紙の本
認知科学の豊かな成果
2010/03/04 17:04
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YOMUひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、認知心理学を中心にした認知科学の成果によって、心を「空白の石版」とする立場が、思想から芸術にいたる多様な分野において、どこまで間違った影響を与えているか裁断する。人間の心は生まれか?育ちか?(あるいは遺伝か?環境か?)といえば、「空白の石版」説は後者の立場をとる。
認知科学なるものが、日本では一般読者には余りよく知られていないので、その視角と主張は、かなり新鮮である。
例えば、カルチュラル・スタディーズ、批判理論、ポストモダニズム、脱構築主義などは、「現実とは、言語やステレオタイプやメディアのイメージを介して社会的に構築されたもの」と主張する。しかし、本書はそれらを相対主義と一括し、認知心理学者は、大部分の概念化は生得的なものと結論しているとする。
その上で、相対主義の「人間はステレオタイプや言葉やイメージをただ受け取るだけの容器だという見解は、一般人を見下す考えであり、文化的、学問的エリートを気取る人たちに不当に大きな重要性を与えている」と断ずる。
これに関連して、芸術や人文学の衰退の原因については、モダニズムやポストモダニズムという「20世紀のエリート芸術や批評についての支配的な理論」が「人間本性[心を遺伝とする説:評者注]に対する攻撃的な否定から生まれた」のであって、その帰結が「醜くて不可解で侮辱的なアート」や「仰々しくてわけの分からない学問」と明快である。
また教育においては、私たちには生得的な直感的理解が働く分野と働かない分野があり、定住生活以前の生活様式に適した分野では直感が働き、定住後の新知識分野では働きにくいということから、次のような助言をしている。
教育とは、子供たちの空白の石版に書き込む(詰め込み)のでもなく、子供たちに任せるのでもなく、人間の精神が生まれつき苦手とするものを補うことである。そして子供たちは、一定の方法で推論や学習をする仕掛けを備えているので、それを活用しない手はないというわけである。
暴力の起源については、「空白の石版」説のもう一つのバージョンである「高貴な野蛮人」説を支持する人たちは、原始人は平和主義者という考えに基づき、文化と環境が原因とするが、著者はそれらの諸説を一つずつ否定していく。いわくビタミン不足・細菌感染説、いわく親の影響、そして男らしさの文化の影響、メディアの影響、銃の影響、差別や貧しさの影響、である。
これに対し、著者は暴力が人間のデザインの一部であるとするともに、それを抑止するには、一方では、私達の共感力をベースにした道徳の及ぶ範囲、即ち仲間と意識できる人たちの輪を拡大すること、他方では暴力を独占した統治機構が機能することであると説く。もちろんそのチェックの必要性についても目配りは怠りない。
上記はほんの一部であるが、このような認知科学の成果をわが国の人文学にもっと真剣に採りいれる必要があるであろう。
しかし、著者は認知科学が万能だと言っているわけではない。「意識や意思決定が脳の神経ネットワークの電気化学的活動から生じると信じるだけの根拠を十分にもっている。しかし、いったいどうして運動する分子が主観的感情を発生させるのか、自由選択をもたらすのかは謎のままである。」と正直なのは好感がもてる。
概して、議論は実証的な根拠に基づき、論証は多面的、柔軟であって、3分冊という本書のボリュームにふさわしい豊かな内容を備えているといって過言ではないであろう。説明はおおむね平明で説得力に富む。
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科学本の体裁を借りた社会批評本。ちょっとくどいところはあるが、内容はなかなか刺激的。
「生まれたてのこどもは「空白の石版(ブランク・スレート)」であり、人間の本性はすべて生後の社会文化環境に影響されて形成される」という極端に経験論的な考え方を徹底的に批判した本。欧米(特に米国)の社会においては、ブランクスレート的な考え方が、人間の平等という信条と結びついて科学というよりも政治的イデオロギーと化し、「すべてが生後に決まるわけではなく、遺伝的に決定される生得的な部分もある」とする社会生物学的、遺伝進化論的な考え方が強い批判を受けてきたという状況に対する反批判でもある。(「生得的な部分もある」なんていうのは、極めて常識的な考え方だと思うのだが、これが政治問題化するのがいかにも米国的だなあという気もする)また、著者は「平等とは、あらゆる人間の集団が置き換え可能であるという経験的主張ではなく、個々人は集団の平均的属性によって判断されたり制約を受けたりすべきではないという道徳的信条である」と述べ、「平等」は人間がブランクスレートであるが故に正当化されるのではなく、生得的な要素に基づく差異があったとしても、むしろそのような前提の下で「平等」を実現しようという道徳的意思が重要であると主張する。これも健全な考えのように思う。ただし、このような考え方は道徳的意思が弱まった場合には、容易に生得的差異を理由とする差別に傾斜していく危険性を孕んでいることは常に意識しておくべきであろう。
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What am I supposed to do..?!
文章を追いながら自分はいったい何本のアンダーラインと覚書を書き出していけばいいのか、なんていう考えがよぎる。エキサイティング!
心は空白の石版、人の心はただ学習によってのみ決まるのか、それとも・・・
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【出版社による内容紹介】
認知科学界のポップスター、現代のタブーに挑む――人の心は何も書き込まれていない石版であり、全ては環境によって作られる。これは人文・社会系科学の中心理論であり、反対意見はタブー視される。はたして本当にそうなのか?心や行動の基礎には生得的なものがあることを最新科学で明かし、人間本性の科学は差別や不平等につながるという誤解をただす。
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認知科学…まず、心の世界は情報、計算、フィードバックという概念によって物理的世界に基づかせることができる。信念や記憶はデータベース内の事実と同様に情報の集合であり、脳内の活動や構造のパターンとして存在し、思考や立案はコンピュータープログラムの操作に似た体系的なパターンの変換であり、欲求や試行はサーモスタットの原理に似たフィードバックループであり、目標と外界の現状との食い違いについての情報を受け取ってその食い違いを減らす方向の操作を実行する。心は、物理的エネルギーを脳のデータ構造に変換する感覚器官と脳にコントロールされる筋肉の運動プログラムを通して世界とつながっている。みたいな
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著者は「生まれたてのこどもは「空白の石版(ブランク・スレート)」であるという考え方を批判し、「すべてが生後に決まるわけではなく、遺伝的に決定される生得的な部分もある」とする社会生物学的、遺伝進化論的な考え方に光を当てた内容。
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[ 内容 ]
人の心は「空白の石版」であり、すべては環境によって書き込まれる。
これは、二〇世紀の人文・社会系科学の公式理論であり、反対意見は差別や不平等につながるとして、今なおタブー視される。
世界的な認知科学者が、人の心や行動の基礎には生得的なものがあることを最新科学で明かし、人間の本性をめぐる科学が、道徳的・感情的・政治的にいかにゆがめられているかを探究する。
米国で大反響のベストセラー、待望の翻訳。
[ 目次 ]
1 三つの公式理論―ブランク・スレート、高貴な野蛮人、機械のなかの幽霊(心は「空白の石版」か;ブランク・スレート、アカデミズムを乗っ取る;ゆらぐ公式理論;文化と科学を結びつける;ブランク・スレートの最後の抵抗)
2 知の欺瞞―科学から顔をそむける知識人たち(不当な政治的攻撃;すべては詭弁だった―「三位一体」信仰を検討する)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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表現が難しいので、とても読みにくいです。途中、飛ばしまくって読みました。結局のところ、人は良くも悪くも、自分の遺伝的特性を活かして生き抜くしかない、ということでしょうかね。
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人間の本性が心に刻まれていると考えることは, 西洋の, 特に神学的教義によって避けられてきた。その影響の下で諸科学は様々なジレンマに直面せざるをえなかった。過去の, 更には今日の哲学者や科学者たちは人間の本性が生得的に存在すると論じて, 批判や非難中傷, 罵声といった対象となった。心に生得的な人間の本性がないと考えること, それが本書の主要なテーマであるブランク・スレート, つまり空白の石板である。著書は, 今日の科学, とりわけ認知科学, 進化心理学等により, 心に生得的な人間の本性が存在することが確定的になっていると主張する。その上で, 過去に, そして今日に見られる論争を取り上げ, 心を空白の石板とみなすことの矛盾を論破していく。著者の知的パワーと論理的分析力に圧倒されるとともに, 人間性について深く考えさせられる。上・中・下からなる長編だが著者のウィットやジョークも交えられており読み手を飽きさせない。
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産まれたばかりの子どもは一様に無垢であり、能力差や個性はその後に決まるのだという考え方が、なぜか多くの人に刷り込まれている。そしてそれは間違っているのだ、という。本書に、さまざまな形で出てくる思考実験が面白い。
1.たとえば、もし才能や動因などの心理的特性に個人差がないのであれば、裕福な人はみな強欲な人間か盗人にちがいないということになる。反対に、貧乏な人は怠け者か無能者である。この前提をおくとすれば、『機会の平等があれば公平で公正な、暮らしやすい世界になる』という思想は正しいと言えるだろうか? 反対に、この前提が正しくなく、人はあらかじめ個人差をもって生まれてくるとすれば、機会が平等になればなるほど、それは「親の財産による成功」という不公平から、「生まれ持った才能による成功」という不公平に軸足を移すだけなのではないか?
2.アメリカの大統領選挙で「アメリカの保守化」が心配されている。ところが、人がどのような政治思想を持つか……保守かリベラルか、どちらの立場に立つかは「おおむね遺伝的である」ことが示される。はたして、ブッシュが当選したのは、アメリカが「保守化」していることを示しているのか? もしケリーが買った場合、「リベラル化」しているという報道をする新聞はあっただろうか?
3.親の「育て方」は、子供に重大な影響をほとんどおよぼさない。(もちろん、虐待するとか、ネグレクトするとかは別として)。つまり、3歳までにどんな教育をしようが関係なく、注いだ愛情に比例して能力ある子供に育つわけではない。たしかに、子供を「成功する人間」に育てる法則が存在しないことは残念だろう。しかし、親が子供の将来や人格を「自由にデザインできる」というのも、同様に恐ろしい考えではないか? 親が子供に出来ることはいったい何だろうか?
答えは、この本の中にもあるとは限らない。ただ、この本を読むことで、さらなる疑問がいろいろ湧いてくるということは確かである。よい本はすべてそうである、とは言わない。しかし、そういう本は魅力的だ。
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ハーバード大学心理学教室教授、スティーブン・ピンカーによる、心に関する解説書。
古今の心に関わる研究や哲学、宗教的見地などを幅広く扱いながら、心の本性を表そうという試みが描かれています。
翻訳物に特有の読みにくさや「ピンカー節」に苦手意識を覚えることもありますが、ウィットに富む文章と一般常識を覆す内容に、引き込まれること間違い無しです。
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橘玲氏が推薦され、「暴力の人類史」がとても内容の濃い本だったので、長いだろうな~と思いつつ読書を決心(笑)。生物学や認知心理学などの自分の知識が浅はかなせいか思ったより難解で、思ったより読みこなすのに時間がかかる。橘玲氏の本を読んで得た土壌がなかったら中断したかも(苦笑)。また今のところ(橘氏の本を読んでいたせいか)「暴力の人類史」ほどの新鮮さ、興味深さは感じない。が、後半になって面白くなる予感。中巻は期待できそうだ。ということでこれから中巻に入る。
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上中下3巻の第一巻。
人間の本性が「空白の石板」でないことが証明されます。
さすがに現在「空白の石板」を信じているひとはいませんよね。
気になるのはどのていど書き込む余地があるのか?ということでしょう。この書き換え可能性は政治にもつながっているはずです。
たとえば、人間は生まれつき身内を重視する傾向があるのですが、それがとんでもなく強力だったばあい、コスモポリタニズムは採用できないのか、とか。
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http://yuko.tea​-nifty.com/blog​/2014/07/post-b​be1.html ​絶賛されているけど、amazo​nのコメントは翻​訳難ありという​感じのようですな。
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2010/7/2 予約 7/7 借りる。 7/17 返却
人種の坩堝の 米国では大反響のベストセラーでも、日本ではどうだったんだろう。
「はじめに」を読んで、本書の趣旨はわかったので、後は読まずに返却した。
内容と著者は
内容 :
人の心は何も書き込まれていない石版であり、全ては環境によって作られる。
これは人文系科学の中心理論であり、反対意見はタブー視される。
だが、はたして本当にそうなのか? 米国で大反響のベストセラー。
著者 :
ハーバード大学心理学研究室教授。
視覚認知と幼児の言語獲得についての研究により、米国心理学会からDistinguished Early Career Awardなど受賞。