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商品説明
【日経BP・BizTech図書賞(第5回)】【毎日出版文化賞(第59回)】ダイオキシン、環境ホルモン等の環境問題に真摯に取り組んできた著者の航跡をたどる講義録、環境リスク学の分野を切り開き、リスク評価の先をも見渡す論考等、中西リスク論の全てを結実。環境にとって大切なものを改めて問う。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
中西 準子
- 略歴
- 〈中西準子〉1938年中国大連生まれ。東京大学大学院工学系博士課程修了。産業技術総合研究所化学物質リスク管理研究センター長。著書に「都市の再生と下水道」「環境リスク論」など。
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著者/著名人のレビュー
ダイオキシン、環境...
ジュンク堂
ダイオキシン、環境ホルモン、BSEなど、新聞紙上をにぎわす環境問題では、かつての公害のように目に見える被害は非常に少ない。それにもかかわらず、目には見えないが何か悪い影響があるかもしれない、将来何か異変が起こるかもしれないという「不安」だけが大きくなってきている。そうした、多くの人が不安に感じることについて、どの程度心配すべきかを判断し、それをもとに行くべき道を探すことの助けとなるものが「環境リスク学」である。
著者は、東京都の下水道問題を手始めに環境問題にかかわり、さまざまな軋轢のなか、ファクト(事実)を追い求めてきた。その対象がダイオキシンになっても姿勢は変わらない。真のダイオキシン発生源を突き止めたのである。そして今、ファクトに裏付けられたリスク評価を展開しつつある。相当矛盾を含み、それへの「悩み」「迷い」が赤裸々に語られている。
現場を見て判断し続けたからこそ言える主張が、本書に満ち溢れ、読みものとしても楽しめる。環境リスク論の入門書としてふさわしい。
出版ダイジェスト:2004年11月
テーマ『地球は警鐘を鳴らしている/環境の過去・現在・未来を考える』より
紙の本
グレーゾーンの評価
2004/11/01 10:12
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:後藤和智 - この投稿者のレビュー一覧を見る
環境問題は公害問題とは違い、生物にとって有害となるような要因が少しずつ蓄積されて、それがあるレヴェルに達して始めて生物への悪影響が現れる。また、ある設備や施設などを建造し、稼動させる場合も、たとえ短期的には何の影響がなくても、長期的には何らかの影響がある、ということも大いにありえる。
だから、本来、環境を守るために必要なのは長期的なリスク評価のはずである。ところがわが国では、昨今の環境ホルモンやダイオキシン、そして狂牛病に見られるように、リスク評価という視点が一般市民やマスコミの間ではなおざりにされているように見える。だから、ダイオキシンを減らすためには大型の焼却炉で高温でがんがんゴミを燃やさなくてはならないだとか、外国から牛を輸入するためには全ての牛について狂牛病の検査を行わなければならないだとかの倒錯した論理がはびこってしまう。
本書は、「環境リスク論」にこだわり続けた著者による環境リスク学の短い歴史の記録である。この著者が環境リスクのことを考え始めたのは、東京大学の大学院で汚水処理に関わり始めたときである。著者は、このことに大きな興味を持ち、汚水処理の分野から環境リスク評価への道を突き進んでいくことになる。
ところがその道は波乱万丈の道であった。著者が最初に関わった仕事は、1960年代後半当時最先端といわれていた浮間下水処理場であったが、著者はそこから排出されているカドミウムや水銀の量に疑いを持ち、その排出量の統計的な詐術を見抜いた。結果としてその下水処理場を閉鎖させることはできたのだが、著者は東大の他の部署から村八分を食らい、学生や教職員が東大の姿勢に反対するストライキを行うまでに至った。
それ以外にも、個人下水道・流域下水道の環境リスクや、ダイオキシンの排出量が減少していることなども、特定の団体や行政から無視されたり抽象されたりすることもあったが、数々の紆余曲折を経て、ついに2001年4月には、独立行政法人化学物質リスク管理研究センターが設立された。今でこそ当たり前に使われている「リスク削減コスト」とか「損失余命」とかいった概念も、ファクトにこだわり続けた著者やその協力者の熱心な態度がなければ一般化し得なかっただろう。
本書の前半は横浜国立大学の最終講義と化学物質リスク管理センターで行われた講演の原稿が元になっており、後半は「新潮45」(98年12月号)と「中央公論」(04年5月号)と中西氏のウェブサイトに掲載された文章で構成されている。さすがに今となっては「新潮45」に掲載されたダイオキシン騒動への批判は当たり前のことばかり書かれているという印象もあるけれど、やはり当時としては著者の立場に立つ人が作家の日垣隆氏しかいなかったということもあって、その目新しさは際立っていたし、どちらが正しいかも明らかになった。
ウェブサイトの文章が元になっている第5章では、ラドンや騒音によるリスクから、リスク論の批判に対する反論など、興味深い事例が多数提示されている。欲を言えば、もう少し加筆を施して欲しかった。
本書の中でも、213ページに載っているこの文章には、著者のリスク論に対する情熱が凝縮されているように思える。
《「新しいリスクを発見できないなら、リスク論を止めろ!」》
紙の本
高邁な思想、高度な内容、平易な表現。現代社会人必読の書。
2004/10/18 17:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SCORN - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、我が国において、環境リスク評価という新しい分野を開拓してきた第一人者。本書は、その基本的な考え方をコンパクトにまとめた優れた啓蒙書である。高邁な思想と高度な内容が誰にも理解できる平易な言葉で書かれている。現代社会に生きるすべての人が読む価値がある本である。
全体は5章構成。第1章は、今春、著者が横浜国大を退官する際の最終講義の再録。下水道問題から出発し、水循環の促進という問題意識からリスク研究に踏み込んだ経緯と現在に至るまでの展開が、その時々の具体的事例の説明とともに語られる。我が国の環境リスク学の発展の歴史であると同時に、孤立にも圧力にも負けず、前人のいない世界を切り開き、さらに進み続けようとする一人の学者の歴史でもある。淡々とした記述だが、読んでいて感動を覚える。著者の思想・行動の核となっている個人史にも触れられており興味深い。
第2章は、リスク評価の基本的考え方を解説するQ&A。リスク評価について、その歴史、意義、批判とそれに対する考え方等多角的な観点から、著者の経験と思想に則した説明がなされている。肯定的側面だけではなく、内包する課題も含めて、リスク評価について鳥瞰できる有益な入門編になっている。
第3章は環境ホルモン。1998年に著者が雑誌に発表した論考の再録であるが、発表当時は環境ホルモンをめぐって社会的に大きな騒ぎになっていたことを思い起こすと、当時からその危険性の過大評価を疑問視していた著者の見識の確かさと、その基盤となっているリスク評価思考の有効性が確認できる。
第4章はBSE問題。本章も雑誌に発表した論考の再録だが、発表時点は今春。まさに現在進行形の問題に関する提言。本稿において、著者は全頭検査に対し強い疑問を提起する。著者が提示する「検査率をあげてもリスクは減らない」という結論は、一見すると常識に反するものだが、この結論を導いた思考プロセスは誰にでも検証が可能な形で提示されていることが重要。著者がここで問うているのは、科学的検証の努力が不十分なまま、漠然とした社会不安に漫然と追随する形で過大なコストを要する政策を継続することの合理性の是非である。おりしも、月齢20ヶ月以下の牛を対象とする全頭検査の緩和の議論が行われている中、改めて読まれるべき論考である。
第5章は、著者が自身のサイトに連載している「雑感」から抜粋・加筆したもの。普段意識していないものも含め我々の社会が実に多様なリスクを抱えていることを今更のように思い知らされる。と同時に、新たなリスクを提示された場合にも、リスク評価というツールを用いることにより、過度な不安に陥ることなく、思考・行動に一定の足がかりが得られることが示されている。
本書では、リスク評価には、現時点では多くの課題と限界があることは率直に示されている。しかし、にもかかわらず、リスク評価というツールが、「不安としてのリスク」と「実態としてのリスク」のギャップを埋めるものであり社会的資源の適正な配分に資するものであること、政策決定に際して誰でも参加できる議論の基盤となり得るものであり国民の責任ある社会参画意識の涵養につながるものであること等が強い説得力を持って伝わってくる。換言すれば、リスク評価は、様々な問題の解決に際して必ずしも明確な解答を示してくれるものではないかもしれないが、雑多な情報に振り回されることなく、その時々において各自の思考と行動について大きな方向性を決める手がかりとして強力なツールであり、まさに本書の副題が示すように「不安の海の羅針盤」といえるものであることが理解できるのである。