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アフターダーク
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.9
  • 出版社: 講談社
  • サイズ:20cm/288p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-06-212536-9
  • 国内送料無料

紙の本

アフターダーク

著者 村上 春樹 (著)

真夜中から空が白むまでのあいだ、どこかでひっそりと深淵が口を開ける−。「風の歌を聴け」から25年、さらに新しい小説世界に向かう村上春樹の書下ろし長編小説。【「TRC MA...

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アフターダーク

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商品説明

真夜中から空が白むまでのあいだ、どこかでひっそりと深淵が口を開ける−。「風の歌を聴け」から25年、さらに新しい小説世界に向かう村上春樹の書下ろし長編小説。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

村上 春樹

略歴
〈村上春樹〉小説家。著書に「ノルウェイの森」「ねじまき鳥クロニクル」「アンダーグラウンド」「レキシントンの幽霊」など。

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みんなのレビュー423件

みんなの評価3.4

評価内訳

紙の本

夜の濃密さの中に小さな灯がともってる

2004/09/27 21:30

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トパーズ - この投稿者のレビュー一覧を見る

大概の人が眠りにつく頃に、物語ははじまる。
夜明けなら息がほんのりと白くなってしまうような、冬が駆け出し始めたような遅い秋。なんて、この小説にぴたりと似合う季節なんだろう。
 私は依然に、夜働いてた事があるので(小説の中での職業とは違うのだが)コオロギとマリの会話は、心の中にぽつんと小さな灯が、ともるように素直に受入れる事が出来た。それまで親しくなかった人と急に交わす思ってた以上に深刻でリアルな話。これは夜にしかあり得ない、夜の濃い空気でなければ、こんなに近い距離感で、誰かの話に真剣に耳をたてる事もなく、饒舌に話す事さえないだろう。ギュギュッと抱き締められたように濃密な距離で他人の話を感じる機会が、私にもあったことを思い出させてくれた。
 登場人物はそれなりにみんな孤独で、夜の中で静かに呼吸してる。
 本文の中に以下のフレーズがあって
「部屋全体は暗く、彼の机のある部分だけを、蛍光灯の光が天井から照らしてる。『孤独』という題でエドワード・ホッパーが絵に描きそうな光景だ」
 そこまで読んでやっと気付いた。この箇所だけではなく、この物語の風景全体ががまるで、エドワード・ホッパーの絵みたいなのだと。登場人物でさえ旅行者で、街路の中から明るいネオンのともった室内の中で行われてる事を傍観してる、ついそんなホッパーの絵をイメージしてしまった。大概の登場人物は物語の針が進んでいく街に住んでいるのではなく、そこを目指して他所からやって来た人がほとんどだから。
 いろいろな予感や淡い期待を抱いてしまうのも、ホッパーの絵をイメージしてしまうのかも知れない。
 今となっては、マリもエリも絵の中に描かれても、不思議でないような気さえするくらいだ。ホッパーの絵の中に、メランコリーな表情をした若い女が、映画館の壁にひっそりと佇んでいる絵があるのだが(タイトルはニューヨークの映画館といいます)彼女達はなんとなく、具体的にその絵をイメージしてしまう。外見は違えども、ふたりともよく似てる。今は不安で押し潰されそうな彼女達だけど、10年後はどうなっているのだろう。特にマリの事が気になった。私はファミレスのコーヒーを前にして、いじけて不安げに佇むマリの事が大好きになってしまったから。
 夜も段々と長くなり、もう2ヶ月もすれば、地面に落ち葉が一杯で、それをふみしめるとカサコソと言う乾いたような、でもまだ中心は湿っているような小説の中の季節がやってくる。
今年は秋が来るのが待ち遠しい。

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紙の本

“らしい”作品

2004/10/22 20:33

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:R2 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ここ10年くらいの間で、待ち遠しいのは、
村上春樹の新作とスターウォーズの封切りです。

評価が★★★★★か…?
悩んだ…。
“評価”=“私が満足”だったかというと★★★★かなー。
だけど、
“新作でた”というだけで★★★★★(好きなのでしようがない)。

前作(カフカ)がハラハラワクワクものだったので、
今回のは、なんだろー、なあ。
(村上春樹)“らしい”って感じでしょうか。

街の描写がよかった(印象に残ってる)。
“新宿”がね。

★★★★★ね。

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紙の本

巨大な監視カメラ

2004/09/26 19:05

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る

村上春樹の才能には舌を巻く。(最近は顔までかっこよく見えてきた)
何でもない言葉を格言のように感じさせるハルキ節も健在。
何よりも、これほど多用な読み方がなされ得る作品は、現時点では彼にしか書けないだろう。以下も、数多ある「アフターダークの読み方」のうちの一つとして提示したい。

本作の「視点」についてどう捉えるか。それが本作を読む際のポイントとなるだろう。
「宇宙人の視点」「神の視点」「鳥の視点」…すでに数々の書評家によって論じられているが、本作にちりばめられた符号から「監視カメラの視点」と名づけた中島一夫氏の論(週刊読書人9/17号)に追随しつつ、「安心のファシズム」に絡めて読んでみると、本作がより深いものに感じられた。

「安心のファシズム」(岩波新書)の内容について触れたい。
監視カメラ・携帯電話・ネット家電・住基ネット…これらのおかげで、私たちの生活は飛躍的に便利になってきているし、「安心感」も与えてくれる。たとえば、監視カメラ。監視カメラを設置するということは即ち、自分も監視されるということに他ならない。「自由」か「安心」かを天秤にかけたとき、多少の不自由を感じても、「安心」の方を大多数の現代人は選択する。だが、犠牲にした「自由」と同じだけの「安心」は、実は与えられていない…言わば管理社会への警鐘を鳴らしている本である。

本作「アフターダーク」の俯瞰の視点から、エリとマリという2人の姉妹にそれぞれ焦点が定まっていく方法は、都会に生息する無数の人間の中から、巨大な監視カメラが無作為に選んだ者の一夜を、淡々と映しているかのように感じられる。
「視点」からすれば、彼らは、「一人一人違った顔と精神を持つ人間であると同時に、集合体の名もなき部分だ。ひとつの総体であるのと同時に、ただの部品だ。」とされている。

監視カメラが映し出す、人間性を排除した無機質な世界の中で光るのが、マリがこの夜出会った「高橋」や「コオロギ」の存在だ。
—「でも君なら大丈夫だよ。うまくやれる。僕もここで帰りを待ってるし」
—「世の中にはね、一人でしかできんこともあるし、二人でしかできんこともあるんよ」
ほんの短い時間を共にしただけなのに、彼らはマリに貴重な言葉を残していく。
他人を信じてもいい、そう思わせてくれる人物たちだ。
彼らと出会った後のマリは確実に変わっている。

ラストの一行は、次に監視カメラに選ばれるのは自分なのではないか、という恐怖感にも似た思いを抱かせるが、信じられる人間がまだ夜のどこかにいるかもしれない、という希望が、孤独な暗闇に一筋の光明をもたらせてくれる。

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紙の本

気になる視点

2004/09/24 18:53

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:アイレ - この投稿者のレビュー一覧を見る

昼と夜の長さが同じという秋分の日に一気に読み終えた。様々な角度からの視点によって見られる側と見る側に、あちら側とこちら側の世界に、どちらにでも意外と簡単に行き来できてしまう。回線はたやすく繋がれてしまう。そんな人の危うさ、眠らない街の闇の淵に、自分自身が足を踏み入れてしまったような錯覚に陥る。それは戯曲っぽい文体のせいなのか…? それにしても『私たち』が気になります。観念的な視点だというこの『私たち』に、やはり劇場の観客の目を想像してしまったりもする。見られる側と見る側のどちらが真実の世界なのか、追う者と追われる者のどちらが正義なのか境界線が非常にあやふやで、答えがない。だからこそ「ゆっくり歩いて、たくさん水を飲もう」という高橋君の言葉にほっとします。救われます。最後にアルファヴィルのカオルさんと海辺のカフカの星野さんは、知り合いのような気がするのは私だけ? 村上ワールドは健在だと思う。これもひとつの視点であり、アフターダーク…私は好きです。

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紙の本

会話・クリシェ・固有名詞・そしてカメラ・アイズ

2004/09/17 23:48

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:脇博道 - この投稿者のレビュー一覧を見る

素敵なプロローグだ。クールな夜の始まりが一糸乱れないカメラワーク
のように活写されている。動き出すアナザー・ワールド。いつもの作品
とは少々スピード感が早いとはいえ、それはきっとカメラが移動する速
度が早いからだろう。夜は闇。だが街の夜は光で満たされた白日の闇だ。
そして24時間均一の光で満たされたファミレスにおいて物語は始まる。

村上氏は、どうでもいいこと、を描写することにおいて超一級品の作家
である。評価が分かれた(小生は好きな作品であるが)ねじまき鳥クロ
ニクル、まではそれが徹底的につらぬかれていたと思う。がその後の作
品においてはどうでもいいこと、は影をひそめ、どうでもよくはないこ
とに除々にシフトしていったように思われる。しかし再び本作品におい
て、資本主義の極北において明滅を繰返すどうでもいいこととしての記
号に満たされた世界に文体が帰還した。こうでなくてはと思う。事物の
等価性、微妙な相違、それらが生成する軋み。そして、その軋みは大き
なクレバスに少しずつ変化していく。それらを会話とクリシェと固有名
詞のみをツールとして徹底的にクールに描写しつくすこと。文体の方法
として洗練の極みに本作は達している。

となれば、使用されるツールは初期作品において使用されていた固有名
詞が2004年現在における街において的確にサンプリングされたもの
に限定されるだけのことであるし、会話やバックグラウンドミュージッ
クは、そう変わりばえのしない初期作品からの反復であるとしてもさし
て驚くには当たらない。むしろ反復が快楽と連動しているのが氏の小説
の真骨頂であるのだから。あえていえば、カメラ・アイズという第3の
視点を導入したことが目新しいといえばいえるが、氏が音楽とともに映
画フリークであることを思いおこせば、たいした発見ではないことは自
明であると思われる。

読み進むうちにひとつの些細なことに気付いた。数字、である。氏の作
品においてツールとして重要な役目を果たしてきたどうでもいい数字(
例えば煙草の本数)が登場してこない。すこし考えた。答えらしきもの
が見つかった。それは本作をつらぬく、時間、である。何時何分何秒、
資本主義的世界においてこれほど重要な意味を持つナンバーは存在しな
い。これだけは、どうでもはよくないこと、の範疇に入るだろう。小道
具として使用されていた数字が、本作では大道具として使われているの
である。とはいえ、現在時刻が午前3時37分25秒であったとして、
この数字に重要な意味があるかたもいれば、どうでもいい時間であるか
たももちろん居るだろう。世界はそれぞれに進行しているだけなのだ。

第1作「風の歌を聴け」は深夜の台所で書かれたという話がある。そ
れでは本作は深夜のファミレスで書かれたのかもしれない。もちろん、
どうでもいいことではある。が、そう思いつつ読むと快感である。
多分、本作は、氏にとって特異点に位置づけられる作品であると私には
感じられた。とっさに浮かぶ同様の作品としては「国境の南 太陽の西」
がある。そして私にとってはどちらも無類に面白かったのはまぎれもな
い事実である。

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紙の本

公平性ということ

2004/09/11 00:54

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:非出来 - この投稿者のレビュー一覧を見る

一般に社会とか世間とよんでいる場所は、公平にできていない。そのことを踏まえた上で、著者はだからこそ、公平性を主張する。著者は自分と関わる物事に対しては、公平性を保とうと、この『アフターダーク』は成立させている。
『海辺のカフカ』で村上春樹は想像することに責任が生じると主張した。
『アフターダーク』においては、その責任のあり方を問う内容になっている。責任のあり方も公平ではないのだけれど、公平性を保ちたい、と。
村上春樹は一人称で書くことが多かったが、25年を経て、小説の新しい視点を切り開こうとしている。俯瞰的な視点は阿部和重『シンセミア』、ジョン・アービング『第四の手』を彷彿させる。『シンセミア』は視点をあらゆるモノに変化させ、『第四の手』は視点からの距離感は一定である。
しかしながら、村上春樹は『アフターダーク』において、まるで衛星から地上を捉えるかのように書いている(小説の中では違う表現を使っているけれど)。小説という手法は同時多発的に発生する事象を捉えることができない。主人公は「わたしたち」であり、空間を移動することは出来るが、同時にそれを俯瞰することはできない。
なんだか、難しいことばかり書いてしまったけど、僕の最大の焦点は、誰がシャツのアイロンをあてるかで、それは読んでのお楽しみ。
もうひとつ、小説の大きな楽しみは、レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』探しだ。主人公の高橋は頬に傷がある。ここで、『長いお別れ』を思い出すともう罠にはまる。『アフターダーク』はレイモンド・チャンドラーへのオマージュが散りばめられた小説なのだ。

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深夜から、空が白むまで。

2011/01/11 13:41

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:かず吉。 - この投稿者のレビュー一覧を見る

アフターダーク。

そのタイトルからなんか、ちょっと怖い話を想像してしまって、
読み始めるのに少しだけ勇気がいりました。

読んでみたら、登場人物がとても印象的な小説で、
怖い小説ではなかったのでほっとしつつ読めました。

人の繋がりにはいろんなパターンがある事を
なんか読み終わってから考え、そしてもっと今ある人間関係を
大切にしていこうと強く思えた小説です。

1Q84のBOOK3を読み終えてすぐ読み始めたので、
行間がとても広く、文字が大きく見え、そして、この小説は
行間を読む小説だなぁとふと思いました。

深夜の雰囲気、街の雰囲気がとても上手に書けていて、
登場人物が魅力的でした。

多分、再読なんだけど、始め再読だってことさえ忘れていて、
途中のある場面で再読だって気づきました。

また忘れた頃に読み返すことでしょう。

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紙の本

記憶に残る、深夜から早朝まで

2004/12/20 23:58

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ツキ カオリ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 例えば、一晩一人で過さなければならなかったりする。

 どこに泊まろうか、何を食べようか。
 そして、何をしようか。

 各自のスタイルがあるだろう。

 この物語の主人公、浅井マリは、デニーズで読書をすることを選んだ。

 ほっそりとした小さな顔。黒縁の眼鏡をかけている。眉のあいだにときどき、きまじめそうなしわが寄る。
 彼女はずいぶん熱心に本を読んでいる。ほとんどページから目をそらさない。分厚いハードカバーだが、書店のカバーがかかっているので、題名はわからない。真剣な顔をして読んでいるところを見ると、堅苦しい内容の本なのかもしれない。読み飛ばすのではなく、一行一行をしっかりと噛み締めている雰囲気がある。
(中略)
 入り口の自動ドアが開いて、ひょろりと背の高い、若い男が中に入ってくる。(中略)大きな黒い楽器ケースを肩にかけている。管楽器。そのほかには汚れたトートバッグを下げている。中には楽譜やらその他細々したものが詰め込まれているようだ。右の頬の上に、人目を引く深い傷がある。尖ったものでえぐられたような短い傷跡。それをべつにすれば、とくに目立ったところはない。ごく普通の青年だ。
(中略)
 彼は声をかける、「ねえ、間違ってたらごめん。君は浅井エリの妹じゃない?」
              
 声を掛けて来た男、タカハシと出会い、言葉を交わさなければ、ほぼ確実に、デニーズで読書をし続けたまま、夜明けを迎えるはずだった浅井マリの「アフターダーク」に、変化が訪れる。
 都会の、ファミレスから始まった、ありがちな夜は、濃密さを保ったまま、夜明けへと移行するのだ。

 新しい太陽が、新しい光を街に注いでいる。高層ビルのガラスがまぶしく輝いている。空には雲はない。今のところひとかけらの雲も見あたらない。地平線に沿ってスモッグの霞がたなびいているのが見えるだけだ。(中略)ビルのあいだにはさまれた多くの街路は、まだ冷ややかな陰の中にある。そこには昨夜の記憶の多くが、手つかずのまま残っている。

 ファミレスで、一人で読書をし続けなければならない一晩があったとしたら、少し読むのに飽きてきたり、疲れてきた瞬間にのみ、異性に、それもなるべく魅力的な異性に(笑)、構ってもらいたい。
 複数の人数で来店した訳ではないのだし、構ってもらえる時間はそう長くなくていい。目的はあくまでも一人で読書に没頭することなのだから。

 そんな些細な願い(?)を、作者は叶えてくれた。
 365日のうちの一日、たった一晩だけでも、こんな「アフターダーク」があったなら、その年は、忘れられない年になるだろう。

 さて皆さんは、どのような、記憶に残る「アフターダーク」を過したいだろうか?
 作者の提示した一例を参考に、ぜひ考えてみてほしい。

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紙の本

思いつきでも力ずくでもない何か

2004/09/13 21:35

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 1行目からちょっとびっくり。おや、村上春樹はかなりスタイルを変えてきたな、って感じ。ここで言うスタイルとは文体と構成。なにせ主語が「私たち」だ。今までこんなスタイルはあっただろうか? 一人称単数以外で書かれた小説って少なかったのでは?
 「いや、あの小説は三人称だった」みたいな指摘は多分マニアの方がやってくれるだろうから僕は穿鑿しないが、村上の小説は大体が主人公自身が語るか、そうでないにしても(そうでない小説が実際にあったかどうか僕はちゃんと憶えていないのだが)語り手は主人公にかなり近い場所にいたはずだ。それが今回は「私たち」であり、しかもその語り手はカメラという、かなり引いた位置にいて観察し、語る。うーむ、今までとはかなり違う。
 そして、冒頭から9ページの1行空けてあるところまでのいくつかのパラグラフは今までならなかったのでは? その次の段落の冒頭はこうだ──「彼は声をかける、『ねえ、間違ってたらごめん。君は浅井エリの妹じゃない?』」──そう今まではここまで直截ではないにしても、ほぼこれに近いくらい直截に物語は始まった。少なくとも、この『アフターダーク』のように夜の街をクドクドと描写するばかりで殆どストーリーが進行しないままなんてことはなかったはずだ。
 普段の翻訳調も少し押さえ目だ。今までみたいに日本語の文章を読んでいてその英訳文が頻繁に浮かんでくることがない。
 読み進むと小説の骨組みが見えてしまう(これも今までなかったことだ)。「ははあ、こういう意味づけでここにこれを持ってきたか」とか、「なるほど、これにはこういう想いが込められているんだな」なんて余計なことを考えてしまう。もちろん村上春樹が本当にそう思って書いたかどうかは知らない。しかし、そう読めてしまうのである。語り手である「私たち」がなにかと判断したり解釈したりしてくれるのも気になる。「おいおい、今までみたいに読者に自由に想像させてくれよ」という気にもなる。
 ひとことで言うと、村上春樹も随分オッサン臭くなってしまったみたいだ。なんだか説教じみてきた気もする。即ちそれは村上春樹も歳を取ったということだ。
 そんな風に少しずつ不満を覚えながら最後まで読み通すと、(あまりにベタな評価なので適切でないかもしれないが)村上春樹も中年としての役割を、若い人たちに対して年長者の役割を引き受け始めたのかなあ、という感想に行き着いた。
 そこには思いつきでも力ずくでもない何かがあった。意外に深い、深い読後感が残った。
 村上春樹と同様、僕も歳を取ったのかもしれない。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

長女に言わせると、なんだかなあ、だそうである。無論、今までのパターンに陥っていない点は評価するそうだ。うーん、わたしはこの作品の視点が、なんとも不思議だなあって

2004/11/28 19:04

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

村上春樹本らしくないブックデザインは和田誠。といっても文句をいっているわけではない。ちょっと幕を透かして見るような、夕闇というよりは、小説の内容の通り日の出直前のちょっと湿り気を帯びたような空気を思わせる紗の向こうに、どこかミロのビーナスを連想させる婦人の坐像。写真 稲城功一とあるから、本当は人物なのだろう、そのひそやかさ。無音が滲み出して纏わりつく。

その、紗幕を通したような印象は、小説を読んでいても変わることは無い。それは「わたしたち」という主人公たちの周囲を浮遊する、時にブラウン管のこちら側から眠れる美女を見つめ続ける、神ではなくもっと不確かで秘めやかな視点のせいだろう。

一章は十二時五分前の時計の文字盤のイラストで始まる。わたしたち、というデニーズの中を浮遊する視点が、窓際に座る一人の女のこに目をとめる。彼女の名前は浅井マリ、19歳。人は彼女を可愛いと思うけれど、彼女自身はそんなことを思っていない。それには彼女の21歳の姉、大学二年生のエリの存在が大きいけれど、それは頓狂な男の手によって徐々に明らかにされていく。

浅井エリは幼いときは評判の美少女で、その後、雑誌のモデルなどをし、今でもTVに顔をだす、陳腐な表現をしてしまえば絶世の美女、二歳年下の妹は常にそんな姉の陰にいた。で、そんな彼女に「浅井エリの妹じゃない?」と、おまけに名前をユリと勘違いをして声をかけてきたのが姉の同級生で、二年前に品川のホテルのプールでマリよりは、エリの小さな水着ばかり見ていたタカハシである。

この軽薄としかいいようのない男は早々に深夜のレストランから姿を消すけれど、入れ替わるように中国語に堪能なマリに救援を求めてきたのがラヴホテル「アルファビル」のカオルである。29歳で女子プロレスから引退した身長175の彼女は、ホテルでトラブルに巻き込まれた娼婦の話を聞いて欲しいと頼み込む。

活字がゆったりと配置された本なので、簡単に読むことができるのであとは読んでもらおう。マリを中心に複数の糸が、決して絡みつくことなく、絶妙な距離をとりながら進行していく話で、その中で浮遊するというか、例えば映画なのでたまに見る幽体離脱した人間のような視点が、読者の感情移入に微妙な制動をかける。

だいぶ前のことで恐縮なのだけれど、まだクラウディオ・アバドがミラノ・スカラ座を率いていたころ、日本で引越し公演をしたヴェルディの歌劇『シモン・ボッカネグラ』の映像を見たことがある。闇の底のような暗い舞台だけれど、それだけでは済まない見難さがある。何だろうと夫に聞いたら、実際の公演をみた彼は「あれは舞台の前面に薄い幕が懸かっていて、それ越しに見るものだから、初めてそれに出会った僕は、嫌でも身を乗り出して意味も分からないイタリア語に耳を傾けなければならなかった」と脱線交じりに説明してくれた。

そう、私は村上のこの『アフターダーク』に、ゼッフィレリだかポネルだったか忘れたけれど、有名な演出家の手になる『シモン・ボッカネグラ』の仕掛け、読者が取らざるを得ない距離というものを感じてしまう。それが、小説を読み終わったときの、エリとマリの二人の目を覚まさないように、思わず本から顔を離しながら静かに息をつく、ということに繋がる。

もう少し、この薄明の中を彷徨っていたかったなと思い、あらためてカバーを見たとき、そのデザインが本当に上手に小説の内容を表わしていることに、静かな驚きを覚えるのである。過ぎた時間は5時間。この静けさはだてじゃあない。

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紙の本

EUの少女はフランス語訳でハルキにハマっている

2004/12/02 11:42

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投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「ゆっくり歩く、たくさん水を飲む」何て、年寄りのぼくが出来るだけ実践していることです。タカハシ君の箴言はぼくが言いそうな台詞だとほくそ笑みしました。最初に買ったアルバムが『ブルース・エット』で、『ファイブスポット・アフターダーク』はぼくの定番メニューだし、ゴダールの『アルファヴイル』から採ったらしい連れ込みホテルの看板もぼくと同世代、同文化の装置なのに文中で少女がこのホテルの元女子プロレスラー店長に映画説明をする。

《「たとえば、アルファヴィルでは涙を流して泣いた人は逮捕されて、公開処刑されるんです」/「なんで?」/「アルファヴィルでは、人は深い感情というものをもってはいけないから。だからそこには情愛みたいなものはありません。矛盾もアイロニーもありません。ものごとはみんな数式を使って集中的に処理されちゃうんです」》

マリは19歳の女の子なのですが、どうも、ぼくらと同じ文化装置に馴染んでるみたい。村上春樹は、こんな風に自分の得意な時代、文化背景に取り込んで、若者達を描いてしまう。その辺が問題ありとは思うのですが、若者達がそれでも読んでくれるのですから、成程、村上春樹の語り口を通して、表現すれば、若い人たちは耳をそばだててくれる。ムラカミワールド、春樹節といわれる所以だ。他のオヤジたちが同じ装置で語ってもそっぽをむかれてしまうでしょう。この微妙な差異が他の作家たちの半ば揶揄、嫉妬、冷笑を生むのかもしれない。作家は評論・批評のたぐいは読まないらしいが、確固たる支持基盤があるから無視も出来るのでしょう。レビューアップ件数は相変わらず多い。村上さんの本は何か言ってみたくなるし、書いてみたくなるのです。恐らく作家村上春樹は優秀な精神分析医になれるんじゃあないかと、そんな感が本書で益々深まりました。

ヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン・天使の詩』で、二人の不可視のオヤジ天使が登場しますが、本書の視線はそんな見えない「トウキョウ・天使」達ではないか、冒頭、<私たち>という不可視の複数形が登場する。《目にしているのは都市の姿だ。/空を高く飛ぶ夜の鳥の目を通して、私たちは……》、読み手の眼、作家の眼、堕天使の眼、無数系のゼロの眼、眼印のUFOに乗った酔いで読み進みました。本書に『ベルリン天使の詩』を連想するのは、ぼくの理由なき飛躍かもしれないが、冒頭の“私たち”は、そんなオヤジ達の説教節が聴こえそうでした。高橋君でなく、もろに春樹さんと同年代のオヤジを登場させればよかったのに、その辺りにリアリティのなさを感じましたが、そんな無理な飛躍は春樹ファンに御馴染みのハルキワールドで易々と感応させていく、もはや春樹全体が小説言語なのでしょう。

フランス語圏の友達の15歳のお嬢さんが、フランス語訳で村上春樹を全点読んでいてハルキに嵌っているのですが、彼女はドストエフスキーを初め、古典を系統的に読んでいる、そんな文学史の流れで、村上春樹を評価して日本を代表する作家だと信じている。そんな便りを聴くと、やっぱ春樹は国際的な作家でノーベル賞もあながち夢でないと、思ってしまう。ただ、わが国では村上春樹を読み解く本は目白押しですが、深読みすればするほど、春樹から遠くなることがわかってはいても、深読みして、勝手に謎を発見というより、捏造して楽しんでいるのが実情でしょう。まあ、ぼくを含めた素人レビューアーを刺激する作家であることは間違いない。千人印の歩行器

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紙の本

冥界はすぐ隣にある

2004/11/19 04:09

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投稿者:時計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

妹は深夜の町で時を過ごし、姉はベッドの上で昏々と眠る。
妹は音楽を愛する青年に出会い、ラブホテルを管理する元女子プロレスラーに出会い、一夜のうちに少しの変化を経験する。
姉の魂は彷徨い続けていて、もう少しで向こう側=冥界に行ってしまいそうだ。その魂をこちら側につなぎとめることができるのは妹だけなのかもしれない。
中国人の若い売春婦、その売春婦に乱暴を働くシステムエンジニア、売春婦を管理する中国マフィア、名前を消してラブホテルで働く女性。すでに何かが壊れてしまった人たち。すでに向こう側を経験してしまった人たち。
青年と妹が出会って、この世は少し安定した重石=アンカーを得たようにも見える。でもまだ冥界はすぐ隣にある。
村上春樹が25年(ですかもう!)続けて描いてきているあちら側とこちら側の近接性/侵食性を簡潔に味わえます。観客=神の視点の導入によってその近接性/侵食性はセンチメンタル性を排してよりクリアに描かれています。

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静の中の動、動の中の静。

2004/11/16 15:09

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投稿者:オレンジマリー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 待ちに待った村上春樹の新作。当初、私の本書に対するイメージは『ノルウェイの森』に似たものだった。しかし雰囲気は村上春樹がかもし出すものに違いないが、全体的な流れ、展開は大きく違っている。

 ある姉妹に起こる、一夜の出来事の話だ。一章ごとに姉と妹の話が展開されていくが、とても読み易くて良かった。姉は深い眠りの海に浮かび、妹は夜の街の脈に揉まれて行く。
 登場人物一人一人がどこかしら、誰かしら繋がっていて、絡まった糸を解していくように読み進めていけた。妹は淡々としているが、徐々に波に飲まれていくし姉は微かな異変に遭う。妹の話はなんだか都会の真夜中、人の知らぬところで起こり得るものだ。ひどく現実味がある。どう説明していいか分からないが、読んでいても肉体的な感覚が生きているような感じだ。姉の方は明かりを消した民家で、沈黙の中ひっそりと起こるだろう非現実的でイメージ的なできごとだ。肉体的な感覚は働かないが、脳がそれを観てしまうような妙な感じ。
 相変わらず終わりのない、エンドレスなストーリーを紡いでくれる村上春樹。そして相変わらず第3の視点からものをとらえた描写は素晴らしい。一見、物語に脈絡はないようだがとらえ方は読者次第だ。
 終始第3の視点となって、冷静に物事を観ている気分だった。村上春樹の本を手に取ってから正直、一度だってちゃんと理解できた試しがないがそれでも読まずにはいられない。『ねじまき鳥クロニクル』の主人公が井戸の壁を通り抜けたのと同じように、本書でも読者が浮遊して自由に物質を通り抜けられるようだ。意志を持った、形のない者のように。
 そしてタイトル通り、闇の後にはまた光が満ち、再び闇がやってくるまでには時間がある。妹が眠り続ける姉のベッドにもぐりこみ、安眠について目覚める頃には太陽は照っている。
 静寂の中でも時は刻まれ、動きをみせるものがあり、雑多としている都会にも深海魚のようにじっと身動き一つしない静寂はある。

 友人が本書を読み持った感想が、訳が分からない、だったがそれでもなんとなく、どことなく惹かれている私だった。村上春樹の本って、とても不思議だと思う。明確な理由なんてないが、読みたいと思う。少なくとも、私にとってはそういう存在だ。

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紙の本

ささやかな胎動へ

2004/10/13 23:52

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投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る

浅井マリと姉エリの関係がふと『ノルウェイの森』のなかの直子と姉の関係とパラレルなものに思えてしまって(77頁あたりから)、気がつくと読み始めの頃の違和感もほとんど気にならなくなっていて、しっとりと身体にしみ透ってきた感じ。

>(『ノルウェイの森』)

そして直子はある日、部屋で首を吊っている姉を見つける。『ノルウェイの森』ではそうなる。でも『アフターダーク』ではそうはならない。

>

(『ノルウェイの森』では、直子は姉ではなくワタナベのベッドにそっと入ってくる。姉はすでに死んでしまっているから。)

失ってしまったもの、取り返しのつかないもの。乗り越えたつもりでいても、それは、よりによってこんな時にって思うような場所で人を狂わせたりするものだったりする。そういう個人的なものを、クールに突き放しながら(ベタつかない感じで)やさしく掬い取ってくれるのがこれまでの村上春樹の小説だったように思う。『アンダーグラウンド』でオウム信者へのインタビューをしたあとに書かれた小説もその点ではあまり印象は変わらなくて、あくまでも個人的で潔い優しさを僕は受け取ってきた。(そして、確かに何かが足りないような気がしていた。)
でも『アフターダーク』は違うように感じた。たとえば、ラブホテルで働きながら怖い人たちから逃げ回っているコオロギというあだ名の女性の台詞。彼女はある意味とても村上春樹っぽい登場人物で、たぶん「鼠」とか「羊男」系列のトリックスター(はぐれもん)的なキャラクターにあたるんだろうなと思う。が、大阪弁である。女性である。村上春樹らしくない。(と僕は感じた。)

>

こういうことは小説自体とはあまり関係ないことかもしれないけれど、村上春樹自身は小説家として、自らの切実な喪失体験のようなものを『ノルウェイの森』までのいくつかの小説を書くことで乗り越えて、「自己療養へのささやかな試み」(『風の歌を聴け』)というプロセスを終えて、(『アンダーグラウンド』を境にして)社会へのコミットメントという方向へ新しい一歩を踏み出した。そして『海辺のカフカ』までの小説を書くことで「(社会への)コミットメント」というプロセスに一区切りをつけて、もう一度自分が小説家としてスタートした場所に戻ってきてくれたのではないかと思う。あえて初期の小説と同じような道具立てを使って新たなスタイルを実践しながら。

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紙の本

「センチネル」と「うなぎ」で読む

2004/10/06 21:37

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投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る

 宣伝文句に「作家デビュー25周年記念」とある。1979年度「群像」新人賞受賞作品「風の歌を聴け」から25年。80年代を画する新人作家は、今や国際的な評価を受ける大作家となった。

 そう、2004年の現在、村上春樹は国際的な大作家なのである。好むと好まざるとに関わらず。そのことが、本書を読みやすくも読みにくくもしている。

たとえば、いま18歳の読者(女性としよう)が本作を最初の村上作品として手にした場合を考えよう。はじめのうち彼女は作品世界に違和感を覚えるかもしれない。しかし、一般的な高い評価が、彼女の読書を後押ししてくれるはずだ。読みすすむうち、作品と波長があってくるかもしれない。ポジティブな読後感が得られたなら、その彼女にはこれから村上ワールドにひたる楽しみが待っている。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も、『ねじまき鳥クロニクル』もこれから初めての作品として読めるなんて、ちょっとうらやましいような気さえする。蛇足ながら、短編にもカッコイイのがたくさんあるよ、と教えたくなってしまう。

しかし、古くからのファンで、過去のどこかで村上ワールドに深くとりこまれる経験のある読者の場合は話が違ってくる。過去の素晴らしい読書経験が却って新作を虚心に読む邪魔をしてしまう。たとえば、古い例で恐縮だが、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』が新刊だったときに「蛍」を読み、心を強く動かされた記憶が私にはある。すると、彼の新作への期待は非常に大きなものになる。心のどこにも直ぐには落ち着かない、あの読後感をまた味あわせてほしいと願ってしまう。

そして、こういう読者が本書を読むと、この『アフターダーク』にもいいところはあるけれど、村上春樹はもっとスゴイのに、などと思ったりするのである。それが昂じると、生意気なファンの通例で、『××』まではよかったけれど、今のムラカミはちょっとねえ、と言ってみたり、あるいは裏目読みをして、作品の一部を極端に拡大した妙な「解読」で悦に入ったりすることになる。

そんな一人よがりを避けるためには、優れた読み手による評論の導きを得るのが一番だ。私の知る限り、もっとも優れた村上春樹読解は、内田樹氏によるものである(『期間限定の思想』所収「邪悪なものが存在する」)。本作『アフターダーク』についても、彼のウェブ日記の記述に蒙を開かれた。

キーワードは、「センチネル」と「ディーセンシー」そして「うなぎ」である。

なるほど、そう読めばよいのですね、内田先生。

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