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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.2
  • 出版社: 講談社
  • レーベル: 講談社現代新書
  • サイズ:18cm/446p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-06-149703-0
新書

紙の本

「おたく」の精神史 一九八〇年代論 (講談社現代新書)

著者 大塚 英志 (著)

「おたく」の精神史 一九八〇年代論 (講談社現代新書)

税込 1,045 9pt

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みんなのレビュー26件

みんなの評価3.8

評価内訳

紙の本

著者コメント

2004/02/20 11:38

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:大塚 英志 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 これは極めて個人的な80年代史です。ぼくが80年代に関わった出版物や事件を軸に80年代とは何であったかを検証する「私史」といえます。ぼくにとって80年代やそこで関わった人々やことがらは決してただ懐かしいことではありません。様々な後悔や屈託とともにあります。
 ただそれでも80年代の私的な回想を記録しておこうと思ったのは、あの時、露わになったり潜在的にあったりしたいくつもの問題が、明らかに「現在」につながっているからです。それらの問題の所在をぼくは平仮名の「おたく」という語によって表象させます。ぼくはそれが「おたく」を「オタク」と片仮名に表記し直すことで克服されたなどとは全く考えることができません。
 原型となったのはかつて『諸君!』に連載され「石原慎太郎」問題の余波で中断したままの「ぼくと宮崎勤の’80年代」です。新書としては異例の四〇〇頁の厚さです。近頃妙に賛美され、ノスタルジックに回帰される80年代ブームに水を差すことになるのでしょうが、別に狙ったわけではありません。『サブカルチャー文学論』及び『アトムの命題』との併読を単に作者のPRとしてではなく、強く希望します。

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紙の本

ま、これは極めて個人的な80年代史であって、畢竟、大塚の生き方を好むか嫌うかで評価が決っちゃうんじゃあないかと思うわけ、少なくとも理論的なもんじゃあないさね

2004/04/17 20:43

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

「現在」を見据えるために

本書は「おたく」なる語が、なるほどアニメやコミックの特化した受容者を表現する語であったことを全く否定しないし、その起源について検証するが、しかし、同時にその語をもって八〇年代に露呈した、あるいはその時点ではまだ潜在的なものでしかなかった時代のあり方や思考を代表させている。
八〇年代の全てを「おたく」の語に集約しうるとなどとは考えないが、しかし八〇年代の「おたく」文化を検証することで見えてくる「現在」があり、それはアニメやコミックの「現在」ではなく、新世紀の日本社会の「現在」である、とぼくは感じる。

以上が本書カバー折り返しの言葉。うーん、これだけ読んでると何がなんだかわからん、である。なにを小難しいこと言ってんだろう、何とかならんか、でもある。しかし、西島大介のカバーイラストは、まさに大塚いう所の手塚タッチで可愛らしい。

全体は大きく四部構成。各部はさらに小さく6つから7つの章からなる。各部のタイトルとこの本の内容を示すだろう代表的章の題を書いておこう。これはいつもの手抜き気味な本の裏からの引用ではなく、それなりに知恵を絞ってみた結果である。

第一部「「おたく」と「新人類」の闘争」からは「「おたく」の誕生」「新人類とは何であったのか」。第二部「少女フェミニズムとその隘路」からは「黒木香とピンクハウス」「岡崎京子のいた場所」。第三部「物語消費の時代」からは「収集する主体」「前世を探した一四歳」。第四部「九〇年代の中の八〇年代」からは「湾岸戦争と「文学者」たち」「オウム真理教を論じるためのメモ」、それにあとがき。

正直、この本を読んでいて心地よい思いをする人は少ないのではないか。焼け太りという言葉の正しい意味は知らないけれど、もしそれが私の考え通りならば、まさに大塚は人の不幸を種に飯を食ってきた、としか言いようがないのである。

少なくともこの本を読む限りの大塚は、金を得るために大学時代からエロ雑誌の編集に携わり、その時の人脈で現在まで暮らしてきている。そして編集者として性を食い物にし、身勝手に雑誌を起こしては潰し、現在名のある漫画家は、いちどは自分が手掛け、あるいは縁があったと自慢する。

その一番が、昨年傑作集が出されて評判を呼んだ岡崎京子、彼女の名前を盛んに取り上げることである。自分が岡崎の産みの親であるかのような顔をするのだ。それはまさに有名人と同じ学校を出た、というだけで自分そのものが偉くなったと錯覚する、私から見れば噴飯者の日本人によくいる愚か者の姿に他ならない。

それは、一時期を風靡した作家や文壇関係者、漫画家の名前出すことにもよく現れている。無論、それが八〇年代であり、その時代を描こうとすれば、当時の有名人に触れないわけにはいかない、ということはよく解った上で、でもそのどこかに虎の威を借る、ではないけれど、ともかくあいつらと話したんだよという自慢の気配を感じるのは私だけだろうか。

岡田有希子、宮崎勤、オウム真理教、あるいは少年Aといったマイナーなというか、死や犯罪にまつわることを論じることで地歩を固めていくサマは、やはりご当人以上に、それを読まされるものにとって、金さえ手に入れば何でもやるんだ、という偏見を植え付けていく。その極め付けが、昭和天皇崩御と記帳に関する記事だろう。信念もなにもない、行き当たりばったりの暮らし方。しかも、常に出版界のメジャーマイナーなところに地歩を占めているという自信。

『キャラクター小説の作り方』も、バイブルというよりは、何か大塚の仕掛けによってあたかも凄い本であるかのように思わせられたものの、読んでみればこりゃなんじゃい、というような肩透かし本であったけれど、少なくとも私にとってこの本も同じような意味しか持ち得なかった。相性が悪い、の一言で片付けられる以上のものがある気がする。

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紙の本

あいまいな虚構と現実の中で

2004/07/01 13:28

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:闘竜 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 宮崎勤の事件によって「おたく」という言葉が一般化した九〇年代初頭、湾岸戦争に反対し出された「文学者」たちの声明を、大塚英志は「知」とサブカルとの仕切り直し、「八〇年代」という泥船からの逃亡だったとみてとる。いまからみると、かれらは時代の虚構から現実へ飛び立とうとし、けっきょく虚構の中へ着地してしまったということになる。また八〇年代半ば、前田日明らによって結成されたUWFは、アントニオ猪木的なプロレスの、あいまいな虚構と現実とを仕切り直すものだったはずだが、それはプロレスとも格闘技ともつかぬ境界上のいかがわしい存在すぎず、九〇年代初めには、やはり虚構によって成立するプロレスだったことが明らかになってしまう。
 虚実曖昧な世界に安住する視線は「おたく」によっていちはやく創り出された、と大塚英志は主張する。その「おたく」とは、「新人類」との階級闘争のはてに生みだされたものらしい。1983年、やがて新人類とよばれることになる中森明夫は、コミケにむらがる少年少女を差別的に「おたく」と命名した。その中森の文章を載せたエロ漫画雑誌の編集人だった大塚は、雑誌の方向性を「おたく」的なものへと選択し、「新人類」的なものを切り離す。新人類とは、当時すでに功なり名を遂げていた「若者たちの神々」に対して、未だ何者でもなく、「神々」の創り出した商品の忠実な消費者にすぎなかった。けれども、おたくの欲する商品はまだ経済システムの外にあり、その外側の商品の作り手たる大塚としては、市場としてのおたくを開発せざるを得なかったわけだ。
 大塚英志はその後の時代を、体験をふまえ、あざやかに読み解いてゆく。「世界を記号の集積から成るとみなす視線に追従する形で、情報によってあたかも現実がデザインされているかのようなリアリティが浮上していく」時代。革命も、性も、身体も、仮想の現象として受け取られていく。われわれはいまも、大塚を仕掛人のひとりとする虚実曖昧な時代の袋小路に追いやられたままだ。だから大塚がみずからの悪事(というか人の悪さ)も小出しにしつつ、他人事のように語る体験談や解説には多少の不快感も残る。ついでにいうと湾岸戦争反対声明の首謀者だった八〇年代の思想界のカリスマ・柄谷行人や、格闘界のカリスマ・前田日明がこうした隘路から脱けだせないで没落したとすれば、虚をおしすすめ政治活動・平和運動さえもプロレス化させたアントニオ猪木と、実をおしすすめ反戦から奉仕活動・市民運動を経て知事となった田中康夫の二人はみごと時代を逃げ切ったといえるかもしれない。

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紙の本

少女まんが論に特化すれば名著かもしれないが。

2004/02/29 09:28

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者は大学4年の80年末からアルバイトの形でまんが業界に関わり始め、80年代を実質的にフリーの編集者として過ごした。作っていたのは「漫画ブリッコ」というエロ雑誌だが、この頃サブカルチャーには奇妙なパワーが集まってきており、こうしたメディアを跳躍台にしてメジャーになっていった作家・評論家も多い。もちろん大塚英志自身もその一人だが、岡崎京子がこうした経路でメジャーになった作家であることは有名だ。

本書は、80年代のサブカルチャーの歴史を当事者が回想したものである。
内容を見出しから拾おう。

・「おたく」と「新人類」との闘争
・岡田有希子と「身体なき」アイドル
・上野千鶴子の妹たち
・ディズニーランドと現実化する虚構
・昭和天皇の死

感想を手短に述べる。
1. 元まんが編集者だけあってまんがの技術的な分析および商品としてのまんがの分析には聞くべきものが多い。とくに萩尾望都などの24年組によって切り開かれた内面描写技術について論じた部分は面白い。吉本隆明を引用しながら紡木たくを分析する部分など、たしかに決まっている。
2. 歴史的な事実の記述、個人的経験の再構成、意味の分析(さらに特定個人への嫌味)などが渾然一体となった構成なので、読者の側にどこか足場がないと読みにくい。たとえば80年代に興味を持った高校生が当時を知るために本書を手にとったとすると、困惑すると思う。
3. 幼女連続殺人事件への言及は正直いってよくわからない。オウムならば、サブカルチャー論の文脈の中で扱わなければならない必然性があると思うが、あの事件に関してはどうか。もとの連載が「ぼくと宮崎勤の80年代」という題されていたそうだから、仕方ないのかもしれないがこの部分は刈り込んだ方がよかったのではないか。

この時代は、私自身大学生として過ごした時期なので触発されて思い出すことも多く、興味深く読んだ。しかし80年代という時代は、残念ながらやはりパッとしない印象だ。時代の中から磨けば光る原石を取り出すとしたら、やはり当時の少女マンガの一部にあった先鋭的な表現技法にあるのではないか。部分的には教えられたけれど、どうも波長が合わないので星3つ。

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紙の本

「私」の多元化と「私」への拘泥

2004/06/11 22:27

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:さいとうゆう - この投稿者のレビュー一覧を見る

 例えば1983年という年が、もう20年以上も前の事柄に属すという事実に、改めてある種の感慨を覚えてしまう30代以上の方は多いだろう。東京ディズニーランドが開園、任天堂はファミリー・コンピューターを発売、浅田彰が『構造と力』を上梓し、西武百貨店で「おいしい生活」が手に入った年だ。

《80年代の全てを「おたく」の語に集約しうるなどとは考えないが、しかし80年代の「おたく」文化を検証することで見えてくる「現在」があり、それはアニメやコミックの「現在」ではなく、新世紀の日本社会の「現在」である、とぼくは感じる》(p.5 漢数字はアラビア数字に置き換えた——引用者注)

 「リアル」なものの形が変質しつつあったその時代、虚構は現実の代替物であるものから、虚構であるという立場を保持したまま戯れるための記号空間へと変貌を遂げる。文字通り「仮想現実の時代」の幕開けであった。

 「おたく」という平仮名書きにこだわる筆者は、その頃エロまんが誌の編集者をしていたと言う。「劇画」がもはや衰退しつつあった状況の中でもがく一編集者としての軌跡が、サブ・カルチャー領域の変遷に重ねあわされながら綴られてゆく。1980年代の「おたく」は、当時出現した「新人類」のごとく、消費者としての「主体性」すなわち物を作る側にではなく買う側にこそ優位性があるという神話を信じることもできず、コミック・マーケットなど、経済システムの外側にある、自前の市場を模索していた。

 新書とは思えないページ数に、まさに屈託した「私」の精神史が綴られてゆく。虚構世界では一人称の多元化、すなわちコマ単位で変化するキャラクターの内面描写が趨勢となる一方で、それを語る筆者の語りには、当時抱え込まれていた葛藤と逡巡が色濃く反映されていて、矛盾を引き受けようとする意志と自身の自嘲気味な半生が記されている。

 大塚英志にとって、「おたく」とは一つの生き方である。それはディズニー・ランドからオウム真理教へと拡がる、茫洋とした現代世界を捕捉する為の戦略としての視座でありながら、止むに止まれぬ切迫感を伴った表現欲求のはけ口でもあり、同時代を駆け抜けてきた戦士たちを系譜として紹介しながら、彼あるいは彼女らとの関わり方を通して浮かび上がる、大塚英志という生き様である。

 屈託ある「おたく」がいまどれほどいるのか分からないが、だらしなく口を開けた「動物」たちよりは百倍マシであろうし、それを踏まえた上で、大塚英志が言う意味での「倫理」という言葉を私は信じてみたい。「癒し」が商品になる時代とは「心」が唯物化されつつある時代であり、語るべき言葉を持たないからといってその内側に巣食う闇が狭まるわけでもないならば、「おたく」と「現在」を接続しようと試みる氏の模索はいつも、ある種の誠実さと切実さに彩られていて、この「古臭さ」こそ、失われてはならないような気がするのである。

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身銭を切った「私」評論

2004/04/10 22:43

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:KANAKANA - この投稿者のレビュー一覧を見る

 逃れようがないほど紛れも無く、私の記憶の原点は1980年代の中にある。
 健康的な野球少年に混じって、自室がガンプラ部屋と化している小学生はそうめずらしくもなかったし、『風の谷のナウシカ』を映画館で見たか・何回見たかがアニメ好きの踏み絵になるような、そんな子ども時代だった。

 ただし、まだ大人の事情に足を踏み入れるほどの年齢でもなかったから、何の脈絡もなく腋下を曝け出しながら「わたくしは…」と慇懃にコメントを述べる女性を見ては、「この黒木香というオネエサンは、何故テレビにでているのだろう」と思ったし、岡田有希子の自殺にも特別な感慨は持たなかった。周りの男の子は皆、おニャン子クラブに夢中だったから。さらに言うと私は、事故に遭った後の岡崎京子しか知らない。

 だからこの本は、自分の中でまだらに抜け落ちている80年代カルチャーの綻びを、ひとつひとつ繕ってくれるような、そんな役割をもってくれた。
 著者の評論家としての立ち位置が、正道であるか「おたく」であるかはともかく——しかし偏向していない評論なんてものは存在するのだろうか——ノスタルジーに裏打ちされた時代論ではないことは、言うまでもない。ニューアカ、ロリコンまんが、上野千鶴子、宮崎勤、都市伝説、UWF、etc…、過剰なほどの固有名詞を駆使して語られるのは、「私=主体の内面」がどのように変容してきたかという、むしろオーソドックスな問題だ。

 そして、この本が一貫した全体像を結びにくいのも(まとまりがないという意味ではなく)、一個人がどこまで自発的に文化を創り出そうとしていたかという闘いの記録でもあるからで、読み手はこのすべてを「同時代的に」理解しようとするよりはむしろ、共感できるところだけをひろって、自分なりの世界像を再構築すればよいのだと思う。

 大塚英志というキャラの際立つ、「私」評論である。

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2005/10/29 00:41

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2006/12/09 22:42

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2007/03/05 20:37

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