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紙の本
自分との勝負としての芸術行為: 岡本太郎の人生論
2009/11/17 21:09
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反射鏡 - この投稿者のレビュー一覧を見る
芸術は自分との勝負だ。
私たちは、自然な傾向として、何かの型にあてはまろうとし、何かに所属しようとし、権威を後ろ盾にしようとする。どういう流派に所属しているかとか、どういう先生に教えを受けたかとか、どういう学校を卒業したかとか、どういう先祖をもつかとか、そういうことに自分のアイデンティティを見出そうとするときがある。集団の一員というアイデンティティを保持するためには、その集団のルールや形式、習慣を守らねばならず、それは時には面倒なことでもあるが、面倒でも続けているのは、居心地のよさがあるからかもしれない。
岡本太郎にとって、私たちのこの傾向は、物事に直に向き合う目を曇らせるものである。私たちはこの曇りをとりはらい、何物にもとらわれず、自分の目で物事を批評できなくてはならない。これは私たちにとって、自分との闘いであり、岡本太郎はこの闘いにおいて強い人間であった。私たちが所属する日本的という形式、伝統という習慣にとらわれず、自分の価値観で創作をし、自分の価値観で批評し、自分の価値観で生きることが大切である。
矛盾した言い方になるが、私たちが「自由」になるためには、物事にとらわれないように、自分を抑制しなくてはならない。禁欲的になってはじめて、「自由」を手に入れることができるのである。禁欲的に生きることと自由に生きることは、ここでは両立する。自由な立場から、今まであまり気付かれなかったもの、注目されなかったもの、当たり前と思われていたものに潜んでいる価値を見出すこと、それが岡本太郎にとっての芸術行為である。
岡本太郎の芸術論はそのまま人生論になる。この芸術・人生論が、第一章「伝統とは創造である」、第二章「縄文土器」、第三章「光琳」で述べられている。第四章「中世の庭」では、このような芸術・人生論をもつ岡本太郎の視点から見える庭園の姿が描かれている。(第五章は、後記やあとがきのような意味合いの章である。)
私たち全員が美術館に並ぶような芸術作品を作る必要はないが、物事を自分の価値観で捉え、自分の価値観で意見をもつことは大切ではないだろうか。それは、他人より勝るためではない。あくまでも自分との勝負なのである。
紙の本
温故知新じゃなくて
2006/06/29 00:49
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、鬼才岡本太郎が、日本の伝統芸術に、既存の価値観を超えて評論した良書である。岡本太郎は、日本の芸術の原点を、縄文土器の中に見、尾方光琳の屏風絵に見、そして庭園の中に見る。尾方光琳の屏風絵と庭園は、分かるにしても、縄文土器に対する見方は、本書が書かれるまでの常識とは、全く異なる見方である。縄文土器のその模様の特異性から、これは日本人とは別の祖先のものという見方まで有ったという。それを、日本人のバイタリティは、この中にこそ潜んでいると価値を見出したのは、岡本であった。本書をきっかけに縄文文化の見方が変わったという。
本書では、伝統とは、古きを尊重するだけでなく、現代人の感覚で理解し、解釈するところに生まれると書いている。つまり、過去は、現代の解釈によって生きてくるというのである。安易な回顧主義、いわゆる伝統主義では、本当の理解では、無いと主張するのである。
本書により、日本文化の見方が変わったと同時に、伝統とは何かを改めて考えさせてくれた。