紙の本
宇宙と科学にちょっと興味がある方はどうぞ
2008/07/24 15:31
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YO-SHI - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、物理学者である著者が、「フェルミのパラドックス」と呼ばれる疑問の50通りの解を紹介し、その解に関連した学問上の話題を解説したものだ。「フェルミのパラドックス」とは、「銀河系に恒星間通信ができる地球外文明(Extra-Terrestrial Civilization:ETC)が相当数あると推定されるのに、どうしてまだこちらへ来ていないのか、せめて向こうからの声が聞こえてこないのか?みんなどこにいるんだろう?」というものだ。
「銀河系にETC(地球外文明)が相当数あるって考えるのがそもそも間違いじゃないの?」と多くの人が思うだろう。私もこの解を示せと言われれば、そう答えるだろう。
ところが、銀河系には数千億もの恒星があり、一定の割合でそれぞれ複数の惑星を持っている。「(地球には特別なところは特にないとする)平凡原理」を適用すれば、生命にふさわしい環境は億単位で存在するはずなのだ。
それでも先のように「銀河系にETCが..間違いじゃないの?」と言うのであれば、「そのうちの知的生命が誕生する割合は..。さらに..」と考えていって、最終的に地球に対して通信を行うETCがゼロになることを示さなければ、解を示したことにはならないのだ。
そして、このパラドックスに対して50通りもの解がある。このことにまず驚く。人類の想像力というか、知的探求心というか、無限の可能性を感じる。もちろん、ある解を発展させて別の解を導いているものもある。また著者の判断では「これではこのパラドックスの解としては不十分」というものもあり、どの解も同じように確からしいわけではない。
ただし、読み物としてはあまり確からしくないものの方が面白いから厄介だ。私が一番気に入ったのは、解1の「彼らはもう来ていて、ハンガリー人だと名乗っている」だ。フェルミがいたロスアラモス研究所には、(ノイマン型コンピュータで有名な)フォン・ノイマン他、人間離れした知性を持ったハンガリー人研究者が何人もいたそうだ。
また、本書は科学知識の広く浅い読み物としても面白い。「フェルミのパラドックス」の解の紹介という形を取ってはいるが、取り上げられる話題が豊富だ。UFO、太陽系、宇宙物理学、相対性理論などは、本書のテーマから考えてありそうな話題だが、その他にもDNAや生命の誕生、進化など、ちょっと知的好奇心をくすぐる話が満載だ。
難解な話も少なからずあり、くじけそうになるかもしれないけれど、宇宙と科学にちょっと興味がある方の話題作りに役立ちそうだ。
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なぜ宇宙人はなにも言ってこないのか?
2005/05/21 18:24
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:西下古志 - この投稿者のレビュー一覧を見る
20世紀を代表する物理学者のひとり、エンリコ・フェルミ(1901年−1954年)は、1950年の夏に昼食を同僚たちととっているとき、「みんなどこにいるんだろうね」という問いを何気なく口にした。これが、のちに「フェルミのパラドックス」と呼ばれるようになるパラドックスである。この「みんな」とは、宇宙に存在すると予想される知的生命のことである。本書の説明を引こう。「この銀河系には、地球外文明があちこちにいるはずだ。ところがその兆しは見えない。すでに向こうの存在を知っているはずなのに、実際にはまだわかっていない。みんなどこにいるのか。彼らはどこにいるのだろう。これがフェルミ・パラドックスである」(p.40.)。
本書では、この「エイリアンがいる証拠が見つかってもよさそうなものなのに、いるようには見えないという矛盾」(p.7.)に対して、50通りの答を示し、その一つひとつについて叮嚀に論じている。フェルミの生涯と業績、とくにこの「フェルミのパラドックス」について詳しく説明した第2章に続き、第3章「実は来ている」では、地球外文明(ETC)はすでに地球に来ているという考え方に立つ8つの解について論じ、第4章「存在するがまだ連絡はない」では、ETCは存在しているものの、その証拠はまだ発見されていないという考え方に立つ22の解について論じ、第5章「存在しない」では、宇宙には人類しか存在していないという考え方に立つ19の解について論じ、最後の第6章「結論」では、筆者のウェッブ自身の考え方を提示している。
ウェッブは、物理学や生物学を自然科学のさまざまな分野の知識を総動員し、さらには文明論や社会学、SF小説で描かれたETCなどについても論及しながら、解の一つひとつについて論証を試みている。読み手はそうした論証を通じて、宇宙についてだけではなく、地球と地球上の生命について、さまざまな視角から認識を拡げていくことができる。とくに、生命とはなにか、文明とはなにか、といった問題が、自然科学の認識を背景にいくつもの角度から論じられている点に、本書の特徴のひとつがある。
また本書は、自然科学の考え方や方法論についてのわかりやすい解説書にもなっており、そうした自然科学の考え方や方法論が、人間にとってどのような意味を持ち得るのかを考える恰好の素材をも提供してくれている。自然科学への入門書としても最適の一冊と言えるだろう。
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本書をより楽しむためのちょっと変わった読み方の提案
2004/08/30 10:52
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ヴィア・ノヴァ - この投稿者のレビュー一覧を見る
宇宙人やSFなどに興味を持っている方はもちろん、(訳者あとがきにあるように)宇宙人なんてと思っている方にも是非読んで欲しい一冊である。地球には生命が生まれ、地球以外に生命体が存在するかどうか確認しようとする人間(知的生命体)が生まれている。そこに至るまでには数々の条件があっただろう。その条件は何か、どの位の確率かを決めて、銀河系の星(その一つ一つは基本的には太陽と同じ恒星)の数を掛け合わせれば、どのくらいの数の知的生命体が宇宙にいるか解る。答えが1ならば、地球以外に知的生命体はいないことになる。しかし、それこそ天文学的に膨大な数の天体、宇宙誕生以来の気の遠くなるような時間、我々の住む太陽系がさほど特殊に思えないことなどから推測するとこの数字はもっと高いように推定される。それではなぜ現在、こちらに来たり、向こうからの声が聞こえたりしてこないのだろう。この銀河系にあるはずの地球外文明、「彼らはどこにいるのだろう。これがフェルミ・パラドクスである。」
本書は第1,2章でこのフェルミ・パラドクスについて説明した後、その後の章で50の解を挙げ検討していく。個人的な提案であるが、まず第1,2章を読んでフェルミのパラドクスについて理解したら、いったん本を閉じて、科学者になったつもりで自分なりにパラドクスの解や、その解を確かめる検証方法などを考えてみる。そしてその後に目次を見れば、著者の検討する50の解がタイトルだけ出ているので、自分の考えた解に近いものはどれか、自分の考え付かなかった解のうち面白そうなものはどれか、その解を確かめるのにはどうしたらいいか考え、その後で本書の解の部分を読んでいく。自分の考えと似ていたり、あるいは全く逆だったり、想像も出来ないような解や検証方法、困難なことがあったりして本書をより楽しんで読めると思う。
宇宙人というとSF小説のひとつの永遠のテーマだと思うが、本書でも多くのSF小説について言及されている。著者の国籍を割り引いて考えても、英語圏のSFの質の高さ(逆に言えば日本のSFのレベルの低さ)が良く解り面白かった。数字が出てきたり、理解するのに若干頭を使ったりする部分があるが、時間をかけて考えれば中学生でも理解できるレベルだろう。宇宙人について考えることで宇宙だけでなく、生物や環境、世界平和や倫理などより深く私たち地球のことを考え理解するきっかけとなる良書だと思う。
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フェルミのパラドックス(地球外知的生命体がいるのなら、なぜ我々は彼らにコンタクトできていないのか)について、考え得る様々な回答のうちから50を選び出し、「すでに来ている」「まだ連絡がない」「いない」の三通りに分類し解説を加えている。取りあげられている説は、可能性がゼロに等しいものから、現時点ではかなり有力と思われているものまで多岐にわたるが、それぞれの説について簡にして要を得た解説がなされており、その検討過程で、生物学、地質学、宇宙物理学等様々な関連分野の知見にも触れることができる。もちろん、明確な結論が出るわけではないが、こういうある問題を設定し可能性を一つ一つつぶしていくというプロセス自体が一種の知的遊戯であり極めて楽しい(もっとも、問題自体が魅力的で、また多様な回答が引き出せるものであることも重要)。この種の科学書については、好みがわかれるところであるが、私は大好きである。
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2004年に読んだ本のなかでイチバン興奮した一冊。この宇宙に私達以外の知的生命体は存在するのか? 知的好奇心を刺激してくれます。
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......Where is Everybody?
「宇宙がエイリアンだらけなら、
見つかっていても良さそうなものなのに
なぜ未だに見つからないのだろう?」
これは「フェルミのパラドックス」と呼ばれるものである。
果たして宇宙人はいるのかいないのか?
真面目に大の大人が考えた50の答えを紹介する本。
答えを大まかに分類すると、
「実はもう来ている」
「存在しているが連絡は無い」
「存在しない」
この3タイプに分類される。
いくつか例をあげると、
「彼らはもう来ていて、ハンガリー人だと名乗っている」
「通信する気がない」
「宇宙はわれわれのためにある」
などなどこのような調子で50の解が挙げられている。
ちなみにフェルミは原子力の父と呼ばれ、
原爆の製造に多大な貢献をした人である。
最後まで原爆投下には反対しましたが。
今では「フェルミ推定」のほうが有名かもしれない。
マイクロソフトの入社試験に用いられて有名になったもので、
「シカゴにピアノの調律師は何人いるか?」
など具体的に数字を出しづらいものを
論理的に考え概数を推定させるものである。
この考え方は仮説の検証の要所要所に用いられている。
50の解は所々重複しててくどいと感じるかもしれない。
しかし面白くて飽きさせない本だと思います。
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こんなにも宇宙は広い。気が遠くなるほど。
でも、そこには地球人以外の知的生命体は確認されていない。みんな(他の生命体)はどこにいるの?
この本では、この問いに対するさまざまな答えのうち、代表的な50個の答えを
?宇宙人は存在して、すでに地球に来ている。
?宇宙人は存在するが、まだコンタクトがない。
?宇宙人は存在しない。
の3つに分けて解説する。
テーマの性質上、理系の話が多くて分かりづらい部分が多少あるが、とても面白く読んだ。
宇宙は本当に広い。気が遠くなるほど。
だからこそ、もしかしたら地球人しか知的生命体は存在しないのかもしれない。
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以前「ヴォイニッチの科学書」というpodcast番組で紹介されていたので購入した本です。
宇宙人はいるのか?いないのか?いるのだとしたらなぜ見つからないのか?
その疑問に対して科学者がまじめに議論して導き出した答えと言うかそんな感じの理由が50ほどつづられています。
あぁ別の惑星ってことは環境や文化がまったく違う可能性もあるので、一口に宇宙人に出会えない理由といってもいろいろな要素があるのだなぁ…と考えさせられました。
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一見、夢のなさそうな題名をしてるけど、実は夢いっぱいな内容でとても面白い。
この本からは広い宇宙でぼくらとは別の人類を探すということがいかにストイックな姿勢を要求されるかということを学べた。
これを読んだら「だからって宇宙人がいないとは限らないじゃないか」なんて考えはもう恥ずかしくてできなくなる。
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私の考えは、生命が確認された星には、他の文明は近づかないルールがあり、しかも、この太陽系よりも魅力的な惑星郡が、他にたくさんあるのだと思います。
だから地球外知的生命体は、地球には来ないのではないでしょうか?
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納得できる理由を50も並べられたら、宇宙人に会えないのも無理無いか、と思ってしまう。
死ぬまでに宇宙人に会いたいな。
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神と宇宙人と幽霊はたぶん同一人物だ。いずれも自我の延長線上に位置するもので、人類共通の願望が浮かび上がってくる。で、少なからず見たことのある人はいるのだが、連れてきた人は一人もいない。
http://sessendo.blogspot.com/2011/10/etc50.html
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1950年の夏,ロスアラモス。テラーらと昼食中のフェルミが唐突に「みんなどこにいるんだろう」と疑問を発した。地球外からの来訪者はなぜいないのか?
銀河系には何千億個の恒星があり,惑星もそのくらいはあるだろう。中には生命の存在を許容する地球型惑星もあるはず。銀河系ができて膨大な時間が経過しており,その中には技術を発達させて地球にコンタクトしてくる文明があるはずだ。それなのになぜ来ないのか?これがフェルミのパラドックス。
フェルミより前にこの疑問を表明した人(ツィオルコフスキー1903)もいたが,フェルミの名前が冠されるのは,彼が大雑把だけれども出鱈目ではない数の概算を得意としていたからという(フェルミ推算)。「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか」みたいな。p.25
本書は,このフェルミのパラドックスに対する50の解答を紹介。解答はざっくり三つの群に分けられる。「実は来ている」という荒唐無稽なものから,「存在するがまだ連絡がない」,「存在しない」というものまで。最後の解50で著者の意見が開陳される。
解答は独立しているわけではなく,どれか一つが正しい解答というわけではない。示された解答の複数がからみあっているのかも。こういう問題に取組むには自由な発想が必要で,SFとの関連も深い。ブレインストーミングのようで面白い。しかも,物理学者の著者がフィルターかけてくれるので嬉しい。
「実は来ている」説の中にはUFO実在論もあったりするわけだが,「実は来ている」の亜種で,「動物園シナリオ」というのが面白い。地球外生命は,自分たちの存在を気付かせずに地球人を観察しているんだよ,というもの。人類は地球という自然公園で保護されているのかもw。
著者の結論は「存在しない」というもの。地球人が唯一の知的生命で,ETはいない。理屈としては,地球が例外的に恵まれた環境にあったということ。天動説の再来,人間原理という感じが濃厚だけど,結局そうなのかも。本書は「…かもしれない」が何百回と出てくるが,誰にも確かなことは分からない。
人類誕生が僥倖だったというのは,いくつかの解答が根拠を述べている。継続的に居住可能な領域(CHT)はとても狭いのかも。木星があの位置にあることや,大きな月があることや,プレートテクトニクスがあることは,めったにないことで,それらは生命の誕生・進化に多大な貢献をするのかも。
長い間近くに超新星がなかったことや,ガンマ線バースター(GRB)に遭遇しなかったことも奇跡なのかもしれない。有機物から最初の生命が誕生するのはほとんどありえないことなのかもしれない。答えはなくて,いろいろな可能性を探るだけだが,読んでてとても楽しかった。
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この本も最近読んだ「宇宙から恐怖がやってくる!」と同様の崇高な最新科学に基づいた味わいの深い考察本で、同様にタイトルで相当誤解というか損をしている本であると思います。20世紀を代表するフェルミが出した世紀のパラドックスである「彼ら(ETC、知的生命体、宇宙人)はどこにいるんだ?」という問いに対して、50に絞った代表的な解答を順次挙げてその問いに迫っていきます。その50に絞った解の内容が、この上なく幅広くて面白いのです!SF小説にありがちな推測から、現代物理学、天文学、生物学を始めとして著者の軽快な語り口はともすれば難解な題材を、非常に興味深くそして分かり易く解説していきます。先の「宇宙から~」でも触れられていたガンマ線バーストなどの最新宇宙物理から、無機質と生命体の境目となる事象の解説まで、実に多岐にわたる分野を網羅している科学本です。正直、著者の語り口の妙技もあるのでしょうが、50のみならず100でも1000でも解答を読みたいと思わせる内容で、一つの問いかけに対してこれだけの分野を網羅する解答が生まれるというのは、この本の醍醐味であると同時に、人類そして人間の存在の意味に迫る謎かけであったのだと読んでいるうちに気付かされます。
そして圧巻というか衝撃の最後の50番目の解で、著者の意見ではあるものの、フェルミのパラドックスに対する結論が語られます。正直、読み進めているうちに最後の結論になって欲しくないと願いながら読んでいる自分に気付きました。最近では読み終えてしまうことがこれだけ名残惜しいと感じた本は久しぶりです。できれば50番目に辿り着かずに、もっとこのサイエンス・エンターテイメントと呼ぶに相応しい本書を少しでも長く楽しんでいたいと感じずにはいられませんでした。
50番目の解であると同時に著者が導いた結論でもあるクライマックスは、本当に衝撃的です。(ここで、まだ未読の方は是非、本書を読んでからにすることを強く勧めます。この本ほと先に結論を知ってしまうのは勿体なくもあり、悲しくもあります。色んな意味で。。。)
50番目に至るまでに既に解説された内容から、「彼ら(ETC)」がいるのかいないのかの択一の解は既に得られていることが、最後に分かります。フェルミが問いかけた、またドレイクの方程式から導かれ期待できるはずの「彼ら(ETC)」の存在は、「フェルミのふるい」なる理論からは存在しない、すなわちこの広大な時空と気の遠くなるような永劫の時間を有する(はずの?)宇宙には我々人類のみが存在するという結論がフェルミパラドックスの解として導き出されます。正直、本書を読むまでは自分自身がETC肯定派であり、今までのSF小説も交えたつたない知識からも、この広大な時空を有する宇宙に我々人類しか存在しないことは有り得ないと考えていた自分がいました。しかし、その根拠は多分に広大な宇宙が存在するという事実だけに依っており、また逆説的にこの広大な宇宙に人類だけが存在するという事実を直視したくなかっただけなのかも知れません。天文学的な数値になるはずの宇宙の惑星の数(今までだけなくこれからの時間も含めての数)が、本書で語られるたった50の解のふるいの過程であっけなく、1(すなわち地球だけ)になってしまう事実には驚愕するとともに、底知れぬ孤独感を感じざるを得ません。
私が愛して止まないSF小説も含めて、今までに人類だけが宇宙の唯一の知的存在という事実は無かったと記憶しています。暗黙のうちに、この広大な時空である宇宙を人類以外の何かと共有しているはずだという期待は、実は何ら根拠があるものではなく、逆に今分かっている事実から導き出される結論は、我々人類のみがこの宇宙を唯一意識できる存在だということが説得力を持って突きつけられます。その意味では本書ほど、衝撃的で悲しい結論はないとも言えますが、この結論を別にすればこれほど楽しくまた自分が賢くなれたと感じる本は久々です。本書では軽くしか触れていませんが、人類の脳が進化の過程で複合的に物を考える過程で「意識」が生じたのではという推論は、それだけでも一冊の書籍になりそうなテーマを含んでいます。
ともあれ、本書は純粋に極上のサイエンスものとして楽しむことが出来るとともに、一通りの知識をおさらいした後に突きつけられるこの上なく重い事実、「この宇宙で人類だけが唯一の知的存在」という内容は、傲慢であるとかいう次元を超えて、自分を含めた人間という存在の意味と意義について一つの解を与えるものではないかと思わざるを得ません。最後に本書からのラストを引用します。「「自己意識を持った唯一の動物、愛とユーモアと思いやりの行為で宇宙を明るくできる唯一の種が、ばかげたふるまいで自ら消えようとしているのかもしれない。われわれが生き残るなら、探検して自らのものにできる銀河がある。自滅したら、故郷の惑星を飛び立てるようになる前に地球をだめにしたら。。。別の種の生物がその惑星から夜空を見上げ、「みんなどこにいるのか」と思うようになるまでには、長い長い時間がかかることだろう。」」
この最後の「長い長い時間」の意味は、ひょっとしたら未来永劫、人類のような存在はこの宇宙に存在し得ないという含みがあるように思えてなりません。想像の世界ではさておき、現実にはいまだに地球から一歩も生活圏を広げられない我々は、信じられないような奇跡のチャンスの存在を自ら認識することなく消えてしまうリスクの時代を生きているのでしょう。そう遠くない将来に、地球が宇宙という時空の中の一つの故郷となり、知的存在がこの宇宙を探検している時代が来ることを願って止みません。そして今の時代をなんて危険で不安定な時期があったのかと振り返る存在になることを祈りたいですね。
と、久々に長い書評になりましたが、本書の事実の前では私の好きなジーリーもタイムマシンも存在しえないのが現実のようです。それでも、本書にもある130億年を1年とした宇宙カレンダーでは、人類は1時間も生きていません。この先に膨大な時間とチャンスが約束されていると信じて、眠りに着きたいと思います!
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今、読み終わった。私は、地球で出しているテレビ、ラジオの電波が届くならば、他の異星人の文化の雑音、日常生活に使われる電波が届くはずだから、それが届かないと言うことは、異星人の可能性が低いと思っていたが、この本によると地球で使われている日常使われている電波、テレビ、ラジオは、光年の距離を届くことが出来ないらしい。それならば、まだ、見つからない。また、大きな電波望遠鏡がなければ届かない。あるいは、特定の周波数、特定の場所に放射しなければ届かないのであれば、見つかっていないこともあり得ると思ったが、でも、宇宙が誕生してから、長い時間が経っているが、まだ、この異星人の痕跡も認められないことから、異星人は、それほど、数は、多くないと思います。が、最近のSFの方向がなぜ今のようになったのか、昔のように広大な宇宙を舞台にするSFよりも、そうでないSFの方が、SFベストの上位の位置を占められているかわかった気がします。