書評を書こうとも思わない。
 読み手をわくわくさせることによって、読み手とコミュニケートする。これこそ、開かれた研究と言えるだろう。そして、歴史の絶対正しい認識ができない以上、「よりよい認識や解釈や歴史像」を手に入れるために必要なことなのである。
 読み手に何かを喚起させる力、それをもたらす書き手の情熱。私が論文を書くときにも、このことを常に心がけておこう。

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紙の本

あの山に登ろう

2007/05/21 08:05

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る

入門書のスタイルにもいろいろある。『ニーチェ入門』のような人物ものなら、その思想や人となりをまとめるのが主流だろう。
一つの学問を、丸ごとターゲットとする入門書はどうだろう。「広き門から入れ」が無難なやり方だろう。全体を浅く広くカバーし、主要なトピックをカタログ風に並べたりする。目新しさはないが、とりあえず、そんなものかと分かった気になれそうだ。

でも、「こんな手法もいいねっ」と思わせてくれるのが本書だ。なにしろ、論点をほぼ三つに絞ってしまっているから、ルートの見通しがすごくいいのだ。


小田中レキシ岳という山に、これから登ることになった。初心者のわたしは、不安を抱えながらガイド(小田中氏)と共に麓に立っている。ガイドはペン先で指しながら「この尾根を登って、あの峠とあそこに見える二つのピークを経由して山頂に行きましょう」と目標を明瞭に示してくれた。
これで俄然やる気が出る。初心者にとっては、コースのイメージが頭の中で固まった方が安心だ。しっかりついていけば、このコース歩ききれるんじゃないかと思えてきた。

さあ出発だ。歩き始めて山頂に至るまで、三つの中間目標地点以外にも見所が多い。途中何度も開けた場所に出る。お花畑もある。
ガイドは遠くに眺望できる魅力的な歴史ある山々や、太古の昔から変わることなく、めぐる季節ごとに咲き続ける草花の名前を私に教えてくれる。思わず足を止めて見入ってしまうようなエピソードを添えて。
その中には「ああ、知ってる」と、生意気にもガイドに向かって呟いてしまうような有名な山・花もあるが、教えてもらわなければまず見逃していたような隠れた名山や、希少種の草花も多い。
伊達にガイドはやっていないなあと、目を丸くしてしまうのだ。こういった見所が絶妙のタイミングで現れ、山行を飽きさせない。
こんなに道行きの途中も楽しめるとはね。早くも次はあの山この山に登ってみたいと夢がふくらむ。

ただ、森の中を歩いていると、ガイドは分岐点で立ち止まり考え込むことがある。右でも左でもこの先で合流するのだが、どちらを行けばより充実した山行になるか迷っているようだ。本当はここで「煮え切らないなあ」とじりじりしながら待っているのではなく、自分でも地図を開いて一緒に検討してみるのがいいのだろうね。
中間地点を通過する度に、確実に山頂が近づいてるなという手応えを感じる。

おっと、霧が出てきた。ガイドだって人間だから間違うことはある。道が分からなくなっちゃった。乗ずるように、四方八方から「こっちだー、こっちだ〜」と不気味な呼び声がこだまし始めた。うひゃあ、これが噂のブロッケン現象ってやつ? すぐさま「違うよ」と否定されてしまった。
でも、そんなに間をおかずに霧が晴れてくれたと同時にこだまも消え、もとのルートに復帰できた。ふう〜。
頂上直前にちょっとした難所にさしかかる。この岩場にははっきりとした踏み後はない。手がかりを捜しながら慎重に登っていこう。

いよいよ山頂だ。小さな失敗はあったが無事にたどり着いた。思ったよりは平凡な山頂だった。でも、眺めはいい山だ。長大なレキシ岳の山脈が眼前に横たわっていて、自分はそのはじっこの一角にしかいないんだということを思い知らされる。
山頂にはサイード種の、『知識人とは何か』草が咲いていた。ガイドはこの花が好きみたいで嬉しそうに見ている。わたしはそんなに好きな花じゃないんだけど、まあ、その話は別の機会にするね。

ゆっくり休んだら降りるとしよう。下山は一気呵成ですむのが、このタイプの山歩きのいいところだ。
ガイド料も安かったし、なかなか充実した山行だったよ。

さ〜て、次の休日にはどの山に登ろうかな。

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紙の本

それでも「客観的な歴史」は存在する

2004/02/03 02:39

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 僕が小田中さんのことを知ったのは何を隠そうこのBK1の書評を通じてである。専門の分野で立派な業績を上げながら、驚くほど読書幅が広くて、しかも文章がとても明晰で、僕にとっては憧れの人だ。実はこの書評の文章を書くとき、意識的に小田中さんの文体をマネしているくらいである。
 そんな小田中さんらしく、この本では「史実を明らかにするなんて可能なのか?」「歴史学って社会の役にたつのか?」といったラジカルな問題が、現代社会のアクチュアルな課題ともからませて誰にでもわかりやすい形で語られている。

 たとえば、小田中さんは、小林よしのりが『ゴー宣』で取り上げたことで社会現象にもなった「従軍慰安婦論争」について、単に「保守と革新」という対立には解消されない、「三つ巴の構造」があったことに注目する。つまり、そこでは吉見義明さんのような「実証史学」の人は、「国民の物語としての歴史」を掲げる「新しい歴史教科書を作る会」の人たちだけではなくて、「史実の客観性なんて存在しない」というポストモダン派サヨクからの攻撃も受けなければならない、とても厳しい状況にさらされていたというわけだ。 
 僕も東アジア諸国に対する戦争責任の問題には関心があるのでこの「論争」には興味を持っていたけれど、そうやって左右両陣営から自分たちの学問的基盤を批判されているはずの実証史学の人たちが、そのことに関しての正面切った批判をほとんどしていない(『世界』2001年9月号の古厩忠夫さんによる論考はその例外だろう)ことには不満を持っていた。その点で、構造主義・ポスト構造主義への一定の教養を持ち、「歴史家は何をしているのか」といった舞台裏の紹介もしながら、実証史学の立場からそれをきちんと批判する小田中さんのような人は大変貴重だと思う。

 そういったアクチュアルな問題の考察を通じて、小田中さんは「社会の役に立つもの」としてではなく、「個人のコミュニケーションを通じた相互理解」のための方法として歴史学を捉えなおそうという結論にたどりつく。この結論に基本的には僕も共感するけど、ただそのたどりつき方がちょっとあっさりしすぎている、という印象は持った。いかに歴史が本来「個人」のためにあるのだとしても、「社会」「集団」の利益のために「歴史」を用いようという試みが後を絶たないのはなぜだろうか。それは「集団のための歴史」という考えが一種の「魔力」を持つからじゃないだろうか。それを内在的に批判するのにはいったんその「魔力」に寄り添う必要があると思うんだけど、どうもこの本にはそれが足りない気がする。 
 特に日本の状況について考えたときに、小田中さんの結論は楽観的過ぎるんじゃないかと思えるところがある。この点、例えば同じ時期に出た阿部謹也さんによる『日本人の歴史意識』(岩波書店)が「西洋人と日本人の、歴史意識に関する絶望的な違い」を強調しているのとは対照的だ。

 まあ、小田中さんほどの人ならそれは百も承知だろうけど、この本はなにぶん少ない分量で高度な内容を語ろうとしているため、ちょっと結論を急いでいるという気がしないでもない。欲を言えば、小田中さん自身がこの本の結論にたどり着くまでに経験した「葛藤」をもう少し語ってほしかったところだ。でも、その辺は先に出ている『歴史学のアポリア』ですでに展開されているのかもしれない。読んでみなくちゃ。

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紙の本

記述の仕方が著者自身の主張を裏切っている

2004/05/12 18:48

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ポストモダニズムが文系学問の世界に浸透して以来、歴史学の王道と見られた史料に基づく実証主義も、その大波をまともにかぶらないではいなかった。
例えばA・カーナン(編)『人文科学に何が起きたか——アメリカの体験』(玉川大学出版部)は、「ポストモダニストにとって過去から導き出される真実などは何もない。過去は歴史学者がつくりだす〈社会的構築物〉にすぎない」(150ページ)とする見解にどれほどアメリカの大学が揺さぶられたかを伝えている。
著者はそうした傾向を批判し、あくまで実証主義的な立場から歴史学を擁護しようとする。そうした基本的な姿勢自体は悪くないと思う。しかし、この本の著述の仕方自体が、著者の主張を裏切っているとしたらどうか?
著者は本書の第2章で従軍慰安婦論争を例として持ち出し、ポストモダニズム的な論客として一方にフェミニストの上野千鶴子を、他方に「新しい歴史教科書をつくる会」の坂本多加雄を挙げ、双方を批判する。そしてそれと対蹠的な歴史学者として吉見義明を挙げ、称揚するのだが、ここの議論の進め方にはいささか疑問がある。
第一に、著者が引用している坂本多加雄の本は、『歴史教育を考える』(PHP新書)である。歴史研究や歴史学のあり方自体が主題になった本ではないのだ。事実、坂本はこの本の中で「歴史教育について論じる際、まず指摘しなければならないのは、政治の世界、歴史研究の世界、さらに歴史教育の世界は、それぞれあくまで別の原理に立つべきだということである」(36ページ)と断っている。
こうした坂本の言い分は分かりやすかろう。教育と学問が同じ原理に立脚しないことは、例えば学校で教えられる数学を見れば明らかだ。正解が出るような領域や問題に限定して学校教育がなされるのであり、それ故に中学・高校で数学が得意だった生徒が学問としての数学に有能であるとは限らないのである。
著者がこの点を無視して坂本の本を引用し批判しているのは、したがってアンフェアだと言うしかない。
第二に、従軍慰安婦問題については、吉見の本だけでなく他にも文献が多い。その中で秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社)は、「強制連行」という概念を吉見が拡大解釈したことに対する明瞭な批判を打ち出している。そもそも秦はかつて、従軍慰安婦を強制連行したと「告白」した日本人がペテン師であることを証明し、この「告白」を鵜呑みにした吉見も自分のうかつさを認めざるを得なかったという経緯がある。
著者は何故その吉見の本だけを頼りに、慰安婦の強制連行があったとする彼の説を「模範的な歴史家の営み」(89ページ)と評することができるのだろうか。少なくとも秦などの従軍慰安婦強制連行否定説を学問的に吟味し批判した上でなければ吉見の本を評価することは不可能なはずだが、そうした「学問的手続き」を著者はまるでとろうとはしないのである。
こうした著者の、自分自身の主張を裏切るような姿勢こそが、この本の価値を大きく損なう要因になっている。一見学問的なようでありながら、実はイデオロギーが透けて見えるのでは、著者が批判するポストモダニズム的な歴史学の方法と大同小異ではなかろうか。その意味で、芳しからざる出来の本であると評さざるを得ないのである。

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2007/01/09 01:25

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