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商品説明
銀座「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎、南千住「カフェ・バッハ」の田口護、吉祥寺「もか」の標交紀−。カリスマ的地位を築いたコーヒーマン御三家の愛すべき頑固者ぶりを辿る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
嶋中 労
- 略歴
- 〈嶋中労〉1952年埼玉県生まれ。慶應義塾大学卒業。柴田書店に入社し、月刊『喫茶店経営』編集長、編集委員などを歴任する。現在、フリーランス・ジャーナリスト。著書に「おやじの世直し」など。
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紙の本
愛すべきコーヒー狂たち
2005/02/02 15:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:珈琲人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
独自の個性の光芒を放つ3人のコーヒー狂を軸に、戦後日本のコーヒー史をなぞった力作。冒頭からウンコの話で意表をつき、啖呵売のような威勢のいい言葉を繰り出して、日本には一流のもの、一流の職人技術が滅びつつあると、まず警鐘を鳴らす。コーヒーに置き換えると、スターバックスに代表される「エスプレッソバー」に日本国中が席巻され、機械で淹れたコーヒーに日本人の味覚が侵食されつつあるというのである。それは上等な味には違いないが、一流の味とはいえない。本物で、なおかつ一流のコーヒーの味というのは、そもいかなるものか。筆者は、ある種の義侠心に駆られて、日本の自家焙煎コーヒーの味の復権、いや正統性を主張し、本物のコーヒーとは何か種明かしをしていく。
漆器はうすぼんやりした行燈の灯にかざしてみて初めて、その存在感を主張する。日本のコーヒーも日本人特有の味覚センスや美意識に支えられて育まれてきた。たとえば銀座ランブルは関口一郎が慈しみ育ててきたオールドコーヒー。このわびさびた味覚ワールドが外国人に果たして理解できるのか。このオールドの奇妙な味わいこそ、日本人の創りだした、あまりに日本的な味覚のテクスチャーというべきであろう。
吉祥寺もかの標交紀。この男からはいまだにキツネが落ちていない。コーヒーを飲み残した客を追いかけていき、なぜ残したのか返答を迫るがごときは標の真骨頂といっていい。この男の創るコーヒーはうまいまずいの範疇を外れ、飲むたびに「感動がある」のだという。
南千住バッハの田口もすごい。一流の味もさることながら、山谷ドヤ街の中にあって、これほど水際立ち、洗練されたサービスをする店を私は知らない。この店こそがフランスの一流文学カフェに比肩しうる日本最高峰のカフェといえるだろう。
この本は単なる名店案内の書ではない。日本には春の野のスミレのようなコーヒーがある。それは世界標準とは異質の日本独自のコーヒーといっていい。茶を礼道にまで高めた日本人だからこそ到達し得た、日本人だけが賞味できる味覚ワールドなのだ。コーヒーという小さな穴から見つめた毛色の違った日本人論ということもできる。マニア必読の書であろう。
紙の本
著者コメント
2005/02/07 03:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばっちん - この投稿者のレビュー一覧を見る
文字どおりキツネに憑かれたみたいにコーヒーに憑かれてしまった男たちの話。茶を礼道として芸術の域にまで高めた国だけに、紅毛舶載のコーヒーとはいえ、いけぞんざいには扱わない。芸術とは言わぬが、それに近いくらいのレベルまで日本のコーヒーを底上げした。日本は世界に冠たるドリップコーヒーを生み出した。コーヒーマシンによる抽出が世界の趨勢になろうという時代に、日本の自家焙煎コーヒーの世界だけはネルやらペーパーによるドリップ式文化を頑なに守っている。これはまさに奇観といっていい。この本に登場するコーヒー馬鹿の中には求道者的な精神の持ち主もいて、客が一滴でも飲み残そうものなら、カウンターから飛び出して客を追いかけ、なぜ飲み干さなかったのか詰問する者もいる。たかがコーヒーであるのに、コーヒーに半生を賭け、世界一のコーヒー、いや旨いまずいを超越した「品格」のあるコーヒーづくりを目指している者もいる。そんなめくるめく世界が現にあることを、読者の方たちにもぜひ知ってもらいたい。