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紙の本
空の境界 The garden of sinners 上 (講談社ノベルス)
著者 奈須 きのこ (著)
2年間の昏睡から目覚めた少女・両儀式が記憶喪失と引き換えに手に入れたのは、この世のあらゆるモノの死を視ることのできる「直死の魔眼」。死を体現した結界で、彼女は何を思うのか...
空の境界 The garden of sinners 上 (講談社ノベルス)
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商品説明
2年間の昏睡から目覚めた少女・両儀式が記憶喪失と引き換えに手に入れたのは、この世のあらゆるモノの死を視ることのできる「直死の魔眼」。死を体現した結界で、彼女は何を思うのか…。伝説の同人小説、待望のノベルズ化。【「TRC MARC」の商品解説】
これぞ新伝綺ムーブメントの到来を告げる、傑作中の傑作!
解説:笠井 潔
2年間の昏睡から目覚めた少女・両儀式(りょうぎしき)が記憶喪失と引き換えに手に入れた、あらゆるモノの死を視ることのできる“直死の魔眼”。浮遊する幽霊の群れ。人の死を蒐集する螺旋建築……。この世の存在のすべてを“殺す”、式のナイフに映る数々の怪異。非日常の世界は、日常の世界と溶け合って存在している――。 ――あの伝説の同人小説の講談社ノベルス化が満を持して成就。“新伝綺”ムーブメントの到来を告げる傑作中の傑作がいま新生する!!
【商品解説】
著者紹介
奈須 きのこ
- 略歴
- 〈奈須きのこ〉1973年生まれ。現在、ゲーム制作会社TYPE−MOONに所属。
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紙の本
すべてを、殺せ。
2007/01/12 22:06
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:放浪紳士 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ありとあらゆるモノの死が見える『直死の魔眼』。生死の境を彷徨い続けることによってこの化け物染みた眼を手に入れた少女、両儀 式。そんな彼女を好いている黒桐 幹也。
第一巻は全五章から成っている。
同人界に突如現れた成人指定ゲーム『月姫』にて恐ろしいほどのブームを巻き起こし、数多くの賛否をを受けた奈須きのこ氏の著作。
奈須きのこ氏は氏のあらゆる作品において通ずる一つの世界を持っており、この作品を読むことによって深い世界観の一部に触れることが出来るだろう。
あらゆるモノに線として死を見出す力。
それは、あらゆるモノの命を断ち切る力に他ならない。
浮遊し、浮遊へと誘う女。あらゆるモノを『捻る』力。因果の終焉を目指す男。因果に巻き込まれた少年。あらゆる敵と相対しながら、両儀 式の物語は加速し続ける。
とにかく賛否の激しい作者であり、アンチファンも多い。しかし、他人の意見などは物語を楽しむ上で些細なことではないか。
この拙い書評を御覧の方に未読の方がいらっしゃるのならば、是非に読んで頂きたい作品だ。
紙の本
ただひたすら退屈
2004/08/10 17:37
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふにゃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は新伝奇と称して売り出された。笠井潔による解説でも、本書は伝奇小説の系譜に位置づけられている。だが、良くも悪くも山風や半村良の伝奇小説とは全くの別物であるというのが、私の素直な読後感だ。
特に違和感を感じたのが登場人物の造形である。私がいわゆる「萌え」という概念がイマイチよく分からない人間だからなのかもしれないが、登場人物にほとんど魅力を感じなかった。登場人物の思考も理解不能(あるいは共感不能)で、作中で何度も繰り広げられる禅問答も退屈極まりないものでしかなかった。
おそらくこの作品の評価を分けるのは、主人公である両儀式に魅力を感じるか否かであると言い切っても良いだろう。残念ながら私は後者だったのだ。
文章も読みづらい。本来学生時代に書いた同人誌だったから当然かもしれないが、端的に下手であるのに加えて、無駄に長い。この内容なら、半分ほどの分量で良かった気がする。
紙の本
きみはカバー絵のイメージを楽しめるか?
2004/08/19 21:47
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ディック - この投稿者のレビュー一覧を見る
「高校生の美少女が魔界の怪人・怪物たちを次々と剣でばっさり」という物語。上下巻2冊のカバー絵がこの小説のイメージをとてもよく表現している。着物姿に赤い革ジャンを羽織って、ナイフを片手に戦う美少女。それが主人公の「両儀式」だ。
この小説を生き生きとさせているのは、まさにカバー絵のような視覚的なイメージである。しかし、そのイメージを楽しむのは必ずしも簡単ではない。
なぜ主人公の美少女「式」が戦い続けなければならないのか、なぜ高校生の彼女がそれほどまでに強いのか。
著者はそれをあれやこれや言葉を尽くして説明するのだが、これが長くて退屈なのだ。長いだけでなく、なにやら混乱してすっきりしない部分が多いため、物語展開の大きなブレーキにもなっている。
そもそものはじめに「着物姿の美少女が剣を振るって魔人たちと戦う」というイメージが先行し、あとから背景としての世界観を構築したご都合主義があったのではないか、と疑ってしまう。
「なぜ式は戦わなければならないか」がまだすっきりと説明されない上巻は大半が退屈である。上巻残り5分の1あたりになって、著者の奔放な空想の世界が拡がり始め、物語はようやく盛り上がっておもしろくなる。この頃になると、式が戦わなければならない理由がかたちになりはじめ、著者の世界観はようやく姿を整え始める。なにやら矛盾があるようにも思われるけれど、少しずつまとまりを見せていく。
とはいえ、それでもきわめて理解しにくい。私なりに割り切って解釈すると、どうも以下のようなことらしい。
真空には何もないようにみえて、真空のエネルギーが存在し、そこでは粒子と反粒子が生成し対消滅しているように、世界の根元はすなわち「空」である。
世界はこのように陰と陽、男と女、この世とあの世、現実世界と魔界に分かれる二元性を持っている。
『陰陽師』の安倍晴明がこの世とあの世の境目である「一条の戻り橋」の下に使い魔としての式神を飼っていたように、ふたつの世界をつなぐ「境界(ブリッジ)」が存在する。
主人公の少女の名は「式神」の「式」だ。内に男性的性格の別人格を内包し、女でありながら男でもあるという特殊な人間だ。彼女は生きている「境界」人間なのだ。
彼女は自らの存在理由を探し求めて戦うが、世界の根元は「空」であるから彼女の本質は「空」でしかない。彼女をこちらの世界につなぎ止めている副主人公の男の子の存在があるために、彼女は心の支えをボーイフレンドに求めてかろうじて人間性を保っているのだ。
以上が私なりの解釈なのだが、量子論でいう真空のエネルギーや安倍晴明の話題は、私が私なりにわかりやすくするため勝手に持ち出して付け加えたものである。そうしてもまずまずこの小説の世界観と一致して聞こえることと思う。
つまり、物語の背景を説明する「理由付けとしての世界観」などというものは、古い中国思想などを持ち出してもったいぶって説明しようがどうしようが、もともとがいい加減なものなのだ。
それならば、あまりくどくどと説明しなければよい。上巻終わりで舞台となる結界を敷かれた円柱形マンションでの決闘や、下巻前半の、記憶を奪う妖精が登場する女子高校を舞台にしたメルヘン風の物語は、著者が得意とする奔放なイメージ展開が楽しめる。
それらを中心に短くまとめるならば、もっと読みやすく楽しめる小説となったのではないか?
上巻途中で投げ出さずに最後まで読むならば、表紙絵のイメージの主人公が、空想力を駆使して練り上げられた特異な環境を舞台にして、大活躍するのを楽しめるだろう。
紙の本
伝播する感動と影響
2004/06/24 00:01
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:志岐 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を初めて手に取ったのは、去年の冬だった。
実際にはノベルズではなく、友人の読み古した同人誌だったのだが。
この本は恐ろしい。
普通は、手を休めようか。とか、そろそろ寝ようか。とか思えるものだが……「これ」は許してくれなかった。
続きが気になる、なんてレベルを当に超えた……本当に一種の電波だ。
特にこの上巻は「これからどうなるんだ!?」というギリギリの場所で切れており、その焦燥感はハンパではなかった。
是非一度、この本を手に取るべきである。
ちなみに……冷笑にふされるかもしれないが、この本を読んだ後に作文を書くのは止めておいた方がいい。
自分の文章が、自分のものではなくなってしまうから……
紙の本
言い回しがわかりづらい
2017/11/14 15:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:黄龍 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2年間の昏睡から目覚めた両儀式が記憶喪失と引き換えに手に入れた、あらゆるモノの死を視ることのできる“直死の魔眼”。殺人、強姦、食人シーンなどエグイ表現、グロテスク描写が多いので苦手な方は避けた方がいいかもしれません。異端な能力者バトルのはずなのに戦闘シーンがあまりない。式は可愛く、格好良く、美しい。
紙の本
笠井潔巻末解説に★★★★★。まあこういうのは反則だけど。
2004/06/13 22:14
3人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
以下は、笠井潔巻末解説への書評である。まずは次の引用(長いです)から。
———以下、引用———
「オタク」の前史は「SF」である。
「オタク」という二人称の発生は1983年中森明夫命名による、と公式「オタク史」には書かれているが、SF関係者のあいだではつとに1960-70年代から用いられていた。「コミケ」も同人誌活動も、もちろんその前身は「SF大会」とSFファンジンである。しかし、この程度の歴史的事実さえ当今の「オタク」たちは知らない。それも当然で、1960年代のSFファン活動などというものの歴史的ドキュメントなんかだれも記録して残していないからである。
でも、「こういう子ども中心のアンダーグラウンド的なネットワーク活動」がある日いきなりぽんと出てくるはずはない。そういうものには必ず「前史」があり、それが今あるようなかたちをとったのには必ずある種の社会的ファクターの関与がある(私の見るところ、「SF」から「オタク」へのテイクオフは1960年代後期の少年文化の「過政治化」に対する反動である)。
けれども、そういう「おのれ自身を位置づける歴史的文脈」に反応する知的アンテナそのものが「オタク」の諸君にはほとんど構造的に欠落している。
———引用、終わり———
以上は、私淑する内田樹先生のウェブ日記からとらせてもらった。上の文章には、オタクというエリアの方々への違和感が記されているが、それはオタク諸氏の非歴史性にあるとされている。それは、ある時期までの支配的モードであった政治的少年文化をどんなかたちにせよくぐり抜けた者には非常に説得的である。
しかし、ものごとには何事にも例外がある。
それが笠井潔執筆の本書解説である。本書が代表する新伝綺小説というジャンルを、戦前の伝奇小説の流れから説き起こし、自身もそのムーブメントの一翼を担っていた80年代的展開をまさに少年文化の過政治化の極点から反転する形で概観し、昭和天皇の死去をメルクマールとする90年代前半の停滞の根源を抉ってみせ、最後にまた正眼の構えに戻って00年代の「リアル」を見事に評論の言葉に乗せている。
オタクという名の自閉的な文化活動は、自身が生成してきた歴史的プロセスについての自己言及だけは頑なに避けるという生理を持っている(オタクの非歴史性)。内田先生の口吻をそのまま借りると、彼らは《自分たちの活動が「偶然」今あるようなかたちをとったにすぎず、歴史的なファクターがひとつ違うとまるで別様のかたちを取ったかも知れないというふうな想像を好まない。》にも関わらず、そのオタクの本丸近くでこんな仕事がなされているところが何とも興味深い。