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商品説明
【桑原武夫学芸賞(第9回)】縄文地図を片手に、東京の風景が一変する散歩の革命へ! 見たこともない野生の東京が立ち上がる。ママチャリに乗った「アースダイバー式」東京散歩へ。折込アースダイビング・マップ付き。『週刊現代』連載をまとめる。【「TRC MARC」の商品解説】
縄文地図を片手に、東京の風景が一変する散歩の革命へ!見たこともない、野生の東京が立ち上がる。
だれも書かなかった東京創世記!
縄文地図を持って東京を散策すると、見慣れたはずのこの都市の相貌が一変していくように感じられるから不思議だった。どうして渋谷や秋葉原はこんなにラジカルな人間性の変容を許容するような街に成長してしまったのか、猥雑な部分を抱えながら新宿がこれほどのバランス感覚を保ちつづけていられるのはなぜか、銀座と新橋はひとつながりの場所にあるのに、それぞれが受け入れようとしている人々の欲望の性質がこんなにもちがうのはなぜか、などなど、東京に暮らしながら日頃抱きつづけてきた疑問の多くが、手製のこの地図をながめていると、するすると氷解していくように感じられるのだから、ますます不思議な思いがしたものである。――<「エピローグ」より>
<まったく新しい東京散歩へ!>
ウォーミングアップ(東京鳥瞰)/湿った土地と乾いた土地(新宿~四谷)/死と森(渋谷~明治神宮)/タナトスの塔(東京タワー)/湯と水(麻布~赤坂)/間奏曲(坂と崖下)/大学・ファッション・墓地(三田・早稲田・青山)/職人の浮島(銀座~新橋)/モダニズムから超モダニズムへ(浅草~上野~秋葉原)/東京低地の神話学(下町)/森番の天皇(皇居)
全21点アースダイビング・マップ付き
第9回桑原武夫学芸賞受賞【商品解説】
著者紹介
中沢 新一
- 略歴
- 〈中沢新一〉1950年生まれ。思想家、哲学者。「対称性人類学」で小林秀雄賞、「フィロソフィア・ヤポニカ」で伊藤整賞、「森のバロック」で読売文学賞、「哲学の東北」で斎藤緑雨賞受賞。
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紙の本
探検の書
2017/04/23 18:38
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:想井兼人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
NHKの番組、「ブラタモリ」。
タレントのタモリが日本各地を、その土地に詳しい人物とともにぶブラリとする番組。
これを視ると、普段気にもとめないところ、その土地の歴史が刻まれていることに気づかされる。
本書は、ブラタモリの先行書のようなもの。
東京をまわりながら、その土地の来歴を紐解いていく。
その方法論は、各地で誰もが、ある程度までは真似できるはず。
真似事でも十分楽しめるはずだ。
紙の本
その土地の磁場
2012/05/31 14:26
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽかぽか - この投稿者のレビュー一覧を見る
どこまで真実かはさておき、確かにその土地の磁場というものはあると思う。過去の曰くつきの土地は、今も尚独特の地場や人々の発する雰囲気を持っている場合が多いのではないか。
本書でも取り上げられている、渋谷の火葬場だったあたりが今のホテル街だというような例は、恐らく全国至るところにあるだろうし、分かりやすい場所では地名にも残っているだろう。
真実とオカルトの境界線が曖昧な気もするけれど、読み物としてはかなり面白く読めた。これをきっかけに自分の故郷の怪しいと思う場所の歴史をひもとけば、きっと何かわかると思う。
紙の本
荒俣さんじゃないんだから
2012/05/31 11:56
23人中、22人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
この人には、反省というものがないのだろうか。
宗教学は、学問ではないのか。
「チベットのモーツアルト」以来、オウム事件後になっても、オカルト趣味を学問のように語ることをやめないのは、なぜ?
科学することを拒否するのは、なぜ?
それが、彼の生き方であり、哲学ならば、もう何も言うことはない。
しかし、アカデミズムに身を置くことにしがみつくのは、やめてほしい。
このような本を、荒俣宏が出すのは許せるし、荒俣氏が書いたのなら面白いと片づけることができる。そして、これをネタに、また「帝都物語」の続きを書いてくれないかと期待もする。
かりにも学者であり、大学教授なのだから、学問をしてほしい。せめて、オカルトは趣味として、研究とは切り離すのが筋であろう。
紙の本
「3-11」の大震災であたらめて実感した、東京の地質学的な成り立ちと縄文的なもの
2011/07/23 16:42
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
今回の大震災は、当初NHKが「東北関東大震災」と命名したように、東北の太平洋岸だけでなく関東でも規模が大きく、東京湾岸の埋め立て地を中心にひどい液状化をもたらした。そして明らかになったことは、「液状化」現象が発生したのは、第二次大戦後の高度成長期の埋め立て地であり、江戸時代までの埋め立て地では液状化現象は発生していないという事実なのだ。
2005年に出版された本書『アースダイバー』は、現在の地形図に、縄文時代の地形図を重ねあわせると何が見えてくるのかと切り口から、東京の古層を探検する知の考古学であり、知的刺激に満ちたすぐれた知的読み物として東京散歩のオルタナティブなガイドブックとして受け入れられた。
この本に収録された地図は、著者が友人にたのんで作成してもらったそうだ。本文は読まなくてもこの地図をじっと眺めているだけでも、イマジネーションがかき立てられる。この地形図は、地質学でいう洪積層(こうせきそう)と沖積層(ちゅうせきそう)で色の塗り分けがされている。洪積層とは、硬い土でできている地層のこと。沖積層とは、砂地の多い地層のこと。
洪積層が地表に露出している場所は縄文時代も陸地だったところである。縄文時代の東京はリアス式海岸のようだ。地球温暖化の時代は水位が上がっていたからだ。沖積層はもともと入り組んだ湾口や河川だったところに、上流から運ばれた土砂が堆積してできた土地だ。徳川幕府が江戸に開かれて以来、そのまわりにはさらに埋め立てによって土地が拡張されたのである。沖積層の土地に展開したのが「東京下町」とその文化である。
縄文時代から存在する洪積層には、現在でも神社仏閣などの宗教施設や、知の中心である大学などが立地していることを知るとじつに興味深い。また、東京には散歩の楽しみである急坂がなぜ多いのか、遠く縄文時代を思いうかべるとその理由もおのずから明らかになる。東京には、縄文時代に形成されたフィヨルドのような複雑な入江が、坂となってそのまま痕跡として残っているわけなのだ。
中沢新一は、きわめて広い射程のもとに東京全体について「アースダイバー」を実践し、東京に露出した「縄文時代の神話的思考」をよみがえらせることに成功している。あいかわらずペダンティックな面が鼻につかなくもないが、さすが「週刊現代」に連載されたものだけに素直な文体になっていて読みやすい。
縄文の大地の息吹をもとめて、この本をガイドにして、あらためて東京を歩いてみたいと思った。
紙の本
都市伝説っぽくてもいい、なにしろ面白いのだ。ブラタモリのお供に最適な一冊。
2010/10/18 13:09
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
先日からNHK「ぶらタモリ」第二段が始まった。再スタートしたということはかなりの要望、リクエストが寄せられたのだろう。
旅番組にはおなじみのグルメにもショッピング情報にも縁がないこの番組の見所は、大都市東京の表舞台ではなく、知られざる裏スポット、隠れた魅力を発見し再発掘するところにある。
江戸時代の古地図などを手に川や坂、某かの「跡」をタモリ率いる一行がぶらぶら巡り探索するというこの番組は、昨今のパワースポット人気に後押しされて確かな支持を確立した。
本書はそんなブラタモリにうってつけの一冊である。
地底潜水、アースダイバー。著者は縄文時代に海水の下であった沖積層と、堅い土で地表に露出し続けた「乾いた土地」洪積層とで色分けした特殊な縄文時代の地図を手に東京を練り歩き、そのフィヨルドのように入り組んだ複雑な地形に現在の東京の多様性を説明する糸口を見つけている。
東京はほんの少し掘り起こすだけで縄文時代の痕跡が顔をだす。かつて岬であった突端部はそのまま神聖な「無」の空間として神社や寺という形で今に至り、自由の象徴である「大学」も神聖な王の森である皇居もまた湿った水辺に突き出した岬や高地に構えている。かつて貝塚や墳墓といった埋葬地が数多くあったその場所に。
そしてそれとは真逆に、沖積層(海水の下)で縄文期を過ごした湿った低地には「下町」があり常に自然の驚異にさらされ耐えぬいて来たもう一つの文化が今も残っている。
交換の原理で乾いた現実を常に生き続ける洪積層の文化圏と、神への贈与の原理で湿った土地を守り続ける沖積層の文化圏と。それらが複雑に入組み絶妙なバランスで乱立しているのが「東京」なのだ。ゾクゾクしてくる。無意識に通り過ぎ、何気なく出入りしているこの東京はなんという不可思議きわまりないパワースポットだったのかと。
東京はなぜ同じ「都内」でありながらこれほどまでに様々な様相を呈しているのか。
外来の最先端を取り込み続ける寛容な銀座界隈、新旧と昼夜で全く違う世界を併せ持つ新宿、旧い電子と新しいネットとオタク文化が共存する秋葉原、何者からも無縁であり続ける皇居、どこかきな臭さと柔軟さを保つ浅草(下町)などなど・・・。
その答えはアースダイブによって一つの仮説(いや、きっと真相に違いない!?)を得るだろう。
低地と高地、湿った土地と乾いた土地、性的な濡れ場と贈与の文化が溜まった下町と経済金融の交換文化が発達した高地。そしてそれらから完全に切り離された境界に位置する「無」のSPOT。
ふと自分の今いる場所がどこにあたるのか、気になった。私は縄文時代海の下と陸の上、どこに位置していたのだろうかと。
もしかしたらちょっとほりかえしたら何かここからも出てくるのではないだろうか。
本書を読めばそんな「現実的な」妄想に取り付かれるに違いない。これは夢物語ではないのだ。
お出かけの際には今年の地図ではなくぜひアースダイバー用の巻末付録の地図のご用意を。
アースダイブの旅にでてみようではないか。 東京の驚くべき姿が見えてくる。
紙の本
作者に負けない想像力を持とう
2006/03/19 12:54
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
中沢新一の書と聞いただけで、期待を持って読んでみたが、なかなかの快作であった。東京といえば、丸ビルや六本木ヒルズの建設、汐留地区の再開発など、次々と街の装いを更新し続ける新しさにばかり目を奪われがちである。しかし、縄文時代の海岸線のあとをたどりながら、その名残りがそこかしこに見られることを、具体的なランドマークをあげながら説明していく手際の良さには関心させられた。
縄文海進と呼ばれる時期には、今よりも気候が温暖で、そのために海面がずっと高く、東京は広くリアス式海岸が入り組んだ複雑な地形をしていた。そのことを地理の時間に学んではいても、今でも、その名残を見いだせるとは思いもしないというのが大方の人の反応ではないだろうか。古き日本を訪ねるといえば、奈良・京都に足を運ぶ向きには、驚きを持って読める書であろう。縄文時代というさらにずっと古い歴史の痕跡を、東京という世界の最先端のものが集まる街に見いだせると言うのだから。
中沢氏に導かれながら、地中に眠る歴史や地表に現れ出た想念を読みとっていく「アースダイバー」に変身して、東京という街を見直すと、まるで違った様相を呈してくる。読者には一般の人が想定されているため、読みやすさに重心を置いたことによる強引さも見受けられるのだが、ここは素直にアースダイバーとなり、長い歴史を超えて、今もなお情念の立ちのぼる東京の町並みを、上手に楽しむのが本書への正しい接し方であろう。そうすれば、普段なにげなく歩いていた街に、自分自身で新たな意味を見いだすことができるようになる。
良書とは、それまでの自分の理解を見事にひっくり返し、新たな理解へと誘ってくれる書のことであると思う。その意味では、本書はまさに良書に値する。
本書を成り立たせているのは、中沢氏の豊かな想像力である。縄文海進のことは知っていても、ここまでの本に仕立て上げるには、相当な知性と想像力をあわせ持っていなくてはならない。読者は、かき立てられた自分の中の想像力の翼をありったけ伸ばして、東京の街を散策しなくてはならない。それができたとき、読者は受け身的な読者から能動的な読者へと真の意味での変身を遂げることができるであろう。
紙の本
「いかにも無理がある」などと言いながら、ついつい感心してしまう
2005/10/30 20:09
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
中沢新一と言えば、(『野ウサギの走り』辺りを念頭に書いているのだが)僕にとっては、やたらと難しくて何が書いてあるかイマイチよく解らない、でも、何が言いたいかはよく解る、という不思議な著者だった。ところが、この本の場合は、何が書いてあるか全部解るし、そうなると当たり前だが、何が言いたいかもちゃんと解る。これは読者としてはありがたいことのはずだが、そうなって来ると今度は「何が言いたいか」ではなく「何が書いてあるか」に引っ掛かってしまうのである。
縄文時代の地図を基に、縄文時代も陸地だった洪積層と縄文時代には海に沈んでいた沖積層との違いを主眼に置いて、現代の東京の街並みを読み解いている。読んでいると確かに面白いのだが、一方でいかにも牽強付会、ちょっとそこまでこじつけるのは無理があるのでは?と思う点も多い。その地点にそのお寺があることについてはなるほどと納得するのだが、では別の地点に別のお寺があることについては同じ理屈で説明できるんだろうか? もちろん著者は「海だったか陸だったか」というたった1つのキーワードで全てを色分けしようとしているわけではなく、次々に視点を変えて、それを海/陸の観点に加えることによって、中沢一流とも言うべき非常に興味深い論を展開している。ただ、面白いんだけど、どっか引っ掛かってしまうのである。「資本主義」という単語を経済学上の正確な意味ではなく「商品経済」と同じ意味で使ってたりするのも気になるし…。
だから、僕が思うにこの本は、いちいち書いてあることに「ふーん、そうだったのか。海だったか陸だったか、湿った土地か乾いた土地かでそんなに違うのか」とか「死霊の支配する世界のファッションは派手なのか」などと感心するのではなく、それらのことを言わばある種の「喩え」として読み進むべきものだと思う。
面白いのは「喩え」のほうではなく、これらの「喩え」を駆使して展開される中沢新一の世界観である。ふーん、中沢新一は東京という町を、日本の歴史を、資本主義の特徴を、天皇の存在をそんなふうに解釈しているのか──そういう風に読むと非常に面白い。
言うまでもないことだが、この本は東京在住の人向きである。東京の街を実際に歩いた人でなければ面白くないだろう。「あくまで喩えである」とか「いかにも無理がある」などと言っておきながら、巻末付録の縄文地図を眺めながら、「なるほど、このあたりは沖積層だったのか」とついつい感心してしまう僕である。
by yama-a 賢い言葉のWeb
紙の本
潜る人。
2005/10/28 08:45
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「沖積層がつくる低地と洪積層にできた台地状の土地と、東京は二つの違う土質でできた土地、二つの違う地形、二つの違う精神文化のせめぎあいとして、発達をとげてきた」
そんな東京のあちこちの土地を作者は東京の縄文時代の地図片手にダイビングしている。俗な言い方をすれば、時空を超えて縦横無尽に知性が飛び跳ねている。こんな書き方ができるのは、作者だからだろう。相変わらずの軽いフィールドワークぶり。
作者の先導を受けながら、縄文時代の東京をイメージしてみる。
縄文時代がきわめて魅力的な時代であったことを教えてくれたのは、岡本太郎の著作だった。一般的に縄文時代は狩猟生活で、弥生時代、渡来人によって農耕生活、稲作が定着したといわれているが、そうでもないらしい。縄文人も養殖や畑作をしていたらしいのだ。
時代はぐっと下って東京が−を含む関東を−平将門の霊が守護していることを荒俣宏の『帝都物語』で知った。
かつて「台地上の土地」、山の手は海岸、崖だった。下町は低地。必然、大小さまざまな坂ができる。いまはすっかり味気ない地名になってしまったけれど、それとて地べたを1枚削げば、昔の顔が覗くことができる。
想像で書くけど、縄文時代は海の底、江戸時代は刑場で、大正時代からは化学工場、軍需工場、平成時代には工場跡地が大規模再開発されて、高層マンションがそびえ建つ。その地層をモグラのように潜行していく。
この本の折り込みのEarth Diving Mapを広げてみよう。リアス式海岸(作者は「フィヨルド」と述べているが)のように湾、入り江が深く入り組んでいる。沖積低地の部分が縄文時代には海底だった部分で、それが先日の浸水被害が出た杉並区などにぴったり合致する。
都市計画なんてうんとネガティブに表現するなら、街殺しなんだけど、それはほんの表層だけであって、ランドスケープなんて御託並べたり、やれ六本木ヒルズ、やれ汐留シオサイトだと、どうもうわもののことばっかりに目がいってしまうが、その土地土地の履歴を辿ってみると、それ相応の因縁があるから面白い。そんなに簡単には、土地の呪縛から逃れることはできない証かもね。
昔、中沢新一と細野晴臣が日本の霊地を巡った『観光』という、この本に勝るとも劣らない素敵な本があった。さて、どこに埋もれているのだろう。
紙の本
記憶の物質=泥をこねること
2005/10/18 11:19
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ほぼ五ヶ月、手塩にかけて断続的に読み継いだ。以前、仕事で東京へ出かけた際、空き時間をつかった散策のガイドブックとして携帯したことがある。その時は、渋谷・明治神宮から東京タワーまで、全体のほぼ半分ほどの文章(「水と蛇と女のエロチシズム」と「死の視線」に彩られた土地とモニュメントの話題、とりわけ東京タワーをめぐる叙述は、後半の浅草をめぐる話題とともに本書の白眉)に目を通したものの、結局、実用書としては使えなかった。
霊的スポット探索のための手軽な道案内としては使えなかったけれど、その後、折りにふれ読み進めていくうち、この白川静の漢字学やベンヤミンの『パサージュ論』にも通じる作品のうちに、「中沢新一の方法」ともうべきものがくっきりと輪郭をあきらかにしていることに気づいた。その方法とは、記憶や夢や観念の物質(アマルガム)、つまり「泥」をこねて「遊び」に興じることである。
(泥は存在のエレメントである。坂口ふみ『〈個〉の誕生』によると、ラテン語 substantia の語源となり、persona とも訳されたギリシャ語の「ヒュポスタシス」には古く「固体と液体の中間のようなどろどろしたもの」という意味があった。また、折口信夫『日本藝能史六講』によると、遊びは日本の古語では鎮魂の動作であった。)
泥をこねて形象をつくること。あるいは、形象のうちに泥をイメージすること。王朝和歌の歌人のように。あるいはサイコダイバー、ドリームナビゲーターのように。それが中沢新一の方法、つまりイメージ界のフィールドワークである。松原隆一郎さんが朝日新聞の書評で「文学的想像力」とか「遊び心」といった言葉を使っている。まことに適切な評言だ。
紙の本
東京を深く静かに潜行する
2005/06/23 20:30
15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:脇博道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひさびさにガツンとハートにきた東京本である。中沢氏は
講談社現代新書の超力作である5部作の完結によりアカデ
ミックな方向へ向かうのかと思われたのであるが、どうして
どうして聖俗混然とした本書で、再びフィールドワーカーと
して見事に帰還してくれたのであるからうれしい事この上
ない。アースダイバーというタイトル及び本書をつらぬく
コンセプトも、氏がチベットのモーツァルト以来、一貫して
プラクシスし続けてきた意識の深層へのダイブという方法論
(東方的・森のバロック等参照して頂きたいと思います)を
東京に試みたのであるからこれはもう読むしかない!
期待通り、いやそれ以上でした。もちろん現在において東京
を論じた本は無数にあるわけで、本書の内容がすべて氏の
オリジナルというわけではない。(でも参照文献は巻末に
詳細に記してあるから大丈夫です)が、アースダイバーと
いう氏独自の視点と思考にリンクした瞬間にただちにオリジ
ナルなテクストと化すのである。たとえば東京タワーに関する
記述。エッフェル塔との比較という比較的クリシェとなって
いる視点から出発しながらも、氏の思考はどんどん加速して
はるか彼方のスリリングな地点にまで誘ってくれるのである。
東京タワーに存在する鑞人形館に関する卓抜したエッセイと
してはかの種村季弘氏のそれが有るが、中沢氏の上昇、降下
という運動からラストにこの鑞人形館の存在意義を開陳する
力技は種村氏のそれと比しても勝るとも劣らない卓越した
論考となっている。地下鉄に関する記述は、まさしくアース
ダイバーとしての面目躍如が感じられて興味深い。エロスと
タナトスのメタファーとしての地下鉄、危険な領域にまで氏
はダイブしている。私的には少々食傷ぎみであった東京への
新しい視点を再び与えてくれた本書に深く感謝したい。