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商品説明
7つの場所の物語。日常の隙間に潜む闇。その存在に気づいたとき、狂気とエロスが私を包む…。「場所と存在」その間を彷徨う、私的連作短篇小説集。『文藝別冊』『新潮』『群像』掲載に書き下ろしを加えて単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
ブラックサテン | 5-30 | |
---|---|---|
交響 | 31-62 | |
砂浜に雨が降る | 63-98 |
著者紹介
青山 真治
- 略歴
- 〈青山真治〉1964年福岡県生まれ。映画監督、作家。「ユリイカ」で第53回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞等を受賞。作家としても、小説「ユリイカ」でデビュー。「月の砂漠」で三島賞を受賞。
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紙の本
畏怖と抵抗の間
2005/05/13 01:26
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:南波克行 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「グランド・ホテル形式」という言葉がある。これは、次々と登場する人物たちが、ひとつのホテルを舞台に、多くのエピソードを積み重ねて全体を構成する映画スタイルで、1933年の名作『グランド・ホテル』から来たものだ。そして今日まで様々な映画作家が、ホテルを舞台に作品を作ってきた。それほど、ホテルと映画は親和性が高い。
そのせいとは言わないが、映画作家でもある青山真治が、その連作短編集を著すにあたって、ホテルに舞台を設定したことは不思議ではない。ホテルは孤独になり、だから自慰を施し、人と会い、だから性交し、食べ、語り、そして眠ることができる。それらが一過性の時間であるが故に、日常とは違う思考を編み出す空間でもある。だから、言葉が沸いて出る。そのため、ホテルは小説との相性もとてもいい。
まるであふれ出てきた言葉の連鎖のようなこの本は、キーボードではなく、まるで昔ながらの万年筆でごりごりと書かれたかのような印象を与える。明らかに作者本人である「私」自身や他者の、ホテルでの出来事や想念(情念)、または他人との関わりあいを綴った、その内容から感じられる、いらだちの深さと強さがそう思わせるのだが、それによって、作者は創作者として何かに必死に抗おうとしているかのようだ。その何かとは、先行する巨人たちの仕事であり、彼らに対して、自ら映画を撮り、小説を書く者として、断じて屈するまい、絶対に挫折するまいと、堅く決意しているように思えるのである。
その巨人とは、第4編の「Radio Hawaii」で、作者が太字で「あの人」としか書けぬ人物である。なんだか、その名前をひとたび書きつけてしまったら、その瞬間作者は「あの人」にひれ伏してしまいかねない切迫感が漂っている。
執拗に書かれたその「あの人」は、第1編の「ブラックサテン」ではっきり「中上健次」と記されており、その作品発表年代が、ゴダールやマイルス・デイビスのそれと対照される。作者にとっては、この3人が「しまいにはただ独り不可避的に宇宙へ舞い上がる」偶像なのだ。そして「Radio Hawaii」ではブライアン・ウィルソンが言及される。呪詛か何かのように、ウィルソンに関する考察を書き綴り、しまいに「ずっとナンバーワンでいるってどんな気分だい?」といささか自虐的に語りかけるが、そうした先行する創作者たちに対する過酷な精神的抑圧が、本書の全編に漲っている。
そして、そのような巨人たちが巨人であるために支払った代償の高さを熟知する青山は、彼らと対等たるべく同等の孤独を求めつつも、それとは相反するかのような面ものぞかせる。たとえば第2編「交響」で、わずかなセンチメンタリズムとともに、自らの結婚に関する心情を告白する。そこでは「誰かと「秘密」を育み、共有したかった」と言う。
そして第6編「地上にひとつの場所を!」。どこがとは言えないが、なぜかアンゲロプロスの『ユリシーズの瞳』を思わせるこの名編では、韓国に赴いた作者が、奇妙なフィルムを見せられたあと、「あなたはひとりではない。わかりますね」と諭される。
決して大きな本ではないのに、本書の読後はまるで大作を読み上げたかのように大きな疲労におそわれる。創作に携わる人間はかくも大きな抑圧の下に、作品を産み出しているのか。抑圧と開放、孤独と関係性を同時に求める青山の、分裂的な意思は、「地上にひとつの場所を!」の次の一文に集約される。
「・・・私が獲得した唯一の価値基準は、好きか嫌いか、ではなく全てか無か、というより全てと無の両方を同時に手にすること、にあらゆる判断を集中させること、だった」
青山真治は世界と「断絶」しつつ、しかもその全体像把握のために、今もその方法を模索し続けているのである。中上やゴダールらがそうであるように。