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物は言いよう
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.9 35件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.11
  • 出版社: 平凡社
  • サイズ:20cm/334p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-582-83241-5

紙の本

物は言いよう

著者 斎藤 美奈子 (著)

FC(フェミコード)とは、性や性別にまつわる「おかしな言動」に対するイエローカード。思わぬセクハラを防ぐ60の心得を紹介。笑いながらFC感覚が自然に身につく。『噂の真相』...

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商品説明

FC(フェミコード)とは、性や性別にまつわる「おかしな言動」に対するイエローカード。思わぬセクハラを防ぐ60の心得を紹介。笑いながらFC感覚が自然に身につく。『噂の真相』連載「性差万別」に大幅に加筆し単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

斎藤 美奈子

略歴
〈斎藤美奈子〉1956年新潟県生まれ。成城大学経済学部卒業。文芸評論家。「文章読本さん江」で第1回小林秀雄賞を受賞。著書に「あほらし屋の鐘が鳴る」「紅一点論」「趣味は読書。」「文学的商品学」等。

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みんなのレビュー35件

みんなの評価3.9

評価内訳

紙の本

下品な文化が許される土壌に物申す

2005/01/13 22:20

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:uwasano - この投稿者のレビュー一覧を見る

 政治家や文化人の発言やマスコミの言説で、おかしな物言いに出くわすことがある。舌禍事件として問題視されることもあるが、同じような発言が繰り返される場合も多い。これはなぜなのだろうか? 著者は、性や性別に関係する物言いの実例から、この国の未熟な文化土壌をあぶり出した。
 数々の事例を見て浮かび上がるのは、政治家もマスコミも物事を深く調べたり考えたりせずに発言していることである。例えば谷垣禎一財務大臣の「放火なんていうのは、どちらかというと女性の犯罪なんですね。」発言。また大橋巨泉氏の「専業主婦が少なくなればなるほど、少年犯罪が多くなっているのは数字で出てますね。」発言。これらは統計上正しくない発言である。このように、行政や立法の人間でも事実をろくに調べない。事実から物事を考えないような人間だと、政策立案や政策執行を任せられないと思われる。
 また「ジェンダーフリー教育」がらみで、米長邦雄氏(p304)も産経新聞・読売新聞(p306)も、頓珍漢な言説を披露したため、著者に批判されている。「ジェンダーフリー」が和製英語だから駄目だ、という人もいるが、それも誤解なのだ。教育委員も全国紙も「ジェンダーフリー」について何も勉強せずに批判しているのが分かる。これらの頓珍漢な声に押されてか、政府は「ジェンダーフリー」という言葉を使わない方針らしいが、ゆとり教育の転換といい、これといい、教育に関する政府の一貫性の無さにがっかりさせられる。著者は、「ジェンダーフリー教育」を白紙に戻し、「男女平等教育」をきちんとやれと提言している(p322)のだが、まあそれが現実的か。
 三浦朱門氏や太田誠一氏や西村眞悟氏の強姦発言は、男の絶倫が尊ばれるという日本の土壌に問題がありそうだ。テリー伊藤の『お笑い大蔵省極秘情報』でも、インタビューされた大蔵官僚は自分たちの絶倫さをアピールし、スキャンダルを起こした中島義雄・田谷廣明の両氏をかばっていた。学のある人間が、紳士とは言えないような発言をしている。日本の教育は、紳士を作るのに失敗している。
 こんな日本の社会のありように、今まで文句を言う人はいなかった。著者は、雑誌「噂の眞相」で「一人圧力団体」を5年間も続けた。雑誌連載中も、権力者や文化人を名指しで批判していて面白かった。この本は、その連載が土台となっているのだが、個々の文化人批判が目的なのではなく、日本の文化土壌を問題としているのがはっきりと分かった。
『週刊ポスト』の横山ノック事件の実録モノの記事(p169)のように、セカンド・セクハラを軽く考えているような、そういう土壌が確かにある。この下品な土壌が、この本により変わるかどうか。多くの人が、この下品さに気づくかどうかがポイントとなる。この本は、それに気づくためのガイドブックなのだ。


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紙の本

フェミニズム論実践(実戦)篇

2005/04/10 08:34

8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る

5年前(2000年)に、遥洋子著『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』という書が筑摩書房から刊行された。
中身は、大阪を中心に活躍するタレントの遥氏が、東大の上野ゼミでフェミニズム・ジェンダー論を学んだ三年間を綴った勉学苦闘記である。関西のタレントが、東大の大学院というアカデミズムの頂点=異界に身を投じ、そこで悪戦苦闘(という比喩ですら生ぬるい超猛勉強)を強いられる、ドキュメンタリーとしての面白さ。その中で、遥氏が自分を鍛え上げ、遂にはかつて受験して門前払いを喰らった大学で講座を持つに至るまでの青春小説的成長譚。そして、フェミニズムという理念の根本を噛み砕いて教授してくれる、入門書(啓蒙書)としての価値——等々の面から、この書は20万分を越える異例のベストセラーとなったのだろう。
昨年暮れ、この書は文庫化されてちくま文庫から刊行されたのだが、解説を書いているのは斎藤美奈子氏。その斎藤氏の最新刊『物は言いよう』が、この『東大で』と正にぴったりリンクする。『東大で』でフェミニズムの基礎理論を習得した後は、この書で<演習>を行ってみよう——というわけである。
元々は(今は無き)月刊誌『噂の真相』で連載されていたコラム「性差万別」だが、これに大幅加筆を施して読み応えたっぷりの一冊となった(勿論ぼくも、雑誌連載時に愛読してました)。著書はまず、性や性差別についての望ましくない言動を検討するための基準として<FC(フェミコード)>という概念を提唱する。そして、このFCの対象となる素材=生きた実例として、無自覚なままに、あるいは確信犯的に女性蔑視発言を行った公人達(=政治家、作家等の文化人)の、1999年〜2004年までの新聞・雑誌・書籍に掲載されたコメントを俎上に乗せ、各事例に「★思わず失笑をさそう天真爛漫なご発言、★★ついつい納得させられる粉飾上手なご発言、★★★いっけん進んで見える油断大敵」という難易度をつけた上で、分析・解説・糾弾を行っていく。
いや〜、快刀乱麻というか何と言うか、実に鮮やかですね。元々舌鋒鮮やかな人ですけど、この書では一段と冴えてます。既刊『文壇アイドル論』に匹敵する、斎藤氏の最高傑作の一つでしょう。日本人の深層心理に潜む性差別のパラダイムを、一つ一つ具体的にきちんと説明してくれるのですが、曖昧なところを残さぬ明晰な分析振りにまず惚れ惚れします。かといって、お堅い人文学書というのでもなく、60の実例を、あたかも抱腹絶倒コント集のように読ませるのですから、その筆力は凄いですね。
例えば、「女性らしいことば遣いが退化しつつある」という山川静夫氏の小言を取り上げて、筆者はこう切って返します:
「女性の言葉づかいが厳しく叱責される一方で、男性の言葉づかいに言及されることが少ないのはなぜなのか。おそらくそれが乱暴とも不穏当とも特に認識されていないためと思われる。(中略)
(こういう言語的暴力に無自覚な男性と)女性は日夜、接触しているのである。対抗上、言葉づかいが多少男性化してもいたしかたない。女言葉に奥ゆかしさを求めるなら、両性を完全に隔離するか、男言葉を改造するか、ともかく原因を元から絶たなきゃダメだろう。(中略)
女性らしい言葉づかいを聞きたければ、ちゃんとお金を払ってゲイバーに行くといい。巷では絶滅の危機にある生粋の女言葉も、重要無形文化財として、そこではきちんと保存されている」
御見事!

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紙の本

戦略的思考の重要性

2005/03/04 21:37

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:SCORN - この投稿者のレビュー一覧を見る

「言動がセクハラや性差別にならないかどうかを検討するための基準」としてドレスコードならぬフェミコード(FC)という概念を提唱し、個々の具体的な発言例を取りあげながら、FC的観点からは何が問題かを解説していく書。今はなき月刊誌「噂の眞相」に連載していたコラム「性差万別」の単行本化であるが、大幅に加筆・改稿されており、また、著者自身があとがきで述べているように、一種の実用書となることを志向して、個別事例毎に「鑑賞のポイント」「FCチェック」「難易度」「心得」を解説していくというコラム連載時とは異なる構成をとっているので全くの新著といってもよい。
 著者曰く、「要は社交上の問題なのだ。あなたが自室で何をいおうと、何をしようと勝手だが、社会的な場では社会的なルールがある」、「フェミコードは、 (中略)意識のありようまではとやかくいわない。極端な話、心の中で「このブス」と思っていようと「このクソババア」と毒づいていようと、全然構わないの である」、「フェミコードがなぜ必要かといえば、ひとつは人を不快にさせない(または苦笑させない)ため、もうひとつは自分自身の品位を下げない(または 嘲笑されない)ためである」。このようにフェミニズムに批判的な人もなかなか反論できないところから橋頭堡を築いていくという戦略的思考ができるのが斎藤美奈子の優れた(したたかな)ところであり、また、信頼できるところでもある。
各論においても、このようなバランスのとれた戦略的思考は顕著である。例えば、本書で最も議論の的になり得ると思われるのが、いわゆる 「ジェンダーフリー」に関する項目であるが、著者は「ジェンダーフリー」を「ジェンダーレス」と誤解した的はずれな攻撃を批判しつつ、一方で「ジェンダーフリー教育」をいったん白紙に戻し「男女平等教育」をきちんとやることを提案している。攻撃されやすい「ジェンダーフリー」を捨て、誰もが反対できない 「男女平等」に依拠して戦線を立て直すべきというのは正しい判断だと思う。
著者は、「ジェンダーフリー教育」を推進する側に対しても、その方法論の駄目さかげんをはっきりと指摘し、男女平等教育も緊急度の高い順(A:生命・人権、B:差別・平等、C:文化・習慣)に優先順位を整理して取り組むべきと主張する。これまた極めて正しい。
さらに、男女の好みの色がピンクかブルーかという話題に関連して「この程度のことで「ジェンダーバイアスだ」「脳の性差だ」と争うのは、 不毛を通りこして滑稽な議論というものであろう。」と述べている。おそらく、著者は、近時の社会構築主義批判に基づくジェンダー・フェミニズム批判(例えば、S.ピンカーなど)を十分承知しているものと思う。その上で「性差は生得か環境か」というフィールドで論争をすることは実践的には何らメリットがないということであえて回避しているのだろう。これも賢明な判断である。
本書を読むと、近時におけるフェミニズム運動の低迷は、社会的受容性を高めていくためにはどのように運動を進めていくべきかという戦略的思考の欠如に一因があるのではないかという思いを深くする。我々男性だけでなく、フェミニズム運動に参画している立場の女性にも是非読んでもらいたい本である。
なお、本書で掲げられている事例で個人的にみてキツいなと思うのは、子供に対して「男の子だから…」を使うなという例。「お兄ちゃんだから…」という代替案が提示されているので我が家でも実践してみたのだが、4歳の息子(一人っ子)相手ではちょっとしっくりこない。小学校にあがるまでは「男の子だから…」を使わせてもらうことにしようと思っている。あと、もう一つ、「主人」という呼称については、すでにオリジナルの意味合いが意識されなくなっているのでセーフではないかと思っているのだがどうだろうか。

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紙の本

フェミニズム・メディア・リテラシー

2004/11/20 10:55

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:後藤和智 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 休刊した「噂の眞相」の連載である「撃」「一行情報」「大槻義彦の反オカルト講座」などに続き、「性差万別」が単行本化された。テーマはジェンダーをめぐる言説で、筆者は斎藤美奈子氏なのだから、手に取らずにはいられない。
 本書は「フェミコード」を用いて、わが国に横行する、明らかに性差別な言説から、注意しないとその差別性がわからないような言説までを斬ってみせる本である。
 完全に書き下ろしで構成されている第1章は、保守系中高年男政治家による「今時の女」叩きなどの言説を検証する。ここで採り上げられる「子供を作らない女性は卑怯だ」(森善朗)、「レイプは元気があってよろしい」(太田誠一)、「強姦が罰せられないなら俺たちは強姦魔になっている」(西村眞悟)、「元気な女性が多くなった」(井上喜一)などという、一見するとその虚構性が明らかなのに、なぜか受け入れられてしまう言説は、その政治家、及びそれに同調する人たちの社会観が如実に反映されている(ちなみに、斎藤氏も指摘しているが、西村発言は明らかに男性差別だ)。
 その他、無防備な主婦礼賛や父親礼賛、「科学」を装った疑似科学兼性差別、「男はスケベだから」などと言って「男」という聖域に逃げ込む男性、「女で損したことは一度もない」という言説を振りまく女性など、本書によって判決を下される言説は極めて幅広いが、私が気になったのは、本書で取り上げられている言説の約3〜4割が「若者論」と密接に結びついていることだ。
 相も変わらぬ紋切り型の「今時の若い女」批判、及び「今時の若者」を楯にとって母親を脅す議論、そして「ジェンダーフリー教育」批判など、その暴力性に誰もが気づかぬまま大衆に受け入れられ、「常識」として横行してしまっているものも多い。「世界」などの「進歩的」な雑誌でさえ、「今時の若者」だとか「今時の家族」などを扱うと、急に保守的になってしまう。しかし、安易に若い女性(あるいは若年全体)をけなす言説の横行は、「今時の若い女」(あるいは「今時の若者」)を楯に取ればどんな暴論でも許される、という認識を蔓延させることにならないか。ただでさえ「天下国家論」に短絡させられやすい「若者論」だ、そのような言説は疑ってかかってこそ本質が見えてくる。
 本書は、「フェミニズム・メディア・リテラシー」とでも言うべき方法論の教科書である。ヒステリックな「運動」としてのフェミニズムではなく、「生活の知恵」としてのフェミニズムを持つことは、扇情的な言説から距離を置き、冷静に物を考えるための一つのツールとなってくれるだろう。
 蛇足だが、「若者論」に血道を上げている向きは、本書111ページのこのくだりを声に出して読むべきだろう。
《露出過多の服装を「下着のようだ」「娼婦のようだ」と評するのは自由だが、昔の日本人は本物の下着姿(おばさんのシュミーズ、おっさんのステテコ)で外を歩いていたんだぜ。》

 評者のブログはこちら

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紙の本

信頼のバロメーター

2005/03/06 22:10

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る

エフ・シー【FC】(FemiCode)言動がセクハラや性差別にならないかどうかを検討するための基準。公の場ではそれに相応しいマナー(作法)を身につけよう、との趣旨で考案された。フェミコード。「それって—的にどうよ。」→セクハラ
と、表2にある。

冒頭「はじめに」に以下の文章がある。
「フェミコードがなぜ必要かといえば、ひとつは人を不快にさせない(または苦笑させない)ため、もうひとつは自分自身の品位を下げない(または嘲笑されない)ためである。」

これを踏まえて、各界著名人のセクハラ発言を、「それってFC的にどうよ」と斎藤美奈子がぶった斬ったのが本書である。
たとえば、第一章では、
「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。正常に近い。」という太田誠一氏の発言に対して、「この手の失言の背後には、さらに根深い問題がひそんでいる。『男は女を性的にリードし、有無をいわさず組みしくべきである』という強い思いこみである」「強姦を奨励するかのような発言は『強姦のようなセックス』を男に奨励してきた文化の不良債権なのである。」と述べ、「『あんなの冗談じゃないか。いちいち目くじらを立てるなよ』これだけであなたの株は確実に下がる。」「政治家のセクハラ発言には、過剰なくらいに怒ってみせるのが『男を上げる賢いパフォーマンス』というものである。政治家の妄言に利用価値があるとすれば、それだけだろう。」と締めくくる。

数々の失言・妄言には失笑するものもあるのだが、読み進めていくうちにそうそう笑ってもいられなくなってくる。
とくに、第七章。「女性にとってフェミニズムとの距離をどうとるかは、意外な難問だ。」のくだり。
著者は、「無関心型」「敵意表明型」「微妙型」と分け、「『わたしは興味ないけど、そういう人がいることはわかるよ』くらいにとどめておく」のがいいと述べる。
そうか、男も女も同じ人間に変わりはない、という自分の見解も、FCに引っ掛かってしまうのか…と呆然とする女性もいるだろう(著者いわく、こういう考えの女性は、よほど恵まれた環境にいるか、よほど鈍感で政治にも社会にも関心がないかのどちらかだそうか)。
本書を読んでいると、男性でも女性でも、知らず知らず斎藤美奈子流FCに引っかかる発言(あるいは見方)をしているんじゃないかと思われる。それくらい手厳しい。

が、著者も言っているように、FCは「公の場」でのルールであり、これにガチガチに囚われる必要はない。
ただ、無意識に「男のくせに」「女のくせに」という言葉を使うことに問題意識を持っていればいいだけのこと。
おそらく、日頃から信頼している男性が、ぽろっとFCに引っかかる発言をしたとしても、多くの女性(フェミニストは除く)は笑ってすませられるだろう。
裏を返せば、あなたのピー発言に「それってFC的にどうよ」風態度をとる女性がいたら、あなたと彼女はまだまだ人間的信頼が結ばれていないと思っていい。

先日、勘違いイケメンくんに「それは女子としてどうかと思うよ」と言われ、怒り心頭に発していた女性がいたが、本書を読み終えた今なら、次のようにアドバイスしたいところだ。
そういう輩には、「FC的にどうよ」と言ってあげましょう。そこでキョトン顔されたら、「そういう発言をすると人間としてどうかと思われますよ。」と教えてあげましょう。そんなアドバイスさえしたくない相手は無視すればいいんです。

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紙の本

1ランク上の「デキル男」になろう!

2004/12/19 22:46

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ツキ カオリ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 セクハラという言葉が、初めて日本にアメリカから入ってきたのは、1989年だそうだ。----『セクハラ完全マニュアル』若林恵子・井上憲一著、社会批評社、1997年より----以来「こういうことを、しては、言ってはいけない」という、あらゆる事例が提示されてきた。にもかかわらず、ごく最近、初歩的なエラーを犯す30代の男性を見掛けた。悪気はないのはわかったが、それだけに「デキナイ男」という感じがしてしまった。

 逆FCコードに引っ掛かるかもしれないが、女は自分より「デキル男」が好きである。「デキナイ男」に何かを言われる、される度に、女は傷ついたり反論したくなったりするが、いずれ空しくなり止めてしまう。なぜなら、関わる時間が無駄だからだ。その時間があれば、他の前向きな努力をしたり、「デキル男」と関わるほうが有意義だ、と考えるからなのである。

 *「デキル男」は素直で前向きである。よって、他人の良さも素直に認めることができるし、自分も前向きに努力する。*「デキル男」は、沢山のことを知っている。だが、それをひけらかさない謙虚さも併せもっている。*「デキル男」は、人の足(特に、女の足)を引っ張らない。引っ張る必要がない。*「デキル男」は、何かをあからさまに否定しない。異論・反論を唱える場合でも、ソフトである。ウィットに富んでいる。*「デキル男」は、自分を大きく見せない。見せる必要がない。*「デキル男」はマジメだが、マジメすぎない。
 
 等々、挙げ出したらきりがないが、ほんの些細なことが「デキル男」と「デキナイ男」との分かれ目である。「デキナイ男」ほど、(存在を)見た(発言を)聞いた、瞬間にわかるような致命的な欠点を数多く抱えているのに、それにも気付かず、自分を「デキル」と勘違いし、居丈高になっていたりする。ちなみに、この「デキル」は、勉強、仕事が 「デキル」ということではなく、「思いやりがある」「器が大きい」という意味である。だが面白いことに、そういう男性ほど、勉強も仕事も、なぜか「デキル」のである。

 セクハラ等は昔よりは減ったかもしれないが、残念ながら、現存するのは事実である。
 そのような基本的事項への対策も、もちろんだが、さらにもう一つ、FC(フェミコード)という新しい概念を、男性はもちろん、我々女性も学ぶべきだと、斎藤美奈子先生は主張なさるのである。
 一部引用してみよう。

 たとえば、
「いやいや、×××さんは、女だてらに立派なもんですな」
「まったくです。女にしておくのは惜しいですよ」
 という会話が耳に入ってきたとしよう。変なこといってるな、とあなたは感じる。しかし、これが「セクハラ」「差別」かとなると、微妙なところ。
 こんなとき、FCという語が効果を発揮する。ピッタリ来るのは、このひと言だ。
「それってFC的にどうよ」
 フェミコードとはつまり、性や性別にまつわる「あきらかにおかしな言動」「おかしいかもしれない言動」に対する、イエローカードなのである。

 斎藤先生はフェミコードを、ドレスコードと比較してわかりやすく説明している。具体的事例もぜひ併せて読んでほしい。尚、先生は、男性に対してのみならず、我々女性に対しても「愛のムチ」攻撃を向けていたことは言うまでもない。小生は、何度も、大声で笑ったり、真剣になったりしたが、本を読みながら、これほど表情や体が動くのも、珍しいことなのである。

 この本を読んで、目くじらを立ててしまったり、それこそマジメに短所を数え上げたくなってしまった貴方は、まだまだ修行が足りない。斎藤先生からユーモアを学ぼう。笑いながら読んでいくうちに、FCという新しい概念を学ぶことのできる画期的な本なのだ。

 1ランク上の「デキル男」(「デキル女」)になりたい貴方の、必読書である。

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紙の本

面白い!その上、まさに実用書

2004/11/19 09:36

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:にんぎょ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は「FC」(フェミコード)対策のための実用書だそうです。フェミコードとは何か? 性や性別についての望ましくない言動を検討するための基準で、思いがけないセクハラの疑いをかけられないために、笑いながらFC感覚を身につけよう!というもの。

 しかし私が読んで思うのは、これは世の中に流布している女性がらみの言説の、女として「なんかムッとする、ムカッとする」気持ちに明快な根拠と対策を教えてくれるありがた〜い実用書ではないか!でした。

 世に流布する「何言ってるのよ〜!」な発言はいっぱいなんですが、こまったことに「どこがどう気に入らない、どこが正しくない、こう正して」ときっちり明快に突きつけるほどいつも論点を整理できない、ってのにイライラします。
 「セクハラしてるかもしれない人たち」ばかりでなく、「女だからなんだってんだよ〜」とか、「アタシの私生活がアンタにどう関係あるんだよ〜」的な発言をどう返すか、どうかわすか、言われる側への指南書でもあります。
 もちろん、第一に読んでいただきたいのはその舌禍を撒いてらっしゃる皆様です。本当に、頭がいいはずの知識人やらオピニオンリーダー、国会議員の皆様の、もののたとえ方、少子化対策、女性へのリアクションたら、こうやって一挙に並べてみると壮絶にトンデモです。

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紙の本

「女に生まれてヨカッタ!この本の面白さは、男には分かるまい(…って、FC的にどうよ?)」

2004/11/15 23:36

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小宮 直子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

笑った、笑った! お腹を抱えて大笑いしました! 3ページ毎に爆笑した本は、上野千鶴子氏の『サヨナラ学校化社会』以来、久しぶりの名著との邂逅である。元は『噂の真相』に連載されていた「性差万別」というコラム記事なのだそうだ。

欲を言えば、あと1カ月早く、この本を読んでおきたかった。そうすれば、「あなたはフェミニズム(ジェンダー・フリー)についてどう思うか?」と差し出された“踏み絵”を、クソミソに踏みまくって、「魔女」扱いされる愚は犯さなかったろうに…。まあ、今さら後悔してもどうにもならないから、しばらくはカマトトぶっておこうと思っているが(苦笑)

実は、bk1の「先行予約」のお知らせメールで知った本なのだが、紹介文だけでは、これがフェミニズムやジェンダーに関する内容であることには気づかなかった。ところが、読み始めたら、これが止まらない。家事そっちのけで“一気読み”してしまった。

「失言? 暴言? なにがいけないの?」と、自分の不用意なセクハラ発言に鈍感な政治家やいわゆる知識人のオジサマたち。「負け犬」という言葉は、オヤジたちに誤解されたまま「独身女性Vs既婚女性」という対立構造を作り上げられ、女同士が悲しい戦いをせざるを得なくなっているという解説には、思わず「うん、うん!」とうなずいた。

最近、教育界でゴタゴタやっている「ジェンダー・フリー」教育の問題は、社会生活上での男女間差別」を無くそうという本来の意味を離れて、「男女の区別を無くしてしまおう」という「ジェンダー・レス」の意味と取り違えられ、さらには、教育現場で横行する「ジェンダー・レス教育」に対して、「日本の伝統を死守せよ」と吠える保守的な人たちとの、虚しい吠え合いであることを指摘している。その通りだと思う。

男女の違いを「男脳・女脳」の違いで論ずる「疑似生物学」のまやかし…等々、誰もが知ってる有名人の発言や論文を、バッサバッサと「FCチェック」で斬り捨てている。
とにかく、一つ一つの項目が、セクハラ、ジェンダー、フェミニズム、男らしさ、女らしさといった言葉について回る、偏見と誤解を氷解させてくれる。ぜひとも、ご一読あれかし!

もし、男性でこの本を読んで、お腹を抱えて笑ったという方があったら、お友だちになってみたい。

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紙の本

世の中にはイチャモンをつけるのが楽しくて仕方のない人間がいる。最初のうちはいい。でも、重箱の隅をつつき始めたら、黄色信号。ちょっと斎藤さん、あなた危険なところにいますよ

2005/02/14 21:37

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本のキーワードは、「エフ・シー【FC】(Femi Code)言動がセクハラや性差別にならないかどうかを検討するための基準。公の場ではそれに相応しいマナー(作法)を身につけよう、との主旨で考案された。フェミコード。「それって−的にどうよ。」→セクハラ」だそうで、はじめに「FC的に世間を観察してみよう」以下7章と、付録にあとがきという構成。FCコードにかかる実際の例(対談での発言や文章など)をあげ、問題点を示し、その過程で発言者の、そしてそれを受ける人間のありようを浮かび上がらせるもの。印象的なものを挙げれば、

第3章「「女は女らしく」問題」からは、【心得二〇】ガングロは異文化受容の試金石。異分子排除論。林真理子。これについては、正直、斎藤に分が悪い。私は醜いものを醜いというのが少しも悪いとは思わない。ガングロの存在を否定しようとは思わないけれど、それをFCのネタにするのは、はっきりいって揚げ足取り。ものいいで林の勝ち。

第4章「「男はスケベだ」問題」、【心得二九】男子へのサービス、女子へのセクハラに似たり 歴史教科書論争。天岩戸前でのストリップを麗々しく描くことが、何より国民そのものを愚弄していることに気付かない、非を非と認める勇気のない国家のどこに勇気がある!自虐史観ならぬ逃避史観こそが問題。ルールがわからない「新しい歴史教科書」に不戦勝で斎藤の勝ち。

第6章「「女に政治はわからん」問題」、【心得四八】地盤・看板・カバンを次ぐ娘がいてもよし 二世候補者。元首相小渕恵三の急逝を受けて、その娘優子が立候補、当選をはたしたことについての田中真紀子発言がきっかけだが、その後の田中パッシング、或いは辻本清美辞任への動きは、当時も私は言ったけれど、明らかに彼女たちの力に怯える男社会からの反撃で、それをマスコミは分かっていながら発言することはなかった。それに乗じられた女たちは下手だったけれど、社会の側の鈍感さには今も腸が煮えくり返る。ただし、斎藤の「男の二世候補だったら人は何も言わない」だろう、は勇み足。都会に住人は、相手が男であろうと女であろうと議員どころか皇室の世襲にだって、賛成をしてはいない。

他にも書きたいところだらけの本だが、斎藤の結論の出し方に疑問がある。共通していることなので書いておこう。まず石原都知事の「ババァ」発言だが、これを「ババァは早く死ね」と言っているに等しい、性差別+老人差別をしているんだぞ、とイエローカードを突きつけているが、そうだよ、そう言っている、と返されたらどうするのだろう。

ガングロ論の最後に「昔の日本人は本物の下着姿で外を歩いていたんだぜ。」とあるけれど、なぜそこで止まる?いっそのこと動物は裸だったでいいし、じゃあ、斎藤さんは今、あなたの両親がシュミーズとステテコで外を歩いて、自然ですてきだとでも言うのだろうか。林はガングロもだが、そのような過去の日本人をも切り捨てているのに。

さらにだ、二世議員の心得での発言「世襲制を批判するなら、会社組織の世襲は勿論、土地相続も財産分与も縁故就職も、ほんとは否定しなくちゃおかしいのだ。だいたい究極の世襲制である天皇制を容認しながら、二世議員がけしからんもヘチマもないだろう。」だが、斎藤は誰に対してものを言っているのだろう?天皇制が怖くて誰が世襲制に反対できるかって。逆に、保守的な人は全てを容認しているのだから、すこしも矛盾をしていない。空砲を撃ったのは斎藤である。

ともかく、メシの種になるのなら何にでも食いつく、テーマの為ならば、重箱の隅でもつつき返す、そういう部分がかなりある。それにしてもだ、確信犯的に失言を繰り返す保守系のバカ議員のことばかり書くのは、いくら何でも安直に過ぎるのでは。

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紙の本

使えるFC、しかし危険なジェンダーフリーの援軍とならないように…

2005/01/22 03:20

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 世の中には、舌禍事件で足をすくわれ、その社会的生命を絶たれる者が少なからず存在する。舌が招く禍の種類には様々ある。たとえば、前後の辻褄が合わない、プライバシー侵害など千差万別である。その中で、フェミニズムに関する舌禍を避け得るとして、そのための基準を試案しているのが本書だ。基準の名称はフェミコードと言う。

 内容的には面白い面もある。実際、笑ってしまうシーンが何度もあった。しかし、その主張するところは危険極まりない。

 著者は、とりあえず現状のジェンダーフリー教育には満足していないようだ。一度リセットしてゼロからという立場である。売国的ジェンダーフリーの直接の援軍と考えることは出来ないだろう。しかし、ジェンダーフリーなどというものを「教育」の場に持ち込んだ時点で、最大級の憲法違反だということは絶対に忘れてはならない。

 日本国憲法には21条の表現の自由を筆頭に(表現の自由は人権の中で、二重の基準と言う理論によって最大級の配慮がなされる)、財産権(29条)、幸福追求権(13条〔プライバシーの条文はなく、13条の解釈による〕)など、基本的人権の保護が明文で謳われている。

 しかし、いかなる自由も必ず「公共の福祉」により、制限される。つまり、メディアの放送の自由を無制限に認めれば、誰かのプライバシーが害されるから、表現の自由も無制限ではないのである。この中で、いかなる場合でも侵し得ない絶対不可侵の自由がある。それが、19条の思想の自由だ。

 思想の自由を侵害する場合、いかなることがあってもそれは違憲であり、許されない。にもかかわらず、学校の教科書に「ジェンダーフリー」という敏感でラジカルな思想を「正しい」として転載することは、絶対に許されないのである。無論、斎藤氏のような私人がどこで何を言おうと、「最大級の」保護がある。しかし、教育の主体の筆頭である「国家」が教科書に特定の思想を書き記すなどと言うことは絶対に許されない。

 さらに、そもそもジェンダーフリーなどというのは、世界には存在しない。とくに、アメリカなどはかような悪魔の思想にはとくに注意している。男女の区別を喪失させた人間を製造し、国家を堕落させるジェンダーフリーはまさに悪魔の思想と言えよう。そもそも、この用語を作り出し推進しているのは、狂信的な一部の女性革命家だ。いま、ゆとり教育を推進しているバカが文部省にいて、さらに文部科学省内でフリーを憲法違反にもかかわらず推進している人物も知っている。

 共産党は同思想に全面賛成、社民党も同じ。この時点で敏感に反応できなくなった日本人はもはや破滅秒読みといってよい。ドイツなどでは、共産党そのものを憲法違反として、結党すること自体を許さない。

 西村眞吾ら(極端な舌禍は駄目だが)この国家を歯軋りして死守しようとしている政治家の足を引っ張って、また出生率を下げ、さらにフェミニズムを盾に、訴訟社会を作り出し、結果国力を衰退させんとするのがその狙いだ。田島陽子のようなただ単に頭が悪いのは別として、行き過ぎたフェミニズムには絶対に耳を貸さない方がよい。
 かつて、ベルサイユの薔薇の作者である池田理代子は、ジェンダーフリー、ラジカルフェミニズムの先にある「女性徴兵、炭鉱労働」などに耐える覚悟が女性にあるのか?と言っていた。男女の性差は確実に存在するのだ。覚悟など不要だ。中国のように、女性にも徴兵義務を課すことが正しいはずはない。

 フェミコードに共感できるのは、当面の舌禍を避けるには使えると言う1点につきる。いまギリギリでこの国家が保たれているのは、上記のような過激フェミニズムに対抗するような行動政治家だということは忘れるべきではない。それでも荒廃した日本がお望みなら、もはや語ることは、ない。
 

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紙の本

気になる「ブランク・スレート」説への依拠

2004/12/19 20:24

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 僕は斎藤美奈子さんの本は基本的に愛読している。しかしこの本には正直言って頭を抱えてしまった。もっとも、無神経な男達の言説についてなぜそれがおかしいのか丁寧に考え、それを「マナー」として定着させようという狙い自体は悪くないと思う。だが、今年出たピンカーの力作『人間の本性を考える』を読んでしまった後では、やはり突っ込みをいれずにはおられない。というのもこの本で提案されている「フェミコード」による判断基準の根拠のかなりの部分が、ピンカーの本で徹底的に批判されている社会構築主義的な「ブランク・スレート」の考え方に依拠しているからだ。

 ブランク・スレートの考え方がなぜまずいか、それはピンカーの本を実際に読んでもらうとして、この本におけるその例を挙げよう。たとえば西村真吾を初めとする保守系代議士達が繰り返す「レイプ発言」。たしかに彼らの発言は不愉快この上ない。でも、それがなぜ非難されるべきなのかという点についてはかなり微妙なものがあると思う。
 斎藤さんが本書で採用しているのは、構築主義的フェミニズムでほぼ「公式見解」になっているといってよい「生物学決定論によるレイプ容認説」である。すなわち、政治家達の発言は「男は女に比べて生物学的にレイプする傾向を持っている」という前提にたっている、だから結果的に「レイプを容認している」からだめだ、というものだ。だが、よく考えてみるとこの考えには明らかにかなりの飛躍がある。
 例えば、西村が次のような物言いをしたらどうか。「全ての男性がレイプの欲望を持っているわけではありません。でも、残念ながらある種の男性にとってそういった傾向があるのは否定できません。だからこそ、そういった犯罪に対しては寛大な態度をとってはならず、厳重に処罰すべきです。レイプは何よりも憎むべき犯罪だからです」。構築主義的フェミニズムの立場からすれば、生物学的な差異の影響があることを認めた時点で上記の「紳士的な発言」も西村発言も同じ穴のムジナ、ということになる。しかし発言の社会的な意味合いは明らかに大きく違ってくるだろう。その意味で、西村発言はあまりに下品だったので、かえって問題の核心をぼやかしてしまった側面がある。

 僕自身は、政治家達の発言が批判されるべきなのはその「無神経さ」「当事者への配慮の欠如」ゆえだと思う。彼らは国防とか、少子化とか、かねてからの自説を展開する際に面白半分にレイプの例を持ち出したがる。それは恐らく、彼らが自分がそういう目に会うかもしれないということをほんのわずかでも想像できないからだ。しかし女性にとってレイプは自分も被害に会うかもしれない凶悪犯罪であり、男性とはその当事者性、深刻さにおいて大きく異なる。そんなセンシティブな問題を男性政治家たちが配慮を書いた形で口に出すことに、反感が生じるのは当然だろう。このように考えれば、政治家達の発言は、むしろレイプに対する受け止め方に男女間の(恐らく生物学的差異と無縁ではない)差異があるからこそ非難されなければならないのであって、「社会的に構築された性差にあたかも生物的根拠があるように語ったから」批判するというのはかなり的外れではないだろうか。

 本書では他に、あまりに硬直的なジェンダーフリー教育に疑問を呈したところなど、斎藤さんらしい柔軟な視点が見られないこともないのだが、基本的には社会構築主義バリバリの姿勢が目立つといってよく、やっぱり「フェミニズムの問題は難しい」と感じざるを得ない。もちろん、難しいからこそ、この問題について男も女もあきらめずに考え、発言した方がいいのは確かだ。ただ、社会共通の「フェミコード」みたいなものができてくるにはまだ相当の時間がかかりそうではある。

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紙の本

著者インタビューあり!

2004/10/14 11:55

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書の著者・斎藤美奈子先生のインタビュー記事をアップしています。面白い話がいっぱいです。是非お読みください。

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2004/11/18 23:55

投稿元:ブクログ

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2005/03/20 19:47

投稿元:ブクログ

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2005/11/21 19:21

投稿元:ブクログ

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