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紙の本
ねじの回転 心霊小説傑作選 (創元推理文庫)
著者 ヘンリー・ジェイムズ (著),南條 竹則 (訳),坂本 あおい (訳)
クリスマス・イヴに古屋敷の炉辺を囲んで幽霊話に興じたのち、やがてひとりの男が口を開いた。彼の妹の家庭教師である女性から受け取った書簡に記されていた二人の子供の住む館にまつ...
ねじの回転 心霊小説傑作選 (創元推理文庫)
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商品説明
クリスマス・イヴに古屋敷の炉辺を囲んで幽霊話に興じたのち、やがてひとりの男が口を開いた。彼の妹の家庭教師である女性から受け取った書簡に記されていた二人の子供の住む館にまつわる逸話は、あまりの恐ろしさゆえ、四十年もの間、男の他に誰も聞いたことがないという――難解な文章と曖昧な描写からだまし絵にも喩えられる古典怪奇小説の傑作に、怪奇譚4篇を付して贈る。【本の内容】
収録作品一覧
ねじの回転 | 7-200 | |
---|---|---|
古衣装の物語 | 201-229 | |
幽霊貸家 | 231-281 |
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紙の本
退屈などしてはいられない
2023/04/28 21:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:マーブル - この投稿者のレビュー一覧を見る
古色蒼然たる屋敷。屋敷を引き立てるのどかな風景。行儀が良く、才能溢れる子どもたちは、美しく、上品で、魅力的な兄妹。こんな二人が自分を頼ってくれるなんて。上流階級に憧れる貧しき家庭教師が出会うべくして出会った怨念なのか。憧れるあまりの妄執が作り出した幻影なのか。あるいは手記自体が妄想の結果なのか。それを皆に語る男は一体誰なのだ。読者の気持ちをしっかりと縛り上げ、締め付け離さない。それでいて、最後には真っ暗闇の中空に投げ出してしまう。これはどういうことだ。幾通りもの解釈が思い浮かび、退屈などしてはいられない。
紙の本
古い衣装箱から立ち昇るかすかなカビ臭とトワレの香りと——古式ゆかしい小説世界に封じ込められた永遠に解けない謎の魅力。
2005/05/23 20:51
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ねじの回転』の新訳は2年前、岩波文庫で出たばかり。「心霊小説傑作選」というくくりは非常に面白いものだが、それにしてもこんな地味な企画が今さらよく出るものだな…と感心していた。帯や扉の惹起文句を読んで少し納得。スティーブン・キングが『ねじの回転』を「この百年間に世に出た怪奇小説の傑作」と賞賛したとのこと。しかし、これにはとても意外な印象があった。
同じ超自然的存在を書くにしても、キング作品では禍々しさが強烈で人間に与える打撃がはっきりしている。静まった夜中に読んでいて、ガタンという音など聞こえようものなら血の凍りつく思いをする。圧倒的な恐怖を保証するホラーだ。一方、ジェイムズの描く超自然的存在は、人間の意識がねじれたところ、いわば現実から連なる位相に存在する、あるいは存在するかのように見える「おとなしい」存在であるから…。
1843年新大陸のニューヨークに生まれ、1916年旧大陸の英国に没したヘンリー・ジェイムズは、心霊主義や降霊術ブームのさなか…というより流行を牽引していくところにいたわけだが、それとは離れた偉大なる文学成果『ある婦人の肖像』で作中人物に面白いことを言わせている。
米国からの美しい女性訪問客が「幽霊を見せてくださらなくては」と言うのに対し、「……あなたのように若く、幸せで、無垢な人は幽霊を見ることはできません。まず苦悩する、それも激しい苦悩を味わい、悲惨な知識を身につける、ということをしてからでないと幽霊は見えないのです。そういう体験の後なら、自然に見えてくるのです。……」(行方昭夫・訳『ある婦人の肖像(上)』87P)
上の返答は、さらっと読めてしまうもので「そうか。人生経験を重ねないと幽霊は見えないのね」と危うく素通りしてしまう。そのように用心深さがない場合、小説を読む楽しさが減ってしまうのがジェイムズという作家の領分なのである、きっと。
ここで作者は「幽霊がいるのかいないか」ということには触れていない。「幽霊はいる。苦悩すれば、それが見える能力を獲得できる」「幽霊はいる。苦悩がそれを呼び寄せる」と言っているのか、「幽霊はいない。苦悩を経た人間が幻覚としてそれを見る」と言っているのか、いくつかの解釈ができる。そのように書き進めるのがジェイムズの文体であり、難渋という定評はそういう意味であろう。
本来的な「難渋」「難解」という意味ではない。解釈の多重性を有難く受け止め、自分の解釈で組み立てる可塑の余地を残す自由論的作品だと考えるのが1つの楽しみ方だ。作者の提供する解答が1つだけのパズルのように、決定論的な制限のある作品ではない。それを積極評価できない向きには面倒臭い小説でしかない。
表題作「ねじの回転」は、屋敷付きの家庭教師の職を得た若い身空の女性が、愛らしい子どもたちに取り憑く霊たちに対し、潔癖すぎるまでの正義感をもって保護し闘おうという話…と1つの解釈として粗筋を説明できる。霊はいるのかいないのかと考えるのも一興だが、女性教師の偏執的なまでの義侠心が狂気を帯びていく感じにも読めるのが面白い。
この話が彼女の手記として書かれているわけだが、書くに至るまでに彼女の精神状態がどう変化したかを想像し、結末のつづきを推察する楽しみが読後に残される。「なーるほど」という種明かしを求める向きには、肩透かし的に取れてしまう結びだろう。
特異な関係にある父娘ゆえの「幽霊貸家」——どこかユーモラスにも読めるこの話を、過去に近親相姦の悲劇があった話と読む私という読者は妄想が強すぎるのか。
意識の流れとたわむれたい読み手にこそ、流れの先のねじれで、ジェイムズの心霊はおとなしく待っている気はするのだが…。
紙の本
霊の存在を通じて共感する心
2006/02/11 00:58
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
有名な「ねじの回転」を含む、作者の幽霊譚5編を集めた一種の企画もの。こういう観点で作者を見ることが適切かどうかは置いといて、面白い試みではある。年代順にそれなりの変遷があるらしく、1868年の「古衣装の物語」は開拓時代アメリカの淡々とした因果もので、怖いけどカラっと乾いた、同時代のアンブローズ・ビアスの作品を思わせる。それが徐々に死者よりは生者側の心理に重点を移し、1898年の「ねじの回転」になると幽霊はただの素材で人間社会の方が主役とも思えるようになる。
「ねじの回転」の解釈については百家争鳴らしいのであまり立ち入らないようにしたいけど、外形をなぞると、自立を求めて1人ロンドンに出て来た20歳の女性が、住み込みの家庭教師となった先で、子供たちに取り憑く幽霊に悩まされるという話。
希望も不安もロマンスへの憧れも抱いたこの女性が、両親を亡くして叔父の家に預けられた二人の子供たちの面倒を見るのだが、やはり現代の目からはやることなすこと危なっかしい。無論これが当時では普通の一人前の行動だったのだろうが、心理的にも肉体的にも不安定な状態と言っていいだろう。そしてつたない常識や因習や年齢相応のプライドに基づいて行動し、過す中で、彼女は死者の姿を見ることになる。
幽霊は少なくとも見た人の脳内には存在するのだから、ではなぜそれを見るに至ったか、見ることでどう変わって行くのか、というのは重大な文学的関心事として成り立ちうるだろう。現代においても占いや霊能力といったものを信じ、あるいは頼ろうとする人達がたくさんいて、またそれを推奨(産業化)するような社会的な仕組みが存在するのだから、むしろすこぶる現代的なテーマなのだ。しかもそういう心的フレームと、物質的な世界の動きの乖離が大きくなっていることを考えれば、この当時より一層深刻であるとさえ言えるかもしれない。
物語に癒しや感動を求めるという観点からすると、やや突き放すようなきらいもあるが、おそらくこの主人公の心の動きに共感する人は多いと思うし、文字通り「天使のよう」な可愛らしい子供たちの心情には胸を打たれるのではないだろうか。