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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2004.5
- 出版社: 同学社
- サイズ:19cm/153p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-8102-0216-X
紙の本
こどもの物語 (『新しいドイツの文学』シリーズ)
著者ハントケのきわめて自伝的要素の強い作品であり、1969年に生まれた娘との、以後ほぼ10年間に重なりあう、「こども」と「大人」の物語。【「TRC MARC」の商品解説】
こどもの物語 (『新しいドイツの文学』シリーズ)
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著者紹介
ペーター・ハントケ
- 略歴
- 〈ハントケ〉1942年オーストリア生まれ。現代ドイツ語圏文学のもっとも重要な作家の一人。著書に「反復」「疲れについての試論」など。
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紙の本
ヴェンダース映画「ベルリン天使の詩」の脚本を書いた実験意識強いオーストリア人作家。娘が10歳になるまでの子育てを歴史叙述の如く表現して、意外な位相を現出。
2004/12/16 17:19
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドイツ語圏文学を代表する作家のひとりとしてハントケの名はしばらく前から知っていたのだが、その著作を立ち読み拾い読みしながら「いずれまた」と元の位置に戻すことが何回かあった。ぱっと開いてしばらく読んでいると、難解というのではないが観念的なのが分かるのである。言葉により何か新しい概念をさぐっていこうというタイプの思想性が感じられる文章だから、読む「とき」を選ぶ。集中力を求められる。
気構えのいる小説なので、およそ娯楽向けではない。「何かについて学ぼう、考えようという意欲を満たすこともまた娯楽のうち」と考えられるのでないと、正直ある種のしんどさ、もっと言うなら退屈さもつきまとうかもしれない。
この本は薄くて行間もゆったり、本文は134ページ。そして「こども」について書かれているので「何とか行けそうか」——実に情けない動機なのだが、そんなことで手に取ってみた。
小説だから無論、虚実ないまぜかとは思うが、作者の子育て体験がほぼ時系列に書かれていく。出産の日から、愛娘が10歳になったあたりまで。赤ん坊を産んだ妻は仕事が大事な女性で、育児にはほとんど関心がない。子はかすがいのはずが、なぜか子がこの世に登場した途端、妻と主人公の男性には溝ができてしまう。
男性はハントケをそのままなぞったのだろう。どうやら作家で、幸いにも1年にごく限られた日数を執筆に充てれば、生活は成り立っていく。おのずと子の面倒を見る役割となり、子を中心にして巡っていく私生活の細部をあれこれ考察していく格好となっている。
たとえば3歳になり、まわり近所の家からこどもたちが遊びにくるようになったときのこと。そこでひとつの逆転が生じたという発見が述べられる。
——もはや大人が「こどもと二人きり」なのではなくて、こどもが「大人と二人きり」なのだった。同じ年頃の子供たちと会えばまず間違いなく傷つき敗北する結果になったにもかかわらず、こどもには、すぐにまた回りの子供たちがやって来ることへの——期待というよりは落ち着かなさが見て取れるようになった。(57P)
娘は名前で書かれず、一貫して「こども」と指され、語り手は自分を「大人」や「男」と指し示しているのだが、このような調子で、まるで歴史か何かの叙述、それに対する解釈がつづいて添えられているような文体なのである。「一人の人間について、一つの民族について語るように物語ってみたかった」というのが作者の意図、実験意識だということだが、面白いのはその効果である。
訳者も指摘する通り、育児にはわざわざ誰かが言葉にはしないが感覚として体験されることというものが多々ある。一瞬にして殺意にも転じかねない怒り、繰り返されることが分かっていながら繰り返すことのもどかしさ、そのくせ命を張ってもこの小さな動きを守るだろうと思える仕草の愛らしさ。そういったものをハントケは何とか言葉で、それも意外な視点や比喩を導入し「語り得るもの」に転化させようとする。だから位相として表面に現れてきたものが新鮮なのである。誰にでも語れそうなものを再話するのでなく、「語り得なかったもの」を「語り得るもの」にする。それにより、一見退屈そうな観念が驚きの輝きを放つ。そんな小説だった。