- カテゴリ:一般
- 発行年月:2005.4
- 出版社: 紀伊國屋書店
- サイズ:20cm/632p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-314-00978-0
- 国内送料無料
紙の本
神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡
3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった! 右脳に囁きかける神々の声はどこに消えたのか? 豊富な文献と古代遺跡の分析から、意識の誕生をめぐる壮大な仮説を提唱する。...
神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡
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商品説明
3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった! 右脳に囁きかける神々の声はどこに消えたのか? 豊富な文献と古代遺跡の分析から、意識の誕生をめぐる壮大な仮説を提唱する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ジュリアン・ジェインズ
- 略歴
- 〈ジェインズ〉1920〜97年。イェール大学で修士・博士号取得。プリンストン大学心理学教授。米国内外の多数の大学で、哲学、英語学、考古学などの客員講師も歴任した。
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紙の本
「イーリアス」でアキレウスやヘクトルに神々が助言をしたり命令をしたりしたのは「事実」だったのだ……
2005/12/10 09:16
12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
2年前の6月,デンマークのトール・ノーレットランダーシュというヒトが書いた「ユーザーイリュージョン 意識という幻想」という本を読んだ(この本もめちゃ面白い本,お勧めである)。その本で著者のノーレットランダーシュはこのジェインズの本のことを書き,その「3、000年前の人類は意識を持っていなかった」という説を「奇想天外に聞こえるが実はそうでもない」と支持していた。それはスゴい話だ是非モト本を読みたいもんだと探したんだが,なんとその時点でこの本の邦訳は出版されていなかったのだ(1976年の本だってのに)。
本書の「訳者あとがき」によれば,ノーレットランダーシュの本の翻訳者であった柴田さん自身もそう思ったらしい。こんな面白げなホンが未訳であると版元に打診,そんときは無視(をい)されたものの紆余曲折あってついに訳出に成功,めでたくこの素敵なホンは私の手元に届いたのである。嬉しい嬉しい。
ジェインズの論旨を乱暴に要約するとこうである。……大昔,少なくとも3、000年以上前のニンゲンには意識も『私』という概念もなかった。当時のヒトビトは神々の声に従って行動していたのだ。つまり「イーリアス」でアキレウスやヘクトルに神々が助言をしたり命令をしたりしたのは「事実」だった……。
あ,いや別にそのころは神と呼ばれる宇宙人が地球を支配していたとかいう話ではなくて,ジェインズによれば当時のニンゲンの心は二分されていたというのだ。右脳で行なわれる非言語活動はすべて「頭の中で聞こえる話し声(時には幻視を伴ったかもしれない)」をとって左脳の言語野に伝達されていた。統合失調症の患者がありもしない声(最近の俗語では「電波」か?)を聞くように,古代の人々はそのような形で自分の感情や欲求を超えた社会秩序を保っていた……。
そんなこと言ったって,と口を尖らせるのはこの本を読んでからにして欲しい(だいたいオレが言ってるんぢゃないんだから,ね)。これが受け取りようによっては天地がひっくり返りかねないような説であることはジェインズ自身が一番よく解っていて,実に周到にその論旨を積み上げている。いまその場であなたが思いついた程度の反論であれば,この本を読み進むうち氷解すること請け合いである。それにこの説,「智恵の果実を食って(「意識」を獲得したことで)神に追放される失楽園の物語」に,あつらえたように符合すると,思いません?
紙の本
「知られざる巨人」の途方もない構想
2010/09/15 20:44
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YOMUひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
出版されたとき大評判になった本であるが、相当遅ればせながら、やっと読んでみることができた。
3000年前まで人類は「意識」を持たず、神々の声に従っていたという、いわば途方もない、そして雄大な仮説は、私たちの好奇心を根底から刺激する。
「神々の声」とは一体何なのだろうか。何を根拠に著者、ジェインズはそう主張するのか。神々の声はなぜ衰退したのか、神々の声に従っていた人類は、なぜ、どのようなプロセスに従って「意識」を獲得したというのか。そして最後に、では現代にその神々の声の名残りはあるのだろうか。それによって何が解明されるのであろうか。著者は読者の意表を突くような、そしてワクワクさせるような推論を繰り広げていく。
例えば、「右脳にささやく神々の声」というが、なぜ右脳なのか。左脳に言語機能が局在している事実を前提に、脳の解剖学的な知見を踏まえて、右脳に幻聴を聴く機能を推論していくくだりは特にスリリングで、エキサイティングであった、
何といっても本書の圧巻は、神々の声が徐々に衰退し、やがてそれに代わって「意識」が表れてくる過渡期の記述であろう。神々の時代と意識の時代の対比がことのほか劇的だからである。特に評者にとって、神が玉座についているハムラビ王の石彫と、その約1000年後のアッシリア王の神の玉座が空席である石彫を対比して、神々の声の存在とその衰退を論証する部分は、余りにも鮮やかであった。
さらに完成に多年を要した『イーリアス』における単語の意味の変遷から意識の誕生をさぐるため、具体的で身体的なものを表す単語が、後に精神的な意味を表すようになっていくという考証は綿密で説得力がある。
紀元前20~10世紀の古代において、互いに関連がなかった散発的な事跡や記録が著者の壮大な仮説のピースとして見事に組み立てられ、関連付けられていく手際に読者は感嘆せざるを得ないであろう。
紙の本
「アブダクション」の面白さ
2005/09/17 14:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
四か月かけて読んだ。最初の興奮はしだいに薄れていったけれど、一字一句おろそかにせずに、それでいて自由気儘に、連想、空想、妄想の類の跳梁を楽しみながら読み続けた。実に面白い書物だった。仮説形成による推論(C・S・パースの「アブダクション」)の醍醐味を存分に味わった。
「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分[右利きの人にとっては右脳]と、それに従う「人間」と呼ばれる部分[同じく左脳]に二分されていた」。そして「どちらの部分も意識されなかった」。なぜなら意識は約三千年前、言語表現の比喩機能(投影連想)によって生成されたからだ。すなわち、意識は生物学的進化によって生まれたのではない。それは言語に基づいている。意識は幻聴(右脳がささやく神々の声を左脳が聴く)に基づく「二分心」(bicameral mind =直訳すれば「二院制の心」)の精神構造の衰弱とともに、ほぼ三千年前に誕生した。
本書第一部で提示されるこの仮説の論拠は、『イーリアス』の登場人物たちには主観的な意識も心も魂も意思もなかったことと、側頭葉損傷による癲癇患者を対象としたペンフィールドらの実験結果にある。論証はけっして緻密ではない。にもかかわらず、第二部、第三部と物語的感興に富んだ叙述を読み進めていくうち、「二分心」の仮説に説得されてしまう。神の内在と超越。今後「神」という語彙が使われた文章を読むたび、この本を想起することになるのではないか。
以下は、若干の補遺。本書と同時に読んだ古東哲明さんの『現代思想としてのギリシア哲学』第四章に出てくるシャーマンとしてのソクラテス、ダイモーン的人間としてのソクラテスはほとんど「二分心」の精神構造をもったミケーネ人(『イーリアス』の英雄)と同等だ。また、古代ギリシャ哲学が「神の死」(ギリシャ神話は神の殺害のおとぎ話である)の後の精神状況(死んだ神にかわる新しい至高性の希求)から生まれたとする古東哲明の議論とつながる。
『神々の沈黙』の第一部を読んでいて、信原幸弘『考える脳・考えない脳』を想起した。信原さんはそこで、脳は「構文論的構造を欠くニューロン群の興奮パターンの変形装置」であって「そのような変形をつうじて、外部の環境のなかに外的表象を作り出し、それを操作することもできる」、つまり「構文論的構造をもつ表象の操作としての思考は、この[脳と身体と環境からなる]大きなシステム全体によって産み出される」と結論づけていた。
そもそも意識は脳の中にはない。意識を紡ぎ出すのは脳の機能かもしれないけれど、少なくとも脳の中に意識はない。言葉は脳から出力されるが、出力され記録された言葉は脳の外にある。そして、意識は言葉にスーパービーンする。──上野修さんが『スピノザの世界』で書いている。「一般に、下位レベルでの物質諸部分が協同してある種の自律的なパターンを局所に実現しているとき、その上に(現代風に言うなら)上位の個物ないし個体特性がスーパービーン(併発)している。」