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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2004/02/13
  • 出版社: 講談社
  • レーベル: 講談社文庫
  • サイズ:15cm/189p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-06-273958-5
文庫

紙の本

熊の敷石 (講談社文庫)

著者 堀江 敏幸 (著)

【芥川賞(124(2000下半期))】【「TRC MARC」の商品解説】堀江敏幸の文章は、いろっぽいのだ。――川上弘美(「解説」より)芥川賞受賞作「なんとなく」という感覚...

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熊の敷石 (講談社文庫)

税込 660 6pt

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商品説明

【芥川賞(124(2000下半期))】【「TRC MARC」の商品解説】

堀江敏幸の文章は、いろっぽいのだ。――川上弘美(「解説」より)
芥川賞受賞作

「なんとなく」という感覚に支えられた違和と理解。そんな人とのつながりはあるのだろうか。 フランス滞在中、旧友ヤンを田舎に訪ねた私が出会ったのは、友につらなるユダヤ人の歴史と経験、そして家主の女性と目の見えない幼い息子だった。 芥川賞受賞の表題作をはじめ、人生の真実を静かに照らしだす作品集。

ヤンはそこでふいに立ち上がってレンジのほうへいき、やかんを火にかけ、そのままなにも言わず2階にあがって、大きな写真立てを持って下りてきた。私にそれを差し出し、もういちどレンジに戻って火を調節しながら、珈琲か紅茶かと訊いてくる。(「熊の敷石」より)【商品解説】

収録作品一覧

熊の敷石 7-122
砂売りが通る 123-154
城址にて 155-179

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著者/著名人のレビュー

淡々とした筆致が美し...

ジュンク堂

淡々とした筆致が美しい堀江敏幸の作品が、遂に文庫版で登場しました。予定のない休日に、ゆっくりのんびり味わってほしい一冊です。

みんなのレビュー63件

みんなの評価3.9

評価内訳

紙の本

個人の痛みと歴史の痛み

2010/08/26 22:19

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 夢の中の恐怖は体の中にたまっていた記憶かも知れない。その記憶は奥歯の痛みとして再生し、夢が覚めても歯に残っている。そういうところから小説に入っていく。

 数年前「私」がパリでヤンと知り合ったころは、二人とも若かった。ヤンは「私」をユダヤ人街の食料品店へ連れて行き、ユダヤ特有のハムやピクルス、黒パン、イスラエル産の赤ワインなどを買って、河岸のベンチに坐った。
 本から外れるが、地下鉄サン・ポール駅で降りたロジェ街のそのユダヤ食料品店は、筆者もワインの小瓶を買ったことがある。道を隔てたおかず屋の店頭で、ピタパン(中近東のパン。中が空洞になっている)に、ひよこ豆とか肉と野菜の似たのとかいろんな具を詰めてもらって、近くの公園で昼食にした。学校帰りの中学生の男の子達が大騒ぎして具をあれこれ選び、道で食べていた。パリ市民のごく日常の光景、そしてパリに住むユダヤ人ならば気のあった友人が来れば連れて行くだろう場所。
 「なんとなく」同じ種類の人間だと思った「私」をヤンはその町へ連れて行った。
 だが、パリの人にとってそこは日常ではあるが、同時に特殊な場所でもある。この食料品店はパレスチナゲリラに爆弾を仕掛けられたこともあった。再び本から外れるが、数十年前のナチスドイツ占領下でパリに住むユダヤ人に何が起こったか、パリ市民自身がユダヤ人に何をしたか、それを思い出させる場所かもしれない。本に戻れば、ヤンにとってその場所はパリのロジェ街という特定の場所を越えて自分の記憶に続く。ベンチにひろげた食べ物があらかたなくなったころ、ヤンは幼い頃祖母とときどきこの町へ買い物に来た、と話したのだった。
 今、数年のブランクをおいて再会したヤンは写真家になっていて、ノルマンディーの村に暮らしていた。ヤンは、自分の撮った写真の一枚を「私」に見せる。豚肉の薫製を作る木造の小屋、窓や土管が並んだだけのなんでもない小屋。「捨てるのも嫌だし、持ってるのもいやでね、もらってくれないか」撮ったときは気がつかなかったが現像してみたら収容所を想像したと言うのだった。「収容所を知っている世代とそうでない世代では、なにかが変わる。決定的な線引きが行われる」とヤンは言った。
 ヤンの両親はイディッシュ語を息子に伝えるのをやめ、自分の代でユダヤの伝統を打ち切ったのだった。祖母の一族16人のうち戦後まで生き残ったのは4人。祖母は菓子職人でパンも作れた。もしかすると祖母が収容所で生きのびたのはその技能のためかもしれない、とヤンは言う。祖母は過去の話を絶対にしなかった。ヤンはポーランド時代の祖母たちの姿を知りたいと思う。なにがあったのか、どういう暮らしをしていたのか。「まあ、この手の物語はありふれてるけれどね。ヨーロッパならどこにでも転がってる話だ」
 「私」はどう反応するべきか、話題を転じるつもりもあって何気なく別の連続写真を手に取る。ヤンが、ノルマンディー上陸50周年の記念演劇祭が近くの町で行われたときに撮ったのだと説明する。町にあった実話をもとにした演劇で、ユダヤ人一家の物語。ゲシュタポに連れ去られる直前、母親が生まれたばかりの赤ん坊を近くの農家に預ける。隠匿がばれれば預かった方も終わりという状況で、農家の夫婦は赤ん坊をエステルと名づけ、育てた。その晩野外劇場の最前列に招待されていたのがエステルだった……。
 こうした悲劇はあちこちにある。だからヤンは「自分の家族の歴史とその継承における齟齬を、卑下したりないがしろにしたりするわけもなく、ただありふれた話だと見なしている」のだ。
 ヤンはまた、ブーヘンヴァルトの絶滅収容所で漆喰工をしていて生きのびたホルヘ・センプルンの話をした。センプルンは同じく収容所から生還したプリモ・レーヴィが1987年になって自殺したことに衝撃を受ける。やはりブーヘンヴァルトの生き残りだったブルーノ・ベテルハイムも1990年、86歳になって自殺。3人とも収容所体験が仕事の土台になっていた。なぜ戦後の今ごろになって自殺を図ったのか。「いったいどうなってるんだ」とヤンは「まるで身内の不幸というより不始末を嘆くみたい」に言った。
 ヤンが小屋の写真について、「この写真を見たとたん、ごく個人的に悲しくなってね」と言ったことから、「私」は「公の悲しみなんてありうるだろうか」と考える。悲しみや「痛みはまず個にとどまってこそ具体化するものだ。」痛みはその人個人の体に痛みとして現れ、個人で担うしかない感覚だから、公にかわすことができない。社会や歴史という全体にかわすことはできない。
 こうした「私」の考えの道筋を辿ってきたとき、強い印象を持って立ちあがってくるのがヤンの家主カトリーヌの息子ダヴィッドだ。ダヴィッドは生まれつき両方の眼球がない。母親はおなかの子どもに熊のぬいぐるみを作っていたが、子どもが産まれてから熊の目を赤い糸でばってんに綴じた。熊と同じくらいの大きさだった赤ん坊は今2歳半になり、熊を片手でもっている。眠るときも、母親の車で病院へ行くときも熊といっしょだ。
 ダヴィッドは、眼球がない現実を自分で負うしかない。
 だが痛みという個人の感覚を感じるとは、他人の痛みを別の個人の痛みとして認めることだ。人と人が繋がることがありうるとしたら、そういう繋がり方で人は繋がるのではないだろうか。
 言い方を変えてみよう。「私の小さな現実においては、過去に命のかかった逃亡などありはしなかったし、これからもありえないだろう。」「私」の過去、記憶は私だけのものだから、「その意味で、ヤンの個と私の個は完全にぶつかっていないのかもしれない。」と「私」は思う。だが記憶はその人個人を越えて歴史につながる、そういうものとして日本人の自分とユダヤ人のヤンが繋がるのではないだろうか、とも「私」は思うのだ。
 しかし、と「私」は更に考える。自分はヤンが話す必要のないことを話させて傷をさらけ出させてしまったのではないだろうか。ヤンは自分を「なんとなく」同じ種類の人間だと思ったから話してしまったのだ。とすれば自分は冷淡な他人よりもヤンにとって危険な存在ではないだろうか。繋がっていると思ったまさにそのことによって、自分は人にとって危険な存在であるかも知れない。
 難しい作品だったが、筆者はこのように読んだ。
 このように読んでいくと、作品の最初に出てくる、熊の背でできた絨毯がざわざわ動く恐怖は、まだ浮かび上がってこない潜在する自覚を指しているように読める。

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紙の本

記憶の襞をまさぐるような。

2004/02/15 23:41

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 芥川賞受賞作でもある、表題作について。
 冒頭の夢の中の熊の絨毯のエピソードから、カトリーヌの息子と熊のぬいぐるみが一緒に写った写真、ラ・フォンティーヌの『寓話』の中の一挿話である「忠実な蠅追い」……。
 一見したところ無造作に主人公の行動を記述しているようでいて、読了した後に振り返ってみると、実は、かなり周到にエピソードを選択し、配列していることが了解される。
 もちろん、表紙の写真や、そもそも「熊の敷石」というタイトルにしてから、ある種の計算を抜きにしては出てこない代物で、このように洗練された文章を読むと、ため息がでる。

酩酊亭亭主

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紙の本

随分と変わったタイトルだと思っていたら、

2019/06/23 22:00

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

随分と変わったタイトルだと思っていたら、こういうタイトルの作品がラ・フォンテーヌの寓話にあるのだという、老人と同居していた熊は、自分の唯一の仕事である蠅追いを貫徹するために寝ている老人にたかっている蠅をおいはらうために、敷石を一つつかむとそれをおもいっきり老人になげつけて蠅もろとも老人の頭をかち割ってしまうという話で、無知な友人ほど危険なものはいないという教訓なのだが、確かに友人だからと何でもかんでも関わりを持とうとし、何でも聞きたがる人というのはいる、「だってともだちじゃないか」と。でも、老人の頭を敷石でかちわるという寓話が存在することもすごい。主題とは関係ないのだが、主人公があることが気になってそれまでの楽しい気分が台無しになってしまったという挿話がある、何か他人事には思えずドキッとした

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紙の本

堀江敏幸の文章が達成したこと

2005/12/09 16:24

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 浮遊感ならぬ俯瞰感が漂っている。巨視的パノラマ的なものではなく、微細な動きに寄りそいながら生理に即して表現されている。生理というより、感覚の原器のようなものに触れている(目で音楽を聴き、耳で映像を見るように)。それは文章で造られている。ほとんど詩に近づいているようでいて紛れもない散文。その証に、短い叙述で造形される人物のかたちに揺らぎがない。小説を読むとは筋や情景描写を読むことではなく、文章を読むことだ。
 なぜこれまでこの人の作品にふれることがなかったのだろうという、ありえたにちがいないたくさんの大切な時間をとりかえしようもなく喪った悔いの思いと同時に、これからこの人のけっして多産ではない過去の作品群をいまちょうどもぎとられたばかりの新鮮な果実を味わうようにして読めることへの歓びが静かにこみあげてくる。

 『熊の敷石』に収められた三つの作品(「熊の敷石」「砂売りが通る」「城址にて」)はいずれも時間の三つの相、すなわち未来、現在、過去の厳密な区画が融解した不安定な「あわい」において事物と記憶、瞬間と永遠がきりむすぶ鮮烈な経験を、一枚のスナップショットのくっきりとした輪郭や切り出されたばかりの石の重量感と、波に洗われる砂の城のような危うく脆い均衡のうちに立ちあがった生々しいものあるいは熊の背でできた敷石のような腥いものとの対比のうちに叙述しきっている。
 その経験を綴る文章は複雑で鋭敏な時制感覚によって屈折し、過去の体験とあいまって累乗化される鋭い歯痛(「熊の敷石」)や、二度と到来することのない未来の喪失の予感(「砂売りが通る」)や、永遠に見失われ現在に幽閉されることへの滑稽な恐怖に凍りついた瞬間(「城址にて」)を言葉のスナップショットとして定着する。読み手は本来表現されることのない「あわい」の時間に宙吊りにされ、一篇の作品が永続的に生きつづけるための濃く深い陰影をともなった領域を心のうちにしっかりと穿たれる。それが堀江敏幸の文章が達成したことである。

 堀江敏幸の「時制感覚」。過去のある時点で撮られた写真を今この場で見ること、あるいは今この場に鋭く立ちあがった身体の痛みが過去のそして未来の匿名の時点をリアルに想起させ予感させること、たとえばそのような経験のうちに言語以前のものとして埋め込まれている時間感覚。
 作品に即していうならば、「熊の敷石」には今まさに進行しつつある現在と、その現在に近接する過去や遠い過去や語りの中にしか存在しない歴史的過去、そしてすでに到来しもしかするとあらかじめ完了している未来、さらに加えると堀江敏幸がこの作品を書いている(作品内世界にとっての)未来といった複数の時制がきりひらく時空が重層的に設えられている。あるいは『雪沼とその周辺』の冒頭におかれた「スタンス・ドット」には、よりシンプルなかたちではあれ完了した未来のある時点から回顧された現在、過去のうちに氷結した現在、さらにはありえたかもしれない現在といったニュアンスの異なる直説法時制がやはり混在しているのである。
 これらのことを詳細に分析しそのニュアンスを味わいつくすためには、川上弘美さんが文庫解説「水を描くひと」で試みていたように個々のセンテンスをとりあげて、複合過去や半過去、単純過去、大過去、前過去(さらに未完了過去やアオリスト=不定過去といったギリシャ語の過去時制)、あるいはラカンによって特異な意味づけがなされた前未来といったフランス語の文法における時制概念にのっとって微細な表現の差異を腑分けし吟味していくことが必要になるだろう。

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紙の本

中くらいの長さの文章

2004/03/04 19:40

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る

 堀江敏幸のてざわりは心地よい。
 しかし、この小説の「ひだ」をうまく説明するのは、なかなか難しい。というのも、ズバッといいあてられないのはもちろんのこと、似ている文体を言い当てるのもまた難しいからだ。たとえば、解説を書いている川上弘美に似ていなくもないし、そういっていいなら、保坂和志の(一見だが)いい加減さを彷彿とさせもする。それでいて、エスプリの効いた一面を思えば、あのフランス文学者にして映画批評家が想起されもするが、いずれにせよ、改めて考えてみれば、その文章はひどくかけ離れたものであるに違いない。
 そこで、である。
 こうした、ネガティブにいってしまうならば「はんぱ」な感じはどこから来るのかと考えたとき、それは、物理的な文章の長さにあるのではないか、と思い至った。もちろん、文章が長いというのであれば、もっと長い作家がたくさんおり、となると、堀江氏の特徴は、「中くらいの長さ」にある、と思われてならない。もちろんこの「中くらいさ加減」もまたはかりにくいものに違いないが、どうも、このあたりに秘密があるように思われる。
 そして、この文体こそが、伝家の宝刀(?)「なんとなく」を成立させ、一見「ふつう」の言動が、歴史を遡り、その記憶を現前化させていく、この小説の不思議な構造を支えているのではないだろうか?

私は他人と交わるとき、その人物と「なんとなく」という感覚に基づく相互の理解が得られるか否かを判断し、呼吸があわなかった場合には、おそらくは自分にとって本当に必要な人間ではないとして、徐々に遠ざけてしまうのがつねだった。

 これである。短くはないが、意味や構文がとりづらくなるほどの長さでもない、「中くらいの長さの文章」。これこそが、堀江文体の不思議な魅力の一面なのではないだろうか。

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2004/12/05 23:46

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2005/07/23 10:58

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2005/11/21 19:19

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2007/02/21 02:19

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2007/03/03 12:48

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2007/10/16 12:37

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2007/11/29 16:19

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2008/10/06 12:02

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