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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2004/07/30
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/342p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-397105-3

紙の本

夜のピクニック

著者 恩田 陸 (著)

【吉川英治文学新人賞(第26回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第2回)】高校最後のイベントに賭けた一つの願い。あの一夜の出来事は、紛れもない「奇跡」...

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夜のピクニック

税込 1,760 16pt

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商品説明

【吉川英治文学新人賞(第26回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第2回)】高校最後のイベントに賭けた一つの願い。あの一夜の出来事は、紛れもない「奇跡」だった、とあたしは思う。ノスタルジーの魔術師が贈る、永遠普遍の青春小説。『小説新潮』隔月連載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

恩田 陸

略歴
〈恩田陸〉1964年宮城県生まれ。早稲田大学卒業。「六番目の小夜子」でデビュー。著書に「球形の季節」「三月は深き紅の淵を」「禁じられた楽園」「Q&A」など。

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みんなのレビュー754件

みんなの評価4.2

評価内訳

紙の本

世界に包まれるということ

2005/02/01 09:17

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ゐ氏 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ぼくにしては珍しく、この本を、もう、ずいぶん前に読みました。
(ぼくには、ベストセラー回避症というヘンなくせがあるんですが…)
で、読み終えて、いいな、と思いました。
マンガぐらいは読むけど、あんまりすすんで小説(字の本)は読まない子。
でも、なんか読んでみたいな、と、なんとなく思ってる子。
そういう、まだ好みや志向が固まってなくて、ふわふわしたところにある中学・高校生くらいの子がいたら、
「これ、よかったら読んでみたら?」
といってみたくなる、そんな感じです。

歩き続けた果てに生じる不思議な感覚は、それを体験した者にとっては、リアリティのあるものです。
作者の着想の根にも、実体験があるのでは?
ただ、体験があることと、それを虚構の作品としての力をもたせることは当然別です。
かなりの人びとに読ませた、ということは作家の技量の証でしょう。

しかし、ここには確かに、どこか自閉した感覚もなくはありません。
地方の進学校の伝統行事にこめられた人間関係。
それに違和感を覚えてしまったら、
この世界に入りにくくなるでしょうね。

でも、ぼくは、いいな、と思いました。
読んでみたら? といいたくなりました。
どこを読むといい、と思ったのか?
…たぶん、だれにもある〈うじうじ〉した心のエネルギーの空費を経てやってくる、
なんともいえない解き放たれた感じ。

たとえば、「融」が、
「『—もっと、ちゃんと高校生やっとくんだったな』(327頁)」
と漏らしたりするのは、
これがある意味で気楽でばかげた特別の時空で起きた一昼夜の出来事だと俯瞰してみると、
なんとも、ごく自然に受けとめられます。
ものすごいことばをあえて使わせてもらうと、ここにあるのは、
「愛」と「勇気」ですが、
見えてくる風景は、
まるで宮崎駿のアニメーションのように、
崖っぷちから視界が開いていって、空と海と地平線が生き物のように伸びていく、そして、そこへ向かって空中へ一歩踏み出す、そんな感覚です。
この小説が面白かったというひとは、
きっとそこに何かの歌を聞いているのでしょう。

「—もっと、ちゃんと○○やっとくんだったな」
という感慨は、年齢にかかわらず、ぼくら〈現存在〉を襲うし、
ぼくらの未来にたいしては、
ちゃんと○○をやる、という
ある種の希望を、生きた感覚で送り届けてきます。
これは、過去への声というだけでなく、
未来からの声のように聞こえます。
高校三年生の気楽でばかげた世界を触媒とした物語を
生き生きとした印象のままに読み終えたいなら、
懐古の感傷ではなく、
崖っぷちから開かれた視界を残像とするべきでしょう。

で、また、読み終わって抱く感想のひとつは、
必要なのは、「世界に包まれている」感覚だ、
という思いです。
ぼくらは、どこか「包まれていない」世界にいる。
自閉でなく、利己主義でなく、懐古でなく、でも、包まれている、という感覚は、
苦しくつらい世界を切り開いていく勇気の根っことして、なくてはならない。
それは、
進学校の高校生だけのものであるはずはない。
気楽でばかげていて安心できる世界は、必ずあるし、必ず要る。
絶対に肯定されるべき世界。
では、それはどこに?
いや、それはどうやって創られるか?
…それが、終わりにやってきたぼくの問題意識です。

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紙の本

絶賛の嵐の中、ケチをつける気はないけれど、ちっともリアリティないじゃん。恩田陸って、もっと書けるんだぞ

2004/10/28 23:07

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

一見、瞽女を描ことで有名な画家斉藤真一を、或は創画会の重鎮稗田一穂の色を思わせる装画・挿画は唐仁原教久。装幀はさらりとながして、話に入る。

まず主要な人物を男子生徒から紹介しよう。西脇融、戸田忍という進学校である北高の三年生が、話の中心にいる。その二人が迎えようとしているのが、年に一度、修学旅行に代わって行われる行事 歩行祭である。朝の八時から翌朝の八時の24時間、僅かなの仮眠を入れて80キロを歩く。前半が団体歩行、後半が自由歩行で、走る、歩くは自由。脇役として夜になると元気になるお調子者の高見光一郎がいる。

対する女子生徒。中心は、バツいちの母と暮らす私立文系希望の甲田貴子である。それに老舗の和菓子屋の娘で農学系の学校でバイオテクノロジー研究志望の大和撫子の遊佐美和子、毒舌女で早稲田で芝居をやりたい後藤梨香、慶応文学部に行くと決めている飄々とした梶谷千秋がいる。こちらの脇役は、両親が化学者でアメリカに行ってしまった榊杏奈。近所の女子校の二年生の父親探しをする従姉の古川悦子だろうか。

そして、彼らが参加することになった行事には、謎がある。去年、歩行の最中に幽霊が現れたというのだが…。

でだ、書評氏の絶賛を集める話の構成は極めてシンプルである。貴子を核に据えた部分と、融を軸にした部分。それが、80キロを歩く経過の中で交互に入れ替わりながら、高校生の人間関係を浮き彫りにする、とまあこういったことだろう。そして、書評氏は共通して、その単純な展開と流れていく周辺の描写を、自分たちの過去の思い出というか後悔を混ぜながら絶賛する。

ここでの恩田の試みは、私には『Q&A』と同質のものに思われる。単純な話を、いかに語り口で読ませるか。作家としての力技での挑戦。そして、恩田が得意としてきた地方の、学校という閉じられた環境での、ある意味熟しきったような人間関係。その切り離された設定に、例えば早稲田大学、慶応の文学部といった実名が登場すると、私は異物をかじった時のような違和感を覚える。

そして、80キロの歩行祭というものに、全くリアリティを感じなくなってしまうのだ。それは私が東京生まれの東京育ちであるのかもしれない。しかしだ、男女共学の高校生たちが、海などを見ながら一日で80キロを走り、或は歩く。仮眠を取りながらとはいえ、深夜の田んぼの中も、ということになると、その設定だけで???となるのだ。

もしかすると、地方にはそのような行事をする学校が本当にあるのかもしれない。しかしだ、修学旅行で不祥事があって、それに代わるものとして考えられ、恒例の行事となった、と考えると、おかしい、と誰だって思うだろう。女の足元を見ただけで発情してしまような年頃の男たちと、フェロモンむんむんの女子高生が何百人も深夜の人もいない道を歩く。これで不祥事が起きないほうがおかしい。修学旅行の危うさと次元が違うだろう。

それから、ここに描かれる頭でっかちの高校生、本当なら考えるより先に下半身が動き出す彼らが、なんでこんなにもイジイジとしなければならない? それを思い悩む? 動くだろう、まして地方の学生だろう。いや、それこそ若さ、とその苦悩に自分の過去をダブらせ、共感し、青春て美しいという人がいることを認めた上で、あえて言う。

あんたら、そんなに過去を引き摺って生きてて楽しいか? 前を見ろよ、てめえの足で歩けよ、拒めよ、捨てろよ、自分でつかめよ。こんな暗い青春もの読んで、文学!なんて言ってるから読書離れが起きるんだ、もっと明るいんだぜ、若さって。馬鹿なんだぜ、高校生って。だから、あほでもドラキュラ男の高見光一郎が、最後に凄くいい奴に見えてくるんだ。

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紙の本

てくてく、ぞろぞろ、てくてく、ぞろぞろ、……

2007/07/29 15:31

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ぶにゃ - この投稿者のレビュー一覧を見る

恩田陸の作品を読むのはこれが初めてである。何年か前に古本屋で「六番目の小夜子」を衝動買いしたことがあるけれど、積ん読するうちにどこへいったかわからなくなった。実は、この本も古本屋での衝動買いである。しかし、今度は大丈夫。一気に読み終えた。
 「歩行祭」という行事。千人を超える高校生の集団が、てくてくと、80kmをひたすら歩く。ぞろぞろと、夜を徹して、ただひたすら歩く。てくてく、ぞろぞろ、てくてく、ぞろぞろ、一種異様な光景であり、尋常ならざる学校行事である。こういう行事が実在すると知って、軟弱モノの僕は、そんな学校とは無縁であったことにほっとする。
 文句なしの青春小説である。ちょっと微妙な人間関係。海の向こうからの熱い友情。素晴らしき仲間たち。こんなのあり得ないとしかめっ面をするなかれ。青春ものにあんまりリアリティを求めてはいけない。いつも切実すぎる現実を抱えて生きる普通の者たちにとって、切実すぎるリアリティに裏打ちされた青春小説を読むことは、いささか苦痛であろう。たとえば僕は、重松清を読むときには、ある種の覚悟を必要としている。そうでなければ、作品のリアリティに押しつぶされてしまいそうなのだ。
 閑話休題。この作品は、1970年代半ばの少女マンガの世界を彷彿とさせてくれた。あの頃は「別マ」や「別フレ」「別コミ」で、「特別企画巻頭100頁読み切り」などと盛んに「特別企画」をやっていたが、それらをむさぼるように読んでいた頃の感動がよみがえってきたのである。少女マンガの世界から遠ざかって20数年、最近の情勢は全く知らないが、青春小説の世界は、あの頃に戻りつつあるのではないか。だいぶ前に「世界の中心で愛を叫ぶ」を借りて読んだ時もそんな感想を持ったものである。もっとも、当時の少女マンガの方が「セカチュー」より質が高かったような気もするのであるが。
 僕の暮らす市内に、やはり北高という県立高校があり、そこの応援団が「夜間歩行」をやっている。野球の試合で応援に向かう時、どんなに試合球場が遠くても、移動は必ず徒歩なのである。遠いところで50kmぐらいあるのではないか。弊衣破帽に下駄履きのバンカラすがたで、てくてく、ぞろぞろと歩いているらしい。夜通し歩いて到着したら、そのまま激しい応援合戦に入る。
 青春に必要なのは、体力だけなのかも知れない。

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紙の本

人生はゴールインすることではなく、歩いていくことこそが目的

2006/01/05 23:28

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

融(とおる)と貴子が通う高校には毎秋恒例の行事があった。80キロの道を一晩かけて全校生徒が歩き通すのだ。高三の二人にとっては最後の歩行祭で、貴子は融に対してひとつの賭けをすることになる。その賭けとは…。

 貴子と融の間に横たわるわだかまりは、そもそも当人たちの想定外のところで生まれたものです。自分たちの力の及ばないその出来事を、二人は長年びくつきながら抱え込んできました。そして二人が少しずつ歩み寄りを見せるのは、夜のピクニックという不思議な「いつもと違う浮かれた世界」である歩行祭の中でのことです。

 物語の終盤で、貴子は賭けに勝ちます。焦燥を癒す一瞬が貴子と融には訪れるかに見えます。歩行祭同様、二人の目的もゴールを迎えるようでもあります。しかし実はそれがひとつの終わりや区切りを意味するわけではないことを悟るだけの知を二人は持っています。そのことを示す、この小説の最大の見せ場ともいうべき次の言葉を私はとても美しいと感じました。

「これから先、二人を待ち受ける長い歳月。言葉を交わし、互いの存在を認めてしまった今から、二人の新しい関係を待ち受けている時間。もはや逃げられない。一生、断ち切ることのできない、これからの関係こそが、本当の世界なのだ。
 それが決して甘美なものだけではないことを二人は予感していた。」(330頁)

 マラソンの二倍近い距離をゴールするという物語を通してこの小説は、人生とはゴールすることが目的ではなく、歩んでいくことが目的だということを静かに語っています。多くを引き受けながら、そして清濁併せ呑みながら歩み続ける。そこに人生の深みが潜んでいるのです。
 高校生の二人がそのことに少しずつ気づいていくであろうことを確かに予感させるこの物語を、私はぜひ多くの若者に読んでもらいたいと感じます。

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紙の本

千人を超える全校生徒が80キロを歩き通す。これが北高校の伝統行事である「歩行祭」だ。この風変わりな学校行事には完璧なモデルがありました。

2005/09/28 00:49

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

朝から翌日の朝まで歩きとおす、そのプロセスにはお互い気になる存在である融と貴子がいて、気のあった高三仲間同士が交わす屈託のないおしゃべりがあって、この二人が見たまま聞いたままと自分の微妙に揺れる内心の自己分析が加わっている。とてもシンプルな構成だ。特段の事件も起こらない。この会話と二人の気持ちを叙述しながら、あえて言えば、恋と友情にシンボリックされた「現代の青春」を甘く切なくほろ苦く、そして限りなく美しく描きあげている。たとえこれが絵空事だと思う読者であっても「あぁ、すばらしい青春とはこういう世界を指すのだろう」と感嘆を誘う語り上手のバーチャルリアリティーだ。
いやバーチャルなどというのは年寄りの僻みがもたらす誤解なのかもしれないがここに描かれた青春が本当に現代の青春を象徴しているのか私にはわからない。
「大人と子供、日常と非日常、現実と虚構。歩行祭は、そういう境界線のうえを落ちないように歩いていく行事だ。ここから落ちると、厳しい現実の世界に戻るだけ。高校生という虚構の、最後のファンタジーを無事演じ切れるかどうかは、今夜で決まる」
このようないまにも壊れそうな現在の自分を見つめる青い感傷が若い読者をひきつけるのだろうか。
私のすごした青春とはまるで異質だとの思いが強いものだから懐旧の情がわくこともなかった。どちらかといえば猛々しいもの、生臭いものが欠落しているとの印象を受ける。
しかしここで表現されたような「現代の青春」にほとんど関心がない私が実は退屈せずに読み終えたのだ。それはバーチャルではないそれこそ本物のリアリティがあふれるところがあってその迫力にのめり込んでしまったから、若者たちの他愛ないおしゃべりにつきあえたのだと思う。朝に始まり夜を過ごしまた朝に戻る24時間の時の流れ、移りゆく風景の光と陰、心身の昂揚と疲労がくりかえされるリズムある変化と主人公たちの心身の移ろい、心象風景が絶妙にマッチしているのだ。まるで一緒に歩いているような臨場感がある。そしてこの著者である恩田は語り手としては限りなく透明になっていて若者たちだけでドラマが語られている。まるで恩田の若返った分身がこの行事に参加して一緒にはしゃいでいる感がある。実はこのリアル感のため、これは恩田自身が体験しなければ絶対に書けない小説だ、とそこが不思議だった。
昨日のことですが絶妙のタイミングとはあるものですね。
私は茨城県の生まれだから、水戸一高の卒業生も友達にはいる。その一人と小学校の同窓会について相談をしていたときだ。なんと「水戸一高歩く会」という行事があるのだそうだ。
立派な「目的」を掲げたまさに伝統行事なのだ。
「歩く会は強健なる体力を培うとともに、集団行動を通して、『全』における『個』の自覚にもとづき、規律ある態度と相互理解の心性を育成し、もって不撓不屈にして質実剛健なる精神の確立を期するものである。」
なるほど作中にアメリカ育ちの少年が「日本人の集団主義プラス精神主義?」と皮肉をのたまうシーンがあるがこれのことかと納得。
小説とおなじように本物は65キロのコースを団体歩行と自由歩行に分けてある。今年は57回で10月8日〜9日に催されるという。さらにこの作品は映画化が進んでいてすでに当校での撮影もあったとか。今年は沿道が見物客でごった返すだろうとズウズウ弁で話してくれた。
ところであんたはこの小説を読んだかとたずねると
「それはよんだっぺよ。んでもわがんながったな。いぐらなんでも、水戸にゃあんなアンチャン、ネエチャンはいねえべぇ」
だとさ。
これで作品のイメージがこわれました。
恩田陸が仙台出身とまでは知っていたのですが、まさか水戸一高の卒業生だとは彼の話を聞くまで存じ上げませんでした。

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紙の本

最後の…

2004/09/01 21:34

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る

北高の恒例行事「歩行祭」とは、朝の8時から翌朝の8時まで歩く、という体力の限界に挑戦するかのような行事。
最後の歩行祭に臨む三年生を中心に、この物語は進められる。

歩行祭の最中、生徒達はいろいろなことを考える。
何かしら「最後の○○」を経験したことのある人なら(もしくは「最後の春休み」という曲に涙したことのある人なら)、彼らの気持ちが痛いほど分かるだろう。
たとえば、「当たり前のようにやっていたことが、ある日を境に当たり前でなくなる。こんなふうにして、二度としない行為や、二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていくのだ」−この考えに人生の縮図を感じたり、
「これからどれだけ『一生に一度』を繰り返していくのだろう。いったいどれだけ、二度と会うことのない人に出会うのだろう。なんだか空恐ろしい感じがした」−この思いに、大人になる前の不安を思い出したり…
彼らと自分の過去を重ねると、せつなさとか寂しさとかいったものの波に打ちのめされそうになる。
だが、「何かの終わりは、いつだって何かの始まり」という作者の思想が、読む者にそっと手をさしのべてくれる。荒波から救い出してくれるのだ。

人は、自分の今いる場所が愛しければ愛しいほど、このままでいたい、と思うものだ。
だが、生きている以上、一つの場所にずっと留まっていることは不可能だ。
「時間」という大きな力の前の無力な自分に気づいて、途方に暮れた迷子のように立ち尽くしたくなることもある。
そんなふうに自分を見失いそうになった時、何ができるか。
それは、ただただ「今」を感じて生きること。
今、見える景色、聞こえる音、感じる温度、手に触れた感触、胸に宿った思いを。
永遠と思える一瞬一瞬を確実に心の中に残していけるとしたら、変化していくことは悪いことじゃない。

「今は今なんだ。今を未来のためだけに使うべきじゃない」−このことに気づいた者だけが、世界の広さ、眩しさを感じることができる。
美しい生き方をこの本から教わった。

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紙の本

女性の1番弱い人と男性の1番強い人が、同じ位の強さである。

2005/08/11 15:56

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ひろし - この投稿者のレビュー一覧を見る

まずタイトルに惹かれた。まぁ、通常ピクニックは昼だ。だが、夜のピクニックが「アリ」か「ナシ」かといえば、別にあったっていいだろう。んじゃ実際それは一体どのような物なんだろか?と興味を惹かれてしまう。また表装がいい。田舎道を、まるで宗教団体のような白装束の少年少女が歩いている。遠く山の上には月が輝き、その違和感にまた惹かれてしまう。そしてさらに、「本屋大賞」受賞作品なのだと言われれば、期待度120%で突入した。
なるほどいわゆるピクニックではなく、とある高校で毎年行われる「歩行祭」が話の舞台となる。この歩行祭、ピクニックとはまるでかけ離れた催しで、一昼夜二日間に渡って全校生徒で80キロを歩きぬくと言ったものだ。だが生徒達はこの歩行祭に並々ならぬ思い入れを持って望む。途中棄権だけはしたくない。友達と一緒にまた校門を一緒にくぐる。それを夢見て必死に歩き続けるのだ。特に3年生は、高校生活の締めくくりとして、1番仲の良かった友達とゴールを目指す。
深夜に友達と一緒にいる非日常。そして極限まで達する疲労。そして、高校生活ももう終わりなのだという想いが重なって、普段口には出来ないような言葉が交わされる。
恋愛の悩み、複雑な家庭環境。進路や夢。今までどうしても言えなかった言葉が、するりと舌の上を滑った時、今まで凍てついて動かなかった、心が動く。そして心と心が同じ暖かいもので包まれた時、本当の友情が芽生える。
読みやすい文体ですらすらと読み進めた。が、この作品の何を持って「面白い!」と思えるか、だ。徹頭徹尾登場人物は高校生に絞られ、彼らの悩みが歩行祭の中で打ち解けていくのだが、それは、特に珍しくも無い恋愛の悩みや、ちょっと複雑な家庭環境の事。読み手がそれほどのめり込める物では無いように思えた。では自分の高校生時代へのノスタルジーが掻き立てられるかというと、これもまた大きな問題がある。登場人物の高校生が、えらくクヴァなのだ。ちょっとした言いまわしや表現の方法、考え方、目に映るものの捉え方など。何だか大人顔負けの表現をする。進学校、という設定になっているけど、やっぱりなんか、らしくない。高校生、もっと青くさくて元気一杯、良い意味で馬鹿なイメージを持ちたい。

ただ表題にも書いたが、男性よりも女性の方がずうううっと強い、というのが良く分かる一冊だったりした。

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紙の本

小さなノスタルジックな旅をする。

2010/03/25 13:55

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:野棘かな - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本が過去話題になっていたのは知っていたけれど
高校生ものにはもう興味がなく今まで手にとることはなかった。
それをいまさらなぜと聞かれると、ちょっと恥ずかしいのですが
ひさしぶりにノスタルジックな気分にひたりたかったとでも言っておきます。

「夜のピクニック」は読み始めてすぐ困惑した。
物語のシチュエーションがわからず、だらだらとした文章だったし、これは困ったと正直思った。
何度も前のページをめくって登場人物の名前を確認する必要もあったからだ。
しかし、やがてそんな困惑も霧が晴れるようにすっきりと消え、そこには高校生たちの今が息づいていた。
修学旅行の代わりのこんな歩行祭って、楽しいだろうなーと自分の思い出と重ね合わせながら、懐かしさに包まれながら先へ先へと読み続けた。
夜を徹して80kmをただただ歩きつづけるという北高の「歩行祭」で
歩きながら語り合う、友達のこと、お互いの将来のこと、悩み、打ち明け話
高校生なりのシビアな問題や悩みが歩行とともにからまり
秘密の関係も浮上し、どんどんと面白い展開となる。
このあたりは、恩田さんの筆力ですね、うまい。
やがて、貴子が胸に秘めていた賭けは、微妙なタイミングで叶い
飛び入りの存在にかき混ぜられ、おまじないの謎ありで、思いがけない方向へと進んでいくが
それこそ本当は心の奥底で望んでいたことだったに違いない。

生き生きと綴られた青春のひとコマ「歩行祭」での青春の群像は
さわやかな風と共に、過ぎ去った2度と戻らないあの頃を思い出させてくれた。

ノスタルジックな気分にどっぷり首までつかりたい夜は
この「夜のピクニック」を読むといいですね。

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紙の本

恩田陸の描く青春

2006/03/18 15:15

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kou - この投稿者のレビュー一覧を見る

(あらすじ)
まる二日間、全校生徒で80kmの道のりを歩き通す「歩行祭」—「ピクニック」。
高校最後の「ピクニック」。これが終われば、あとは受験をして卒業していくだけ。
貴子は、このピクニックを機に、小さなひとつの賭けをした。
「本屋大賞」をとり、映画化も決定されている本作。
『図書室の海』で予告編を再読したのを機に、ようやく読みました。
恩田さんは昔から学園ものをよく書きますが、これほど「普通の」学園ものって初めてじゃないでしょうか? 今まではどこかホラータッチだったりミステリっぽかったりしたけれど、このお話にはホラーもミステリも入り込む余地なし。あえて言うなら転校してしまった貴子の親友・杏奈からの葉書の言葉くらいですが、これもミステリと言うほどのものではないですし。
そういう意味では、これこそ恩田さん初の本格青春もの(何だろう、それって…)かもしれません。
で、ホラーもミステリも入り込む余地のないこのお話を読んでどうだったかというと、正直、最初は拍子抜けをしました。あまり面白く感じなかったのです。
なんかホントにだらだらと歩いて、あれこれうだうだしていて、でもそれにそんなに惹きつけられなくて。
でも中盤、お話が夜に差し掛かってから、断然面白くなりました。
疲労もピークに来て、日常こなしているポーカーフェイスも、気遣いも、計算も何もかもできなくなってくる頃。それでもどこか頭の一隅だけが冴えわたって、見ないようにしていたものが見えてしまう頃、考えないでいたことを考えてしまう頃。
この辺から、登場人物たちのやり取りの機微、思考の移ろいにぐっと引きこまれて、あっという間に読み終えてしまいました。
こういうの、やってみたかったなぁ…。
いや多分体力的にもたないだろうし、すっごく嫌そうだけど、それこそ高校生の時にやってみたかった。
そんなふうに思わせられるお話でした。

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紙の本

高校生活が凝縮された2日間

2005/04/06 11:12

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:akira - この投稿者のレビュー一覧を見る

全校生徒が参加して夜を徹して80Kmの道のりを歩く「歩行祭」。高校3年の秋にその行事に参加する高校生たちの姿を描いた作品です。
この物語では、登場人物たちのすることのほとんどは「歩くこと」と「話すこと」であるわけですが、僕は「見る」という部分が印象に残りました。「見る」という行為は、何かに働きかけて、物理的な変化をもたらすものではありません。むやみに他人の領域(心理的および物理的な)に踏み込むことができずに、自分の中に抱え込んでしまっている状態が、「見る」という行為なのではないでしょうか。そして、他人に踏み込むことのできない遠慮、不安、焦燥の中で、自分の感情をさらにふくれあがらせてしまう部分もあると思います。
学校生活の中で感じていた、さまざまな級友たちへの感情の発露がこの物語には散りばめられています。そして、自分が相手にどんな感情をぶつけているのかを自覚することは、自分自身を発見することへもつながるのです。そして、「話す」ということは、そんな自分自身を相手に差し出すことであり、相手の話を聞くことは、相手を発見することにつながるのです。
もちろん、高校生の彼らが自分たちの関係性をこんなに冷静に分析できるというのはあまり現実的ではないので、これはやはり青春時代を後から振り返って読む小説なのではないかな、とも思うわけですが。

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紙の本

何故こんなに書けるのか?

2004/08/30 00:48

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は到底僕には書けない。いや、読後感の話であって実際の話ではない。本を読んでも別に「この本は僕には書けない」と思わないケースも多いのだけれど、じゃあそういう本なら自分にも書けるかと言うと多分書けない。しかし、世の中にはそういう自問自答をすっとばして、いきなり「僕には到底書けない」と思わせる本がある。『未知との遭遇』で初めてスティーヴン・スピルバーグを知った時もそうだったが、あまりにレベルの高いものに出会うと、感動したり共感したりするのと同時に深い絶望感を味わうものだ。「僕はこいつには到底敵わない」という絶望感! この本はそれを与えてくれた。
 群像劇、と言うか主人公がグループの形で登場する構成は『黒と茶の幻想』を思い出させるが、『黒と…』のほうは社会人でこちらは高校生の物語であるだけに、こちらのほうが軽く明るく甘く切ない。そう、これは正調青春小説なのである。
 舞台はある高校の「歩行祭」。年に1回開催される、ただ歩くというだけのイベント。歩くったって朝からほとんど休みなく翌朝まで何十キロも。スタートとゴールはともに高校のグラウンドである。
 話はただその模様を描写しているだけ。しかし、風景の織り込み方、小道具の使い方がいつも通り驚異的に巧い。最初に建てたであろう設定が非常にしっかりしていて自然にストーリーが展開する。ミステリーでもないので別段何も起こらないが、いつも通りの思わせぶりを散りばめて、話はミステリックにうねって進む。文章が巧いし台詞回しも自然なので、読むものを疲れさせず一気に読める。
 ──なんてのは読み終わってからの分析。読んでいる時はただそこにどっぷりと浸かっていて、いつしか高校生に戻った自分がいた。年中行事があって受験があって出会いと別れがあって恋がある。高校生の思い出作りの話なんてと言いたいところだが、不覚にも自分の青かった時代が甘く切なく甦ってくる。
 この単純な枠組みでなんでこんなストーリーが展開できるのか? 何故こんなに書けるのか? こんなに巧い作家には滅多に会えるものではない。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

ただ歩くだけ。それだけでこんなドラマが…

2005/02/22 00:58

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投稿者:いわさち - この投稿者のレビュー一覧を見る

現役高校3年生です。一応受験生でした。
受験戦争真っ只中にこの本を学校の先生に進められて読みました。
なんでこんな時期にと思ったけれど読んでよかった。
このはなし同じクラスにいる異母兄弟の話が軸になっている。
そこに彼らの友人たちとの友情や恋愛が絡んでいるいわゆる青春小説。
たった一晩のことなのに終わった後には世界が変わっている。
みんなと一緒に歩くだけ、ただそれだけで分かり合えたりする。
迷いが消えたりする。それってすばらしいな。

作者はどこかホラーのイメージがあって読もうという気がしなかったんですが、この作品でどっぷりとはまってしまいました。
この作品を勧めてくれた先生に感謝しています。
中高生にぜひお勧めしたい作品です。

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紙の本

貴子・起こり得た奇蹟。

2005/01/13 00:23

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投稿者:花の舟 - この投稿者のレビュー一覧を見る


 ともすれば吹き上がってきそうになる想いを、抑え抑えしながら読了しました。

 甲田貴子と西脇融を中心に描かれた青春群像に、自分のその時代とは何の接点もないはずなのに、どうしようもなく重なってしまう友人たちの顔、顔、顔。
 夜を徹して80キロをただただ歩く、北高の「歩行祭」で、貴子の胸に秘めた一つの賭けが、どう展開するのかもさることながら、恩田さんが鮮やかに描き分ける、高校3年生たちのどの人物にも、自分の過去の友達が重なってきて胸に迫るものがありすぎました。
 必死で歩く彼らが、苦痛を紛らわせるために話すおもしろいこと、楽しいこと、恋の打ち明け話、将来のこと。
 気の合う大事な友人としてお互いに選び合って、最後の行事をともに過ごすことの意味。 お互いを理解しあうためのぎこちないとも言える手続きが、今の私には眩しく思えました。友情だけは、差し替えがきかないものだと、つくづく思うからです。

 思い切ってやってみることで、つかむことができるものは、恋や勉強だけじゃない。
 貴子は、融との関係を、自分の人生に深く関わるものと捉えたからこそ、自分の賭けを行動に移せたのです。もちろん、後押ししてくれた友人たちの気持ちもちゃんと理解しながら。
 貴子と融における関係は、確か『まひるの月を追いかけて』で使われていたモチーフだったと思うのですが、それがこのような学園ものの青春小説でどう展開するのか、興味津々でしたが、実に鮮やかに恩田さんは、味付けを変えて差し出してくれました。「ノスタルジーの魔術師」の術中に見事に 嵌められました。
 起こり得た奇蹟は、ちゃんと私の胸に納まっています。

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紙の本

懐かしさとさわやかさ。

2004/11/11 13:04

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:nob - この投稿者のレビュー一覧を見る

実は僕もこの高校の卒業生です。
しかも実行委員という隊列をまとめたり、みなを元気つけたりする役目についていました。実行委員長だったやつとも話したのですが、とにかくいい本だったなと。

約2時間ほどかな、結構長いけど、一気に読めました。白ジャージの秘密とか、かつて修学旅行で悪さして、行事自体がなくなったとか、知る人ぞ知るエピソードが満載で、なかなか面白かった。

題材が歩く会(本家はこう呼ぶ)にしただけに、さわやかにまとめられてはいるが、主人公が愛人の子であり、本妻の子と会い見え、本音をぶつけと言うのは、昼ドラにでもできそうな設定である。今流行の韓流ドラマのような急展開はないが、場面設定がいっていなだけに、演劇にしてみると面白いかなと少し思った。

それにしても、自然の描写と、心理表現が見事。やはり女性の感性は細やかですね。ミステリーで名を打った人とは思えないね。

高校生の恋愛話とかではなく、さわやかで心温まる話です。

今年も事故無く無事行事は行われたそうです。
毎年地元の新聞で取り上げられるんですよ。

学校にかかる橋を追い上げ委員(最後尾からみなを励ましながら歩く委員)全員で肩を組んでゴールし、胴上げされた時は、涙がこみ上げてきた。

現存するのが不思議なぐらいのクラシックな行事でした。



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紙の本

歩く、歩く、歩く……いつか、読み手も一緒になって。

2004/10/16 00:33

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投稿者:山村まひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。
 どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。 

 甲田貴子と西脇融(とおる)は、異母きょうだい。遠く離れて暮らしていたはずの2人は、同じ高校に入学し、3年で同じクラスになってしまう。 
 
 北高では、修学旅行代わりの鍛錬歩行祭が毎年ある。
 1200人の全校生徒が、80キロの行程を朝の8時から翌朝の8時まで、夜中に数時間の仮眠をはさんで、一日がかりで歩きとおすというものだ。
 前半はクラス毎に、そして後半は自由歩行になっているため、仲の良い者どうしで語らいながら、高校時代の思い出創りに励む。

 今年も、また夜間歩行の日がやってきた。
 貴子と融にとって、高校生活最後の夜間歩行。
 きょうだいがいると知って嬉しかったという貴子。一方、悪びれもせず、好き勝手している甲田母娘に憎しみを覚える融。
 同じクラスになりながら、ひとことも言葉を交わしたことがない2人は、行き違う心を抱えたまま、何も知らないクラスメートたちに囲まれて、歩く。歩く。歩く。

 静かで落ち着いている戸田忍。
 老舗の和菓子屋の娘で和風美人の遊佐美和子。
 クリティカルな毒舌女、後藤梨香。
 ひょうひょうとした梶谷千秋。
 お調子者の高見光一郎。
 融にアタック中の内堀亮子。
 そして、半年前両親とともにアメリカへ渡ったため、歩行祭に参加できなかった榊杏奈。

 歩き続けるクラスメートたちを、ただただ丁寧に描いた物語。
 「いまどきの高校生」という言葉がもたらすイメージとは違う、ある意味、古いタイプの十代の雰囲気が、なんだかせつなくて、読んでいると胸がいっぱいになる。
 私にもあったっけか…こんな学生生活?

 いつの間にか、登場人物のひとりになって、一緒に歩いている気分になってくる。
 足にマメをつくり、片足をひきずりながら…。

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