紙の本
夏の日ざしのなかで
2004/08/11 21:29
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投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る
舞台は、沖縄の小さな村。この村の崖には、「泣き御頭」といって、側部に銃弾の貫通した跡のある頭蓋骨がある。村の言い伝えでは、この島にたどり着いた特攻隊員の骨だとされている。その穴を風が通り抜けるときに鳴る音を、「風音」という。
本作は、沖縄の美しさを余すところなく伝えている。海と空の青。白い波。風に鳴るサトウキビ畑。色鮮やかなブーゲンビリア…読んでいるだけで、脳裏にくっきりとこれらの情景が浮かんでくる。想像しただけで眩しい風景だ。
だが、本作で描かれる沖縄は、人々の悲しみの集う場所でもある。暴力をふるう夫から逃れるように、東京から戻ってきた女とその息子。特攻隊員として死んだ、愛する人の最期を知ろうと、十年間かかさず毎年、沖縄を訪れる老婦人。その特攻隊員の亡骸を処分した老人…それぞれの思いが交錯する様は、読んでいて胸が痛む。本土の人間がもはや通り過ぎてしまった(と思っている)「戦後」が、沖縄では現前の事実として存在する。それを象徴するのが「風音」だ。
声高に何かを主張しているわけではないが、この島で起きたことを風化させてはならない。作者の思いが伝わってくる静かな反戦小説だ。
本土に暮らす我々と、沖縄の人々の頭の中にある日本地図は、おそらく似て非なるものなのだろう。その齟齬を縮める一助となる1冊だ。
沖縄の自然の美しさは、彼らの悲しみを少しでも和らげるようにと、神様が用意したせめてもの慰めなのかもしれない。本作を読んで、そんなことを感じた。
紙の本
風景に内在する記憶
2004/07/17 12:13
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投稿者:ポルチェスと現代思想 - この投稿者のレビュー一覧を見る
まず、本作品の背景について
本サイトの「風音」の内容紹介のページにあるように、本作品は映画「風音 the crying wind」の原作である。だが作者による「あとがき」にあるように本作品は映画化された脚本を元に再構成(再執筆)された作品として位置づけた方がよい。原作は19年前に発表された「風音」である。
私は残念ながら短編版の「風音」は未読。機会をみて読み比べしてみたい。
本作品について
物語は沖縄のある村に二組の訪問者が訪れることで始まる。
一組目はかつて村を離れ東京で生活した女性で、小学生の息子を連れて実家に戻る。詳細は略すが、生まれ故郷で生きていこうと決めた女性である。
二組目は特攻部隊でなくなったとされる、かつて恋仲だった男性の遺品や遺骨を求めて旅する老齢の女性。
物語は二組のエピソードを基軸に、村の外れに残る風葬場を主な舞台に展開される。そこには、かつて戦場であった土地や海にまつわる語りがあり、生まれ育った者、語りの中で現れすでになくなってしまった者のエピソードが巧みに織り交ぜられている。
少年たちにとっては遊び場であり、根性試しの場所である風葬場は、
訪れる者にとっては自らの記憶や想いを確認する場所であり、
そこで生きていく者にとっては、自らの一生を問い返す場所でもある。
沖縄の青い海やサトウキビ畑はごくありふれた風景であり、
観光客用にアレンジされて切り取られた「風景」でもある。
そしてそこにはいつまでも見る者が何かを想起させる記憶を持つ「風景」でもある。
生まれ、生き続ける人たちが思い続けるのは、風景として、当たり前のなかに存在する場所に内在している記憶や想い出といかに向き合うのか、という問いのような気がした。
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特攻部隊で沖縄の海に沈んだかつての恋仲の男性の遺品を探す高齢の女性。夫の暴力から逃れて、沖縄へ戻ってきた和江と息子・マサシ。新たな生き方を求めて動き出そうとする人々。村の外れにある風葬場に残された頭蓋骨にまつわり、村の居住者と来訪者が戦争の傷跡をなでるように、それぞれの心に風音が鳴り響く。2004.7映画化されたらしい。
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表紙の美しさに惹かれて読んでみたのですが
沖縄を舞台にした、辛い過去を背負って生きている
人たちを描いた物語です。
今の穏やかな沖縄。沖縄ブームの裏側には忘れてはいけない大切な事があります。その事をやさしく、そして強く表現して訴えかけています。
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公立図書館で映画なりますーみたいなチラシがおいてあって、映画は高いから、学校の図書館にリクエストして、入れてもらった本。装丁が川内倫子さんで、この人は世界の中心〜の装丁もしたはった人。(写真) 話のおおまかな内容は映画のチラシ読んでたからわかってたけど、読んで思ったのは、きれいなぁって思ったし、戦争の話もすごい関係しとぅやつやから、私みたいな戦争知らん若い子ーにも読んでほしいと思った。登場人物の近所のおばぁが言うてた言葉とか、色んな意味で、本土決戦した、沖縄や、思た。戦争ってこの世の何もかもをぐちゃぐちゃにする、大きな魔物やと思う。
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初恋の人の記憶を辿る旅を続ける老婦人。夫の暴力から逃れて、沖縄へ
舞い戻ってきた和江と息子・マサシ。新たな生き方を求めて動き出そう
とする人々。戦争の傷跡をなでるように、それぞれの心に風音が鳴り響く。
風の音が聴こえますか、人には魂があることを信じますか。
芥川賞作家・目取真俊、初の長篇小説。
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映画の脚本を基に加筆されたものだそうだが、じくりと読み応えのある作品だった。生と死と魂と、深い感動が残った。
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もう一冊、沖縄の本を。
20年ほど前、沖縄の新聞で連載されていたらしい。本土との関係、アメリカのこと、集落のこと、歴史のこと・・・複雑な事情のど真ん中にある現実を日々生きているからだろうか。沖縄の人には、言いたいことがはっきりとある。文章からそれが伝わってくる。
普段あまり本を読んで泣かない(泣くような本を読まない)のに、知らぬ間に泣いていた。
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初恋の人の記憶を辿る旅を続ける老婦人。夫の暴力から逃れて、沖縄へ舞い戻ってきた和江と息子・マサシ。新たな生き方を求めて動き出そうとする人々。戦争の傷跡をなでるように、それぞれの心に風音が鳴り響く。風の音が聴こえますか、人には魂があることを信じますか。芥川賞作家・目取真俊、初の長篇小説。
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なんでこんなふうにしちゃったんだろう。
『水滴』の中に入っていた短編の「風音」の方がずっとよかった。
とても安易でわかりやすい物語になってしまったことが作品の魅力をそいでいると思う。
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装丁とタイトルに惹かれて、
図書館で借りました。
1985年に発表されたんですね。
私の生まれ年だあ。
たくさんの記憶が残る沖縄、
内縁の夫の暴力に悩む親子、
戦争で散った好きな人の消息を求める老婦人、
残された海人、
特攻隊員の白骨の
頭蓋骨は頭を撃ち抜かれている。
その穴に風が吹き込むと
音が鳴る。
風葬場の御頭から
鳴る風音を
真ん中に物語は進んでいきます。
仕事帰りの疲れた頭に
最初は登場人物がポコポコ出てきて、
読むのに時間がかかりましたが。苦笑
胸が苦しくなる話。
途中からは、
痛くて苦しくて仕方がありませんでした。
「あの時代、胸中の想いを口にすることなく、
多くの若者たちが死んでいった。」
「貴方が此の手紙を読む頃には、
沖縄へ出撃していると思います。
御國の盾として己の務めを果たし、
貴方と家族を護るつもりです。」
戦争を生きた人たちはどんな思いを抱えていたんだろう。
考えると、
とても苦しくなります。
だけど、
終わり方がとってもやり切れません。
綺麗な描写だけど、残酷です。
どうして幸せになれないんだろう。
みんな必死なだけなのに。
やり切れません。
沖縄の舞台がとても綺麗なだけに、
余計そう感じました。
風音が吹くとき、
泣いてるのか歌っているのか。
いつか聞きたい魂の音です。
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沖縄の作家・目取真俊さんを知ったのは昨年だった。
水滴を読んだと思う。
今回はリトル・モア版の「風音」をいっきに読んだ。
カバーデザインの印象はさわやかだけれども、
読んでいくうちに、この作家独特のものを感じる。
沖縄を舞台に様々な人々が行き交う。
重い。
想い。
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義理の父親の暴力から逃れるため、母の故郷である沖縄に母と越してきたマサシ。
近所に住む2つ年上のアキラ達と一緒に釣った魚を、風葬場にある骸骨のそばに置いた。
アキラは祖父・清吉と二人暮らし。
誰も知らない事だが、風葬場に遺体を運んだのは、当時少年だった清吉と父だった。
遺体は骸骨となり、頭部に空いた穴を風が通るときに鳴る音は、周辺の住民の心に触れてはいけない大切なものとなっていた。
しかしある時からその音が聞こえなくなり、ちょうどそのころ本州から、初恋の人の最期の場所を探し訪ねてきた老婦人があったことから、彼女が禁忌に触れたのではないかと噂が立つ。
沖縄の人の、本州の人への偏見・嫌悪。
沖縄戦が残した傷が、まだ沖縄には癒えることなく残されている。
当時を知る人たちが敢えて語りたがらないこと、忘れたいこと。
そのまま風化させていいのか。
語り継ぐには残された時間はあまりに短い。
しかし、当時を知らず、今、偏見もなく付き合える子どもたち。
沖縄の未来を作るのは、この子どもたちなのだ。
そんなことを、静かに語る本作。
かすかな風と熱を傍らに感じながら読んだ。
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感想
沖縄戦を知らない僕ら。時間空間共に隔てている。戦争は教科書で読むもの。異常事態。そうではない。生活の隣に存在し確かに息づいている。