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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.7
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/350p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-590040-4

紙の本

その名にちなんで (Crest books)

著者 ジュンパ・ラヒリ (著),小川 高義 (訳)

「ゴーゴリ」と名づけられた少年。その名をやがて彼は恥じるようになる。進学を機に、ついに改名。生まれ変わったような日々のなか、ふいに胸を刺す痛みと哀しみ。そして訪れる突然の...

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その名にちなんで (Crest books)

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商品説明

「ゴーゴリ」と名づけられた少年。その名をやがて彼は恥じるようになる。進学を機に、ついに改名。生まれ変わったような日々のなか、ふいに胸を刺す痛みと哀しみ。そして訪れる突然の転機…。ふかぶかと胸に沁みる長篇。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

ジュンパ・ラヒリ

略歴
〈ラヒリ〉1967年ロンドン生まれ。99年「病気の通訳」でO.ヘンリー賞を受賞。同作収録のデビュー短篇集「停電の夜に」でPEN/ヘミングウェイ賞ほかを独占。ピュリツァー賞を受賞。

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みんなのレビュー64件

みんなの評価4.5

評価内訳

紙の本

記憶の積み重ねの果てに遂げる成長の物語

2005/09/19 19:04

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

アメリカで暮らすインド人夫婦アシュケとアシマ。二人は長男にゴーゴリという名をつける。父親であるアシュケにはゴーゴリの小説にまつわるある体験があったのだ。やがて成長したゴーゴリは、このロシア風の名をもったインド系アメリカ人として、自分は誰なのかを見つめながら生きることになる…。

 ラヒリは前作「停電の夜に」で、主人公たちが日常の中で自らの想像力の欠如を気づかされながら、小さな成長を遂げる様を鮮やかに切り出してみせました。
 次回作も必ず手にしようと思わせるに足る、素晴らしい小説でした。

 そして本作「その名にちなんで」は、登場人物たちが「家族の記憶」を積み重ねていくさまを丹念な筆致で描いていきます。そしてその記憶の集積の末に、やはりまた主人公は小さな成長を遂げるのです。

 名前は人間がこの世に生を受けて最初に両親から受け取る贈り物です。そこには親の愛情と願いが込められているはずですが、主人公ゴーゴリの場合、この異質な名前は生きる上での障碍として立ちはだかるかに見えます。そして物語の中途で彼はこの名を自らの体から剥ぎとることを選択するのです。

 しかしやがて彼は気づきます。自分の名前とはまさに人生の記憶の出発点。その出発点も含めて誰のものでもない己の人生を生きるということの価値について。

 「何はともあれ、そういうことが重なって、ゴーゴリという人間ができあがり、どんな人間かを決められた。予習しておけるようなものではない。あとになって振り返り、一生かかって見つめ直し、何だったのかわかろうとするしかない。」(341頁)

 ゴーゴリは静かにそれを受け入れ、名づけの瞬間から始まった自分の生について理解を深めていくのです。私は本書を読みながら心がざわつく思いを幾度もしました。ゴーゴリの姿に、自分自身の成長を重ねて見たからです。

 物語の中に自分の姿を見出す。そんな読書の大きな喜びを得られる秀作です。

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紙の本

小説を読む愉しみは、決して泣いたり笑ったりハラハラドキドキしたりするだけではない、ということをしっかりと教えてくれる上質の作品。

2004/12/13 22:28

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「丹精込めた」とか「肌理細やかな」といった表現が浮かんでくる。ということは、これを読んでも面白いと思わない読者もきっといるんだ──それを思うとちょっと悲しくなる。そう、これは「泣ける小説」でもなければ「手に汗握る物語」でもない。小説を読む愉しみは、決して泣いたり笑ったりハラハラドキドキしたりするだけではない、ということをしっかりと教えてくれる上質の作品である。
 ラヒリのデビュー作『停電の夜に』も良かった。が、そもそも僕は読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうし、また短編ゆえの軽さということもあって、実はあまり憶えていない。ただ、良かったという印象だけ残っていて、それでこの本を買ったのである。
 今回は長編である。主人公の家族はインドからの移民。話の骨格となる設定は、主人公が父親にゴーゴリと名づけられること(これはロシアの文豪と同じ名前だが、文豪のほうは姓で、この話の男の場合は名である)。何故そんな名前をつけたかについてのエピソードがあり、それを嫌がって自ら改名するエピソードがあり、そのほかにもたくさんのエピソードを綴って、2つの世代のインド系米国人のマインドを対比して行く。
 物語は32年の長い時間をゆっくりと流れて行く。これだけ長いスパンを描き切る作家って、ジョン・アーヴィングくらいしか思いつかない。しかも、アーヴィングより眼は細やかで、筆はしっとりとしている。
 帯に堀江敏幸が「ラヒリの世界はもう完成の域に達し、あとはただ、その成熟を見守っていけばいいとばかり思っていたのに、本書を通して、彼女は予想を超える深化を遂げていたのだ──驚くほど静かに、驚くほど自然に」と書いている。そう、この作家は日本で言えば堀江敏幸の線かもしれない。
 表3の著者近影で初めて知ったのだが、驚くばかりの美人である。そして、この作品も驚くばかりに美しい。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

人の名、物の名、場所の名を丁寧に拾い集めながら、米国に移り住んだベンガル人共同体と20世紀後半の米国の歩みを積み上げる。細密で美しい工芸品のように…。

2004/11/09 20:23

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 生まれ育った土地を離れ、異郷の暮らしで体験するもろもろのうち、一番大変なことといったら何だろう。それは出産、そしてそれにつづいていく子育てではないかと私には思える。足のむくみや腰痛をこらえながら、お腹のなかの子が外に出るとき、本当に産道はスムースに広がるものなのかと不安混じりに考える。子育ては、食べさせて病気から守りながら子の体を大きくすると同時に、社会の構成員として言語や慣習、感情をしつけていく仕事であるが、過去に知っていた社会と切り離されてしまったならば、別の社会にあって、言葉やたしなみ、行事をどう教え込んでいったら良いものか。

 広い世界に出て学問や仕事をしようと米国に渡った父親と、異国で暮らすなど想像したこともなく夫につき従ってきた母親というベンガル人の両親のもとに、作家ラヒリはまず男の子を産み落として、移民二代にわたる物語を始めた。本文でも引用されている「われわれは、みなゴーゴリの外套から出た」(97P)というドストエフスキーの言葉通り、人にも物にも出自がある。
 きつい結び目のようなベンガル民族としての絆や伝統的慣習が、「移民」として暮らすなかでいかにほどけて解体していくか——それは単にアメリカナイズという文化の侵食による単純な変化ではなく、個人が伝統的共同体から切り離されていく近代社会の傾向とも同調している。
 豊穣なロシア文学の水源としてたたえられるニコライ・ゴーゴリの本のおかげで九死に一生を得た父親から、「ゴーゴリ」という幼名を与えられた主人公の男性。彼もまた、誰かの誕生日や結婚式など事あるごとに寄り集まるベンガル移民の共同体に育ちながら、学問を修め生業を決めていく自立への選択の段になって、共同体と距離を取っていくことになる。
 我が子の自立への意思を尊重するためなのか、幼名のつもりでありながら20歳近くまで使われて馴染んでいた「ゴーゴリ」という名の改名を行いたいと願う息子に、両親は特に何も話さない。「ゴーゴリという名には、父さんを死の淵から救ってくれた一件の由来があるのだ」と告げはしない。

 題名が示すように、これはベンガル人らしからぬ、ましてや米国人らしからぬ名前に翻弄された「ゴーゴリ」という男性を巡る小説であり、彼を育んだ家族の小説である。なぜ、名にちなんだ小説なのかと言えば、命名こそがベンガルの伝統的慣習にのっとって行われるものであり、その正式名とともに、愛称としての幼名を持つこともまたベンガル人の常であり、加えて、それらの名前たちが民族のアイデンティティたる言語を象徴するものだからであろう。ラヒリは名前にベンガル人や米国人、移民たちの民族性を象徴させることで、素材を実に巧みに用いた。
 いま一つ特徴的なのは、人の名前という固有名詞だけでなく、本文中におびただしいほどに用いられた物品や場所の固有名詞である。トマス・ピンチョンの諸作品のように註はつけられてはいないが、ここに登場する新聞や雑誌の名、建築様式、洋服や食材の銘柄、通りやレストラン、書店の名称、映画や音楽アルバムの題、世間を騒がせた事件の通称といったものを追っていくうち、読み手は2つの大陸の文化の差を知り、さらに30年余の米国社会の変化を透かし見ることができる。自らの暮らしの変化を照らし合わせながら…。
 ラヒリの細やかさは個人の人生や内面の機微に留まらず、そのように普遍的なところへも及び、だからこそ独特のしっとりとした雰囲気をかもし出す。

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紙の本

悲劇が悲劇にならず淡々と続いていく日常。ちょっとシニカルに自分の血族を見る、その視線がリアル。新しい文学はアジアから出て、そのまま欧米に住む人々から生まれる

2004/10/08 21:52

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

「ふかぶかと胸にしみる待望の第一長篇。
デビュー短篇集『停電の夜に』でピュリツァー賞ほか受賞。
世界各国に愛読者を生んだインド系女性作家が
濃やかに描きだす人生の機微。深く軽やかな傑作長篇。」

うーむ、内容にまったく触れない素晴らしいキャッチである。で、私は確かに『停電の夜に』を読んだはずなのだけれど、記憶も記録もない。なんだろう、どうしたんだろう?と思って、カバー後の折り返しに載っている著者略歴を見て(読んで、ではない)唖然とし、夫と長女と次女に全員集合の召集をかけてしまったのである。

ジュンパ・ラヒリ、1967年ロンドン生まれのベンガル人女性は、ともかく美しい。これほどの美女作家となると、日本には未だかつて存在したことがない、と断言できるほどである。いやあ、彼女の写真を見れば見るほど、この小説に出てくる二人の女性、とくにモウシュミの恋愛のエピソードが理解できる。

ちょっと意味不明の、少し前の缶コーヒーのCFを連想させるカバー写真は、Art Wolfe/Getty Images、装幀は新潮社装幀室。原題タイトルはNamesake、同名者ということらしいが、邦題のほうがニュアンスを上手く伝えているだろう。

舞台はアメリカ。1968年、この小説の主人公となる少年を身籠っていたのはアシマ・ガングリー、夫はマサチューセッツ工科大学に学ぶアショケである。全ての発端となった事件は1961年に、インドで起きる。当時22歳、ベンガル工科大の学生だった彼は、祖父の家を訪れる予定で乗り込んだ急行で、事故に巻き込まれる。その時、彼を救った、というか彼の意識を最後までひきつけたのが「ゴーゴリ」の本だった。

そして、1968年、初めての子どもが生まれた時、愛する祖母からの送られるはずだった名前がいつまでたっても届かず、アメリカの法律によってとも角自分たちの子どもに名前をつけざるを得なくなった、そのとき父であるアショケが選んだのが、自分が大好きな作家である「ゴーゴリ」の名である。

その名に親しんだ少年は、幼稚園の時、のちに嫌いになる自分の名前を変えるチャンスを、自分で逸する。その時、両親がつけようとしたのが「ニキル」である。しかし、ゴーゴリの何たるかを知らない幼児は、自分が突然「ニキル」というまったく知らない名前で呼ばれることを拒否する。

インド人であることに拘り続けながら、生活の拠点をアメリカに置く両親、そのアメリカに生まれ、アメリカの生活を当然のこととして受け入れる子供たち、その意識の差が、名前ばかりか人生観、恋愛観といったものの違い、そして人生の進路をまでも離れたものにしていく。しかし、それでも彼らはインドから離れてしまうことはできない。そういった人々の人生を描く小説である。

で、『停電の夜に』を忘れたか読んでいない私は、しかしこの十年で読んだインドを舞台にした、或いはインド人作家の手になる小説を嫌でも思い出さずにはいられない。ジョン・アーヴィング『第4の手』『サーカスの息子』、ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』、キラン・デサイ『グアヴァ園は大騒ぎ』。もっとあるかもしれない。

作家に共通するのは、かつての宗主国であるイギリスで学び、或いは生まれ、現在も欧米で暮らすということだろう。今、文学の担い手は、欧米とアジアの両方の文化を知る若きアジア人といっても、いいかもしれない。そしてかれらは、二つの文化を見るのと同様の目で親たちの世代、故郷を見ていくのである。そこから伝わってくるのは、祖国への熱い思いや欧米への反発ではない。

あるものとして現在の快適な生活を受け入れながら、両親を、祖父を、親族を突き放して見る。冷たく、ではない。しかし、どちらかと言うと皮肉とある種の諦念で、見つめていく。どの話も、決して幸せな終わり方をしない。といって、悲劇でもない。日常として淡々と続いていく。それがリアルである。

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紙の本

読み終わってもしばらく余韻に浸ることになった

2021/01/31 22:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

いい作品だった、読み終わってもしばらく余韻に浸ることになった。彼女の作品で読むのは「停電の夜に」「低地」に続いて3作品目、長編は「低地」に次いで2作品目だ。主人公やその家族たちは自分たちのことを、インド人ではなくベンガル人、ベンガル出身と呼ぶ、また名前には正式なものと愛称がある。このへんのところは我々にはわかりにくいことなのだが、おもしろいことでもある。その名前というものがこの作品の主題なのだが、主人公はあの「外套」の作者、ゴーゴリという名前を持ってしまう、それには語れば長くなる父の辛い思い出につながっていく。主人公が結婚した相手、モウシュミを主人公は「細面、ネコ型の顔立ち、すっきりとした直線的な眉、1980年代の映画スターという趣」と評している、これって、ネットで見かけた作者の写真の印象と一致する。彼女は作者の分身なのか

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紙の本

ゴーゴリという名が要となって開く美しい扇子のような長編小説ーゴーゴリを巡る二つの国と二つの世代の人々の内面や人生が細やかに描かれていて味わい深い

2005/02/15 16:07

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る

 1968年8月のじっとりと暑い晩、アメリカのセントラル・スクエアにあるアパートからこの小説は始まる。小説の主人公となる少年を身ごもっていたアシマ・ガングリーは予定日を二週間後に控えて、インドならどこにでも売っていそうな駄菓子を食べている。夫のアショケ・ガングリーは、マサチューセッツ工科大学に学で、電気工学の博士号を目指して、寝室で勉強中だ。アショケとアシマの二人は、ベンガルからアメリカに渡ってきた夫婦だ。

 アシマのお産を語りながら、アシマとアショケの出会いを語る。そして、アシマのお産を待つアショケを語りながら、当時22歳だったアショケがベンガル工科大の学生だった時に、祖父の家を訪れる予定で乗り込んだ急行で巻き込まれた列車事故を語る。その時、アショケの意識を生還の方向へ向けたのが、ロシアの作家ゴーゴリの本だった。

 初めての子どもが生まれた時、ベンガルの愛する祖母から送られるはずだった名前がいつまでたっても届かず、アメリカの法律に従って、名づけざるを得なくなった。アショケは、自分の命を救った本の作家の名字からゴーゴリと名づけた。
 ベンガル民族としての絆や伝統的慣習を基盤にアメリカで生きる両親アショケとアシマ、アメリカに生まれ育つゴーゴリと妹のソニア。幼稚園に入るとき、両親が新たにつけようとした「ニキル」という名を拒んだ「ゴーゴリ」が主人公の小説である。
 ゴーゴリは、生家を離れ、名門大学に進み、その名を、やがて恥じるようになる。幼名のつもりでありながら20歳近くまで馴れ親しんでいた「ゴーゴリ」という名の改名を両親はあっさりと許してしまう。そして、ニキルとなったゴーゴリが出会う数人の女性達、その中に、妻となるモウシュミが現れる。
 著者であるラヒリは、ゴーゴリを主人公としながら、ベンガル人の両親アショケとアシマ、妹のソニア、そして、ベンガル出身の魅力的な女性モウシュミの一人一人の内面や人生を細やかに語る。
 一冊の小説でありながら、ゴーゴリ、アショケ、アシマ、ソニア、モウシュミを主人公とした5編の掌編を読んだような感触を味わっている。
 5編の掌編は、ゴーゴリという名前が要となり開く美しい扇子のようだ。 それぞれの人生や内面を語る作者の視点が、内省的でもあり、インターナショナルでもあるため、扇子の骨組みが強固であり、開いたとき、それぞれの人生の喜びと哀しみが精緻な紋様として現れる。二つの国と二つの世代の空間と時間が、扇の広がりの魅力ともなっている。
 ゴーゴリを巡る人々の哀しみが哀しみのまま終わらないゆえに、長編として胸に沁みるのではないだろうか。ゴーゴリがその名にちなんで、ゴーゴリとなってゆくであろうラストが心に残る名作である。


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紙の本

つづきを綴る

2004/11/30 11:34

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:タガオ - この投稿者のレビュー一覧を見る

『停電の夜に』ももちろんおもしろかったけど、『その名にちなんで』はそれを上回る。主人公はインド系アメリカ人2世の青年。両親が彼につけた名は、ロシアの大文豪と同じ「ゴーゴリ」。この名前をめぐって物語は進行してゆく。
ラヒリの描く物語は静かでささやか、悲しみのなかに小さな希望が見え隠れする。
彼女はアメリカ在住のベンガル人。幼い頃にインドを離れ、異国の地で育った。もしかしたら、ラヒリにとってはインドのほうが「異国」なのかもしれない。
ぼく自身は、19歳のときに名前と国籍を変えた。それより以前、はじめて祖国を訪ねたのは中学生のとき。そこは「外国」だった。以来、一度も訪れていない。
ぼくらはさまざまな要素に規定されながら生きている。国、地域、社会、家族、友人、恋人、関わってきたありとあらゆるもの。しがらみももちろんある。でも、そういうつながりのなかで生かされていることも事実だ、それを幸福と感じるかどうか。
自分の息子に「ゴーゴリ」と名づけることには理由があり、そこに物語がある。その名を冠することは物語を生きることであり、つづきを綴ることかもしれない。

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紙の本

きっと今年のベスト

2004/11/07 02:07

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:飴子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 デビュー作「停電の夜に」は非常によくできた短編集だった。本作は短編集の最終話「最後の大陸」の続編ともいえる内容になっている
ラヒリは、インド系アメリカ人またはインド人を描く。一見、私たち日本人とは縁のない設定のようだが、普遍的なテーマを大げさではなく的確に、時にユーモアを交えて描くため、深く共感を覚えることができる。本作は、インド系アメリカ人青年ゴーゴリが、名づけられた名前に象徴される、自分の雑多なアイデンテティから逃れ、再び受け入れるまでの日々を物語る。彼が幾つかの恋愛を通して、家族との関係や仕事、人生観を見つめ、選び、時には傷つき、それでも生きていく姿は、誰もが経験し、感じた気持ちや悩みを、浮き上がらせる。この作品は、私たちの過ぎてきた時間とこれからの人生を、今一度、震わせてくれるだろう。

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紙の本

この本を読まずして2004年の文学シーンを語るなかれ

2004/09/17 02:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:katu - この投稿者のレビュー一覧を見る

『停電の夜に』でのピュリツァー賞受賞は決してフロックではなかった!
ジュンパ・ラヒリは、そのことを軽々と証明して見せくれた。出来映えから言えば本作の方が上だろう。ジュンパ・ラヒリ恐るべし、である。

主人公の名前は「ゴーゴリ・ガングリー」。ベンガル人の両親がアメリカで生んだ子どもである。ロシアの文豪と同じであるその風変わりなファーストネームは、彼の父親が列車事故の際にゴーゴリの『外套』を読んでいたおかけで一命を取りとめたことに由来する。そんな経緯を知らないゴーゴリ少年は自分の名前が嫌で嫌で仕方がない。そこで、18歳になったときに「ニキル」と改名してしまう。こうして、二つの名前、二つの祖国を持った青年ができあがる。そんなニキル/ゴーゴリの成長の過程を追った物語である。

本筋はニキル/ゴーゴリの話であるが、その視点はあるときは母親のアシマの視点に、またある時はニキル/ゴーゴリのガールフレンドの視点へと自在に移り変わり、ニキル/ゴーゴリとその家族にまつわる話やニキル/ゴーゴリとそのガールフレンドたちとの話が淡々と語られていく。ニキル/ゴーゴリがインド生まれのベンガル系移民の子であり、二つの名前を持つということを除けば、誰にでも起こりうる事柄が述べられる。しかし、その誰にでも起こりうる何でもないような日常の出来事を掬い上げる見事さには、私は作家でもなんでもないのに、激しい嫉妬心さえ感じる。

例えば、アシマがアメリカで初めてアドレス帳を買った時のことを思い出しているこんな一節。

アパートに帰ってから、真新しいブルーのページに実家の住所を書き入れた。カルカッタのアマースト街。それからアリポールの婚家の住所。その次に現住所としてセントラル・スクエアのアパートも、忘れないように書いておいた。マサチューセッツ工科大でアショケが使う内線番号も書いた。夫の名前を文字にするのは初めてだと思いつつ、ちゃんと姓まで書いた。アシマにとっての世界はそんなものだった。

また、全編現在形で書き進めているのも本作の独特のリズムを生み出している。訳者後書きで翻訳者がその苦労を吐露していたが、翻訳者の苦労は十分に実を結んでいると言えるだろう。

こういう淡々とした話の場合、ラストをどのように締めくくるのかが気になるところだが、実に心憎いラストをジュンパ・ラヒリは用意している。伏線が最後に活きるこのラストシーンの見事さは是非実際に読んで味わって欲しい。ちなみに、私のあとで読んだ妻もこのラストには感嘆しきりだった。

『停電の夜に』を読んだ人にも、そうでない人にもとにかく読んで欲しい。“力を込めて”お薦めします。

以下は余談。
一昔前に「村上春樹を読むとビールが飲みたくなる」なんてフレーズが流行ったけど、『その名にちなんで』を読むとゴーゴリの『外套』が読みたくなるね。実際わたしはすぐに岩波文庫の『外套・鼻』を買って読みました。

k@tu

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紙の本

人生、そして家族

2004/08/01 14:33

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:野沢菜子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

(※論旨の展開上、書評の後半部で本書の最終部分まで詳しく触れられています。
  本書未読の方はあらかじめご承知おきください。bk1編集部)

うまい!の一言につきる。なんの変哲もない移民の家族の物語で、大きな事件も起こらなければ、奇異なエスニック風味やマジックリアリズムがまぶされているわけでもない。人が生きていく平凡な日常が静かに語られていくだけの物語なのに、読み始めるとやめられず、読後にはなにか深いものが心に落ちてくる。「人生」や「家族」、人が生き、親から子へと血が受け継がれていくことにまつわるもろもろの普遍性が心に沁みる。これは決して「彼ら移民」の物語ではなく、こうして生きている「私たちみんな」の物語である。
 アメリカの有名大で学ぶアショケと見合い結婚してベンガルからやってきた若妻アシマは、すぐに妊娠して子を産む。アショケはかつて列車事故にあい、持っていたゴーゴリの本のおかげで一命をとりとめた経験を持つ。生まれた男の子の名前を記した祖母の手紙が届かず、若夫婦はとりあえず息子を「ゴーゴリ」と呼ぶことにする。
 アショケはボストン近郊の大学に職を得、家も購入。娘も生まれる。一家はベンガル流の生活様式を維持し、故郷の親族に代わるベンガル人コミュニティーを大切にしている。ゴーゴリは学校ではアメリカ人、家ではベンガル人という二重生活に二世らしい不満を抱きつつも、優秀な学生として成長、イェール大入学で家を離れるのを契機にニキルと改名、ずっと嫌ってきたゴーゴリという名を捨てる。
やがて建築家となってニューヨークで働き始めたニキルは裕福なアメリカ娘と恋をして同棲。洗練された彼女の家族とは対照的な自分の両親を疎ましく思うようになる。そんなとき、アショカが急死。突然の父の死は、ニキルの心を家族のもとへと引き戻し、ガールフレンドとは別れることに。やがて、母親に勧められて会ったベンガル人二世の女性と恋に落ちて結婚。だが、妻の浮気が発覚して離婚となる。母アシマは家を売ってインドとアメリカ半々で暮らすことを決意。思い出の家での最後のクリスマスの日、ニキルは昔亡き父にもらったゴーゴリ短編集を見つけて読みふける。
 最初アシマの視点で始まった物語は、ゴーゴリへと引き継がれる。その名がニキルと変わったあとも、家族からはゴーゴリと呼ばれ、地の文では(本人の意識では)ゴーゴリとニキルが混在している。この二重性が彼のアイデンティティーの二重性を巧みに示唆している。語りの視点が登場人物の間をひょいひょい移ろうのも、物語に深みを増している。
 最後まで読むと、途中ほとんど姿を消していたアシマが、ぐっと存在感を持ってくる。ぽんと異郷へ放り込まれたベンガル人の少女が、ずっとサリーをまとってインド料理を家族に食べさせながら、なんと逞しく強くなったことか。子供二人を立派に育て上げ、たくさんの友人を得て自分なりのコミュニティーを作りあげたアシマは、今、思い出の家をさっぱりと売り払って新たな生活を始めようとしている。最初のページと最後のページの間に挟まった時間と人々の変化。それを作者は描きたかったのではないかと思う。人が生きるというそのことを。人生は偶然の連続である。「何はともあれ、そういうことが重なって、ゴーゴリという人間ができあがり、どんな人間かを決められた。予習しておけるようなものではない。あとになって振り返り、一生かかって見つめ直し、何だったのかわかろうとするしかない。これでよかったのかと思うようなこと、まるで話にならないことが、しぶとく生き残って最終結果になってしまう」とゴーゴリは思う。そうだ、そうだ、私たちみんな、そんなふうにして、親から子へと、いるものやいらないものを引き継ぎながら、生きていくのだ。

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紙の本

内容紹介

2004/06/25 19:56

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投稿者:新潮社 - この投稿者のレビュー一覧を見る

奇跡のデビュー作『停電の夜に』から3年。ふかぶかと胸に染みる待望の初長篇!

父が辛くも死を免れたとき手にしていた本にちなんで、「ゴーゴリ」と名づけられた少年。万感の思いがこめられた名を、やがて彼は疎ましく感じ始める。生家を離れ、名門大学に進み、改名。新しい人として生きる晴れ晴れとした自由さと、ふいに胸を突く痛みと哀しみ。名手ラヒリが精緻に描く人生の機微。深く軽やかな傑作長篇。

ジュンパ・ラヒリ
1967年ロンドン生まれ。99年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞受賞。同作収録のデビュー短篇集「停電の夜に」でPEN/ヘミングウェイ賞、ピュリツァー賞ほかを独占。

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2004/11/12 00:12

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2005/05/03 13:49

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2006/01/21 18:24

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2005/06/11 22:16

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