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「なぜなら人間の言葉には、小羊のあらゆる進路や動機を表わしうるような言葉もなければ、思想もないからです。<その道はいまだかつて明らかにわれらに示されたることなし>です。だれがそのひとを、果てしなきものを抱きしめることができるでしょう、だれがいったいすべてを、無限なるものを理解できるでしょう!」
「あなたは苦行と自己犠牲の熱望に取りつかれておられる。この熱望にも打ちかち、あなたの文書や意図を胸にしまっておかれるがいい、そのときにこそあなたはすべてに打ちかつことがおできになる。あなたのすべての誇り、あなたの悪霊を辱めてやることです!」
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主人公のシャートフくんに惚れにほれた。
まっすぐな人ですね。
頑固で偏屈・・?でも信念があるから、好きさ。
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なんかとにかくすごいんだけど、どう言ったらいいのかなー。
なんかなんかとにかくすごい。行間からわたしショウセツですというオーラを感じます。密度高め。
スタヴローギンの冷静さってとても現代的なのではと感じる。わたしたちは悪霊にとらわれているのでしょうか。
ていうかこれってこんな軽い感じで読むもんなのかな。よくわかんないけど。うーんうーん。
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様々な人物達の想いや情動の織りなしして繰り広げられる壮大な物語である。同じような行為を行う他の同志とは一体化できない孤独さをもった怪物、ニコライ・スタヴォーギンの哀しみ、そして最後の自決シーンが、とても印象に残った。 2008.8.4-7.
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出版社により削除された章「スタヴローギンの告白」が巻末に掲載されたことで、主人公の真意がようやく明らかに。存在感の薄かった主人公の姿が浮き彫りになり、作者が本当に書きたかった意図がここにあることを痛感させられます。
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禍々しい表紙とは裏腹に、滑稽な描写が目立った上巻。しかし、下巻も中盤以降に入ると、じわりじわりとその禍々しさが露見してくる。表紙に内容が追いついた、とでも言えようか。
本編を読んだ段階では、『悪霊』と形容できる具体的人物はスタヴローギンではなくピョートルであるように感じた。上巻のおしゃべりはどこへやら、極悪非道の限りを尽くすピョートルに、あるいは魅せられる人もいるのではないだろうか、と思うくらいだ。事実、巻末解説によると、元来は主人公はピョートルであり、ドストエフスキーはその設定で700枚以上の原稿を書いていたらしい。
ここで注を入れておくと、物語冒頭で引用されている聖書の中の、悪霊に取り付かれた豚が次々と自ら溺死していくと言うエピソードと、革命、共産主義、無神論に取り付かれたロシア人たちが次々と破滅していくと言うこの物語は呼応しており、悪霊とは特定の人をさすわけではなく、これら共産主義や無神論を指しているものであるらしい。
いずれにしても、人間があたかも悪霊に取り付かれた豚さながらに次々と滅亡していく様にはある種の爽快感すら感じさせる何物かがある。また、物語終盤で展開されるキリーロフの人神思想は、必読とされるスタヴローギンの告白に勝るとも劣らないすさまじさで、読んでいて恍惚感のような、人間を超えた何かとでもいえるような、異質なものを感じたことを記しておきたい。
下巻は面白い、とよく言われる本書だが、すぐに面白くなってくれるわけではないのでご注意を。話がスリリングになるのは第三部に入ってからである。第二部の残りは、そこで挫折することがないように、自分のペースで読むのが望ましい。
さて、『スタヴローギンの告白』を読み終えた。まず感じるのはその異質な読後感だ。殆ど全ての本は、読み終え次第、開放感や爽快感、そして達成感を得られるものであるが、ことこの本においては違ったわけだ。
そもそも『悪霊』と言うタイトルの本からいい読後感を得ようとすること自体が間違っているのかもしれない。得られた読後感は、個人的には『カラマーゾフの兄弟』以上の謎と、「1度では殆ど理解できていないだろう。せめて『告白』だけは再読しなければ」と言う気持ちだった。ゆえに消化不良の感が否めないが、これは本のせいではなく僕の読書力のなさのせいだろう。
星は上巻下巻ともに4つとなったが、詳細に述べると上巻は星3.5、下巻は星4.5と言ったところだ。…と、『告白』を読む前は考えていたのだが、『告白』のあまりの密度の高さに、星5つを進呈せざるを得なくなってしまった。
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(2004.09.04読了)(1997.09.19購入)
ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンは、ワルワーラ夫人の一人息子です。ステパン氏は、この息子の教育係として招かれた。少年は当時8歳だった。少年は16歳になって学習院に入れられた。学校を終えると近衛騎兵連隊に配属された。青年は気違いじみた放蕩を始め、そのうち二つの決闘沙汰を起こし、流刑処分になった。その後、復官したが、辞表を出して軍務を退いた。(これがこの物語の主人公の生い立ちです。)
どのような本なのかまとめることができないので、幾つかの書き抜きで、雰囲気を味わってください。
●美について(ステパン氏の演説より)
「シェイクスピアとラファエルは、農奴解放より上である、国民精神より上である、社会主義より上である、若き世代より上である、化学より上である、ほとんど全人類より上である、なぜなら彼らは既にして成果、全人類の真の成果であり、おそらくは、存在しうる限りの最高の成果だからであります!」
「イギリス人なしでも人類はなお生存しうる、ドイツがなくてもよい、ロシア人などはむしろいないに越した事はない、科学なしで結構、パンなしで結構、ただ一つ、美なくしてはいかんともしがたい、なぜならばこの世界においてなすべきことが何もなくなってしまうからです!秘密の一切はここに、歴史の一切はここにあります!科学といえども、美なくしては一刻たりとも存続し得ないのです。」
(芸術至上主義かもしれないですけど、余暇時間はほとんど、音楽を聴き、本を読み、展覧会に出かけてすごす身としては、共感できる部分があります。)
●ロシア婦人について
「元来がロシア美人というのには整った感じが少なくて、何かこうプリンに似ておるようで、少々唇が厚いようだが、目はいいですな、笑みを含んでおりましてな。娘たちは、若い盛りの三年ぐらいは魅力そのものなんだが、それからはもうぶくぶくに太りっぱなしで、ご亭主方にかの悲しむべき無関心現象を引き起こす。」
●悪霊という題名の由来(ルカ福音書)
「そこなる山辺に、おびただしき豚の群れ、飼われありしかば、悪霊ども、その豚に入ることを許せと願えり。イエス許したもう。悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖に駆け下りて溺る。」
「どうです、これはわがロシアそのものじゃありませんか。病人から出て豚に入った悪霊ども、これは、わがロシアに積もりたまったあらゆる疾病、あらゆる病毒、あらゆる不浄、あらゆる悪霊、子鬼どもです!」
●社会を混乱に陥れる人たちの狙い
「社会の基礎の系統的な震撼、社会とその全根幹の系統的な解体のためです。すべての人々の自信を喪失させ、全体を混沌状態に落とし込み、このようにしてぐらつきだし、病的に無気力化し、冷笑癖と不信心に取り付かれ、しかも同時に何らかの指導的思想や自己保存を際限もなく貪欲に求めている社会を、謀反の旗を掲げて一挙に手中に収めてしまうのです。」(イラクのテロリストたちにも勝算はあるのでしょうか?アメリカ軍だけでなく、イラクの同胞たちにも多くの犠牲者が出ています。)
●ドストエフスキーについての本
「ドストエフスキイの生活」小林秀雄著、角川文庫、1955.08.20
「ドストエフスキイ」埴谷雄高著、NHKブックス、1965.11.20
「ドストエフスキーのおもしろさ」中村健之介著、岩波ジュニア新書、1988.03.22
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この作品は一度では理解できないのではないか。スタヴローギンについては再読で考えたい。ステパン氏が当時の知識階級の投影であろう。非合法組織の内ゲバ、密告は運命だ。最後は宗教的慈愛に取り込まれるように描かれているが、これは検閲へのオブラートであろう。作者のシンパシーは穏健改革・無血革命にある。
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悪徳の虚無の中にしか生きられず、ついには自ら命を絶つスタヴローギンは、世界文学が生んだ最も深刻な人間像であり、“ロシア的”なものの悲劇性を結晶させた本書は、ドストエフスキーの思想的文学的探究の頂点に位置する大作である。
実をいうと、物語の主人公が誰なのか最後までよくわかっておらず、納得がいかない部分が多々あった。
前巻に続いて内容が難しかったので、機会があれば再読したい。
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世の中には偉大なる失敗作という作品がごく稀に存在しているのだけど、この悪霊は個人的にそんな偉大な失敗作に連なる作品という風に受け取った。
勝手な推測になるが伝えきれなかった主張が相当あるのではないかと思う。
ドストエフスキー長編の特徴として人間関係が複雑さが挙げられるのだが、この悪霊は中でも複雑。
とにかく登場人物が多く、相関関係もつかみ切ることは難しかった。
そのせいか描写しきれていなようにも感じだ。
それでいて相変わらず行動原理がやや突飛(それをロシア的と無理に解釈することにはしているのだが・・・)。
確かにスタヴローギンはドストエフスキー文学において最も魅力的な男性であることは認めるが、自殺に至るまでがどうも弱いような気がしてならない。
何より登場したページが少なすぎ(笑)。
また有名な告白もその主張云々以前に話を聞く坊さんが何者であるとか伏線めいたものも足りなかったと思う(カラマーゾフのゾシマ長老と比べると突如現れた感は否めない)。
ステパン氏の描写は1~2部でこれでもかと書いているだけに不満は残る。
ただ描写が少なくして謎めいた魅力を醸し出すことに成功していると見る向きもあろうと思う。
またこの小説の鍵になろう無神論的テーマにもそれほど深みはないような気がした。
これはある哲学者の「今となってはドストエフスキーの思想は浅いものとなり読む気がしない」という意見を読んだことと、この小説にインスパイヤされて書いたとされる埴谷雄高「死霊」を先に読んでいる影響がかなり大きいせいだろう。
死霊の元ネタということで神学的な問答が繰り広げられるかと思いきや、それほどでもなく、こと前半部に関してはキリーロフが多少頑張っていたかなというくらいで拍子抜けしたというのが正直な本音。
そのためキリーロフが後半に本領を発揮し始めてからはその面白みを感じるようにはなった。
また上巻は冗長で小説としてのバランスが悪いという評価もなるほど納得した。
この小説は何かと議論されてきたようだけど、それはやはり偉大なる失敗作であるが故に描き切れなかった謎が多くあるからではなかろうか。
それとここまで様々な作品を読んできて言うのもどうかとは思うが、個人的にドストエフスキーのキリスト教主義は好きになれないでいた。
それゆえこの小説に期待するものを大きかったのだが、大審問官を読めばそれで充分かもしれない。
同じキリスト系作家であるならば遠藤周作の方がバランス取れているような。
やはり古典は咀嚼するのが難しく、ある程度の割り切りは必要だなといつも己の読解力を差し置いて痛感するのだ。
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「革命運動の誹謗書」という本書に対する評価が、ロシアでは根強いようです。
確かに同じ感想を持ちました。左翼革命が結局のところ帰結するところになるおぞましさを見た感があります。「ソ連とは壮大な実験の失敗ではなかったか」という教科書の一文を思い出しました。
ただこれが革命誹謗のみを目的とした書であるとは思えません。
残念ながら自分の読解ではこの感想に至り得ませんでしたが、「ロシア的なものの悲劇性(=スタヴローギン)」を結晶させた、という裏表紙の説明がしっくりきているように思われます。
己のあらゆる点における底の浅さ自覚し、自殺したスタヴローギン。ウォッカがないとロシア人はみんなこうなってしまうのではないか、漠然と思いました。
本作品はドストエフスキー作品の中でも難解だと言われています。
もう一度、読み直したいです。
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ドストエフスキーは本当に酸いも甘いも噛み分けた、悪党であり識者であり才人であり愚か者だなぁという感想を持ちました。愚か者だっていうのは、小説に出てくる愚かな人物にすごく血が通っているからこれは彼の分身じゃないのかと思うせいもありますし、登場人物を苦しめすぎだという気もするからです。ただ、後者の、登場人物を苦しめすぎだ、という感想は的外れなのはわかっています。そうでもしないと、表現できないことというのがあるからですよね。
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ドストエフスキーといったら、やっぱり衝撃作「罪と罰」?名作中の名作「カラマーゾフの兄弟」?もちろんそれらは外せないけど、この「悪霊」も彼の思想がぎっしり詰まった必読書です。
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やはり世紀の傑作と呼ぶに相応しい作品であることは間違いない。
とりわけ下巻に関しては、上巻では恐怖の対象でしかなく、
もはや完璧と思われていたスタヴローギンやピョートルといった
革命的思想をもった若者たちの化けの皮が剥がれるかのごとく、
ある意味、誰よりも人間味というものが垣間見えた気がした。
その中でも物語が佳境を迎える舞踏会の混乱から放火事件への流れは、
完璧に組み立てられた構成に変な話しだが美しくもさえ感じてしまった。
全てにおいてドストエフスキーの描く人間模様というものは
現代においても決して色褪せることなく、通ずるものがある。
それはスタヴローギンが選んだ結末においてもだ。
巻末に収録されている本編からは当時はじき飛ばされてしまった
いわくつきの「スタヴローギンの告白」の章。
これを読んだ時、ドストエフスキーの生みだしたスタヴローギンという男に
心の底からの恐怖を抱いたのは言うまでもない。
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初ドストエフスキーで,たまたま以前何かの講義で「悪霊」の話が出てきていたので読んでみた。
なんかとてつもなく深いな,ということは感じられた。前半~中盤はまったりとした流れで,登場人物の名前が覚えられず苦労した。本の最初に登場人物一覧みたいなのがあればよいのにと思った。
中盤以降は差し迫った場面が増えてどんどん読み進められたが,如何せん個々の登場人物のことをよく理解できていないためか,それで何なのか?という感じだった。
総じて,書かれた当時のロシアについての背景知識がないと本質的な部分は分からないのかな,と思う。そういう意味では,ロシアに興味を持ったし,またいずれこの深そうな作品に挑戦してちゃんと読み込みたいとも思う。
あと翻訳のせいか,文章として普通に飲み込むには頭の中で一種の線形変換みたいな処理を働かせることになり,結構疲れるように思う。