紙の本
弱きおまえも海に消えよ
2005/07/28 23:20
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
カリブ海に面したユカタン半島のマヤ族の居住地で、今は米国のリゾート地として開発の進むキンタナ・ローの海岸地帯。歴史の怨念が漂うだろうこの海に、時おり現代人を引きずり込もうとするように幻影が現れては消える。
長期滞在中のグリンゴ(米国人)がいて、観光客ではないとはいえ、かのA.ビアすのように、米国を逃れてこの地を選んだ者には違いない。そこを訪れる者が目にした幻影を語る、聞き手役になっている。結局また聞きの物語になっていて、本当にあったことなのかどうかは実に頼りない次第。ただ聞いただけの話であって、真実味が薄れるようでもあり、「ここだけの話」をされているようでもある。
幻想の彼らは失われた歴史であったり、環境汚染への恨み節であったりに見えるが、世捨人たるグリンゴにだけそっと囁かれるのは、強く訴えるのでなしに、自ら消えてゆく運命を知っているのか。はかなさばかりが残ってやるせない読後感だ。
米国にとって中南米は喉に刺さったトゲのようなもの、いかに欧州やアジアに向けて正義を主張しても、自らそれを裏切ってきた土地だ。そこに入り込んだグリンゴゆえの控え目さをこの構成には感じるが、表面的にどうあれ、したたかさでは随一のティプトリであれば、あらゆる効果を計算しつくしてのことだろう。現代文明への告発、消え行く者の悲しみ、単なる幽霊譚、いかように読むのも正しい。
こういう土地にこそ敢えて目を向けるのが文学者というものかもしれず、中南米を舞台にした米国産幻想作品としては、やはり80年代に書かれた、L.シェパード「ジャガーハンター」「戦時生活」、L.シャイナー「うち捨てられし心の都」などが思いつく。いつか現実との接点がぼやけてマジックリアリズム的になるのは、熱帯ジャングルの混沌がそうさせるのか。
それでもティプトリの場合、語り部は現実に足をつけて離さず、態度は静かだ。自分がキンタナ・ローを訪れたときの印象が序文として記されているが、その土地にどんなに共感しても自分を見失うことは無いのが、ティプトリの強さなのかもしれない。それはたしかに、世界にとって必要な強さだった。理性では分かっても読んでいれば叙情に溺れて、繋がれた命綱が切れたように、海の底に沈んでいってしまった。
紙の本
カリブ海果つるメキシコのユカタン半島、密林におおわれた海岸、サンゴ礁の広がる場所に立ち現れる亡霊と幻獣の生々しい物語3篇。世界幻想文学大賞。
2004/11/11 12:19
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
海辺は、古代から途切れることなく寄せては返してきた波を見ているだけで時の感覚を麻痺させられる場所。そのようなものを眺めながら人が亡霊や幻獣のイメージを膨らませるのはとても自然なことだろう。海辺に残された昔話や言い伝えにも、多くの「まぼろし」がある。
「まぼろし」ははかなく、時を経ず眼前から立ち消えてしまうものゆえに美しく妖しいのだが、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアがここで描いている亡霊や幻獣は、ちょっと違う気がする。
シュペルヴィエルの短篇集『海の上の少女』(みすず書房)の表題作のように、ほうと溜息をつきたくなる視覚的な美を追求するものでもなく、『山猫』を残したランペドゥーサが描いた「リゲーア」(『現代イタリア幻想短篇集』国書刊行会)のように官能に働きかけてくるものでもなく、あるいはエドガー・アラン・ポー「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」「妖精の島」のように日常の平衡を奪い、遠くに連れ去ろうとするものではない。
「わたし」という年配の米国人の語り手がいる。職業は心理学者であることが、最初の1篇で明らかにされる。展開されていく物語は、すべて情報提供者たちから伝え聞いたもので、彼が滞在する地に永らく住んできたアメリカ先住民マヤ族に関係する話もあるが、幻想物語がよくよりどころとする民族や土地の神話性というものを極力抑えているようにも思えなくもない。
神話性という説得力はないのだが、「まぼろし」は妙に生々しい。もしかすると、その「伝え聞き」という距離の取り方が、「まぼろし」をかえって生々しくお膳立てしているのかもしれない。作者は、「まぼろし」を体験した人を紹介した上で「まぼろし」を語らせる。この人物なら、いかにもかく体験もあっただろうと思わせる、日常から超然としてしまった旅人であり、船長であり、ダイバーである。
亡霊や幻獣がどのようなものであったか、もちろん正体が明らかにされないからこそ、まぼろしはまほろしなのだが——それについては書くわけにはいかない。しかし、読み終わってみると、いずれも「美しく妖しい」類型ではなく、どこか奇妙な亡霊や幻獣である。その奇妙さについていろいろ考えてみようとすると、詩的に叙情的に流されることなく、「まぼろし」までをも知的に叙事的に書こうとするスタイルがくっきりしてきて、「まぼろし」の正体よりもむしろ、やはりこの作家の正体の方を云々したくなってきてしまう。
ラテンアメリカ文学研究者・越川芳明氏の解説が巻末に添えられている。男名を語って長らく覆面作家として活躍していた彼女が創設時のCIAスタッフだったという事実を挙げ、CIAとマヤ族の政治的関係を説明しながら、彼女の内面の葛藤を「怪物」を生むきっかけと推察している。さらに、男性の覆面をつけることで家父長的男性支配への視点を読者に促し、「支配−被支配」の問題を投げかけているという指摘があり、情報としては興味深い。けれども、この奇譚のユニークさを享受するための読み解きとしては、違う方向ではないかという気もする。
むしろ彼女の母親が書いた『ジャングルの国のアリス』(未知谷)にある、お供200人を引き連れた一家のサファリ体験が、この物語集につながってくる。自然の生気あふれる暖かな空気、密林の強烈なみどり、太古からの暮らしを変えない部族たち。そのような環境をキンタナ・ローで追体験したなかで、作家は、文明の届かないところに在る「まぼろし」の確かな息づかいを引き寄せ、そして波の間に間に見送ったように私には思える。
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メキシコ、キンタナ・ロー州の浜辺に流れ着く、"私"が聞いた不思議な物語を描いた連作集。
『リリオスの浜に流れついたもの』『水上スキーで永遠をめざした若者』『デッド・リーフの彼方』
全ての話が、結局なんだったかわからないまま終わるのが、かえって不気味。
題名のとおり、全ては幻なのか、それとも……
アジア的な熱帯とはまた違う、海の冷たさとジャングルの暑さが感じられるような作品。
最後の『デッド・リーフの彼方』がよかったかな。
気持ち悪いとかじゃなくて、なんともぞわぞわする、嫌な感じの作品。
海の中に漂う何か、ってのは生理的に怖気が走る。
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ティプトリー.Jrというだけで高評価を与える奴がいそうでいやになる。
まあ、俺もティプトリー.Jrというだけでいくばくかの金を払ってしまう愚か者なのだが...。とりあえず、大人のSFファンなら金をドブに捨てる覚悟で買ってしまうだろう。
さて、ティプトリー.Jrは初めて。サンリオ含めて全冊購入済みだが、「接続された女」すら読んでいないのだな。
で、この連作短編の感想。
これはラファティですか?酒を飲んでいない素面のまたは欝状態の。
ラファティの短編集の中にコッソリ紛れこませても、全然分からんだろう。「水上スキーで永遠をめざした若者」なんて題名からしてそんな感じに思えてしまいますが、どうでしょう。
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分かったような、わからないような
現在の人類が汚染する海
支配と被支配との関係
そんなハードなテーマを語っているのかも知れないが
フワフワとしたファンタジーとしても読める。
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8月5日読了。SFの名手による、これはファンタジー?3編の印象的な短編を収録。キンタナ・ローとはメキシコ東の、カンクンなど観光地の近くに存在する海岸地域のようだが、各編で語られる神々・歴史・自然から立ち上る上質の酒のような、コクと旨みに満ちた小説だ。どのお話もラストにちょっとゾクっとさせられるような、幻惑させられるようなヒネリが効いており、ミステリ仕立てであるとも言える。うまい書き手は何を書いてもうまいのか?
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同著者の『愛はさだめ、さだめは死』が面白かったから。私は、こちらのほうはすんなり読めた。だって「ファンタジー」に分類されているのだから。同じ著者の他の作品と比較しながらまとめて読むと、この人の凄さがわかるような気がする。とにかく不思議で、でも面白かった。文学の分類にケチをつけたい気分のときもあるけれど、でも整理目的であれ、初めて本を手にする人にとってであれ、何らかの指標が必要なことは認めます。図書館も書店も、そういう意味ではなかなか「ぶっ飛んだ」真似はできないけれど、「私の本棚」は私だけが配架できるのだ。この愉しみ、悩み、筋肉痛。ぶっ飛んでやる!??
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硬派な女性SF作家の世界幻想文学大賞受賞作。SFではなく、ファンタジーにカテゴライズされるようですが、僕にはイマジネーション豊かな純文学寄りに読めました。SF界の権威というオーラを纏わない、等身大の作家の自然な姿が感じられるような3つの連作中篇。ポール・オースターやスティーヴ・エリクソンの諸作品、ル・クレジオの『海を見たことがなかった少年』『パワナ』などが好きな人にお薦め♪
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南アメリカの浜辺の匂いがする、海を舞台にした幻想小説三編。
大きく、穏やかでうつくしい海に包まれたような気分になりました。
「リリオスの浜に流れついたもの」という短編が、どことなく少女小説っぽくて好きです。
キンタナ・ローの海に現れる不可思議なものたちは、自然開発に伴い、まぼろしのように消えゆくものに対する、ティプトリー哀しみを表現したものなのでしょうか。
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著者晩年の幻想小説、中編三部作。
メキシコ湾とカリブ海の間に突き出た半島キンタナ・ローの沿岸を巡る奇譚。
原題は"Tales of the Quintana Roo"――なので、
邦題に日本語の静かなパワーを痛感、カッコイイ。
昔、カンクンへ旅して骨折して帰ったきた人の話は……
しなくていいですね(笑)。
そこまで行ったことがなくても、
沖縄の海に浸かった経験のある向きには、
美しいエメラルドグリーンの海に、
その色味から冷やかさを想像し、
熱気に包まれて火照った身体を
クールダウンしてくれるのを期待して駆け込むと、
実は――ぬるい、
物凄く生ぬるくて「騙された!」と叫びたくなる、
あの気持ちを思い出していただけるかと思いますが、
この連作のページを捲っていて、そのときの気分が蘇りました。
空気がトロンとして、実に心地いい。
もっと難解、あるいは奇抜過ぎて
着いていけない作風を想像していたら、
いい意味で肩透かしを食いました。
我々の現実の生活の延長線上、
あるいは曲がり角の向こうにある奇妙な世界の話。
しかし、箱メガネで覗いた水に反射するのは、
侵略や格差といった歴史や経済の深刻な問題なのかもしれない……。
ところで、ラテンアメリカ文学者・越川芳明氏による解説が
素晴らしい。
著者の来歴と、収録作のバックボーンと思われる事象について
過不足なく伝えてくれている。
読者が文学の解説に求めているのは「●●さんと私」のような
エッセイ、内輪話などではないのだ。
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http://shinshu.fm/MHz/67.61/archives/0000309172.html
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「リリオスの浜に流れついたもの」
「水上スキーで永遠をめざした若者」
「デッド・リーフの彼方」
海から去来する幻想を、海の美しさや神秘性をあらわにしながら描く三編。
「水上スキーで永遠をめざした若者」が一番好みだった。
サンゴ礁のある豊かな海で、朝日ののぼる海を疾走する水上スキーとそれを駆る若い男。そして現れる古の都の姿。一枚の絵画のように美しい情景だ。
環境破壊や観光地化、海という大自然やマヤ族の文化からの復讐、など詩情を感じさせる美しい物語と込められた作品の意味が、ティプトリーの作品のなかでもとりわけきれいにまとまっている連作だと思った(ティプトリーには自身の持つ過剰な何かが噴出している作品が多いと思うので)
解説が背景から作品の意味まで詳しく書いてくれていて良かった。
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ユカタン半島キンタナ・ロー州を舞台とした3つの連作短編からなる海洋幻想小説です。幻想的なフワフワ感に、現実のやるせなさを混ぜ込んだような作品になっています。
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キンタナ・ローの浜辺を舞台にした3篇の短篇を収録。
著者はSFで有名だが、こちらは幻想小説というかファンタジーというか、普段の作風とは少し異なり、作中ではゆったりとした時間が流れ、静謐な雰囲気が漂っている。
名手と名高い浅倉久志の訳文も素晴らしく、まるで本当に海辺にいるような心地にさせられた。
この本だけが何故かハヤカワ文庫FTからの刊行。この1冊だけいつものSFレーベルでないのはちょっと不親切かも。
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図書館で目に留まって、本当に何となく手に取った一冊です。
作者のティプトリーさんは本当は女性(覆面作家)で、SF小説の名手なのですね。彼女の書いたSF小説は、私でも名前を知っているものばかりでした(中にはずっと読みたいと思ってるSFも!)
そんな彼女が、ファンタジー小説というあ、幻想小説を書いたのが今作です。
作者も、語り手もアメリカ人ですが、キンタナ・ローというメキシコの海を舞台にしています。
「リリオスの浜に流れついたもの」「水上スキーで永遠をめざした若者」「デッド・リーフの彼方」を収録しています。
語り手の「わたし」は同一人物なので、ゆるい連作短編集といったところでしょうか。
何となく手に取った一冊だけれども、読み始めると不思議な味があって、どんどん引き込まれていきました。海って本当に不思議です。何があってもおかしくないというか、何があっても許されてしまう場所というか。海が両性具有という考えには非常に親近感が湧くと同時に、納得してしまいます。
そんな私のお気に入りは「リリオスの浜に流れついたもの」ですね。
ドキドキして、少し怖いところさえあるんだけど、本当に面白いです。
幻想的な海と、それでいて海の怖さみたいな側面を余すことなく書いていて、自然に対する畏敬の念というものがこみあげてくる好篇です。
まさに世界幻想文学大賞の受賞作にふさわしい一冊でしょう。
この本を読んだら、作者のSF小説もまた読んでみたくなりました。ティプトリーさんのお話って、とにかく題名のセンスの良さが本当に素晴らしい、て思うのですよね。
海に出ることが多くなる夏の前、梅雨くらいの時期に、なんとなく読みたくなってしまう一冊で、今の時期に読めてよかったなって、想うそんな一冊でした。