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黙って行かせて
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.6 24件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.10
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/254p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-545001-8

紙の本

黙って行かせて

著者 ヘルガ・シュナイダー (著),高島 市子 (訳),足立ラーベ加代 (訳)

私が4歳のとき、母は家を出ていった。アウシュヴィッツの女看守になるために−。50年後の再会、私は母に問わずにはいられなかった。母はいったい何をしたのか…。実の娘がつづる究...

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黙って行かせて

1,728(税込)

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商品説明

私が4歳のとき、母は家を出ていった。アウシュヴィッツの女看守になるために−。50年後の再会、私は母に問わずにはいられなかった。母はいったい何をしたのか…。実の娘がつづる究極の自伝小説。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

ヘルガ・シュナイダー

略歴
〈シュナイダー〉1937年ポーランド生まれ。ボローニャに在住し、イタリア語で執筆活動を行なう。

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みんなのレビュー24件

みんなの評価3.6

評価内訳

  • 星 5 (5件)
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  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

娘から見た、元ナチス親衛隊の母

2010/02/04 09:03

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:カフェイン中毒 - この投稿者のレビュー一覧を見る

戦時中の人体実験、虐殺、差別。
そういったものは世界のいたるところで行われたのだろうが、
その残虐性を多くの人に思い至らせるには、
おそらくナチスという言葉は、圧倒的な力を持つのだと思う。

著者が4歳のとき、ナチス親衛隊員だった母親は家を出ていく。
父は戦地へ赴き不在、弟はおむつもとれない年齢だった。
泣きながらの別れなど、そんなセンチメンタルなものはなかったらしい。
自分は行くけれど、泣くなと言う母。
おまえが泣くと、眠っている弟が目を覚ますからだと、厳しく言い残す母。

そんな別れから数十年後、著者は一度母親を探して再会している。
世の中も変わり、ヒトラーもいない今、母も変わったはずだと期待してもおかしくないだろう。
母を抱きしめたいと思っても、それは当然のことだろう。

しかし母親は、ナチス親衛隊にいたこと、強制収容所の看守だったことを、
いまだに誇りに思っていて、再会した娘に滔々と自慢を始める。
親衛隊の軍服を、娘に着せようとする母。
収容所のユダヤ人から取り上げたいくつもの金製品を、娘に譲ろうとする母。

嫌悪感と後悔を胸に、それきり母のことを忘れようとした著者に、
それから27年後、ふたたび対面の機会が訪れる。
高齢で、記憶もあやふやになりつつある母と会うのは、間違いなく最後の機会だろう。
期待よりも怯えを抱えて、従姉妹に伴われた彼女は施設に向かう。

いっそ母を徹底して憎むために、彼女は当時のことを尋ねる。
そのやりとりが、とても悲しい。
目の前の娘らしき人物(著者)を帰したくなくて、話を小出しにする母。
餌をまいてでも、母から歴史的事実を訊き出そうとする娘。
記憶は、過去と現在を行ったり来たりする。

著者の幼少期のエピソードに、空恐ろしいものがあった。
母の仲間が数人集まった席で、著者とその弟は、母の意に反することをしてしまう。
それだって子供のすることで、しかも母の強制に従わなかったというだけのこと。
なのに、そのお仕置きとやらがひどかった。

幼子二人を困惑と恐怖に陥れ、母を含む大人たちは、それをゲラゲラと笑いながら見ていたというのだ。
そこには、洗脳以前の、個人の持つサディスティックな一面が垣間見える。
ナチス親衛隊員という特殊な立場に、もし適正というものがあるとするなら、
ここにいた大人たちは、その一点ではクリアしていたのではないかと勘繰るほどに。

人生の終わりを前に、娘は、母を憎めない。
かといって、愛することもできないままなのだ。
軍服を着てナチスに飛びこんだひとりの女が、粉々に壊してしまったものはもう戻らない。

後世に伝えるべき悪夢を、母から訊きとるという作業を行った著者を思うと、
戦争というものが残す傷のあまりの広大さに、言葉を失くしてしまう。

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紙の本

この「黙って行かせて」も人間の脳を知る上で貴重な本です。

2010/03/14 17:46

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る

 アウシュヴィッツ強制収容所の看守だった年老いた母親(87歳)を老人ホームに訪ねて、娘が母と向き合う話である。

 アウシュヴィッツで行なった残虐行為を母は後悔し改心しているのではないか、あるいは改心していて欲しいと、人は思うでしょうが、事実はそうではなかった。後悔も改心も微塵もない。

アウシュヴィッツから生還した精神医フランクルが書いた

夜と霧

に強制収容所の看視兵や囚人を管理したカポーなどは残虐な人間が選抜されていた(少数の例外はありましたが)ことが記されています。
で、「黙って行かせて」の著者ヘルガ・シュナイダーの母も残虐だった。

著者ヘルガ・シュナイダーは幼くして母と別れており、実は27年前の1971年に一度、母に再会している。別れてから30年経っていた。そのときのことをこう書いている


 「あの日のことを思い出すと今でも背筋に震えが走る。
 自分の母親がナチス親衛隊だったと知ったときの衝撃―――
 しかも、お母さん、あなたは全く悔やんでいなかった。むしろその逆。自分の過去を私に自慢していた。一寸の狂いもなく運営されたあの絶滅収容所の優秀な看守だったことが、ひどく誇らしそうだった。


その時の具体的な出来事を次のように書いている。


「手をだしてごらん」
 私の両手に、指輪、ブレスレット、カフスボタン、ペンダント、ブローチ、絡み合う長短さまざまな鎖、それに時計一個が、山と盛られた。一瞬私は呆気にとられ、金でできたこれらの品々を見つめた。(中略)
 それは女の子が四歳か五歳になるときに贈られるネックレスだった。一見目立たないけれど、よく見ると見事な細工がほどこされている。
恐ろしいくらいはっきりと、あるイメージが私の目の前に現われた。
 禍々しい金製品を掻き集める姿ではなく、この鎖を持っていた小さな女の子をガス室に突き飛ばす母の姿―――。
 そのとき、こんな母親はいらない、とはっきり思った。


 著者ヘルガ・シュナイダーは1997年、従姉妹のエーファとともに27年ぶりに再び母を訪ねるが、母の心は良い方向に変わってはいなかった。母はエーファを狡猾に残虐な言葉で傷つける。エーファの父親の共同経営者だったユダヤ人の親子に対して自分が残虐にやってのけたことを話して。

 この本で重要なことはこの母親の残虐性が87歳になっても変わらず持ち続けられていたという事実である。

 フランクルの「夜と霧」の196ページには次のような文章がある。

 これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。


 フランクルの[この地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。云々]という文章と、ヘルガ・シュナイダーの本に示されていた「残虐性が87歳まで保持されていた」という事実はきわめて重要な発見である。

 公立の小中学校(国立大学付属でなく普通の)を出た人なら、たいてい、そこに陰湿ないじめがあり、その行為とアウシュヴィッツの残虐行為が同質のものであると感じる人もいるのではないでしょうか。
 (レベルの高い私立や国立大学付属の小中学校では陰湿ないじめは少ないです、皆無ではありませんが。これには理由がありますが、この書評の文章を逸脱してしまうので詳しくは書きません。で、そういういい学校を出たインテリはいじめに関してトンチンカンの評論を行なうことが多い)

 残虐行為をして楽しむ人間は、処罰がなければどんな残虐なことでもやります。戦争が残虐行為に走らせるのではなく、処罰がない状態が、その欲求を表に現わさせただけです。警察力が及んでいれば残虐行為が好きな連中もそれを表には出しません。

 警察力が及んでない、処罰のない状態に近い場所として、普通の公立の小中学校があります。(いじめる人間が先生よりケンカが強いということも大きいな要素ですが)
 今、中学校に一クラス一人の割合で登校拒否の生徒がいるということは、人を残虐にいじめて楽しむ人間が、クラスに一人や二人は居るということでしょう。これはどこの国や地域にも少なくとも5%はいるでしょう。だからこそ、これまでの戦争で残虐行為がいたるところでおこっているのではないでしょうか。レイプは男の性欲によるものですが、それとは別の種類の残虐行為があります。

ルミとマヤとその周辺_1

にあんちゃん

に、狡猾ないじめ行為が載っています。

 「ルミとマヤとその周辺_1」ではP90の「てっちゃん菌がついちゃった!! ハハハハ」
というところ。

 「にあんちゃん」では、P194の転校生が来た時の話です。転校生親子がクラスでの紹介が終わって帰る時に悪がきが「たっしゃでなあっ」とか「死んだらあかんぞう」と大きな声で言う場面があります。

 こういうところを読みますと、ユダヤ人を死刑にしておいて遺族に処刑料を請求したナチスの連中の残虐さと同じものを、私は感じるのです。

 ただ、残虐行為をして楽しむ人間とは別に、粗暴で直に怒りをあらわにする人がいますが、この人たちは本質的に残虐人間とは異なります。この人たちを、残虐行為を好む人間と混同して、悪い子を愛と教育で良くしたと思い込むインテリがいますが、これは明確に異なります。フランクルも「夜と霧」の201ページ、202ページにその人のことを書いていました。

 この世界には「残虐行為が楽しい人間」と、「残虐行為を嫌悪する人間」の[2種類の人間だけがいる]。このことを明確に述べたのがフランクルの「夜と霧」です。強制収容所の関係の本をいくつも読みましたが、このことを書いているのはフランクルの「夜と霧」と「アンネの日記」に登場するアンネたちに食料を運んでいたミープさんが書いた「思い出のアンネフランク」の2冊だけでした。

National Geographic News のNovember 7, 2008 


http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=8967503&expand


「人の災難を喜ぶいじめっ子の脳」というのがあります。研究チームの一員でシカゴ大学の心理学者ベンジャミン・レイヒー氏は、「この発見は予想外だった」と話していますが、フランクルが何百万人もの命と引き換えに学んだ「夜と霧」に書かれことを読んでいれば「予想通りだった」はずです。

この「黙って行かせて」も人間の脳を知る上で貴重な本です。

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紙の本

戦争は、終わらない。

2009/08/23 10:42

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:求羅 - この投稿者のレビュー一覧を見る

過去に犯した罪をどのように裁き、どう受け入れるのか。
戦後のドイツ人は、ナチズムという負の遺産を前に、徹底した自己批判とその反動とのはざまで苦しんできたといえる。
執拗に、繰り返し語り継がなければ記憶は風化する、あっけなく。その意味では、真に“戦争”が終わることはないのかもしれない。そんな終わらない戦争を、母と子の確執を通して描き出したのが、本書である。

60代の女性が27年ぶりに母親に会うため、介護施設を訪れるところから物語は始まる。
かつて母は、ナチス親衛隊に入隊するため幼い彼女と弟を捨てて出て行ったのだった。辛い幼少期を経て彼女が母と再会したのは、それから30年後のこと。自分の母親が元ナチス親衛隊員と知った時の衝撃、誇らしげに強制収容所での仕事ぶりを語る母の姿が、苦々しく主人公の脳裏に甦る。そして再び淡い期待と決意を胸に、余命わずかな母と対面することに・・・。

ここで読み手としては改心した姿を想定するのだが、その予想はあっさり裏切られてしまう。母親は、今でもナチス親衛隊員だったことを微塵も後悔していないのだから。
いや、「微塵も」という表現は語弊があるだろうか。ゆっくりと壊れていく脳は過去を消し去りたい彼女の本心の表れであり、言い訳がましく語る姿に娘は母の弱さを見る。自分の行為を正当化する様は、憤りを通り越して哀れみすら覚えた。

毒ガス、人体実験、拷問など、母子の対話から次々と明らかにされる出来事は吐き気をもよおすほど生々しい。だがそれ以上に、本書が自伝小説という事実に愕然とする。
作者のヘルガ・シュナイダーは、ナチ戦争犯罪人の娘という立場から目を背けることなく、ナチスの犯した愚行と真正面から向き合っていく。小説を書く作業は、相当な苦痛を伴ったことだろう。
母親というのは、誰にとっても特別な存在である。だが作者と母の絆は、ナチズムで繋がれた、忌まわしいもの。そこから解放されたいのに、母を愛することも憎むこともできない娘の複雑な胸中が、悲痛なまでに綴られていく。
この作品に、安易ななぐさめも、救いもない。それでも、伝えなければならないのだ。そんな作者の強い覚悟が伝わってくる一冊である。

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2005/06/02 08:49

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2006/11/24 23:24

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2006/07/31 18:08

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2011/02/18 21:48

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2011/10/07 08:00

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