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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2005.2
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/317p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-425307-3
紙の本
何があっても大丈夫
著者 櫻井 よしこ (著)
帰らない父。けれども、私には強く優しい母がいた…。ベトナム、日本、ハワイを舞台に、出生からニュースキャスターになるまでの劇的な半生をつづった待望の自伝。『波』連載に書下ろ...
何があっても大丈夫
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商品説明
帰らない父。けれども、私には強く優しい母がいた…。ベトナム、日本、ハワイを舞台に、出生からニュースキャスターになるまでの劇的な半生をつづった待望の自伝。『波』連載に書下ろしを加え単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
櫻井 よしこ
- 略歴
- 〈櫻井よしこ〉1945年ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業。日本テレビニュースキャスター等を経て、現在、フリー・ジャーナリスト。「日本の危機」などで第46回菊池寛賞を受賞。
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紙の本
孟母三遷
2005/07/11 09:39
20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:カワイルカ - この投稿者のレビュー一覧を見る
櫻井よしこはなんとなく気になる人だった。他の女性キャスターとは雰囲気が違うなあと思いながら『今日の出来事』を見ていたのだが、この本を読んでその理由がよくわかった。
カバーの経歴を見ると、敗戦直後のベトナムで生まれと書いてある。父親は全財産を失い、家族は着の身着のままで外地からの引き揚げている。それだけでも大変なのだが、引き揚げて来てしばらくすると、父親は家を出ていってしまう。しかし、写真を見ると、母子家庭とか片親という言葉から連想される暗さがないだけでなく、むしろ育ちの良さを感じさせる。
母親は新潟県の山間の村に生まれたのだが、広い世界を見たいと思い、自分で織った着物を売って上京し、美容師になった当時としては型破りな女性である。常に前向きで「何があっても大丈夫」と子供たちを励まし続ける。著者に涙を見せるのは、別居している父親のせいで兄がぐれてしまったときだけだ。だが、そのときも、「モーボサンセン(孟母三遷)」とつぶやき、環境を変えるためにすぐに実家に引っ越す決断をする。自然豊かな環境の中で兄は元に戻るが、今度は子供の教育を考えて長岡市に引っ越す。学歴はないが、常に先のことを考えている聡明な母親なのだ。
著者の生き方もつくづく母親と似ているなあと思う。高校一年のときに、教え方が気に入らないと英語の教師に文句を言いに行くところはかなり型破りだし、大学へ入るために父のいるハワイに行く行動力もある。ジャーナリストになってからもそれは変わらない。『今日の出来事』のキャスターとして成功を収めるが、言論活動に専念したいという理由であっさりとやめてしまう。どこまでも自分に忠実な人なのだ。
面白いだけでなく、いろいろ学ぶところの多い本だった。子供のいる人は子育ての参考になるだろう。90歳を過ぎた今もなお向上心を持ち続ける著者の母親、そしてその教えを意識的、無意識的に実践した著者の生き方は感動的である。
Dolphin Kick 2005
紙の本
なぜこれほどに母は前向きの姿勢を貫ぬくことができたのか
2005/03/13 17:33
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:k-kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
半生記とのことで恋の遍歴もかいま見える。しかし、この本の主役は櫻井よしこ、の母である。戦後、父との別居という思いがけない人生の展開に直面し、子ども2人を抱えて混乱期を生き抜く。母は幾度となく自らにも子どもたちにも言い続けたそうだ。
「何があっても大丈夫。だから自信をもって進みなさい」。なぜこれほどに、前向きの姿勢を貫ぬくことができたのか。
そう言い続けなければ自分自身をも支え兼ねるときがあったのだろう、と著者は振り返る。「寂しい想いに沈み込みそうになったら、未来への夢を膨らませなさい。寂しさを、未来の可能性につなげてくれるのが、大きな夢ですよ。人間は前向きになってさえいれば、本当に何があっても大丈夫なのですから」
櫻井よしこのジャーナリストへの道は思いがけないチャンスから開ける。ハワイの大学を卒業し日本に帰ってくる。進路をどうするかを迷っているとき偶然にも、米国の『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙の東京支局長エリザベス・ポンド氏に紹介された。日本に赴任したばかりのポンドさんが助手を探していたのだ。
彼女の助手として働いたことが、報道や取材の貴重な実地訓練となった。取材に同行し通訳を務めることで、質問や問題点の指摘の仕方をはじめとして、物事をどのように見たらよいのか、ということまで現場を通して教えてもらったのだ。
まずいことをしたときにはピシッと指摘され、ときにはひどく叱責されたそうだ。あるとき、発言の場所を間違えて伝えてしまい、それがそのまま記事になってしまった。
「なぜ、こんな基本的な情報で間違うの? 都市の名前も正確に伝えられないようでは、私の記事は誰にも信用されない。誰がどこで何を……というのは基本です! こんな間違いは決して受け容れられない。許さない!」
彼女の怒りは、助手を教育しようなどという生半可なものではなく、プロのジャーナリストとして本気で怒ったものだった。報道において、小さな事実の正確さがどれ程重要視されるかを痛感したのだった。
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