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商品説明
一人旅をする青年が、ふとしたことから知り合った老骨の旅役者。その昔語りは、70年の時空を超え、怪しく恐ろしく、やがて哀しい愛と業のドラマだった−。第3回ムー伝奇ノベル大賞優秀賞受賞作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
長島 槇子
- 略歴
- 〈長島槇子〉東京生まれ。東洋大学在学中、「劇団インカ帝国」を旗揚げ。演劇活動後、脚本家としてデビュー。
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紙の本
静かな共感を呼ぶ「大人の怪談物語」
2004/05/11 23:39
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投稿者:黒塚 - この投稿者のレビュー一覧を見る
目次を見る。サブタイトルが並んでいる。
「ふりだし」から始まり、「あがり」で終る。「満州遺憾江戸菊」と書いて、「まんしゅうはこころのこりのえどのはな」と読み、「大川恋妬杭」と書いて、「すみだがわこいのやけぼくい」と読む。
なるほど、タイトル通りに「双六」と「旅芝居」の見立てだ。
では、肝心の「怪談」の部分はどうなのか。早速ページを進めてみると、「ふりだし」、つまり導入部分は「実話怪談」系のつかみになっている。
なぜか重文級の古い芝居小屋に泊まることになった若者が、天井からぶら下がる恐ろしい「あらざるモノ」を見てしまう。旅先の怪しげな場所で、怪しいものと遭遇する、というのは実話怪談のひとつのパターンだ。
ゆえに「この小説はそっち系の小説だな」との心積もりで読み続けると、あにはからんや、そうでもないらしい。
語り手は、冒頭で怪異にあう若者ではなく、自ら「元さん」と名乗る、今時珍な生粋の江戸っ子らしい老爺だ。若者は実は聞き手で、レゲエ頭のダンサー、しかも現在放浪中という。この設定、イメージとしてはいかにも現代的な若者っぽく、戦前の文化から断絶された現在の私たちを代表しているのだろう。
元さんの伝法な口調で語られる話は、舞台を「満州」——今は亡き国に得て、その辺りから物語は様相をいわゆる「現代民話」に変えていく。
やがて物語は元さんの身の上話になり、舞台も一葉の「たけくらべ」の世界、江戸情緒を色濃く残した吉原の花街に移る。子供時代の元さんが体験した幻想は、その舞台設定を反映してか、黄表紙にも出てきそうな因縁譚に仕上がっている。青年になった元さんは好いた女を追って満州に渡り、そこで怪談以上に恐ろしい無残な現実に遭遇する。そして、戦後の元さんの人生が語られる段になり、私たちもいずれと知れぬ山村に誘われ、そこで歌舞伎の台本も真っ青な、ケレンに満ちた大仕掛けの怪談を聞かされることになるのだ。
この辺りまでくると、作者の持つ「怪談」カードの多彩さに脱帽、という気分になってくる。一つ一つのサブタイトルが歌舞伎仕立てなのは共通しているのだが、怪談としての趣向は章毎に異なるのだ。
正に双六の駒が進むように、元さんという語り部の人生そのままに、江戸の花町から戦中の満州、そして戦後の荒廃した街中から何事も変わらぬ様子の山村へと舞台は変わり、その場所々々に相応しい手法を以って様々な種類の怪談が繰り広げられていく。そんな中、時代背景を際立たせるための挿話と思っていたエピソードが実は最後の大どんでん返しの伏線であったり、うかうか読んでいると見過ごしてしまうようなちょっとした小道具が、情(じょう)ある結末への布石であったり、と、この辺り、中々巧みだ。
何より、登場人物たちが、時代や環境に翻弄されながらも、己の「実」を通そうと懸命に生きる姿は、今では失われた古き良き日本の美意識——正に歌舞伎に織り込まれている「粋」や「心意気」−が強く表われており、その潔さが、ともすれば血腥くなりそうな本書の物語を、かつて「美しき人々」が住まう国だった「日本」の怪談として昇華している。
本来、日本の怪談には「やりきれない哀しさ」が不可欠のものだった。現代民話の中の怪談には、まだその心は残っているが、実話怪談にはそれはもう感じられない。その結果、「怪談」として発表される中の多くのものが、単なる「気持ち悪い話」に堕してしまっているのは憂うべき状況であるように思う。そのような中で、本作が単行本として登場したのは大変喜ばしい。
「ムー伝奇ノベル大賞」という出身や、やたらとエクスクラメーションマークが飛び交う帯に、おどろおどろしいだけの小説と勘違いしてしまいそうになるが、むしろ、静かな共感を呼ぶ「大人の怪談物語」として読むことができる、貴重な作品だと言えるだろう。