「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
戦前に計画された紀元二六〇〇年博と、1970年の大阪万博。2つの万博を巡る都市計画家、建築家、そして前衛芸術家たちの夢の物語。昭和史の戦前・戦中・戦後を貫くもうひとつの戦争美術=万博芸術の時代を浮き彫りにする。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
椹木 野衣
- 略歴
- 〈椹木野衣〉1962年秩父市生まれ。同志社大学文学部卒業後、美術評論家として活動を始める。現在、多摩美術大学助教授。著書に「シミュレーショニズム」「「爆心地」の芸術」など。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
万博という名の戦争
2005/07/28 00:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さいとうゆう - この投稿者のレビュー一覧を見る
万博というと「博覧会」の「博」のほうに注目が集まるけれども、「万」が「万国」の略であるようにすこぶるイデオロギッシュな企画である。にもかかわらず、1970年に開催された大阪万博には、当時「前衛」と謳われた芸術家たちがこぞって参加している。磯崎新、黒川紀章、岡本太郎、山口勝弘などである。
「新しい芸術」を模索する彼らが、国家規模で行われるプロジェクトに対して理念的には異和感を感じながらも、その実現への魅力へととり憑かれてゆく様はわかる気もする。しかし、万博へ参加することはすなわち、あらゆる個別の流派を超えたアーティストたちが一同に会してしまうという意味において「大政翼賛」的状況と変わりがなかった。
《1960年代の「万博芸術」と1940年代の「戦争芸術」とのあいだには、おそらく密接な関係が存在する。第一に、その出自の多様性にもかかわらず、ひとたび国家によって「聖戦」や「未来」といった「新秩序」が設定されると、たがいのジャンルの異質さを乗り越えて、容易に大同団結してしまう。その「インターメディア=マルチメディア性」において》(p.69)
たとえば「お祭広場」の諸装置の設計者であった磯崎新は、万博後に次のような心情を吐露している。
《日本万国博に関していえば、ほんとにしんどかったという他ない。(中略)いま、戦争遂行者に加担したような、膨大な疲労感と、割り切れない、かみきることのできないにがさを味わっている》(p.133)
国家規模の、現代科学技術の粋を尽くして催される「万博」は、いちアーティストにとって千載一遇のチャンスに見えたことだろう。しかし磯崎は、5年の歳月を費やして完成したすばらしい「廃墟」のなかで呆然と立ち尽くすことになる。
《「お祭広場」に未来都市の廃墟を現出させ、「万博という戦争」の焼け跡に立って一種の虚脱状態にあった磯崎の目には、かつて自身が経験した日米戦争の記憶が重ね合わされていなかったか》(p.140)
建築がもし、具体個別の「建物」をめぐる物語であるならば、爆撃でもってそららは一日で消尽されてしまう可能性を孕む。そのあとに何かを建てようとする者は、その建物を取り囲む「環境」ごと設計しなければならない。いきおい建築家は「都市設計者」であらねばならず、広義の「空間デザイナー」とならねばならない。しかし、その創造性の背後には、つねに廃墟の闇がつきまとう。
《現実に目の前にある構築物も、これから建設されるであろうさまざまな未来の都市建築物も、結局25年前(1945年)の完璧なまでに消滅しはてた日本の諸都市の、その土壌のうえに建てられているにすぎないのではないか》(P.142 磯崎新)
一瞬で「ヒロシマ」は消えた。「トウキョウ」は焦土と化した。ならばその上に積み上げられる鉄筋コンクリートの一切合財は、文字通りの意味で「砂上の楼閣」となる宿命を背負っている。「万博」は、土地に潜む歴史性を無化しながら更地を作り出し、大規模なテーマパークを期間限定で展開し、期間の終了と同時に廃墟となる。壮大な実験場は、抽象化された歴史のなかにその名を刻み込みながら、今も無残な姿を曝している。もはや意味など剥奪されたただの「物質」として。
《わたしたちは依然として、大阪万博をもひとつの演習とするような、「未来」という名の、より巨大な万博会場に住んでいる。万博は終わったわけではない。わたしたちが生きている「いま、ここ」こそが万博という「戦場」なのだ》(p.276)