紙の本
名著というべき自伝のひとつ
2011/08/13 11:45
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書、チャップリン自伝の上巻「若き日々」と下巻「栄光の日々」を読み、それに合わせるようにチャップリンの映画をずっと観ながら、彼こそ〈映画を超えている〉まれな映画人・映画監督であるという感慨をもった。
たとえば『キッド』についての25分ばかりのドキュメンタリーを観ると、イランの都市、(たぶん)テヘランの街角にチャップリンの大きな似顔絵が描かれていて、その前を通る子供や女性を含む人々に、彼は誰か知っているかという質問が投げかけられる。もちろん誰もが彼を知っていて、なかには物まねをする子供さえいる。他のどんなアメリカの映画監督が、アメリカ嫌いのこの国の普通の人々にそのような親近感を抱かせることができるだろうか。
この自伝には少年時代の驚くべき彼の貧困生活が描かれている。彼には兄シドニイがいて、14歳になった彼は配達夫として働くが、制服しかないため日曜日に友だちに馬鹿にされる。そのため母親はシドニイのために一張羅を買ってやるが、その服を彼が着ない月曜日から土曜日まで質屋に入れないと生活できない。そんな調子で一年間も毎週、服を質屋に預け続ける。やがて服にほころびができ、いつものように7シリングを借り出すことができず、一家の生活は追いつめられる。
これはチャップリン家の貧しさを明かす一エピソードに過ぎない。あるいは日本の同時代なら、ちらっと思い出すのは一葉の短篇「大つごもり」だが、そこではシドニイと同じくらいの歳の娘の奉公に毎日曜の休みなどはなく、日本のほうが苛酷だと感じる。だがチャップリンの母親は貧しさと栄養失調のために狂気に陥るほどだった。
その母親が小間使い役の舞台女優だったこともあって、チャップリンは5歳のときに初舞台を踏み、オーケストラの伴奏で当時よく知られていた歌を歌う。《半分ぐらいまで歌ったころ、小銭の雨が舞台に降った。とたんにわたしは歌をやめて、お金を拾ってからまたつづけます、とあいさつした。よほどおかしかったとみえて、一時にワッと客席がわいた。監督がハンカチを持って現われ、金を拾うのを手伝ってくれた。これは、てっきり監督に巻きあげられるのではないかと思った。するとまたその気持が観客に通じたらしく、笑いはますますたかまった。そして引っこむ監督を心配のあまり、追っかけてゆくと、ついに笑いは最高潮に達した。》
チャップリンの『偽牧師』という初期の映画を観ると、これによく似た場面がある。牧師に間違えられた脱獄囚の主人公が教会で説教をするのだが、集められる寄付金のゆくえを気にする。チャップリンのギャグはそのように現実に根ざしたところから生まれるがゆえに悲哀感とともに絶妙な説得力をもつ。
この子供時代、この境遇にして、このチャップリンの映画、という思いを抱く。他のどんな映画監督とも違うとしか言いようがない。〈映画を超えている〉と思うのもそこのところだ。
だが映画を超えると言いながら、チャップリンが本当に凄いと思うのは、彼の最高の映画が、舞台でも小説でも絶対に不可能な面白さと美しさに満ちているからである。
あまりにも名高い『街の灯』のラストシーンを舞台でやれると思う人がいたら滑稽である。小説に書いて感動させられると思っているとしたら、とんでもない見当違いだ。チャップリンがガラス越しに花売り娘を見つけて驚くシーンは、舞台で決してできない。チャップリンの背後には車が流れ、人通りがあり、まるで作り物のセットとは思えない。その精緻な臨場感がこの映画のラストシーンに必要だったが、もちろんロケは論外。この自伝には『独裁者』においてヒットラーとムッソリーニが出会う駅のシーンに登場する列車はわざとチャチなものにしたことの説明がある。それとは反対に『街の灯』の「街」には現実味が必要だった。
このシーンが舞台で不可能なのは、娘を見つめるチャップリンのショットの後に、今度は彼女のほうをとらえるショットが続くからだ。画面には花売り娘(今は花屋のオーナー)が、自分を見つめ続ける浮浪者のことを彼女の祖母とともに笑うところが映される。直後の英語字幕に戸田奈津子が下品な日本語訳をほどこしているのを観てゲッソリしたが、ヴァージニア・チェリルに対するチャップリンの演出は完璧である。
チャップリンはこの映画のロサンゼルス初日公開の劇場に行き、そこで《最後のシーンではアインシュタイン博士が目を拭っているのを》見るだろう。
この自伝では、チャップリンが製作したジョゼフ・フォン・スタンバーグの映画『海の女性(かもめ)』についてはふれていない。もちろんそのネガが焼却されたことも。
だがこの映画に主演した初期チャップリン映画の相手役エドナ・パーヴィアンスについては、共演した女優のなかで誰よりも温かな視線があてられているような気がする。自伝の最後のほうに彼女からの手紙が二通ほど紹介されているが、そのどちらにも、あまり面白くない小噺をエドナは手紙の最後に付している。
自伝は二通目の手紙のあと、彼女が病気で死んだことにふれている。彼女と共演していた時代は、チャップリンにとって懐かしくも幸せだったのかもしれない。
チャップリンの映画をまとめて観るための参考の書としては、貴重な、見事にその人生が振り返られた、素晴らしい本である。
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一夜明けたら民衆のヒーローだったというのが面白いです。
あとチャップリンが若い頃、逃げ出した家畜が街中を走り回るのを見て大笑いしながら、その家畜はこれから殺されに行くんだと気づき、喜劇とはこういうものだと目覚める瞬間が恐ろしいです。
だからチャップリンの喜劇映画はブラックユーモアが多いんでしょうね。
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貧しい少年時代を兄と母親と暮らす。
少年時代から演劇活動に励む。
イギリスでの活動からアメリカでの永住。
自伝だからこそ語られるチャップリンの生涯。
晩年期が書かれていなかったので☆4つ
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チャップリンの自伝。
貧しかった子供時代から大スターへの階段を
一気に駆け上がるまでを描かれている。
適切な感想ではないかもしれないが、
不幸なエピソードも沢山あるのに面白い。
切なかったり哀しかったりするのにどこかユーモアがある。
自分に降りかかった不幸を
スクリーンで表現するだけでは飽き足らず、
文章にも焼き付けてしまった感じがする。
彼こそ本物のコメディアンなのだろう。
お母さんとの生活が沢山描かれているのも印象的。
金銭感覚にも少し問題があったり、
感情のコントロールも下手で、
完璧な母親ではなかったかもしれない。
しかし、子供達への愛で溢れているお母さん。
訳あって親子別々に暮らしていた時、
伝染病感染の防止が目的で、息子である作者が
みっともない格好になっていた時、面会にやってきたお母さんが
大笑いしながらその息子を抱きしめてキスをしたって
エピソードが心に残った。
貧しいながらも、母の愛情に包まれながら
少年時代を過ごしたからこそ、
チャップリンは、自身が創り出す映画のフィルムにも
そういった愛情や優しさを焼き付ける事が出来たのだろう。
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2009/07/29
チャップリン ―
だぶだぶのズボン、大きなドタ靴、きつすぎる上着、
ステッキと山高帽、そして小さな口ひげという、
おなじみのスタイル。
喜劇的な演技で人々の笑いと涙をさそう
チャップリンのインスピレーションは、
貧困を極めた子供時代の記憶や、
母親の発狂などに裏打ちされているもので、
この本を読むと、映画の表面上の笑いだけでなく、
彼自身の喜びや悲しみ、挫折や成功を
垣間見ることができます。
本当に素晴らしい!!
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極貧の時代から成功をつかむまでの日々を淡々と綴った自伝。特に幼少時代の貧しさは想像を絶するものがあり衝撃を受けます。ハングリー精神とはまさにこのことを言うのだろう、と思わされます。
家族の大切さ、逞しく生きること、社会の渡りかたに対するまで、数多くの教訓が含まれています。
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どん底から這い上がる人は才能だけではなくてなにかの縁と言うか、運があるものです。
全一巻かと思ったら「若き日々」という事で三分の一の部分だった。
残りもあれば読んでみたいが、極貧生活からスターダムにのし上がるこの本の部分が一番面白いのかも知れない。
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宇梶さんオススメ。
母親に関する文章を読みビートたけしさんを思い出した。
これを読んでいくつか映画を見たがストリートパフォーマーとしてはそのスタント的な身体能力の高さに目が行った。
すごい!!
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チャップリンが孤児院にいたなんて。
悲しさと美しさのその際を知りえていたからこその、
あの映画。
魅力的な人物の人生記は興味深い。
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▼ 100文字感想 ▼
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人を喜ばせたいと思ってる方には読んでほしい本です。
喜劇王、チャップリンがどのようにつくられたのかが分
かります。ポイントは母の愛情と行動とタイミング。まあ、
ある意味あんな父親がいたのもポイントかもしれません。
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▼ 5つの共感ポイント ▼
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■母はいつも周囲の風に染まらぬように心がけ、家族
の言葉使いにも注意深く心を配り、文法上の誤りなど
は訂正し、わたしたちがまわりとはちがった人間なの
だという自覚をうえつけようとした
■・・・このエピソードこそが、将来わたしの映画の基調
━悲劇的なものと喜劇的なものとの結合にというあれ
になったのではないだろうか
■個性こそ最高ということだけは、わたしの信念だった
■だぶだぶのズボンにきつすぎるほどの上着、小さな
帽子に大きすぎる靴という、とにかくすべてにチグハグ
な対照というのが狙いだった
■わたしという人間は、笑わせるだけでなく、泣かせる
こともできたのだ
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いわずとしれた喜劇俳優チャップリンの、貧困な幼少期から栄光の青年期までを綴った自伝。
印象に残ったのは、喜劇と悲劇を意識した羊の話と、濡れ衣を着せられて体罰にあったシーンかな。
普通なら、濡れ衣を着せられ体を叩かれた日には惨めな気分になりそうだ。ところが、チャップリンは「むしろ誇らしい勝利感さえ味わっていた」という。
そこを読んで「何だ変態か」と思ったけど、よくよく考えてみるとその時から、舞台に上がり、人々の注目を集めることに対する欲望及び演技の素質があったのではないかと思う。
最後の方の有名になっていく記述は延々と自慢のように書かれているけど、群衆に囲まれ孤独を感じていたというチャップリンに、映像の中のあの人も、普通の人となんら変わらない一人の人なんだなあと思った。
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チャップリンという人自体知ってるか知らないかのあいまいな状態だったが、友達の勧めで読んでみた。名の知れた彼にさえ、極貧の下積み時代があったのだと考えさせられる一冊。ただ、最後が人生の中途半端な地点で終わっていたのがむずがゆかった。
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チャップリン喜怒哀楽の自伝。
笑いと悲劇。名声と孤独。成功と失敗。どちらも単独ではありえないことを彼の人生が証明するようだった。この続きも気になるから後編も読もう。
悲劇があるから、喜劇が輝く。だからすべての喜劇を通じていちばん大事なのは、姿勢だという。この場合の姿勢ってのは、前フリとか、態度とか、キャラ設定とかだろうな。
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チャップリンの若かりし頃が描かれており、それは映画で知ってるチャップリンとは別で、この知識をもって再び映画を観ると尚更入り込める気がする。
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(2010:川崎司先生推薦)人間が人間であるかぎり味わう苦しみと喜び、失望と希望が赤裸々に語られた<不屈の人生記録>。