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物語消滅論 キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」(角川oneテーマ21)
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.5 12件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.10
  • 出版社: 角川書店
  • レーベル: 角川oneテーマ21
  • サイズ:18cm/228p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-04-704179-3
  • 国内送料無料
新書

紙の本

物語消滅論 キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)

著者 大塚 英志 (著)

物語消滅論 キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)

843(税込)

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みんなのレビュー12件

みんなの評価3.5

評価内訳

紙の本

豊富な話題で評論家と読者に挑戦か?

2004/12/03 20:37

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:T.コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 バブル時代のニューアカが予想通りアカデミズムではなかった実態を披露(暴露ではない)し、産学協同が必然でもある社会分析の方法論を提示しつつ、自らが電通などともにバブルの演出者だったことを前提に書き進められる現代史の一面を持つ内容は貴重だ。著者がバブル期に注目されるキッカケになった『物語消費論』の発刊が89年。それから15年継続していた問題意識に自らが回答した成果でもある。
 15年間の自問自答の結果というものはそれだけの重味をもっている。感覚的な「左翼嫌い」「サヨ、うぜえ」に対するクールな応答でもあり、その解答そのものが左翼的な方法論においてしか到達できないものであることも明示した点も優れている。いまや左翼が自覚しない左翼のウザささえも大塚は論理的つまりは科学的(つまり左翼的に!)に把握したワケだ。
 本書の感想や書評で「わかんね」「新人類世代内のことジャン」というものが多い。読解力がないものにはそうだろうし、世代を超えて問題を置き換える認識能力の無いものにもそうだろう。そして文芸評論家のたぐいが想像することさえできなかった江藤淳の死へ至る問題さえも大塚はシッカリと解いてみせている。その「問題」がオウム事件やさらには「キャラ萌え」や「多重人格」にも通底することを大塚は説いているのだ。もちろんそのエグザンプルの豊富さが裏目に出たのはマーケティングの失敗?かもしれないけどね。(W

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紙の本

僧衣から鎧(よろい)、サブカルから旧左翼

2006/05/04 15:39

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 最初にあとがきから読んだ方が分かりやすい本だ。近代的言説の擁護、というのが、この本の主題である。
 著者は言う。「新しい歴史教科書をつくる会」の動きが台頭してきた頃から司馬遼太郎の語る歴史像が奇妙に持ち上げられる現象が目立つようになり、自分はそれに違和感を持っていた。マルクス主義的な歴史記述への批判として、「物語」風な歴史記述が肯定されるのは問題ではないか。それは「ハリポタ」などの物語がサブカルとして全世界的に流行している状況や、イスラムを単純に悪ととらえて攻撃をかける米国の態度と軌を一にしている、と。
 そうした世界状況への批判的な視点を回復するために、あえて近代文学を擁護し、その批評性を介して世界の複雑さを見通す目を養うべきだ、というのが本書の主張である。本来こういう言説は近代文学の側からなされるべきなのだが、その様子が見られないので、サブカルの営業マンだった自分がこの本で言ってあげたのだよ、とも。
 何とも笑ってしまう見解なのだが、これは大塚英志ひとりの傾向ではなく、バブルの頃からサブカルにどっぷり浸かってきた、或いは俗流心理学で世間や自分を解説して分かった気になっていた軽チャー文化人に多く見られる言説なので、俎上に載せてみたい。
 まず、この本の一番大きな欠陥は、「物語」概念の限定ぶりである。具体的には、プロップの有名な魔法昔話論から始めて「物語」を規定してゆくのだが、マルクス主義の時間軸にそった発展論的な社会認識に対して、共時的な認識に基づく構造主義が提出した物語論に大塚は依拠しているわけだ。
 しかし、である。ではマルクス主義は「物語」ではないのか? リオタールが「大きな物語は終焉した」と宣告したとき、当然ながらマルクス主義もその中に含まれていたはずだ。つまり事態は、大塚の言うのとは違い、マルクス主義が終わって物語的な世界認識が生じたのではなく、マルクス主義の物語から別の物語に世代交代がなされたに過ぎないのである。
 無論、そうした「物語」的な世界認識の妥当性を問う作業は大いになされるべきだろう。しかしこの本で大塚がやっているのは、文字通りの意味で反動的な作業である。マルクス主義はあくまで「物語」ではなく、「社会を或る立場から正確に認識していく技術と、それを批評していく技術」を兼ねていた、と書く(218ページ)。北朝鮮を日韓併合に絡めて擁護したりもする(224ページ)。まさに僧衣から鎧、サブカルから旧左翼、と言いたくなるではないか。
 断っておくが、私はマルクス主義や左翼だから駄目だ、と言っているのではない。その現代的な意義を説得的に述べているならそれなりに評価する。だが大塚にはそんな能力はない。サブカルにどっぷり浸かっていたから、なぜマルクス主義が破綻したのか、まともに考えたこともないのだろう。「物語」で世界を見ている、という批判に一番良くあてはまるのは、実は大塚自身だと言える。
 また、近代文学の批評性を回復すべきと大塚は主張しつつ、その批評は狭義の文学だけに向けられるものではないとも書いているが、そんなことは当たり前である。小林秀雄が音楽や絵画を含めて芸術全体を扱ったこと、福田恆存が社会批評によってマルクス主義者の「物語性」を撃ったことくらい、46歳にもなってご存じないのだろうか。
 近代文学についてちゃんと勉強してから出直してこい、と言いたくなる本であった。

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2014/04/03 23:37

投稿元:ブクログ

物語がイデオロギー化しているとしたら、それはやっぱり、物語は「大きな物語」を語りたがっているということかも。

2007/04/19 20:52

投稿元:ブクログ

「物語」という形式によって、いかに人が動員されうるのか。
最近の劇場型政治、ポップカルチャーを考える上で、非常に参考になる一冊。

2007/12/12 21:49

投稿元:ブクログ

社会や政治が絡む分アカデミックな冷静さがちょっとかけるかもしれない。でもそれ以上に現実の問題がちょっと変わった切り口で論じられていて面白い。

2008/04/09 22:43

投稿元:ブクログ

大塚英志はてっきり右翼なんだとおもってたけど、ちょっと違う気がしました。
福田和也が批判されていておもちろい

2014/03/13 16:53

投稿元:ブクログ

「リアルのゆくえ」で感じた大塚と東の立場の違いを、「一般意志2.0」とこの本を読むことでより理解できたようにおもいます。現状認識としては概ね重なるが、その後のあるべきないしあり得るべき社会に関する構想が異なるのだと。手放すことのできないものと、それすら手放さなければならない絶望。あずまんの絶望は深い。大塚英志は一見シニカルなようにも思えるが、この本を読んで確信した。愚直なまでに誠実だし、理想を求めているひとなのだと。現代社会にあって可能なるあり方とはなんなのか、カルスタ的な停滞を越えて思考していく様は刺激的だし、学ぶ部分も多い。あずまんと大塚の違いとして、脱構築していくか普遍的なものに向かうのかという部分があって(あずまんが脱構築の帰結として適切かどうかは別として)、じゃあわたしはどちらにいくんだろう、と。ゆっくり考えたい。

2011/02/10 02:00

投稿元:ブクログ

物語的な因果律で最近みんな動いてるんじゃないの?って話は『キャラクター小説の作り方』の方で既に書かれていて、そこからとりあえずどうしていくべきかという話を本著で語っていた。
ひとまず近代的言説で急場は凌ごうと言葉で言うのは簡単だけど、具体的にはどうしたらいいんでしょうね。
話の上ではうまくいきそうな風に聞こえるけど、どうにも曖昧模糊としていてもやもやが残った。

2011/05/24 19:33

投稿元:ブクログ

[ 内容 ]
テロとの戦い、ファンタジーの世界的ブーム、ネットでの中傷による殺人事件…。
いまや社会において人々を動かしているのは「物語」である。
80年代後半にイデオロギーによる社会設計が有効性を失い、複雑化する世界を見通すことが出来なくなった時、人々は説明の原理を「物語」の因果律に求めた。
それは善と悪、敵対者、援助者など単純化された要素により成り立つ因果律である。
それは分かり易さ故に人々を動員し政治をも動かし始めた。
イデオロギーが「物語」に取って代わられた時代、世界はどこへ向かうのか?
そのリスクはいかなるものなのか?
「物語」が「私」と「国家」を動員し始めている。

[ 目次 ]
第1章 創作する読者と物語るコンピュータ(「物語」がイデオロギーを代行する時代とは;記号的価値としての「物語」 ほか)
第2章 キャラクターとしての「私」(都市伝説と集合的な作者;「現実」は明治三十年代に作られた ほか)
第3章 イデオロギー化する「物語」(新化論的な因果律の消滅した世界;「キャラを立てたい」日本 ほか)
あとがき なぜ、ぼくは「近代的言説」を「擁護」しようとするのか

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

2010/05/12 12:01

投稿元:ブクログ

世の中、物事を物語(単純な因果、役割)で認知する人が増えていることを主張。
マルクス主義に代わるイデオロギーが無いために、物語がとってかわっている。
その点は、資本主義が最後であるという、「歴史の終わり フクヤマ」と通じる話

対処として、文芸批評、文学の復活を唱えているが良く分からなかった。
サブカルチャーと文学の違いも分からなかった。

また、物語自体の創作が工業化可能な指摘とその可能性についても
興味ある内容があった。作者が消える世界があるのか。
フーコー的、ポストモダン的な主体性批判の議論につながる。

自分自体がキャラクターとして設定され、ふるまう生活。主体が”真”には存在しない時、物語の役者と同様に各人はキャラクター化される。

その時、自分でキャラクターを選らぶことで、生き方、生きやすさを選択できるのかが自分の興味。

2014/08/12 02:42

投稿元:ブクログ

語りおろしであるせいか、大塚英志の思想が簡潔に語られていて、過去の本を読んでピンと来なかった人には参考になるだろう。しかし、彼の思想のつまらなさ・雑さみたいなものも同時に見えてしまう

2014/02/24 22:16

投稿元:ブクログ

80年代、著者は「物語消費」という考え方を発表しました。「物語」を求める動きはその頃から顕著になり、マルクス主義という「大きな物語」の権威が失墜する中で、フェイク・ヒストリーを求める潮流が顕著に見られるようになります。たとえば村上春樹や中上健次、さらに『ガンダム』の富野由悠季らが、こうした思考をはっきりと示していると著者は述べています。

その後、よりシンプルな物語が求められるようになり、片山恭介の『世界の中心で愛をさけぶ』など、「泣ける」「感動する」といったリアクションを引き出すサプリメントとしての物語が好評を博します。さらに、「物語消費」から東浩紀のいう「データベース消費」へと消費の形は拡散・細分化していきました。

こうした動向を踏まえた後、著者は近代文学の起源についての考察へと移ります。田山花袋の私小説が描き出したような「私」も、私小説という言説の中で生み出された一つのキャラクターであったと著者は論じます。こうして形成された近代的自我は、現代になって衰退し、物語消費がデータベース消費へと移って行ったのと軌を一にして、「私」を情報に解体しキャラクターの「属性」と呼ばれるような情報の束として認識される事態が見られるようになりました。

著者は、いずれこのような世界と私の把握の仕方が一般的になるのかもしれないと認めながらも、一方で「世界」や「私」が拡散してしまったために苦しんでいる人間がいるのであれば、近代文学の成立と同様のプロセスを通じて「私」を立てなおすことが有効なのではないかと論じています。

近代文学的な「私」が健在だったころ、そうした「私」は社会を動かしていく主体として把握されており、それに対応して現実は主体によって作られていく進化論的な枠組みが取られていました。他方キャラクター的な「私」は、比較的単純な物語の構造に依拠した、説話的な歴史の枠組みと神話的だと著者は論じています。このため、物語はきわめて実用的な社会工学となりうることに、十分に注意しなければならないと著者は警告を促しています。

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