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石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)
著者 石原 吉郎 (著)
憎むとは待つことだきりきりと音のするまで待ちつくすことだ詩とは「書くまい」とする衝動であり、詩の言葉は、沈黙を語るための言葉、沈黙するための言葉である――敗戦後、8年にお...
石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)
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商品説明
憎むとは待つことだ
きりきりと音のするまで
待ちつくすことだ
詩とは「書くまい」とする衝動であり、詩の言葉は、沈黙を語るための言葉、沈黙するための言葉である――敗戦後、8年におよぶ苛酷な労働と飢餓のソ連徒刑体験は、被害者意識や告発をも超克した<沈黙の詩学>をもたらし、失語の一歩手前で踏みとどまろうとする意志は、思索的で静謐な詩の世界に強度を与えた。この単独者の稀有なる魂の軌跡を、詩、批評、ノートの三部構成でたどる。
石原吉郎
海が見たい、と私は切実に思った。私には、わたるべき海があった。そして、その海の最初の渚と私を、三千キロにわたる草原(ステップ)と凍土(ツンドラ)がへだてていた。望郷の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。(中略)1949年夏カラガンダの刑務所で、号泣に近い思慕を海にかけたとき、海は私にとって、実在する最後の空間であり、その空間が石に変貌したとき、私は石に変貌せざるをえなかったのである。(中略)望郷のあてどをうしなったとき、陸は一挙に遠のき、海のみがその行手に残った。海であることにおいて、それはほとんどひとつの倫理となったのである。――<本文「望郷と海」より>【商品解説】
収録作品一覧
詩の定義 | 10-11 | |
---|---|---|
詩集〈サンチョ・パンサの帰郷〉より | 15-43 | |
詩集〈いちまいの上衣のうた〉より | 44-54 |
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かぜをひくな。
2006/09/22 16:49
11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
栗林忠道著「栗林忠道 硫黄島からの手紙」(文芸春秋社)を読みました。家族に宛てた手紙がそのままに並べられております。
読了してから、私に石原吉郎の詩が思い出されました。
それは、こんな詩です。
題は、「世界がほろびる日に」。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
今回
紹介する文庫には、最初に「詩の定義」という2ページほどの文があります。それは詩を書きはじめてまもない人たちの集まりで「詩とは何か」という質問を受けて、返答に窮することが、まず書かれておりました。
この問いについて、こう書かれております。
「答えはない。しかし、それにもかかわらず、問いそのものは、いつも『新鮮に』私たちに問われる。新鮮さこそ、その問いのすべてなのだ。 ただ私には、私なりに答えがある。詩は、『書くまい』とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駈って、詩におもむかせたことは事実である。・・・」
石原吉郎は昭和14年。24歳で召集令を受けます。
終戦の昭和20年が30歳でした。そこから38歳までソ連に抑留されております。昭和28年に帰国でき。12月1日に日本へ上陸したのでした。
最初に引用した詩「世界がほろびる日に」ですが、
まるで、すぐにわかるようで、それでいて理解を拒む詩のようです。
そこにあるのが「『書くまい』とする衝動」ならば、
私には、栗林忠道氏の「硫黄島からの手紙」が
書かれなかった詩の大切な箇所を、引き継いで、語りはじめたような錯覚を覚えました。
ほんとうは、私は「栗林忠道 硫黄島からの手紙」
を紹介しようとしたのです。
その「硫黄島からの手紙」は、
「◎此の手紙は他人の眼に絶対にふれさせぬ事又内容をしゃべらぬ事」と 手紙の最初にあります。
それから毎回、いつ戦死してもおかしくはない状況のもと、最後の手紙として書き継がれていきます。
手紙の内容は、詩「世界がほろびる日に」の2行目以降の言葉が
家族へと、ていねいに、やさしく書かれていくのでした。
私は、石原吉郎の「『書くまい』という衝動」を
栗林忠道によって書かれた手紙から、どうやらやっと知ることになったような気がしました。
それは、詩の円環が、ゆっくりとつながってゆくような、
そんな偶然に立ち会っているような気持ちを抱きました。
私は、ここで 石原吉郎の本を取り上げながら、
「栗林忠道 硫黄島からの手紙」をお薦めしております。