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商品説明
【毎日出版文化賞企画部門(第73回)】ALS当事者の語りを渉猟し、「既に書かれていること」をまとめる。「人工呼吸器と人がいれば生きることができる」 感動こそ少ないが、「生命倫理」という名の議論は、せめてここから始めるべきだとわかる本。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
生を肯定しない自己決定の危険
2006/04/23 19:54
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは簡単に言えば、全身の筋肉が萎縮していく病気で、二、三年のうちに呼吸筋の麻痺により、人工呼吸器を使わなければそこで死に至ることになる。人工呼吸器を付ける気管切開をすると発声が不可能(代替手段がないわけではないらしい)になり、何らかの代替手段を使ってコミュニケーションを図ることになるけれど、さらに進行すると、眼球筋の麻痺により、意志を外界に伝える手段がすべて遮断されるロックトインという状態に至る。この場合、意志はある(脳波などで観察可能)し、視覚(眼球は動かせない)、聴覚、触覚等の感覚は生きているという。それでも、呼吸器と介護があれば生きることは可能であり、ロックトイン状態においても意思の疎通を図ろうという研究も行なわれている。
罹患の原因は不明。wikipediaによれば「1年間に人口10万人当たり2人程度が発症する。好発年齢は40代から60代で、男性が女性の2倍ほどを占める」「90%程度が遺伝性を認められない孤発性である」。誰にでも、突然起こり得るということだろう。治療方法も今のところない。
この本はそうしたALS患者をめぐる「生」の状況について書かれた本だ。医療、介護、尊厳死、自己決定。さまざまな問題がここからあぶり出される。ことは多岐にわたるのだけれど、最小限のことだけ紹介する。
ALSに限らず、重篤の障害を持つ人間が生きていくためにはどうしても多大な公的支援が必要になる。この本で取り上げられている橋本みさお氏というのは、家族があってもその介護を家族外のものに委託することによって、家族に全人格的な介護を担わせてしまうことを避けることができた、という例だ。
しかし、そういう例はまだまだまれなものだろう。ALSは特に24時間の看護を必要とし、どうしても介護ヘルパーなどの外部に頼らざるを得ないうえ、家族に掛かる負担も多大で、稼ぎ頭が罹患してしまえばそれは即家族の生活の困窮を意味する。
そうした利害関係のあり方が、患者本人の自己決定にも強く影響する。患者は多くが壮年の働き盛りだったりするいい大人であることが多く、経済的なことや実際に負担しなければならない家族のことを考える分別をもってしまっている。そのような状況下で患者に自己決定を迫ると言うことは、果たして中立的な態度といえるのか、と立岩氏は問いかける。そもそも中立的態度なるものは存在しないだろうと立岩氏はいう。
現状では周囲は中立を自称し、自己決定を迫ることは、その決定が死に傾くように囲われてしまっている。自己決定を引き合いに出す前に、それをめぐる周囲の状況がまずは問題にされなければならないだろう。立岩氏はこう書く。
「基本的には生存が支持されるという条件があって、選択の自由はその上でのことだと私は考える。そこでこの条件を存在させることがまずすべきことであり、それが存在しない状態を放置してその人に決定に委ねればよいとは言えない。その条件が存在していなければ存在させる義務があるのだし、それを怠っているのであればそのことについて責任があり、そのことを伝える義務があり、具体的に条件を存在させる義務がある。そして多くの人は生きていたいと思っている。ならば、生きられる条件があれば生きることになる」
生きることを望むことが即誰かの負担となる状況、つまり生が肯定される状況にない場での自己決定は、取調室に監禁されながら強要された自白調書のようなものではないのか? これを無視した尊厳死安楽死肯定論は、要介護者たちを制度的に抹殺することを可能にするものではないのか。
詳しくは以下。
「壁の中」から