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商品説明
いつでも、どこでも、読書する。哲学書から官能小説まで、読書する。ひっそり、ふむふむ、読書する。「読書」という淫靡な快楽を徹底追求したら…。こんなことになってしまいました! 達人・永江朗の変則的読書生活大公開。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
永江 朗
- 略歴
- 〈永江朗〉1958年北海道生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。洋書店勤務ののち、フリーのライター兼エディターに。著書に「インタビュー術!」「不良のための読書術」など。
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紙の本
Freedom
2012/01/07 16:35
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:想井兼人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いわゆる読書論はあまり読まない。本の読み方は個々の自由で、他人様のそれに興味がわかないのがその理由だ。読み方は自由だ。そんな考えなのに本書を手にしたのは、そのタイトルが気になったから。『恥ずかしい読書』。「まえがき」だけでもと思いページをめくって、すぐにタイトルの意味がわかった。
電車の中で本を読む人の多くが、本屋でつけられるカバーで表紙を隠している。恥ずかしいからだと著者は言う。「さもありなん」といったところか。その気持ち、よく分かる。本棚を見れば持ち主の人となりがある程度分かると豪語する人がいるが、本の嗜好はそれくらいパーソナリティーを現わしてしまうもの。だからこそ人前では隠さないと恥ずかしい、となる。そんな「まえがき」に背中を押されて本書を紐解いた。そこには様々な本の楽しみ方が散りばめられていた。
例えば強化年間。これはその年に集中して読むテーマを決めて、一年の読書を謳歌するというもの。著者の2002年は安岡章太郎で、2003年はドン・キホーテ、2004年はシェークスピアだったとのこと。その年はテーマに沿った読書を楽しむ。これが強化年間という楽しみ方。
また、年表や地図を片手に読書にふける。これなんかは既に実践している人がいそうだが、著者の楽しみ方はやや風変わりだ。著者はドン・キホーテの著者セルバンテスとシェークスピアは同時代人なんだ、という楽しみを味わうらしい。まあ、著者の楽しみ方も面白いが、年表と地図を傍らに置いての読書は、その楽しみをさらに深めることは間違いない。昨年、地震や原発関連の書籍が数多く出版され、さらに本屋なんかでも特設コーナーがよく見られたことは記憶に新しいと思う。本はその時代の世相を反映する。年表や図は読書をより深みのあるものに熟成してくれるツールとして欠かせない。
さらに本を裸にするという行為も興味深かった。これは簡単なことで、本から帯やカバーを外すだけのこと。簡単な行為だが、そこには予想以上に面白い世界が広がっているようだ。著者は鹿島茂の『妖人白山伯』と田辺聖子の『残花亭日暦』を紹介しているが、光の当て方できらびやかに見える表紙や花弁を散りばめた表紙は、カバーで隠されたところにも工夫を凝らした作り手のこだわりを教えてくれる。乙一の『GOTH』はカバーの裏が写真という凝りよう。脱がせたカバーの裏も疎かにしていない作り手のこだわり。さっそく本書でも試してみたが、この点に関しては「普通」という印象だった。
写真集は実際にファインダー越しに見ると写真家の意図が何となく分かるらしい。絵画に模写があるように、写真も模写することが上達の近道だとか。これも近いうちに試してみねば。
本書は単なる読書論に留まらず、本棚や本屋についての文章も掲載している。特に本屋については、町の本屋からメガストアの出現、コンビニでの本選び、そしてネットでの購買とその変遷を具体的に示していている。そして、その変化の背景に社会の移り変わりを重ねて考察した。また、本は買う場所や媒体によってその印象がまったく異なることも主張している。
時代とともに本を買う場所や媒体が変わり、それにともなって同じ本からでも受ける印象が異なってくる。このことは子どもの頃に町の小さな本屋で見かけた本は、二度と手に入らないことを示している。例え同じ本が売っていたとしても。本との出会いは一期一会。興味が沸いた瞬間に手に取らなければいけない。さもなければ次の瞬間にも印象がまったく異なり、別の本になっているかもしれない。そして、本を手に取った際には、本書の随所に散りばめられているような様々な方法で、さらには己独自のスタンスで自由に読書を楽しむべし。同じ本でも様々な表情を見せてくれるに違いない。
紙の本
ブログの文体の手本として読んでみました。
2005/01/28 01:04
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネットでブログを始めてもう少しで一年ですが、最初の頃はどうせロムしている人は例えばbk1で知り合った書評者の方達ぐらいで、自分の書きたいように書けばよいと、まとまりのつかない未整理のまま日々更新と書き繋いでいったのですが、しだいにロムしてくれる未知の人が増えると、意識してブログの文体のことを考え始めました。そんな事情とも無理やり関係付けると本書の筆者である永江朗さんにお叱りを受けるかもしれませんが、「本好きのブロッガー達」のサイトをサーフィンすると、永江朗に言及しているページによくお目にかかる。何でだろうと思う一因に永江さんの文体があると思う。
本書はネット公開しているポプラ社のサイトで「ポプラビーチ」にアップされた一文が収載されているのですが、ひとつ、ひとつのエントリーが大体800文字〜1600文字と、ネットで読んでも疲れない長さです。書いていることも彼自身、別の本で言っているように、書くからには、一応ネットで検索して、少なくとも誰もまだ言っていない、書いていないネタかどうか、縛りをいれているとのことですが、彼のようなルポライターのルールの一つとして凄く大事なことなんでしょう。そんな上手なフレームの使い方をしている。
本をツールとして、裸にしたり、逆さに読んだり、哲学書は歯磨きと同時進行で開いてみたり、照明とサングラス、眼鏡、本棚まで、彼の書店員体験を踏まえた本を取り巻くハードウエアまで軽快に語る。まあ、そんな軽快さが不満と言えば不満ですが…。でも、ブログの文体ではこの程度の水深、温度がぼくを含めた“恥ずかしい読者”には心地よいのかもしれない。
もっと深くて悩みたければ、本書で言及されている本の原著をあたればよいわけで、例えば〔歯磨きと読書〕の項では、ヘーゲルの『精神の現象学』、ジャック・デリダの『エクリチュールと差異』、ジル・ドゥルーズ&フェリックスガタリの『アンチ・オイディプス』、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートの『帝国』、小熊英二の『<民主>と<愛国>』が初っ端から紹介されている。でも、こうやって本書を紹介すると、巻末の【恥ずかしいブックリスト】をチェックしても閾の高い本が多いので敬遠される方がいらっしゃるかもしれませんが、内容はネットでロムする感覚で読める肩のこらない楽しいものです。
まあ、それが物足りないという人がいるとしたら、ちょいと、ポプラビーチのサイトを覗いて永江さんのページをネット視聴(視読?)して判断して戴きたい。ぼくは文章の長さといい、内容の気配り、目配り、軽さ深さの深度、内容の濃度といい、ブログの文体としては格好の手本になるのではないかと思いました。だって、一見、自分でも書けそうな文体(失礼)というか、身近に感じる暖かさ、そんな優しい本です。あえて易しい本とは言いません。結構、芸のいる文体だと思います。
千人印の歩行器
紙の本
本好き・読書好きにオススメ。本好きでない人はこの書評も読まないんだろうな、きっと。
2004/12/25 23:04
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:heizo64 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ポプラ社の本を買うなんて何年ぶりだろう。
「ポ、ポ、ポプラは少〜年探偵団!」の歌で名高い(すみません、嘘です。今作りました)ポプラ社の少年探偵団シリーズやホームズ全集、ルパン全集で本を読む楽しみを知った子供がどれだけいたことか。図書館で借りた怪人二十面相モノを学校からの帰り道に読みながら歩いて帰ったなんてこともあったな。こんなことを言うと年齢やお里が知れるので恥ずかしいのだが……。
そう、永江朗「恥ずかしい読書」(ポプラ社)なのである。書評家・評論家として最近精力的に活動している筆者が、ポプラ社のwebサイト「ポプラビーチ」上で連載していたものを中心にまとめた読書エッセイ集。サイト上でも目を通していたものの、読書に関してはアナクロ人間である私としては、やはり本の形で読みたいと思っていました。元書店員である筆者は、現在の構造不況の中を書店がいかにして生き残っていくかという問題を自分の仕事の中心部に置いて活動している人なのでやはり本という形で出版することを選択したのでしょう。おかげでこうして本として読めるわけです。
この本で筆者は自身の読書に関わる様々な話題を取り上げています。
まず、歯磨き読書。歯磨きしながら(なんと30分も!)難しい思想書を読むそうですが、これは無理。歯磨き粉を少しにしても、私なら3分もすれば口から泡があふれ出して止まらなくなりますから。
それから、筆者は本を手にすると帯もカバーも全部はずし、裸にしてから読むとのこと。そうすることでカバーをしたままでは気付かない隠れた部分にまで神経を使った本作りに触れることができるという効用を語っています。それならばと、筆者に倣って白いカバーを取って裸にした本をカバンにつめて出かけてみる。本体は深みのある朱色でなかなかいい色合いではあるが、特にイラストや意匠がほどこされているわけではない。この本を読んだのはちょうどクリスマス。街にはサンタクロースがあふれている。そこでハタと気がついた。白いカバーと赤い本体、これってサンタの衣装の意匠なのではないか(シャレではありません)。発行日は12月1日だから、たぶん意識していると思いますね。いや洒落ています。
読書エッセイで必ずと言っていいくらい出てくるのが、現代人の活字離れ(読書離れ)の話題。もちろんこの本にも出てきます。永江氏は、本を読まない人が理由として挙げる「忙しい」、「お金がない」を理由にならないとバッサリ切り捨てる。いつも本を持ち歩いていれば、駅のホームや電車の中といった場所で結構本は読めるし、ブックオフや図書館を利用すればお金はほとんどかからなじゃないかというわけだ。まさにその通りだと思うのだが、いったい筆者は誰に向って言っているのだろうという疑問が浮かぶ。読書好きでない人は、ベストセラーや雑誌は手にしても、この手の読書エッセイはまず読まない。読書エッセイを読むのは本好きの人間がほとんどである。ここに読書エッセイのジレンマがある。本好き、読書好き相手に読書の効用を語ってもあまり意味はない。自分から読書エッセイを買う人は、ほっといても本を買い、読む人なのだから。
では、読書好きはなぜ読書エッセイを読むのか。それは言うまでもなく、楽しいからです。そこに書いてあることが自分のやり方と同じであればうれしいし、違っていてもそれはまたそれで楽しい。とにかく、私などは時折、本そのものを読むことよりも、本を読んだということを読むことの方が好きなのではないかと自問することがあります。もうビョーキですね。これは。
ということで(どういうことだ?)、この本は本好き・読書好きには楽しいオススメの一冊です。ただ、この本は読書好きをますます読書好きにしてくれるけれども、読書嫌いの人を読書好きにするためにはどうやってこの本を読ませたらいいのだろう?
紙の本
わかりやすいこの本の文体そのものに惹かれた。
2004/12/11 23:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:由良 博英 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読書に関わる日常、周辺のあれこれを楽しく語る、コラム・エッセー集。装丁、本棚、照明、眼鏡など、話題は豊富だけれど、全体の構成が散漫にならず、著者の一貫した姿勢が感じられた。書評家の永江朗さんの本を読むのは、私はこれが初めて。そこで語られるノウハウや書店事情の裏話もおもしろく、役に立ったけれど、わかりやすいこの本の文体そのものに惹かれた。これをきっかけに、永江朗さんのほかの著作も読んでみたくなった。