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- カテゴリ:一般
- 発売日:2004/11/01
- 出版社: 新潮社
- レーベル: CREST BOOKS
- サイズ:20cm/366p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-590043-9
紙の本
奇跡も語る者がいなければ (Crest books)
【サマセット・モーム賞(2003年)】【ベティ・トラスク賞】イングランド北部のある通り、夏の最後の一日がはじまる。夕刻に起こる凶事を、誰ひとり知る由もないまま…。無名の人...
奇跡も語る者がいなければ (Crest books)
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商品説明
【サマセット・モーム賞(2003年)】【ベティ・トラスク賞】イングランド北部のある通り、夏の最後の一日がはじまる。夕刻に起こる凶事を、誰ひとり知る由もないまま…。無名の人びとの生と死を斬新な文体と恐るべき完成度で描く物語。サマセット・モーム賞、ベティ・トラスク賞受賞。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ジョン・マグレガー
- 略歴
- 〈ジョン・マグレガー〉1976年バーミューダ島生まれ。ブラッドフォード大学卒業。デビュー長篇「奇跡も語る者がいなければ」がブッカー賞候補となる。同作でサマセット・モーム賞等を受賞。
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紙の本
日常のなかの奇跡
2004/12/26 09:41
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:こうめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語は、1997年8月31日のイギリスのとある小さな街角での一日についての現在形による克明な描写と、その三年後の、街角の住人の一人だった女の子の一人称の語りが交互に現れて進められる。夏の最後の日は、語り手の「わたし」も含めて、大学卒業生達にとってその街で過ごす最後の日だった。そして本文では一切触れられていないが、ダイアナ妃が事故死した日でもある。大きく取り上げられたあの事件と違って、恐らくなんの報道もされなかったであろう小さな事件が街角で起こる。その事件を目撃することになる人々も、それぞれの不幸や悩みや過去を抱えている。住人の一人、水子地蔵に関心を持って日本へ行ってみたいと思っているシャイな男子学生は、実は「わたし」に憧れている。
三年後、彼の双子の兄弟から「わたし」はそれを聞かされることになる。取り返しのつかない時の経過を経て。その三年後の「わたし」はといえば、行きずりの恋による妊娠で不安な気持ちでいる。こんなときに頼りにすべき母親とはあまりしっくりいっていない。母は、そのまた母の死を知らされた時に泣き出すほどの安堵感に包まれたような親子関係のトラウマで、自分の娘との関係をうまく築いてこれなかったらしい。
独特の文章である。原文は読んでいないが、恐らく原文のスタイルをなんとか再現しようと翻訳者が苦心したあげくの訳文なのではないか。最初ちょっと読みづらいと思っても、どうか本を置かないで欲しい。それはあまりにもったいない。少したつと、この作者が描きたかったものが見えてきて、あとはもう読むのをやめられなくなる。
まず書き方のスタイルが、実に真摯でオリジナル。手垢のついた表現を極力避けて、言葉という抽象的なものでなんとか「現実」をそのままに描き出そうとする熱意がジンジン読者に響いてくる。映画ならワンシーンで済むものに、作者は何ページも言葉を連ねる。そこに、文学にしかなしえないものがたち現れる。まさに小説の醍醐味。テーマはといえば、「わたし」に心を寄せるシャイな学生の趣味が、作者の思いを反映しているのではないか。彼は通りで見つけたどうってことのないものを蒐集するのだ。破れたページ、レシート、捨てられた針。持ち帰れないものは写真に撮る。「何もかもが無視され、失われ、捨て去られるのが嫌」だから。「現在を掘り起こす考古学者」なのだ。この作品もそうである。無視され、忘れられていくような人間の日々の営みに光をあてて、克明に掘り起こす。言葉の使い方も、言葉を使って描き出すものも、真摯で優しい。
訳者あとがきで説明されている全体の構成の妙には、なるほど、と膝を打ってしまう。双子や水子地蔵や妊娠などなど、あちこちで様々な運命が微妙に共振しあっているのも面白い。
紙の本
小川洋子氏が面白いと言っていたので買いました
2020/07/27 22:07
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
本屋でもらったクレストブックの小冊子で、私が好きな作家のひとりである小川洋子氏が「クレストブックわたしの3冊」でこの本を推薦していた。他の2冊、エリザベス・ギルバートの「巡礼者たち」、アリステア・マクラウドの「冬の犬」はすでに読み終えていてどちらも心にしみる深い作品だったので、この本は間違いなく面白いに違いないと読み始める。読み始めは、いったい何を書いているのかわからなくて頭が混乱する寸前という状況だったのだが、巻頭にある「本書の舞台である、とある通り」という地図をちらちらと見ながら読み進めていくとどんどんと楽しくなってくる。題名は、登場人物の一人が娘に「奇跡も語る者がいなければ、どうしてそれを奇跡と呼ぶことができるだろう」と語りかけることからきている。ここで、最後に起こった奇跡でなぜか私は山本周五郎氏の「樅ノ木は残った」を思い出してしまった
紙の本
正直言えば、メフィストに拠る作家たちの前衛のほうが、遙かに進んでるんじゃあないか、ってそんなふうに思うこともある。ヨーロッパ映画なら納得の一本
2005/06/18 20:37
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう見ているだけで楽しくなってくるカバーイラストは注によれば Illustration by colobockle で、装丁は Design by Shinchosha Book Design Division ということになる。しかし、この colobockle の手になる街並の絵、正直言って、欲しい。額に入れて我が家に飾りたい。ともかく夢があって可愛らしいのだ。線の擦れ具合、犬の様子、自転車、傘の置かれ方。いや、くちゃくちゃとした雲だって傘の上に唐突にあるレイン・ドロップスにしたって絶妙だ。しかも家々が建つ台地の表現。ほし〜いっ!
「イングランド北部のある通り。夏の最後の一日がはじまる。夕刻に起きる凶事を、誰ひとり知る由もないまま 。22番地の小さな眼鏡をかけた女子学生。彼女を密かに恋する18番地のドライアイの青年。19番地の双子の兄弟。20番地の口ひげの老人。そして、16番地の大やけどを負った男と、その小さな娘・・・・・・。通りの住人たちの普段どおりの一日がことこまかに記され、そこに、22番地の女の子の、3年後の日常が撚りあわされてゆく。無名の人々の生と死を、斬新な文体と恐るべき完成度で結晶させた現代の聖なる物語。」
以上がカバー折返しの文。
確かに文学としか言いようのない作品で、例えばこれを前述の紹介の「奇蹟」という言葉だけで読もうとする人がいれば、少なくともこのキャッチはペテン師の口上に近いものと映る。この言葉には実態はないに等しい。無論、そういう描写はかすかにある。物語の構成上、それがキーであることは嘘ではない。
しかし、それをミステリ仕立てで読むことは全く意味がない。むしろ、「たった一日という短い時間でも、そこで起こっていることを全部書き記そうとすれば、時間はどこまでも豊かに膨らんでいく」ということにこそこの作品の全てがある。究極の私小説とでもいうのだろうか。描写だけで文学は可能か、それに挑んだかのようである。
久しぶりに読む筋のない小説(無論、ストーリーはあるけれど、その意味は限りなくゼロに近い)で、新鮮には読んだけれど、正直、この訳文のスタイルは苦手だ。原文のカンマをそのまま読点に置き換えただろう文章は、英語の持つ特性を考えれば、そのままである必要はないのではないか。或いは、この気取ったいかにも一時代前の日本の詩をわざと意識させる訳は本当に原著の意図なのか、疑問に思う。
「現代の聖なる物語」などという、いかにも「セカチュー」のような感動、などとはほど遠い読後感なのだ。むしろヨーロッパ映画の原作には向いているだろうなあ、いや、これは映画なくしてはありえない小説ではないのか、そんなことを思う。
無人の宇宙で起きる現象に、観察者がいなければ、それはないものと同じ、とする科学者の言に、どこか釈然としない思いを抱く人は多いだろう。聞くものがいないところで生まれた音は、結局、無だという。さしずめ、この本などはそういった近代的な合理主義に対するアンチテーゼではないのか、いや、その合理主義に対する皮肉というか。
ただし、文学としての若さ、実験精神の面から見れば、私には今のメフィストやファウストに拠る作家たちの実験小説のほうが遙に前衛しているような気がしてならない。むしろ、一時代前の日本人作家たちが、長編こそ本当の小説、物語の復権、私小説の決別を叫んで作り上げてきた、それとは対極の小説がこれではないか。
話の展開による面白さの追求を止め、言葉だけの小説が存在しうるかを試す、その意味は分かるし、存在意義を否定はしない。でも、世の中にこんな小説ばかりが氾濫し始めたら、確実にわたしは読書を止める。座右に置いて、自分の現在を確かめる作品ではあるだろうけれど、この一冊!とはいいたくはない。