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告白
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.2 126件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2005.3
  • 出版社: 中央公論新社
  • サイズ:20cm/676p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-12-003621-9
  • 国内送料無料

紙の本

告白

著者 町田 康 (著)

【谷崎潤一郎賞(第41回)】人はなぜ人を殺すのか…? 河内音頭のスタンダードナンバーとして唄われ、実在の大量殺人事件である「河内十人斬り」をモチーフに、永遠のテーマに迫る...

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商品説明

【谷崎潤一郎賞(第41回)】人はなぜ人を殺すのか…? 河内音頭のスタンダードナンバーとして唄われ、実在の大量殺人事件である「河内十人斬り」をモチーフに、永遠のテーマに迫る渾身の長編小説。『読売新聞』夕刊連載に書き下ろしを加え、単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

町田 康

略歴
〈町田康〉1962年大阪府生まれ。作家、歌手、詩人。「くっすん大黒」で野間文芸新人賞、「きれぎれ」で芥川賞、「権現の踊り子」で川端康成文学賞受賞。他の著書に「つるつるの壺」「屈辱ポンチ」等。

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みんなのレビュー126件

みんなの評価4.2

評価内訳

紙の本

ああ、おもろ。

2005/04/25 09:54

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:PNU - この投稿者のレビュー一覧を見る

河内十人斬りを起こすに至った熊太郎の人生を幼少より丹念に
書き起こす! 内面描写がリアルかつすさまじい衝撃の文学。

かのクラシックミステリ「八つ墓村」の元ネタである
岡山三十人殺しは知っていたけれど、
寡聞にして河内十人斬りは知らぬ私であった。
こんな事件が実在し、河内音頭にまで唄われているとは。
なんだかマザー・グーズになったリジー・ボーデン事件みたいね。

この河内十人斬り、動機だけから見ると金と女という
まことに陳腐なありふれた理由で起こったらしいのだが、
それが町田康の手にかかればあら不思議、高等な頭脳を
持ちながら肉体礼賛主義の農村に生まれ落ちてしまった男の
孤独と苦悩がこれでもかと読者の胸にせまるではないか。
この饒舌さ。人とのコミュニケーション媒体であるはずの言葉。
その言葉が頭脳にあふれるたびに、主人公・熊太郎がより
一層孤独になっていくというパラドックスがたまらない。

多くの疑問を残しつつも、積み重ねられた恨みが激流と
なって噴出するクライマックスは圧巻。殺人を犯す時の、
どこかファンタジックで夢の中のごとき思考の流れにも
魅せられた。常識から考えればメチャクチャであっても、
犯人には犯人だけに納得しうる理屈があるのだろうか。
傑作だ。

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紙の本

灰神楽三太郎・森の石松・八尾の浅吉を合計したおお馬鹿者の一生。国定忠治も思わずニヤリとするだろう。

2005/05/15 11:34

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

「人は人をなぜ殺すのか。河内音頭のスタンダードナンバー<河内十人斬り>をモチーフに、町田康が永遠のテーマに迫る渾身の長編小説」
このように紹介されると殺人というのは人間の本源的な行為であって、人殺し願望の普遍性みたいなものを哲学する小説のような気がして、それならば、息が詰まりそうな重苦しい純文学なのだろう。と、町田康の作風をまったく知らなかっただけにいささか緊張感を持って手にとったものだから、冒頭からの軽快でひょうきんな、それは現代の風俗・流行・ギャグを巧みに織り込んで古典落語を語る立川談志風で、しかも汚い、ガラの悪いで知られている河内弁でのそれだから、露骨で、どぎつく、猥雑な長広舌には思いがけない面白さがあって驚かされた。
主人公城戸熊太郎は河内水分の農家の長男坊である。その人物だが、わたしはどうしても、小学生のころ聞いていた浪花節に登場するヤクザ者、しかも三枚目という異色のヒーローをイメージしてしまうのだ。
ドジで、間抜けで、でたらめで、そのうえ寝坊でオッチョコチョイ。これは相模太郎の浪曲にある次郎長一家の一人・灰神楽三太郎である。
それと、酒と喧嘩に明け暮れて、乱暴者と異名をとる。人情、からめばついホロリ、馬鹿は死ななきゃぁ〜なおらぁない〜と遠州・森の石松がいる。
もうひとり。今東光というよりも勝新太郎が男を上げた「悪名」、農民のせがれにして無類の暴れん坊、酒と博打と喧嘩に女。滑稽な野放図さと一直線のバイタリティーで大活躍する、同じく河内は八尾の浅吉でしょう。
この三人を足し上げたような「大馬鹿者」が熊太郎である。その出来損ないぶりには大いに笑わせられる。
素直で、純情で、思いやりが厚い青年なのだが、百姓仕事はトンと身につかない。家にいては寝ている、外では酒をくらっているか喧嘩と博打にうつつを抜かしているのだから農村共同体では厄介者・除け者である。何をやっても思うように運ばないのだ。たとえ善意からのことであっても、誤解される。村娘にナンパしたって痴漢と間違えられる。賭場では大金を巻き上げられる。子供を助けたところが賭場荒らしにされてしまう。悪徳商人を懲らしめるはずが相手を間違えてお門違いのゆすり、たかりをやらかす。やることなすこと大騒動が持ち上がり、それがますます誤解を生み、悪循環が大きくなっていく。
熊太郎がなぜ同村の農民を多数惨殺し破滅するにいたったのか。町田は独白スタイルで熊太郎自身の内心にある矛盾だらけの思念を徹底的に解析していく。
灰神楽三太郎、森の石松、八尾の浅吉と共通項の多い熊太郎であるが、たった一つ異質な精神構造がある。それは熊太郎が「極度に思弁的、思索的」なのだ。具体的行動の基にある自分の複雑な思念はレベルの低い河内弁に変換できない。したがって農村共同体の構成員には理解できないのだ。熊太郎はそう思い込んでいる。そこに破滅へ向かわざるを得ない熊太郎の悲劇があると町田は理屈をつけて語る。
ただし、町田のこの理屈っぽい語りはくどすぎるのである。時代に先駆けたインテリゲンチャの悩みとでもいいたいのなら、私には奇をてらった作者の勝手な技巧の産物に思える。
ところで八尾の浅吉は熊太郎と同じ馬鹿をしてもカッコよく「古い任侠精神で弱気を助け強気をくじく」ことができた。それは村社会を離脱して別な世界で生きたからやれたことだ。人を殺すことだってやっている、次郎長一家の三枚目にしても世間相場が彼らの生きかたをどこかで評価したからとにかくヒーローにしてもらえたのだ。
熊太郎には農村共同体サイドが評価するなにものも持ち合わせていなかった。にもかかわらず最後までそこにとどまった。それが悲劇だったのだ。
単純に「馬鹿は死ななきゃ直らない」というお話である。

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紙の本

表現のすべを持たない表現者

2005/05/19 14:11

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:吉野桃花 - この投稿者のレビュー一覧を見る

河内十人切りをモチーフに、人の内面、内省に言及した物語である。
熊太郎は常々「俺は自分の本当の気持ちを人に上手く話せない」「自分の言葉は人に通じていない」と感じている。それもそのはずで「ええ天気やねえ」とか当たり前のことを話すのはばかばかしいと思っており、かっこ悪いと思っている。しかし実際そういうしょうもないことで人はコミュニケーションを図っているのだ。「私はこの件をこのように考えておるのですが、あんたさんはどう思いまふ」などと急に言い出しては、相手はポカンとするばかりだろう。
それは熊太郎もわかっているので、こう話しかけたら相手はこう返事して、なんてシミュレーションするのだけど、相手が想定どおりに答えるわけもなく、しどろもどろの変な人になってしまうのである。
早い話が自意識過剰なわけだ。私、この熊太郎の感覚すごーく思いあたる。私、子供のときこんなやった気がする。
例えば、道で知っている大人に会って「どこ行くん?」と聞かれたら、「ちょっと」とか言っておけばいいのに、くどくどと「えーっとお母さんに頼まれてこれを誰それさんのとこに持って行って、それから・・・」と必死に説明していて、私がどこ行こうと関係ないやん、うるさい、と思っていた。
母に「そんなん真面目に返事せんでいいんよ。挨拶やき。向こうも本気で聞きよるわけじゃねえし」と言われ、ふーんと思ったが、なら「おはよう」とか「こんにちは」だけでいいじゃないか、意味がわからない。
田舎の町はそのようなことだらけで、その意味は?などと考えてしまうとバカを見るというか、大して意味なんてないので、結局どうなるかというと、あいつらアホやで、となってしまうのである。
周りからみたら、みんなが何の疑問も持たずにすっとやっていることを、くどくど考えて「それはおかしいのでは?」とか思っているほうがアホだ。
お互いどうしても通じることができない。
最近知ったが、私が子供の頃、父が友人にふっと「うちのねえちゃんは難しい」とこぼしたことがあるらしい。
私は今でもちょっと偏屈なところがあるけど、まあ年を取るにつれてごまかし方を覚えたし、本を読んだり物を書いたりすることで、くどくど考える部分を発散している。
熊太郎はその発散の矛先が殺人に向いてしまったわけだけど、この本を読んでいると身につまされすぎて、うーん私も紙一重だったのかも、とちょっとぞっとした。
河内弁が楽しくてかなり笑えるのだけど(町田康のユーモアはすごい!)、読後全体を振り返るとやはりどしーんとくる重さがある。
私だけじゃなくて、けっこう思い当たるところがある人、多いのではないだろうか。
だって日常の話し言葉って便利だけど、本心というか自分の芯の考えと、人に伝わっているものって、その乖離の程は千差万別としても、必ず乖離しているものだ。
その乖離があるから、人は表現するのだろう。表現されたものを見たいと思うのだろう。
仕事にしているいないは別として、表現に関わる人にぜひおすすめです。

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紙の本

21世紀の言文一致体…挿絵がないのが残念!

2005/05/21 02:57

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ほどほどの自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る

これは二葉亭四迷が『浮雲』で言文一致体を創造したのに匹敵するほどの野心作だ、てなことを中条省平が朝日新聞の書評に書いていた。似たようなことを書くのも癪だが、実際その通りだから仕方がない。これは21世紀の言文一致体である。文芸というより話芸。評者の頭の中では、地の文を読んでいる間でさえも、ベタベタの大阪弁の発声法からして標準語とは異なるアクセント・イントネーションが響いていた(それも何故か月亭八方の声である!)。さらに、会話文はほぼ完璧な音写に近い。評者の地元は北摂だから河内弁とはちょっと違うが、17年前に死んだばあちゃんもこんな喋り方だった。「わてくわいねんがな」てな具合(ちなみに、私は恐ろしいのです、の意)。
町田は主人公・熊太郎のフルスピードで暴走する思考を逐一書き綴る。最後に(0.1秒)とか書いてあったらまるで江川達也『東京大学物語』の村上直樹である。そしてその合間にしょうもないギャグを混ぜ込む。「〜して来たのだ。北野田。」とあれば、「そら堺や」とツッコまずにはいられない。いきなり中原中也の詩の一節が出てくれば、「そら大分と時代が後やがな」とツッコんでしまう。また、熊太郎の感情が昂ぶった際の幻覚がえらくリアルに視覚的である。林の中を疾駆する何百もの酢醤油の小瓶とか、神社の前を白く輝く三角形が乱舞するとか、走り回る臼を次々に斬り捨てる二尺六寸の白い光とか、CG動画が頭の中でロードしそうである。つまり、この小説を読むには視覚・聴覚・条件反射的ツッコミを総動員して(させられて)しまうのである。これこそがパンクのノリなのだろう。「極めて思弁的」な人間を主人公に据えつつ、どえらく肉体派なのだ。
だからこそ惜しいのは、新聞連載時の挿絵が一切収録されていないことだ。評者としてはこれだけで減点20点、☆ひとつ分の減点である。畑中純の手に成る版画(ちなみに連載時には題字もそうだった)は、漫画のそれよりも太くゴツゴツした描線で、汗でむせ返る肉体のような、あるいは湯気の立つウンコのような、生命そのもの如き卑俗なパワーを発散していた。それはまるで、内面と行動が直線的に連結した「思考だだ漏れ」の、土着の日常を呼吸して生きる肉体の圧倒的な迫力、土俗性の哄笑である。そしてまた、どれほど屈辱的な状況であっても盆踊りの音頭のリズムとビートで高揚してしまう、身体の度し難さでもある。かような肉体性を感じさせる挿絵があってこそ、熊太郎が抱え込んでしまった近代の病—自意識—の哀しさ・滑稽さがいっそう際立ったのではないか。新聞連載は途中でいきなり終わってしまったが、最後にますます孤独を深めていくのに自暴自棄にもなりきれない熊太郎を、畑中純ならどのように表現しただろうか。
これはなんとしても、読売新聞社主催で原画展をやってもらわねばなるまい。
こらおっさん、わあっとんかぼけ。いっぺんいてもたろか。

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紙の本

思考と言葉の深い溝

2005/06/15 13:08

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る

初めて本書を手にした時、「人はなぜ人を殺すのか」という帯の文句が印象的だった。
「河内十人斬り」という実際にあった事件に想を得て、主人公の熊太郎がいかにして猟奇的殺人に走ったかを深く追究した小説だ。
主人公の熊太郎は、傍から見たらバカでヤクザで働きもしないで博打にかまけるうつけ者でしかも凶暴で、「あの人が人を殺すなんて信じられません」とは決して言われないような男だ。
が、熊太郎の内なる声を知っている読者には、彼が簡単に殺人を犯すような人間ではないということが分かっている。
熊太郎が、周囲の者にどうしようもない愚か者だと思われてしまうのは、彼が人の何倍も深く考える頭を持っているからであり、矛盾を抱えたまま生きていけない純粋さを持った人間だからである。
無論、町田康の小説であるから大いに笑えることには間違いないのだが、全編を通じて、熊太郎のもつ底知れぬ深い悲しみが感じられて仕方なった。
彼の悲しみとは、自分の言葉がけっして思ったとおり相手には伝わらないと知っている者の悲しみだ。
一歩間違えれば誰しもこの深い穴に嵌まってしまう恐れがある。
熊太郎が落ちた蛇穴のように。
おほんおほほんと笑いながらも感じていた虚無感は、読み終わって数日経ってもなお胸に残る。

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紙の本

あかんではないか

2005/08/07 03:51

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:hisao - この投稿者のレビュー一覧を見る

“イヤコラセー、ドッコイセー”
明治26年2人のやくざ者が恋の恨み、金の恨みを晴らさんがために10人斬った挙げ句、金剛山に立てこもり自決した事件、今なお演じられる河内音頭のスタンダードナンバー“河内10人斬り”をミュージシャンであり詩人、平成の文体マジシャン、町田康が又もや激しく唱い上げます。
爆笑また爆笑、“町田節”が炸裂する。
主人公河内国水分の百姓の長男にしてやくざ者“熊太郎”は正味馬鹿である。
ベストセラー“バカの壁”で養老孟司氏は“環境に適応出来ない人間は馬鹿”と言いましたが、その意味で“どあほ”である。
思弁と言葉が一致せず、人と対話出来ない暗闇の中で、社会の埒外の荒野で苦しくて辛いけれど何とか社会と折り合いをつけようと生きて来た“熊太郎”
頑として立ち塞がる嘘で塗り込められた“大人”の世界。
30面さげて大人はみな庇護者だと信じていた無垢な餓鬼に絶望が襲う。
“熊太郎は、何度も何度も、俺はなんたらあほであったか。と思った”
発狂しそうな痛みの中で熊太郎は滅亡への“定め”をひた走る。
自決の際の“あかんかった”の一言が限りなく悲しい。
私は60面さげて居ますが、思いっきり解ってしまうのですね。
思弁の陥穽、もどかしい対話。身につまされる“あほさ加減”が恐ろしい。
“あかんではないか”
町田さんの小説はいつも可笑しくって恐ろしくて悲しくて。
欲を言えば700ページ、学術書のようなボリュームはいかがなものか。

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音楽と文学の融合

2009/06/05 22:20

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る

告白 町田康 中央公論新社

 舞台は鎌倉時代が終わり、南北朝時代が始まる頃、楠正成(くすのきまさしげ)の地、大阪と奈良の境にある金剛山あたりで、時代は明治の10年代から20年代、主人公である大量殺人事件の加害者である城戸熊太郎(きど)と谷弥五郎、被害者は松永熊次郎一族となっています。実際にあった事件が素材になっています。
 楠正成氏は、ずいぶん昔にNHK大河ドラマ「足利尊氏」で武田鉄矢氏が演じたものを見ました。足利尊氏が楠正成になぜ勝ち目のない戦(いくさ)をするのかと質問します。楠正成は、勝ち目があるからする、ないからしないというものではなく、ひたすら一族を守るために戦うのが戦(いくさ)だと返答します。そして、楠正成は最後に足利尊氏と勝ち目の無い戦をして命を落としていきます。その楠正成とこの物語の主人公、城戸熊太郎の個性が同一なものとして設定してあります。
 文章表現は独特です。明治時代の出来事なのに現代劇のようです。背景に音楽が流れています。講談のようでもあります。底辺社会のどうにもならない貧困生活とか、恨みを晴らすとか、ラスト近くでは胸がスカッとする瞬間もあります。がまんしてがまんして、それでも耐え切れなくなって、相手を攻撃する「殺人」を肯定するような気持ちになることが怖い。700ページにおよぶ分量なのに筆記の乱れがありません。
 熊太郎は少年期に殺人をしたことを秘密にしながら、そのことを負担に感じつつ成人になっていきます。その殺人の真相は最後まで語られません。幻想であって事実ではなかったようです。宗教的な部分もあります。
 度胸がつく物語です。中盤部分は駆け引きが多い。森の小鬼は誰だったのか。神や仏の使いだったと受け取るしかないのか。労働以外で得たあぶく銭は残らない。爆発的な殺人力は、相手を「憎む」ことで生まれてくる。人間は仕返しをする生き物である。それをあだ討ちと称して賞賛する部分もある。事件勃発前に加害者谷弥五郎が妹に最後の別れを告げる場面があります。わたしはその場面が好きです。
 ドラマ、映画「必殺仕置き人」を思い出しました。その内容を支持する人たちがたくさんいます。
 ラストシーン近くに奈良県東大寺二月堂を参拝した城戸熊太郎と大仏を拝んだ谷弥五郎の記述があります。午前10時にこの本を自宅で読み終えたわたしは、同日の午後6時半に東大寺二月堂でお水取りの儀式を見学しました。次回は、同名の小説「告白」湊かなえ著を読んでみます。

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2005/04/06 03:36

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2006/02/19 07:05

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2005/04/25 21:18

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